太刀二ルンバ話「二宮ぁ〜、これあげる♡」
そう言って太刀川抱えてきたのはルンバだった。
「いらん」
「は?!そう言わずに、持ってけって!」
扉を閉じ切る前に、チェーンをかけた隙間にすかさず黒いナイキのシャワーサンダルをねじ込みながら、太刀川はルンバを突き出す。
「いらないと言ってるだろ。テメェ、俺の部屋が汚ねえとでも言うのか」
突き出されたルンバを手で押し返しつつ、二宮はアパートのドアを閉めようとする。どうしてかわからないが、太刀川と二宮は同じアパートに住んでいた。しかも同じフロアである。180センチを超えたデカい男が、アパートの扉を押し合いへし合い、ルンバを押し付け合っている。ご近所さんが見たらさぞかし奇怪な光景だろう。
「お前の部屋の方が汚いんだから、自分で使え」
「それがさぁ、部屋が汚くて走らせらんなかったんだよなあ。これ、掃除する機械じゃん、そんなのってある?」
「……フン、じゃ部屋を掃除しろ。じゃあな」
「待て待て待て!」
二宮の部屋でこいつが走ってるところ見たいんだよ、頼む!といつもの調子で頼まれた。二宮は何度も太刀川の頼む!に煮湯を飲まされてきたのである。レポート、課題、防衛任務……数えればキリがない。手伝った数だけ、いい思い出が全くない。
「てかさぁ、実家から鍋セット来る予定なんだよな。お前も食う?鍋、二宮の部屋でやっていいか?」
「いいわけねえだろうが……帰れ!」
グレーのスウェットから覗くすね毛の生えた脚を蹴り飛ばし、二宮は音を立ててドアを閉めた。
「……二度とくるな、馬鹿が」
大きく息を吐きだし、洗濯機を回そうとスイッチに手を伸ばした。その時のことだった。
「なー、二宮ぁ」
こいつ、まだドアの前にいやがる。往生際の悪いクソ髭が……。さっさと帰れ。こんな髭に使う時間が勿体無い。二宮は無視することにした。
「忘れてたんだけど、ベルト返すわ!俺んち来た時に忘れただろ!ドアんところかけて置くぞ、それで……」
「……入れ」
入れたくないけど入れざるを得ないというような、もう明らかに渋々という声が扉の向こうからする。かかった…!太刀川は、内心しめしめとニヤついた。
二宮がチェーンを外すと、ふふん、と得意げな太刀川の顔がある。まるで自分の家のように慣れた動きで太刀川が入ってきた。「お邪魔しまぁす」と口だけの挨拶をしてさっさと上がり込む。靴を揃えろ、まずは手を洗え、と二宮はリビングのドアに手をかけた太刀川を制する。
失念である。今日の朝、太刀川の部屋から自分の部屋に帰るとき、なんだかチノパンがゆるい気がした。太刀川の「二宮ぁ、朝帰り?不純だなあ〜」という一言にキレてしまった二宮は、「誰のせいだと思ってんだ、死ね」と普通の恋人よろしくイチャイチャする朝の時間に、さっさと着替えて帰ってきたのだった。きっとその時に忘れたのだ。
来馬がくれたなんだか旨い高そうなジャムを塗りながら、ぼんやりと見た「今日のとけい座は運気最悪です」と朝の占いで言っていたのは本当だったのだ。
それに太刀川にしてやられたのも気に食わない。太刀川のベルトとルンバと鍋の話は、どれも本当のことだろう。その中で、二宮が太刀川の部屋に忘れたベルトを一番最後に出せば交渉がうまく進むと思ったに違いない。しかも、最後まで隠していやがった。馬鹿のくせにそういう小賢しいところが嫌いだ。二宮はわざと聞こえるように舌打ちをした。
「ほら、ここなら目一杯走れるぞ。良かったなぁ」
太刀川は、コンセントにルンバが帰る装置を取り付けながら笑った。(この装置のことを太刀川は「巣」と呼んでいた。)
「勝手に巣に帰って充電するから、お前がやることは何にもない。可愛がってくれよ、ルバ子を」
「ルバ子?ルンバってメスなのか」
「ルバ子、二宮の部屋でいい子にしてろよ。こいつ怒るとすごいからな」
「うるせえ」
晴れて二宮家のルンバとなったルンバは実によく働いた。
トコトコ…と部屋を周り、埃を掃除した。大抵、二宮が帰宅する時間には掃除は終わっており、巣に戻ってじっとしているのだが、防衛任務が早く終わったり、講義が早く終わったりして帰宅すると、健気にトコトコ…と掃除しているのだった。普段、特別物音のしない部屋でルンバの音がするのは、最初の方こそ気になったが、徐々に生活の一つとして馴染んでいった。二宮は徐々にルンバに愛着を感じ始めた。後ろをついて回るでもなく、ただ健気に部屋をぐるぐると掃除をしているだけなのだが、なぜか「飼っている」という気持ちになるのだった。
何度かルンバが、ラグに絡まり、そのまま充電が切れていたことがあった。そのうちの一回は太刀川と鍋をするときだった。
部屋に入ると、ラグに絡まり、こと切れているルンバを手に二宮は「ほら、これでいいか」と声をかけて充電口に刺した。一緒に部屋に入ってきた太刀川は、ルンバを生き物のように扱う二宮を見て目を丸くした。
「ルバ子……」
「うちのルンバに変な名前をつけるな」
「元はと言えば俺のだろ」
フン、と鼻息を鳴らし二宮はコートを脱ぎ、鍋の準備をし始めた。
カセットコンロは諏訪から借りたものだ。よく同い年の風間さんたちと鍋をするらしい。二宮は冷蔵庫の中身と買ってきたものを眺めながら
、コンロを借りた時のことをぼんやりと思い出していた。
「二宮ぁ、太刀川とだろ?」
諏訪さんにはニヤニヤしながら背中をバンバンと叩かれた。む、と諏訪さんを少し睨むとキャンパスバッグに入ったコンロを渡された。
「太刀川が呑みの時、泥酔した太刀川がずっと『二宮と鍋するんです〜』って絡んでたから結構みんな知ってんじゃね?」
「……クソ髭」
「楽しみにしてるのかわいいじゃねーか。それガス入ってるけど、終わりかけだからそっちで捨ててくれ。しばらく使わないから、返すのいつでも良いぞ」
「諏訪さん、ありがとうございます」
「お〜」
人の前で付き合ってる話をするな、惚気るなと言っても太刀川は聞かない。出水から「太刀川さんが惚気るの良い加減にさせてくれませんか?!」と怒られたこともあった。「俺は太刀川の保護者じゃないんだぞ」、と言い返したが、「俺だって言いたかないですけど!それは、恋人の責務です!」と逆に返された。諏訪さん達にもやっていたのか、俺にはどうしようもないことだと呆れてため息をつく。
いそいそとスーパーの袋から鍋用の餅を並べる太刀川を横目に、二宮はキッチンへと向かう。どうせ太刀川だし、このくらいでいいだろうと、ザクザクと適当に野菜を刻む。買ってきた豚肉は一旦水で洗う。パックの底に少し溜まっていた血が、流水に解けて飲まれていった。水で洗うと、肉の肉くささが少し軽減されるような気がする。とりあえず、買ったキムチ鍋の素を普通の鍋で温め、根菜から先に沈めておく。太刀川の部屋には土鍋があるが、俺の部屋にはない。
鍋の素を選ぶとき、今日はキムチで良いか…と手に取ると、後ろから太刀川が「え〜、キムチぃ?キスしたくなくなる」などどほざいたので、思いっきり靴を踏んでやった。絶対キムチ鍋にしてやる、と思って買った。外でそういう話をするな。
「おい、灰汁取っとけよ」
「言われなくても取るんだが?二宮くんは俺のママか?」
「髭面の出来の悪い息子を持った覚えはない」
「個人ランク1位だから出来悪くないです〜」
「頭が悪い」
「そりゃ仕方ねえ、煮えるまでコンロの火で餅炙ろっと」
太刀川はそう言ってスライスされた餅を取り出し、箸で挟んで炙り始めた。香ばしい香りがあたりに広がる。薄い分、火の通りが早いらしい。パリパリと音を立てて餅を食べると、割れた餅の破片が、フローリングの上に転がった。いつのまにか隣にきた二宮が、怪訝そうな顔をする。
「俺の部屋にゴミを落とすな」
「じゃあ……ほらルバ子、餌だぞ〜」
太刀川は指先で餅のカケラを摘み上げ、巣の前でパラパラと落とした。
「お前、俺のルンバにゴミをやるな」
「はぁ?ルンバはゴミを掃除するもんだろ?!」
あーだこーだとその後も、二人とも詰め寄って口論をしていたために、顔が近くなる。ばちり、と不意に目があってしまい、急に恥ずかしくなり始め、咳払いをして二人は離れた。
ルンバにゴミをやるな!と怒った二宮だが、言われてみれば、ルンバはゴミを掃除するためにいるのである。いや、太刀川のゴミを掃除するためにいるわけではない。しかし、それではルバ子(?)の仕事を奪ってしまうのではないか……。
なにやら考え始めた二宮を、太刀川が小突く。
「さっさと鍋食べようぜ」