砂糖漬け心もよう「――時計が欲しいです」

　特に必要なかった朝食を食べるようになって、洗面所に自分の使わない日用品が増えてきて、家テリトリーに自分以外の人の気配が当たり前になったと気付いたのが最近のこと。持ち込まれたものは元より彼女の所持品ばかり。正式に一緒に暮らす約束を交わしたのが先日のことで（仕事柄なるべくになってしまうけど）、記念と言うには仰々しいが、一つの区切りとしてこの家に腰据える彼女へ何かを贈りたいと思ったのだ。
　何か欲しいものはあるかと尋ねてみれば、玲はすごく真面目な表情で、真面目なものを所望した。

「その腕時計、両親から祝いで貰ったお気に入りって言ってなかった」
　嫌な予感を抱えつつ白々しい疑問を投げかければ、玲はきょとりと目を瞬かせてから首を横に振る。
「いいえ、そっちじゃなくて。このリビングに、壁時計か置時計が欲しいです」
　予感は嫌になるほど当たってしまった。逃げるように目をそばめると、玲は逃がさないと真っ直ぐな視線で食らい付いてくる。
「だってこの部屋、時計がないじゃないですか」
「腕時計とスマホがあれば充分だからねえ」
「定位置にないもので、一々確認するのが不便なんですよ」
「時間を一々把握する意味が分からない」
　分刻みで行動を縛られるのが得意でない俺の性分を玲は理解している。唇を尖らせていたと思えば、突如ひらめいたと顔色を明るくする。
「インテリアと思えばいいんですよ。時間のお知らせガジェット付きの有能置物と！　リビングに置いても違和感のないオシャレなものを探しますから。あ、デザインのご意見伺いたいので、今度の休日は選ぶの付き合ってくださいね」
　有無を言わせない口調でにこにこと朗らかな笑みを振りまいてくる。曇らせたくはないが、頷きたくもない。どうしたものかと嫌そうに顔をしかめて沈黙を決め込む。だが、「……だめでしょうか」とつぶらな上目で不安そうに窺われれば、頷く以外の選択肢など砂塵の如く消え失せる。
　そもそも欲しいものを言い出すように仕向けたのはこちらなのだ。滅多にわがままを口にしない大事な恋人の望みとあらば、叶えてやるのは飼い主の役目であり果たすべき責任。握った手綱は一生放すつもりなどないのだからと、甘さの滲むため息を落とす。
「不承不承ながら、了承しようか」
「ありがとうございます、耀さん！」
　ぱっと愛らしい笑顔を惜しみなく零す玲はいっそ小憎らしい。
　縛られるのは、彼女の挙動ひとつで揺らぐこの心だけで充分なのに。手綱を握られているのは果たしてどちらなのか。不承不承の願いでも、満更でないと自然に口緩むのはどうしてなのか。
　
　無意味で無駄で、替えの利かない思考回路に気を取られながら、今日も俺は玲の傍らで息をしている。