お題【痛み癒し】今日は乙骨と自室で会う予定だった伏黒。いつもなら予定時間に来てくれるのに今日は30分過ぎても来てくれない。何かあったのだろうかと連絡するも反応はなく。任務前、乙骨は昼頃任務へ出て夕方までには帰って来れそうだと連絡くれていたのにまだ帰ってないのだろうか。任務に手こずってる?
心配になった伏黒はいてもたってもいられずに乙骨の部屋まで出向くと扉をノックし愛しい人の名を呼ぶ。だが何回ノックしても反応はなく。
ポケットに手を突っ込むとチャラチャラと金属音と共に鍵を取り出す。乙骨とは恋人になった暁にお互いの合鍵を作って交換していた。先輩がいなかった時のことを考えると忍びないが確認だけでもと意を決して扉の鍵を開け入る。
薄暗く人気のない乙骨の部屋。だが1番奥に設置されているベッドには人が寝ているらしい布団の膨らみ。わずかに見える後頭部から乙骨だと気づいた伏黒は安堵する。ベッドまで近づくとベッド脇には刀の入ったままの刀袋が放置されている。相当疲れたのだろうか。だが約束を放ったらかしにされたのは初めてだ。壁側に顔を向けて表情は見えない。気になって仕方のない伏黒は乙骨先輩と何度か呼びかけて肩を揺らす。すると小さく呻き声をあげて乙骨が目を覚ました。
「…伏黒くん?どうしたここに…?」
起きたばかりの乙骨は眠そうに目を擦りながら上体をゆっくりと起こす。
「今日、会う約束だったので。でも時間になっても来ないからこっちから来ました」
「え、もうそんな時間…?ごめんね。思ってたより寝ちゃったみたい」
そう言ってベッドから起き上がる乙骨は顔を隠すように俯き疲れた足取りで洗面台へ向かった。一瞬見えた乙骨の表情は何か悲しそうにしていた気がする。伏黒は乙骨が寝ていたベッドに視線を戻す。寝ていた跡の残る枕には濡れたようなシミがある。
泣いていたのだろうか。乙骨は悲しいことがあるとそんな気持ちを仲間に悟られたくないのか独り部屋に閉じこもり啜り泣きながら眠ることがある。枕横にあったスマホを手に取ると指で操作するが真っ暗の画面は変わらぬまま。電池切れかと思い電源をつけるとパッと画面が明るくなり、意図的に電源を切っていたことに気づく。これも乙骨が悲しい時、独りになりたいが為によくやる手段らしい。これでは連絡もつかないわけだ。
何故なにも相談してくれないのか。独りで背負ったって何も解決しないのに。もどかしい思いでスマホを握りしめる伏黒。悲しみの記憶は痛みとなって先輩の中に残り続ける。凄惨な過去をもった先輩はそういう痛みに過敏になっている。誰かが癒さないとその痛みは大きくなってしまう。それなら今の俺にできることはひとつしかない。
「お待たせ。ごめんね伏黒くん。じゃあ行こっか」
背後から聞こえる乙骨の声に振り向く伏黒。ようやく洗面台から戻ってきた乙骨の顔は少し赤い。前髪がところどころ濡れているのを見ると顔を洗って無理にいつもの顔を作っているのかもしれない。だが作られた笑顔に先輩らしい可愛らしさはない。
「先輩……」
伏黒は持っていたスマホをベッドに放ると乙骨に抱きつく。いきなり抱きしめられた乙骨は驚き、戸惑う。
「伏黒くん…?!どうしたの?何かあった?」
「俺はなんでもないです。ただ甘えたくなっただけです」
強く抱きしめて乙骨の肩に顔を埋める伏黒。離すまいときつく巻きつく腕が乙骨の体を圧迫していく。
「……いたいよ、伏黒くん」
「先輩なら我慢できるんでしょう?甘えさせてくださいよ」
「なんで、こんなこと、するの…?」
乙骨の声が震えている。だが声に覇気はなく怒っているわけではないだろうと思った伏黒はそのままきつく抱きしめ続ける。
「先輩、痛いんでしょう?俺のこの行動すら受け入れられないくらい。そんな痛みに耐えながら俺といて楽しいと思えますか?幸せだと感じるんですか?」
「痛いにきまってるじゃないか。こんな、愛なんてない拘束…」
「そりゃそうでしょ、今の先輩に俺の愛情を受けいれる余裕なんてない。そんな状態で俺といても辛いだけでしょ。だから独りになろうとする。仲間も、俺すらも拒んで独りで痛みが去るまで耐えている」
「それは……」
心の痛いところを突かれた乙骨は言葉が出てこない。
「独りで耐えていつか悲しみの痛みがなくなっても心のどこかに膿となって溜まっていく。ふとした時に爆発して動けなくなったらもう誰も先輩を助けられませんよ」
嗚咽がこみあげる乙骨。少しずつ痛みを取り除いていく。
「僕…本当はこういうこと言うの、苦手なんだ…自分の傷は自分で治せるから…余計に。確かに心に溜まった傷はずっと残ってる、そんなのとっくに気づいてたよ。でも皆に迷惑かけるの嫌だから、我慢するしかなかった…!これまでのように…だけど反転術式でも消えないこの傷はどうすればいいか、僕…もう、わからないよ!」
啜り泣きながら、声を詰まらせながらようやく本音を話せた乙骨に安堵した伏黒はきつく抱きついた腕を少しだけ緩める。
「それでいいんですよ。ただ声に出すだけで。俺に読心力はない。だから先輩が声に出してくれないと俺にはどうして悩んでるのかわからないんです。声にすることの恐怖はあるかもしれない。声に出すことでズキズキと痛むかもしれない。でもそうすることで痛み分けができます。俺も先輩の痛みを知って共感することができます。そうすることで先輩の心の痛みは少しずつ小さくなっていくんですよ」
「でも…でもそれじゃあ、君も痛いじゃん…誰かを傷つけちゃうならそんなの嫌だ…!」
痛み分けを拒絶して離れようとする乙骨を再び強く抱きしめる。
「俺が貰い受ける痛みは先輩に比べたら全然軽いですよ。俺はその辛い出来事を経験してないので。それに、先輩にとっての痛みが必ずしも俺に効くわけじゃない。何の原因がストレスとなって心の痛みになるのかは人それぞれ違う。先輩は今、自分の痛みを取り除くことだけを考えればいい。俺はそれに協力するだけです」
乙骨の背中に回す手を解くとそのまま腕を撫で手を握る。少しだけ離れてようやく見えた乙骨の顔は目から鼻から溢れ続ける涙で溺れている。何度も会う愛しい人の初めて見るしゃくり上げるほど泣く姿に本当に我慢強い人なんだなと感心する。
「伏黒くん…僕、今日、もう…無理だよ。…もう何もできない…」
抑えられない声が漏れ出てきて慟哭する乙骨。
もう一度、今度は優しく抱きしめると背中を撫でる伏黒。
「いいんですそれで。たくさん泣いてたくさん甘えて、いつもの優しい先輩に戻ってください」
伏黒は乙骨を撫で続ける。乙骨が泣いて泣いて、涙が枯れて泣き疲れて眠るその時まで。痛みが消えて癒しに変わるまで。