Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    めいや

    @meiya_gsonly

    めいやです。吸死ロナドラ小説を書いてます。
    無配のパス限SSや、ツイッターに上げた短めのものを上げていく予定です。

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 10

    めいや

    ☆quiet follow

    Δロナドラ
    pixivにあげているものとほぼ同じ内容です。

    Puppy Love 一欠片の月の光もない、深夜零時。
     国内でも有数の吸血鬼のホットスポットである新横浜では、今夜も吸血鬼と退治人、そして吸血鬼対策課も加わっての混戦が始まっていた。
    「我が名は吸血鬼・カップ麺のお湯を入れて三分が待てない! みんなみんな待ちきれなくて一分で箸をつけてしまえ〜!」
    「うわーー まだパキパキなのに食わずにはいられない!」
    「俺のなんか五分なのにー」
     コンビニを中心とした一定の範囲内から次々と悲鳴が上がる。なんとも馬鹿げた効果だが、一度に多くの対象に催眠をかけられる能力は非常に厄介なものと言えた。
    「くっ……一分なんて、俺○塩くらいしか食べられないではないか!」
    「俺はパキパキのも結構好きだけどね〜」
    「各隊員、被害情報の把握に努めろ! 隊長の指示通りに散れ!」
    「了解なり〜」
    「ムン!」
     催眠は食べようとしていた者だけでなく、近づいた者には猛烈にカップ麺を食べたくさせる効果も持っていた。お陰で迂闊には近づけず、退治人達はじりじりと間合いを取ることしかできない。当の吸血鬼がコンビニの入り口を陣取っているため、下手に近づくとコンビニのカップ麺売り場を荒らしかねなかった。
    「カップラーメンもカップ焼きそばも、パキパキが一番美味い 私はそれを皆に教えてやっているのだ!」
    「それはお前の嗜好だろうが! 他人を巻き込むんじゃない!」
    「俺は伸び切ってズルズルになってるのも嫌いじゃねぇが」
    「伸びたカップ麺など邪道の極み……お前ら全員にパキパキ麺の美味しさを教えてやるっ」
    「うっ……むしろカップ麺にお湯なんて要らない気がしてきた」
    「話をややこしくするな! こんな時になにをしてるんだ隊長は」
     現場は阿鼻叫喚。混乱の極み。
     それを高みから見下ろす、二つの影。
    「なあなあ、まだ行っちゃダメ?」
    「ステイ……もう少し我慢して」
     ここで言う高み、とは物理的な距離を表す。敵性吸血鬼がいるコンビニの向かい側、高層ビルの屋上のコンクリートの縁に佇む影が一つ。更に身を乗り出し、六十メートル眼下を見つめる影が一つ。
    『……隊長。被害状況の確認、催眠範囲の確定は、ほぼ終わったわ』
    「了解。ありがとう希美君」
     耳元の無線機から聞こえてきた報告に、静かな声が応えた。ひょろりと細長い、むしろ痩せぎすのシルエット。こけた頬。青白い肌。尖った耳が、それが人間ではないことを示している。月のない闇夜に溶けて消えてしまいそうな風貌の中、一点だけキラリと光を放っている。吸対のエンブレムだ。
    「そろそろ行った方がイイんじゃねえの? ホラ、みんなカップ麺そのまま食い出したぞ」
     影の一つがビルの縁に立ち、あろうことか背伸びまでして、遥か地上を見下ろした。深夜でも煌々と輝くコンビニは確かに目立ったが、それでも常人が見える距離ではない。つまり、その影もまた人間ではない。
    「カップ麺見てたら腹減ってきた。今日の飯、なに?」
     ぐう、と元気に腹の虫を鳴らしたのは、どこからどう見ても吸血鬼。銀の髪、赤い瞳。程よく筋肉のついた堂々たる体躯に、黒のスーツに赤いカマーバンド、更にひらめくマントと言うテンプレすぎる衣装を纏い、全身で吸血鬼を主張している。
    「ハンバーグ作ってあるから、終わったらジョンと一緒に帰って食べなね。先に寝てていいから」
    「やった、ハンバーグだ!」
    「ヌッヌー!」
     佇む影の足元に、ひょっこりと丸い影が現れた。丸い。丸いとしか言いようがない。だが、闇に包まれて細部など一切分からないのに、そのシルエットを見ただけで完全に“理解”してしまう。その丸は宇宙一可愛い。
    「よっしゃ! ならとっとと終わらせようぜ。もうイイよな?」
    「……よし。ロナルド君、GO!」
    「ヌー!」
     薄い影と完璧なる丸の号令と同時に、吸血鬼は軽く宙に身を躍らせた。地上六十メートル、落ちたら吸血鬼と言えども、普通ならただでは済まない。しかしロナルドは『普通』ではなかった。風圧で全身に纏わりつくマントを払い除けながら、一直線に敵に突っ込んでいく。
    「ヒナイチ、半田! 避けろ!」
    「チンっ」
    「遅いぞ、この役立たずが!」
     なんとか催眠に抗いつつ、敵吸血鬼に攻撃を仕掛けようとしていた二人が慌ててその場を飛び退いた。ハンターの中でもトップクラスの身体能力を誇る者達がかろうじて反応できたくらいだから、敵の吸血鬼が対応できるはずもない。
    「なっ? うえぇぇぇぇぇッッ」
     ドンっ──と轟音と共に何かが地上に激突した。その衝撃で砂煙が舞い、一瞬だけ何も見えなくなる。
    「よお、イイ夜だな?」
     視界が晴れていく。煌々と灯りが灯るコンビニの入り口で、まるで普通に買い物に来たような調子で、なのにあからさまな吸血鬼が同胞に声をかけた。高々と掲げた手に、同族の首を握りしめながら。
    「なぁにがイイ夜だ、馬鹿者」
     ハンターの一人が憎々しげに呟く。もう一人は、自身を支配していた猛烈なカップ麺欲が無くなったことに気づき、密かに安堵の息を吐いた。
    「放していいよ、ロナルド君」
     その声に三人が同時に目を向けると、マンションから出てきた人物が道路を横切るところだった。彼が屋上からエレベーターで降りてくるまでの、ほんの数分の捕物劇だ。
    「ドラ公!」
    「随分と遅いお出ましだな、ドラルク」
     真っ赤な衣装の退治人、ヒナイチが吸対制服の男に声をかける。言うのは癪だが、ロナルドの乱入がもっと早ければ、その場で事件は解決していたのだ。なにせ目の前の“自称高等吸血鬼”には、生半可な催眠術は効かないのだから。
    「すまないね。既に催眠にかかっている市民が多数いたから、そっちの数を把握しておきたかったんだよ」
    「俺達を時間稼ぎに使ったわけか」
     ドラルクがダンピールの退治人、半田の言葉に曖昧な笑みを返した時。
    「グエッ……」
     と奇妙な音が聞こえた。いまだロナルドに握り締められている敵性吸血鬼の喉から聞こえた音だ。ちなみにとっくに白目をむいて、泡まで噴いている。
    「だから放していいってば。もう意識ないでしょ?」
     ドラルクの台詞に、ロナルドは無邪気に首を傾げた。
    「ついでに首折っとかなくていいのか? 多分死なないから大丈夫だぞ」
    「多分、ねえ」
     吸血鬼と言えでも、普通は首の骨を折ったら重傷である。しかも催眠術特化タイプは、身体能力は人間とほぼ同じな場合も少なくない。喉を潰されて泡を噴いている時点で、決して“大丈夫”ではない気がする。
    「ドロップ」
     ドラルクの一言で、ロナルドはパッと手を放した。吸血鬼はその場にぐしゃりと落ちて、そのまま動かなくなる。
    「はい確保」
     ドラルクがパチンと指を鳴らすと、それまで遠巻きにしていた吸対隊員が一斉に動き出した。ピクリとも動かない吸血鬼に、わらわらと群がるのとは逆に、ロナルドはドラルクに歩み寄る。
    「今日は道路壊さなかったぜ!」
    「当たり前だ、馬ぁ鹿」
    「バカって言った方がバカだ! 半田のバーカっっ」
     自慢げに言うロナルドの背後から半田が茶々を入れ、ロナルドもムキになって言い返す。それはいつものことなので放っておいて、ヒナイチは改めて現場を見回した。ロナルドが着地した場所は、アスファルトが多少削れているようだったが、目立った損傷はない。あれだけのスピードで落ちてきたのに、何故?
    「地面に触れる寸前に、念動力でブレーキかけるように言っといたの」
     ヒナイチの疑問に、当人ではなくドラルクが答えた。
    「そもそも飛べるし、催眠も効かないんだから。もっとゆっくり降下してもいいって言ったんだけどね」
    「それじゃ畏怖くねえだろ! みんなが驚いて慌てる中に颯爽と登場するのがイイんじゃん」
    「ハイハイ。畏怖かった畏怖かった」
     吸血鬼として完璧な見た目を持ち、能力もピカイチな“高等吸血鬼”を軽くあしらうオッさんダンピール。しかし、このやりとりもいつものことなので、ヒナイチはツッコミも入れなかった。そこに吸対隊員が声をかける。
    「隊長、敵性吸血鬼の確保が完了しました」
    「ご苦労、署に帰還する。ハンター諸君も協力感謝する」
    「ああ。おおまかな被害状況は俺からギルドマスターに報告しておこう」
    「君って……本当に仕事だけはできるよねえ」
    「なんの話だ?」
     吸対と退治人が現場から離れていくのを見送りつつ、ドラルクはロナルドに向き直り、ずっと抱いていた丸──アルマジロのジョンを手渡した。
    「ジョン、ロナルド君と一緒に帰ってあげて」
    「ヌー!」
     世界で一番可愛いマジロを優しく撫でて微笑むドラルクに、ロナルドが不満げに呟く。
    「お前は帰んないのかよ?」
    「私はこれから報告書書きだよ。夜明けまでには帰れると思うから、先に寝てて」
    「……ジョンと飯食ったら迎えに行く」
     バサリ、と大きな音がした。背に蝙蝠によく似た翼を生やしたロナルドが、トンと地面を蹴る。そのままドラルクの頭上に浮き上がり、ジョンを持った手を伸ばした。
    「オヌヌヌヌヌイ」
    「おやすみ」
     小さな手の柔らかな感触に、ドラルクが思わず微笑んだ時。既に吸血鬼とマジロは声が届かないほど高くまで飛び上がっていたのだった。


    「ドラ公、迎えに来……あー、寝ちゃったか」
     深夜の新横浜署、の吸対に当てがわれた部屋の窓から、当然のように入りながらロナルドは声を顰めた。
    「隊長、なんだかんだで数日寝てないみたい」
    「今日の現場も、ちょっと時間かかりましたしねえ」
     若い隊員たちが口々に言うのを聞きながら、ロナルドはドラルクのデスクにそっと近よる。デスクに突っ伏し、腕に顔を埋めて寝息を立てている吸対隊長の肩には、女性隊員が愛用しているブランケットがかけてあった。それには触れずに、ロナルドにしては小声で語りかける。
    「ドラ公、帰るぞ」
    「起こすの面倒なら、そのまま持って帰っていいぞ」
     ぞんざいな口調に顔を向けると、副隊長のミカエラと目が合った。
    「事務処理はほとんど終わっている。あとはこちらでやっておこう」
    「明日、いやもう今日か。遅番だよな。他になんかある?」
    「いや、今のところ隊長の休息が第一に優先される。余程の事態が起こらない限りは連絡はしない」
    「りょーかい」
     寝たままドラルクの体をデスクから離させると、ロナルドはその体を軽々と抱き上げた。お姫様抱っこしてマントで包み込めば、細い体はほとんど見えなくなる。 
    「じゃあ、あとよろしく」
     開けっぱなしの窓に長い足をかけ、振り向いた時には、もう体の半分以上が空にはみ出ていた。
    「そっちも。なるべく寝かせてやってくれ」
     ミカエラの言葉に頷くと同時に、ロナルドは窓から飛び出す。その姿を目で追う者は、室内には誰もいなかった。
    「……つーか、ずいぶん慣れたよねえ、あのヒトも」
     若い隊員──マナーの言葉に、他の隊員も頷く。
    「以前は、ここで寝ることも滅多になかったですもんねえ」
    「ムン! 前は仮眠室で一人じゃないと眠れない、と言っていたのに……良いことだと私は思うぞ」
     その言葉の通り、以前のドラルクは衆人環視の中で居眠りをするようなタイプではなかった。勤務中はろくに眠らず、食事すら栄養ゼリーやカロリーバーで済ませる時も多々あった。唯一のストッパーであるジョンがいなければ、自宅で食事の準備をすることもなかっただろうと本人も公言している。
     それが、隊員みんなの前で居眠り。しかもお姫様抱っこされても起きないなんて。
    「確かに……ロナルドが来てから隊長は変わられた。それが良いことなのか、悪いことなのか、私にはまだ分からないが」
     ミカエラが重いため息と共に呟くと同時に、ドアがガチャリと開く。
    「皆さん、夜食を買ってきましたよ」
    「なに窓開けっぱなしにしてんよのよ。埃入るから早く閉めなさいよね!」
     席を外していた女性隊員に第一声で怒鳴られて、ミカエラは慌てて窓を閉める。
    「あら、ロナルドさんがいらっしゃったんですね」
     隊長の椅子にかけられたままのブランケットを手にして、希美がクスリと笑った。
    「手作りのご飯食べた後にお迎え……とか、反吐が出るわね」
     相変わらず辛辣なにく美の台詞に男性陣は戦々恐々としたが、希美は朗らかに微笑む。
    「なら、隊長の分は私たちで山分けしちゃいましょ。特上ロースカツ弁当♡」
    「いいわね。隊長のツケだけど、文句は言わせないわよ」
     “どう考えても隊長はソレをリクエストしないし、むしろ口もつけないだろ”──と男性隊員全員が思ったが、口に出す勇気がある者は一人もいなかった。
    「……我々も食べようか」
    「ムン」
    「誰かの牛丼に勝手に七味をかけてやる〜」
    「マヨネーズって、響きがエッチですよね?」
     新横浜吸血鬼対策課の一日は、まだ終わりそうにもなかった。


     新横浜署にほど近いドラルクの自宅マンション、そのベランダから当たり前のようにロナルドは侵入した。鍵は念動力で開ける。ちなみに高層マンションの最上階だが、このフロアは全てドラルクが所有しているので、不審者として通報されたことはまだない。
     広々としたリビングを横切り──寝ているジョンを起こさないようにしながら──寝室へのドアを開けた。かつてはジョンも寝室でご主人様と一緒に寝ていたが、ドラルクが忙しくなってからはリビングで寝ているらしい。
     寝ていても、主人が帰って来た時に、きちんと出迎えるために。しかし、それもロナルドが来てからはしなくなった。
     ドラルクはジョンにはちゃんと寝てほしいと思っていて。ジョンもドラルクにはなるべく休んでほしいと思っている。かつてはワーカーホリックのストッパーとして、アルマジロの身で出来る限りのことをしていたが、ロナルドが望んだことにより、その半分、いや三分の一ほどを担うことを許してくれた。
     寝室のドアを閉め、灯りもつけずにベッドに近づく。ロナルドの目は昼も夜も同じようにものが見える。そのことに感謝したのは、ドラルクに出会ってからだった。
    「ん……」
    「起きたか?」 
     痩せた体をベッドに下ろすと、さすがにドラルクが身じろぎした。それでも目を開けずに、ゴロリと姿勢を変える。
    「起きたなら上着脱げって。あとでシワになったって騒ぐのはお前だぞ」
     声をかけても反応はない。ロナルドはため息を吐いて、上半身を抱えて上着を脱がせた。
    「ろな、……ん」
    「……下は?」
     寝言のような、呂律の回らない声。是でも否でもない。仕方なくロナルドはベルトだけ取って、またそっとベッドに横たえる。
     セミダブルに不釣り合いな痩せぎすのダンピールの横に腰掛けて、その姿をじっと眺めた。そっと襟元に手を伸ばし、ワイシャツのボタンを一つ外す。
    「ん……」
     暗闇の中でも、その肌が異様に白いことが分かった。一つ、もう一つと外していく。
     白い首筋に浮かぶ血管。
     くっきりと浮き上がった鎖骨。
     アバラ骨までハッキリと見えてしまう。
     それに触れて、凹凸を確かめて。
     それでも起きない──ならば。
    「ドラルク……」
     口の中だけ呟く。首筋に手を当てると、吸血鬼の自分の体温の方が高かった。その温もりを求めるように、すりと頬が寄ってくる。
    「……ッッ」
     いつのまにか、自分からも顔を寄せていたことに気づいた。脈打つ血管から目が離せない。口元から勝手に牙がはみ出る。その青白い、柔らかな肌に今すぐ牙を突き立てたい。
    「ドラ……こう?」
     俺、いま何考えてた?
     考えても答えは出ない。
     それは本能。吸血鬼なら、当たり前の欲望。でも──
    「ダメだよなあ……」
     手を離し、ベッドに座り直す。音を立てずにため息を漏らした吸血鬼の心など全く知らずに、ダンピールは変わらずに穏やかな寝息を立てていた。

     
    「すんげぇ我慢してると思うんだよな、オレ」
     ダンッ──とジョッキをテーブルに叩きつけながら、ロナルドは叫んだ。
     田舎にいた時から世話になっていたマスターが経営する店は、いまやここ新横浜で吸血鬼たちの溜まり場になっている。
    「我慢って……どっちの」
    「だいたいアイツは無防備すぎるんだよ! 俺は吸血鬼だぞ、なのに目の前でグースカ寝やがって」
     同じテーブルでクリームソーダを飲んでいるショットの言葉を最後まで聞かずに、ロナルドは勝手に話を進めた。ちなみにロナルドのジョッキの中身もノンアルコールだ。しかし酔ってなくても今日のロナルドが面倒くさそうなのは、誰が見ても明らかだった。
    「ちょっとなら飲んでもいいんじゃない? 許可は出てるんでしょ?」
     やはり同じテーブルについているサテツが食べ物を頬張りながら、のほほんと言った。こちらはノンアルとかそういう次元ではなく、テーブルを埋め尽くすほどの料理をほぼ一人で平らげようとしている。
    「ドラ公は、いいって……言ってるけど」
     ロナルドがドラルクから血液をもらっていることは、ショットもサテツも知っていた。同時に自分のソレを血液錠剤の代わりに提供していることも──栄養不足の成人男性、しかもダンピールという、一般的には決して好まれる属性ではない血液に対して、ここまで執着を示すことが仲間たちには理解できない。
    「寝てる相手から勝手に血をもらう、ってのは……なんかダメじゃね? って思うし。それに」
     そこでロナルドはぐっと言葉に詰まる。
     口元からはみ出た真っ白な牙が、深く唇に食い込むのが見えた。
    「アイツが止めないと、全部吸い尽くしちまう……多分」
     今にも泣きそうな声の友人に、ショットはあーあとため息を吐いた。これはかなりの重症だ。
    「さすがに、そこまではいかないだろ」
    「ドラルクさんも起きるんじゃない?」
     冷静な声と、あくまでものほほんとした友人たちの台詞に、ロナルドはブンブンと首を振った。
    「ちょっと前なら、俺もそう思ったよ。俺がなんかしようとしても、アイツが止めてくれるって。でも……最近、ドラ公ホントに疲れてて。寝ちまうとすぐに起きないし。仕事があれば絶対起きるんだけど……」
    「疲れてて、ねえ」
     ショットは何か続けようとして、でもやめた。ドラルクがロナルドの前で起きないのは、果たして本当に疲れているからなのか──真相は本人以外の誰にもわからないのだから。
    「でもロナルドがそんなこと言うの、珍しいよね。今まで別に、そこまで血が必要だった訳じゃないのに」
     あくまでも呑気なサテツの言葉に、ロナルドも頷く。
     生命維持だけだったら、今までは人間と同じ食事でほとんどが賄えていた。それでも血液が必要な時は、そこら辺で売っている血液パックで充分だった。正直、兄やその友人が飲んでいる高級ボトルの味との区別もろくにつかない。
     吸血鬼以外の血が入っているサテツなら分かる。だがロナルドは生粋の吸血鬼、しかもかなり血の濃いと思われる高等吸血鬼だ。だが血液摂取に関しては非常に燃費が良いという自覚もあった。それなのに──
    「アイツのそばにいると、滅茶苦茶喉が渇く」
     出会った時からそうだった。
    「喉が渇く……ねえ」
     頭を抱えてテーブルの一点を見据える友人に、ショットが声をかけようとした時。
    「おーっす、マスター!」
    「邪魔するアル」
     勢いよく店のドアが開く。
    「いらっしゃいませ」
     入ってきた常連──ロナルドたちと共に新横浜に来て、今ではすっかりこの地に馴染んでいる吸血鬼二人に、マスターがにこやかに挨拶をする。
    「今日はデカいダチョウが手に入ったぜ!」
    「おや、いいですね。早速料理を……」
     ドアが開いた瞬間、凄い勢いでロナルドが立ち上がった。開け放された扉から空気が流れ込み、店内を漂うほんの僅かな夜の気配に鼻をひくつかせる。
    「……俺、行かなきゃ」
    「ロナルド?」
     くん、と鼻を蠢かせた時には既にテーブルから離れていた。
    「わりい、それで払っといて」
     いつの間にか目の前に置かれていた紙幣を見つけて、ショットは雑に頷く。
    「へいへい」
    「あれ、ダチョウ食べないの?」
     サテツの言葉は、友人に届く前に閉められたドアにぶつかって消えた。
    「ロナルドのやつ、どうしたんだ?」
    「呼ばれたんだろ」
     ショットの言葉に、馴染みの吸血鬼の一人が盛大に顔を顰める。
    「ワケ知り顔で意味深っぽく適当なコト言うヤツ、ガチでキモいね」
    「ぐっ……」
    「さあさあ皆さん、ダチョウが焼けましたよ」 
    「お、待ってました!」
    「わーい! ごはんごはん!」
     新たな食べ物を目にした瞬間に友人のことなど綺麗さっぱり忘れ去った仲間たちを見て、ショットは密かにため息を吐いた。そう言えば。

    『我慢って……どっちのだよ』

     この答えをロナルドに聞きそびれたな、と思う。
    「……どっちって、そりゃアッチだよなあ」
    「アッチってどっちね?」
     独り言を聞きつけられて、ショットは温くなったクリームソーダに口をつけつつ首を振った。
    「本当に血が飲みたいだけか、っつー話」
     吸血鬼の食欲は、性欲と密接に結びついている。
     実際、吸血鬼が人間から直に血を啜るのがデフォルトだった時代には、性行為をしながらの吸血はよくあることだった──と聞く。直接の吸血が廃れ、血液パックやボトルが主流になった現代でも、AVではテッパンのシチュエーションだ。
    「なんだ、ロナルドはあのオッさんとヤリたいのか?」
    「マリアさん……あまり大声で言うことではありませんよ」
     あけすけな仲間の言葉を、さすがにマスターが嗜める。当のマリアは「わりぃわりぃ」と悪びれずに笑った。
    「ソレ、わかっててコキ使われてるんじゃないアルか? 『備品』なんてテイのイイ口実ね」
    「そうかもなあ」
     的を射すぎた仲間の言葉に、ショットが苦笑した時。
    「大丈夫だよ、きっと」
     口の中のものを全て飲み込んだサテツが、やっと箸の手を止めて言った。
    「ドラルクさんは、そんな悪い人じゃないよ。ロナルドのことも、ちゃんと考えてくれてると思う」
    「……お前、菓子をくれるからって贔屓してねえか?」
     サテツとショットはVRCに世話になっている関係で、吸対が出張るような現場でドラルクと顔を合わせることもある。しかも、その時にドラルク手製の菓子を差し入れされることもしばしばなのだ。
    「確かにドラルクさんの手作りお菓子は美味しいけどさ」
    「そう言えば、先日ロナルドさんが持ってきてくれたお料理も絶品でしたね。是非レシピも教えてもらいたいものです」
    「美味い飯が食えるなら、俺は誰が誰とくっつこうが関係ねえけどな」 
     一気に騒がしくなった店内で、ショットはやれやれと首をすくめた。そしてようやく料理に手をつけようとして──
    「サテツ、てめぇまた全部食いやがったな」
    「えっ? ショットも食べたかったの」
    「オマエが遅いのが悪いアル」
     綺麗に空になった大皿を見て、ショットは友人が置いていった金で追加注文をしようと決意したのだった。


     夜の街を一人の少女が駆けていた。
     真っ赤な上着と帽子、華奢な外観には似合わないゴツい銃を身につけた彼女の名はヒナイチ。新横浜でも随一の吸血鬼退治人だ。
     年若い女性でありながら、その戦闘力はピカイチ。下等から高等、無害からポンチまで。夜毎吸血鬼が跋扈するこの街の第一線で活躍するハンターは、今日も吸血鬼の情報を得て捜査に繰り出していた。既に場所を突き止めているはずの吸対と連携をとるために探していると──
    「……っ」
     見つけた。川沿いの街路樹に寄り添う、二つの影。二つとも長身の見慣れたシルエットに、ピンとくる。間違いなく探していた人物だ。
    「ドラ……」
     歩み寄ろうとしたのに、何故か足が止まってしまった。小道を照らす街灯からわざと外れて、闇の中で。寄り添う、と言うよりもそのシルエットは重なって──
    「ッッッ お前たち何をやってるんだーーーっ」
     その“行為”を認識した瞬間には、もう叫んでいた。それでも離れない二つの影は、吸対隊長のドラルクとその『備品』のロナルドのもの。それが二つ、いや二人がピッタリとくっついて、その、顔も──って言うか、唇が重なっていたが ぶちゅうっと、まさに音が聞こえるくらい。ソレって、いわゆるキキキキスというヤツでは
     慌てまくって混乱しまくって、闇の中でも分かるくらい真っ赤になったり真っ青になったりしているヒナイチを放置して、二人は行為を続けた。
     ぴちゃり、と水音が聞こえる。
     口元からはみ出した真っ白な牙に絡む、真っ赤な舌。ソレが唾液を掬い取って、また口内に返して混ぜあわせる。舌と言わず歯茎と言わず、あらゆるところに擦り付けて、溢れ出る新たな唾液とまた合わせて、喉の奥までとぷりと注ぎ込む。
    「んっ……」
     絶え間なく聞こえる水音に混じる、熱くて甘い吐息。吸対隊長、立派な成人男性、痩せぎすで顔色の悪いダンピール──そんな普段からは想像できないほど熱っぽく、淫らな声と表情。コレは、多分私が聞いちゃダメなヤツ──とヒナイチが本能で気づいて更に慌てた時、スウっと赤い目がこちらを見据えた。
     高等吸血鬼の、本気の瞳。
    「……おまたせしたね、ヒナイチ君」
     と同時に、ドラルクがパッと体を離した。それでヒナイチも状況を思い出す。そうだ、私は吸血鬼を探していた。それに。
    「お前らっ、こんなところでなにして……っ、勤務中だろうが」
    「だから、勤務だよ」
     大声を上げて指を指してくる退治人を冷静に制して、ドラルクは目を閉じてこめかみに指を当てた。
    「西……西南西か。十キロ……十五キロ、いや、十七キロ圏内。気配はそこまで強くないが……かなり大きいな。ロナルド君」
    「おう」
     一歩踏み出して街灯の光の中に出てきた吸血鬼の瞳は、もういつものものだった。
    「ちょうどいいから、ヒナイチ君と一緒に急行して。レディだから、丁寧に扱うように」
    「へいへいっと」
    「えっ……ひゃあっ」
     大柄の吸血鬼に無造作に抱き上げられ、ヒナイチは思わず悲鳴を上げた。これは、いわゆるお姫様抱っこというヤツでは
    「はなせっ! 私は自分で歩ける!」
    「いや、飛んでくから」
     その言葉の通り、なんの躊躇いもなくロナルドは宙に浮かび上がった。背中にはいつの間にか大きな翼が生えている。
    「他のハンターにも連絡しとくから、初動よろしくね」
    「わ、わかった」 
     バサリと音がして、ロナルドは更に高く飛んだ。コンクリートで作られた橋桁を足場に、あっという間に河を飛び越え、またビルの屋上に飛び移る。ビルの屋上から屋上を一足で駆け抜けるスピードに、退治人は今更ながらに驚いた。
     ヒナイチにもやってやれないことはないだろうが、スピードが桁違いだし。しかも人間一人抱えて、この運動能力は尋常ではない。
    「お前、本当に高等吸血鬼なんだな」
    「今までなんだと思ってたんだよ」
     しみじみと呟いたハンターの台詞に、吸血鬼が子供のように口を尖らせる。普段の言動から、まるで図体のデカい弟のように思ってしまっていたが、こんな時は生物としての違いを思い知らされた。そしてそれは、ドラルクも同じだ。
     ドラルクのダンピールとしての能力がズバ抜けて高いことは承知していたつもりだが、あそこまで正確な方角と数字が出せるとは思って──そう言えば、その前に、なんか。
    「……勤務って、どういうことだ?」
    「あー、ドラ公が言ってたアレな……まあ、お前ならイイか」
     高層ビルの高さを高速で飛んでいるので風が強くて何も聞こえないはずだが、ヒナイチの声はちゃんとロナルドに届いた。そう言えば、帽子も飛んでいかない。おそらくロナルドが念動力で押さえてくれているのだろう。
    「アレはドラ公に俺の血をやってるの」
    「ドラルク……ダンピールが、吸血鬼の血を?」
     告げられた事実にヒナイチは驚愕した。
     ダンピールが血液錠剤で能力をブーストできることは知っていたが、それが他者の血液の直接摂取で代用できるだなんて聞いたこともない。しかもロナルドは吸血鬼で、人間ではないのだ。能力のブーストだけではなく、ロナルドほどの高等吸血鬼の血をエナドリ代わりに? そんなこと本当にあり得るのか──だとしても。
    「だとしても、わざわざ口移しじゃなくてもいいだろうが……その、いくら恋人同士と言っても」
    「ドラ公と俺、つきあってねーもん」
     ケジメだの公序良俗だの、少し頬を赤くしながら言い募っていた少女は、吸血鬼の言葉にまた驚いた。
    「つきあって……」
     ない──だと
    「あ、あんな濃厚なキッ……口内接触をしておいてっ! つきあってないだとっ 貴様っ冗談も休み休み言えっっ」
    「ホントだっつーの! アレはキスじゃねえし、単なる血液……薬剤摂取なんだよ。俺はドーピング薬でエナドリ! ……アイツにとってはな」
     風の中でもハッキリ聞こえたはずの声が、何故かやけに小さくなった気がした。
    「ドラ公にとっちゃ、俺の血なんてちょっと高いドリンク剤と同じなの。だから捜査のためなら、外でもあれくらいホイホイやるんだよ」
    「だから『勤務』、か」
     少しだけ降下して、ピカピカの靴に包まれた爪先がトンっとコンクリートを蹴った。またふわりと体が空を舞う。
    「とてもそうは……見えなかったが」
     少女の声に含まれる戸惑いに、吸血鬼は気づかないようだった。
     ヒナイチが見たのは。聞いたのは。
     闇の中でぴたりと重なる影。繋がった部分から聞こえる水音。淫らな吐息と、微かに薔薇色に染まった頬。潤んだ瞳と、しどけなく開いた唇。白い制服に身を包んだ男は、あの時確かに──
    「……いくら『勤務』内でも、往来でああいうことは控えろ。見つけたのが私だったから良かったものの!」
     顔色の悪いダンピールが、うっとりと目を閉じて吸血鬼の唇を受け入れているところを思い出して、ヒナイチは思わず赤面した。それ誤魔化すように大声を出す。
    「それはドラ公に言えって! それに、アイツもお前だから別に隠さなかったんだろうし」
    「は?」
    「お前なら知られてもイイかって思ったんだろ。さすがに他の奴ならどうにか誤魔化してたと思うぜ」
     ロナルドの言葉に、ヒナイチは一瞬何も言えなくなった。ドラルクが、吸対隊長が、ハンターである自分をそこまで信用しているというのか。
    「……いや、普通に未成年に見せるのはダメだろう」
    「お、アレか?」
     ヒナイチの心からの叫びと同時に、ロナルドが何かを見つけた。視線の先は、遥か下の地上。その一点に向かって一気に急降下する、その途中で──
    「……きゅうに手を離すなバカものぉぉぉぉッッ」
    「遅いぞロナルドぉっ!」
     突然宙に投げ出されて、慌てて体勢を立て直さなければならなかったヒナイチの耳に、聞き慣れた声が聞こえてきた。ビルの壁を蹴って勢いを殺し、とにかく伸ばした手に触れたパイプを掴んで減速をしつつ地上を見れば。そこには見知った顔──ハンター仲間の半田が刀を構えて何かと対峙していた。
    「よお、速ぇじゃん」
    「貴様らが遅いのだ」
     大きな蝙蝠の翼を使って悠々と降下し、信号機の上に降り立ったロナルド、そして無事に地面に着地したヒナイチの目の前に巨大なナニカがいた。
     交差点の真ん中に鎮座する、ぷよぷよした半透明のスライムのような吸血鬼。見た目だけならスラミドロに似ているが、問題はその大きさにあった。
    「デカいな……半田、被害は?」
    「今のところはない。俺が早めに現着できたので避難指示を出してもらった。一般人は避難済みだ。だが、これは……」
     信号機を軽く超えるサイズの吸血鬼を見上げた後、半田がロナルドをギラリと睨みつける。
    「この吸血鬼、どこかで見たことがある気がするのだが……なあ、ロナルド?」
    「そうなのか?」
    「コイツは……」
     ロナルドと半田は幼馴染みだと聞いていた。その二人が知っているということは。
    「ちいにい」
     それは目の前の物体の中から聞こえた。
    「……っ」
     半透明の体を震わせる巨大な吸血鬼。
     その表面がとぷん、と揺れて。
     そこから、ぬっと何かが飛び出す。
     白く、細い、人間の──否、吸血鬼の指先。
    「やはりかっ」
    「誰だ」
     疑問を口にしながらも、ヒナイチには予想がついていた。半透明のスライム状の体内から出てきたのは、吸血鬼の少女。銀の髪に赤い瞳。小ぶりながらも白く美しい牙。吸血鬼として完璧な容姿に、更に大仰な黒マントというテンプレ衣装を身につけている。そして、その雰囲気は信号機の上に立つ吸血鬼とあまりにもよく似ていた。
    「ヒマリ……」
    「ちいにい、ヤ(ッホー)」
     手を上げて軽く挨拶をするのは、どう見てもロナルドの身内──おそらく妹だ。ヒマリと呼ばれた少女が、無表情のまま半田にも手を上げる。
    「桃君も、おひさ」
    「久しぶり、などと言っている場合ではない。何故君がこんなところに? チノミダイダラまで連れて」
    「チノミダイダラ?」
     聞き慣れない単語に、ヒナイチが首を傾げた。
    「あー、コイツはヒマリ……俺の妹の友達。普段は山の中にいるし、都会だとあんま聞かないから知らないかも」
    「名前は聞いたことがあるのだが……こんなところまでついてくると言うことは、妹さんの眷属なのか?」
    「ううん。ともだち」
     ヒマリが緩く首を振ると、銀の髪がキラキラと舞った。ロナルドの妹だけあって、見た目は完全に美少女なのだが、いかんせん表情と声の抑揚が乏しすぎる。
    「それより、俺は何故この新横にいるのかを聞いているのだが」
    「そうだ、いくらロナルドの妹とは言え、騒ぎを起こすのは良くない。下手すると吸対に連行されるぞ」
     ハンター二人の言葉に、ロナルドはあることに思い当たり、息を呑んだ。ヒマリがここにいる、と言うことは。
    「まさか兄貴も……」
    「ん」
     突風が吹いた、と思った次の瞬間には、その場からロナルドの姿は消えていた。
    「ロナルド」
    「兄貴……アイツの兄が、新横に来てるだと」
    「ん」
     こくりと頷いた吸血鬼の背後で、その友達はいつまでもプルプルと体を震わせていたのだった。


     新横浜駅前、午前零時五分。
     夜の街はまだ賑やかで、月はなくとも充分に明るい。それなのに人影はなく、定期的に駅から吐き出されてくるはずの人間たちの姿もない。
     そんな光景を不思議そうに見渡す、一つの影。
    「こんばんは」
     駅の入り口に繋がる歩道橋、その真ん中辺りから声をかけられて、影はぴたりと動きを止めた。
    「こんばんは。良い夜じゃな……と言いたいところだが」
     そう言ってイタズラっぽく微笑んだのは吸血鬼──銀の髪に赤い瞳。黒のスーツに、これまた真っ黒なマントというテンプレ衣装を身に纏い、全身で存在を主張している。
    「ここへはご旅行ですか? それともお仕事で?」
     スタスタと歩み寄りながら話を続けるのは、こちらの方が余程吸血鬼っぽい見た目の男。長身痩躯、白を通り越して青白く見える肌。尖った耳にチラリと覗く牙、白い制服を身に纏い、胸に輝くエンブレムは吸血鬼対策課のものだと知られている。
    「弟がこの街に住んでいてな」
    「ほう。では、その弟さんに会いに?」
     わずか五メートルの距離で対峙して、吸対の男──ドラルクはにこやかに、しかしわざとらしく尋ねた。吸血鬼もまた笑顔で頷く。
    「ああ。身内に会うのはもちろんじゃが。そいつらが世話になってる人間にも、挨拶しなくちゃならんと思っとる」
    「そうですか」
     表情を変えずに、吸対の男は何気なく右手を上げ──る、前に。
    「無駄じゃ」
     赤い目がギラリと光った。
    「ヒイっ」
     吸血鬼は、わずかに目線を上げただけ。しかしその視線は確かに、遥か彼方のビルの窓から狙いを定めていた吸対隊員を捉えていた。見えるはずもない。気配を感じることも、人間どころか並の吸血鬼にだって不可能なほど距離をとっているのに。
    「……何が、無駄だと?」
    「弾丸の無駄遣いはしないにこしたことはないじゃろ?」
     やはりさりげなく手を下ろしながら、ドラルクはうっすらと笑った。と同時に、何の合図もなしに左右に人影が躍り出る。歩道橋の下から、いつでも出て来れるように待機していた部下たちだ。
    「隊長殿」
    「……コレがアレの兄貴?」
     隊服の上からでもハッキリと分かるほどムキムキの男と、長い黒髪でほぼ顔が隠れた女。隊長であるドラルクを背中で庇いながら、目の前の吸血鬼をジロジロと睨め付ける。
    「コイツ、本当に……?」
    「にく美君、失礼だよ。申し訳ありませんね、部下が不躾で」
    「いや構わない。こんな美しいお嬢さんに見つめられるのは、むしろ僥倖じゃ」
    「うわっ、コイツ本当にロナルドの兄貴」
     にく美がジリ、と一歩下がった。彼女の判断の理由は、自分の知っている自称高等吸血鬼(三歳)の身内が、こんな歯の浮くような台詞を言うはずがない! と言うものと。なによりも、目の前の吸血鬼の見た目であった。
    「お前さんたち、ロナルドのことを知っているようだな。ご推察の通り俺はアイツの兄じゃ」
     そう言う吸血鬼──確かヒヨシという名だった──の見た目は、せいぜい二十歳といったところか。下手すると十代にも見える。身長もロナルドより低く、体つきも細く見えた。
    「吸血鬼の年齢は、見た目では判断できないって知ってるだろう? この方も実はロナルド君と……かなり歳が離れているのかもしれない」
     暗に『見た目通りではなく、非常に高齢で力ある吸血鬼かもしれない』と匂わせたドラルクに、ヒヨシはあっさりと告げる。
    「いや、俺とアイツは八歳違いで。この顔はただの童顔だ」
    「え……あ、そうなんです?」
    「三十路……その顔で?」
     ゴクリと喉を鳴らしたにく美に、ヒヨシは朗らかに笑いかけた。
    「変身もやろうと思えばできるけどな。こっちの方が夜のオネーちゃんウケがイイんじゃ。こうなったら、いっそのこと素のままでどこまでイケるか試してみようと思ってな!」
     明るく言い放つ吸血鬼に軽くウインクされて、にく美はまた一歩下がった。
    「隊長殿……この方は本当にお身内に会いに来られただけでは」
     もう一人の隊員──マモルがにく美の代わりに一歩前に出ながら、ドラルクに耳打ちする。
    「わざわざハンターの目を遠くに向けさせて、こちらの警備を手薄にしたのに?」
     ドラルクはわざと声を潜めずに言った。ヒヨシもまた、わざとらしく肩をすくめる。
    「なんじゃ、バレてたか。どうりで、駅前でナンパしようにも誰もいないわけだ」
    「それなりのお店ならご案内しますよ」
    「それはありがたい、が……」
     ニヤリと笑ったヒヨシの体が、ふわりと浮いたように見えた。
    「隊長!」
     にく美が動いた、その一瞬の隙をついて。ドラルクに肉薄すると見せかけて、するりとにく美の懐に入り込む。
    「厚いベールで覆われた君の瞳を、どうか俺だけに見せてくれんか? その美しさで目が眩み、一生何も見えなくなったとしても決して後悔しない。ただ一度でも、お前さんの瞳に映ることができたなら、それで本望じゃよ」
     真っ赤なマニキュアで彩られた指先が、サラリと、にく美の前髪に触れた。
    「ぐっ……」
    「彼女から離れろ!」
    「駄目だ、魅了されるぞ!」
     ドラルクが事態を察した時には、既に遅かった。
    「お前さん、見事な筋肉をしてるな。男の俺が見ても惚れ惚れするぞ。その輝くばかりの肉体を保つには、さぞかし鍛錬を積んだのじゃろう? 男だろうと女だろうと、努力を惜しまぬその心は何よりも美しい」
    「うう……筋肉……万歳」
     耳元で熱く囁かれて、マモルは頬を染めてその場に崩れ落ちた。膝をつき、動けなくなった部下二人を見てドラルクはため息を吐く。それから顔を上げ、改めて吸血鬼と対峙すれば、無邪気にも見える笑顔を崩さずにこちらを見ていた。
    「……私には魅了は通じませんよ」
    「そのようじゃな。そっちの二人も、大した精神力だ」
     使う吸血鬼の力にも寄るが、魅了をかけられたら術者の意のままに動く操り人形になることもある。ヒヨシのような高等吸血鬼に、あんな至近距離で魅了されたのに動けなくなっただけなのは、さすが新横浜の吸対隊員と言えた。
    「やはり場数を踏んだ吸対は手強いな」
    「もう一度お尋ねします……目的はなんだ?」
    「もう言ったが?」
     赤い瞳が、にいと細まる。 
     目の前にいたはずの吸血鬼が消えた──と思ったら。ふわっ、と浮いたように見えた次の瞬間には距離が詰められて、手が伸ばされていた。首筋に浮かぶ真っ青な血管に、そっと。信じられないくらい優しく、指先が触れる。
    「弟が世話になっている人間に挨拶しようと思ってなあ」
     真っ赤な爪が長く長く伸びて。
     美しく輝く鋭い刃となり。
     つぷ、と肌に突き刺さ──
    「……ッッ」
     その刹那、突風が吹いた。
     と同時に、何者かにヒヨシの手首は掴まれ、そのまま無理やり引き離される。
    「おお、遅かったな!」
    「……さねぇ」
     乱入者はヒヨシの腕を掴んだまま、もう一方の手でドラルクを引き寄せた。マントの中に包み込み、ミシミシと音を立つほど抱きしめる。
    「……痛いよ」
    「いくら、兄貴でも……」
     ギラギラと光る赤い目が、真っ直ぐにヒヨシだけを見ていた。ドラルクの声は届いていない。
    「ゆるっ……さねえ」
    「何をじゃ?」
     地を這うような低い低い声に、兄はあくまでも軽く応じた。ロナルドがやっと拘束を緩めたのを見計らって、ドラルクは座り込んだままの部下に向かって叫ぶ。
    「二人とも立てるか? 立てるなら早く逃げろ!」
     その言葉が二人の脳に届く前に。
    「いくら兄貴でもコイツに手を出すのは許さねえっ」
     ロナルドの叫びと同時に、再び突風が吹いた。爆風と言っても良いほどの勢いに、三人の体が一瞬だけ宙に浮く。
    「隊長、にく美ちゃん!」
    「早く! こっちへ」
     聞き慣れた声が聞こえる方向へ、ドラルクは必死で部下を引っ張り、やっとたどり着いた。
    「隊長、ご無事ですか」
    「うん。二人が体を張って守ってくれたからね」
    「守れて……ねーわよ」
    「むん……」
     やっと話せるようになった部下を預けて、ドラルクは立ち上がる。既に近くに吸血鬼の気配はない。
    「なるべく壊さないでくれると……いいんだけど」
     他人事のように呟く。そうは言っても、烈火のごとく怒るロナルドに手加減を期待しても無駄なことは分かっていた。分かっているからこそ、ドラルクは積み重なる始末書のことは、今だけは忘れようと決意したのだった。


     夜空に美しい花火が散った。
    「ほらほら、そんなもんか?」
     楽しそうに笑いながら宙を舞い、ヒヨシは街灯の上に降り立つ。優雅にマントをはためかせて、わざと次の攻撃を待った。
    「クッ……ソ!」
     誘われるがままに長く伸びた爪を突き立てようとして、あっさりと空振りして。ロナルドは思わず毒吐いた。ヒヨシが地面に着地したのを見計らってビルの壁を垂直に駆け上がり、今度は上空から狙いをつける。
    「オラあッ!」
    「相変わらず大雑把じゃなあ」
     奮った拳は再びなんなくかわされるが、今度はその隙に足払いを食わせた。バランスを崩した隙に、体重をかけたパンチを繰り出す。
     ドンッ──という地響きと共に、ロナルドは体ごとアスファルトにめり込んだ。しかし、その場には兄の影すらない。
    「こっちじゃ」
    「……っ」
     すぐ耳元で囁かれて、その場から飛び退けば、一瞬前までいた空間を鋭利な刃が切り裂いた。真っ赤な爪が長く伸びて、薄く、鋭く。まるで血に染まった日本刀のようにも、細い細い三日月のようにも見えた。
     ジャリ、と砕いたアスファルトを踏みしめて。ロナルドはヒヨシを見つめる。
    「どうした? もう終わりか?」
     兄の表情と態度は余裕たっぷりで、それはロナルドがよく知っているものだった。しかし、次に告げられたのは予想していなかった台詞だった。
    「家出ごっこも、もう終いじゃ。うちへ帰るぞ、ヒデ。ヒマリも心配しとる」
     “いつも通り”の兄の声。
     幼い頃と変わらない、優しい笑顔。
     弟を庇護する、絶対的保護者の手がロナルドに差し出される。
    「……『ごっこ』じゃ、ない」
     しかしロナルドは、もうその手を昔のように取ることはできなかった。
    「俺は……帰らない」
    「なんだ、そんなにあのダンピールの血が気に入ったのか?」
     たいして美味そうでもないのに、と言いつつもヒヨシの声音は変わらない。弟に反抗されても、その笑みも、態度も。ずっと、永遠に変わらない。幼な子に言い聞かせるように、我儘を言い含めるように。なのにロナルドをとことん甘やかす。
    「よし。なら、あのダンピールも連れて帰ろう!」
     さも名案を思いついたように、ヒヨシが弾んだ声を出した。
    「えっ?」
    「俺が魅了して、吸対もやめさせてやる。魅了は効かんと言っていたが……なあに、本気を出せばすぐオチるじゃろ。本人の意思なら周りもとやかく言わんだろうし」
     あくまでも無邪気に、故に傲慢に。楽しそうに語る兄を、弟は信じられないモノを見る目で見つめた。
    「みりょう?」
     誰が──誰を?
    「もちろん後で解放してやるから、あとはお前の好きにすれば……」
    「……っる、さねえって」
     ヒヨシがドラルクを。
     兄貴がドラ公を。
     魅了──する?
    「ヒデ?」
     一歩踏み出し、キョトンとする兄の間合いに入り、極限まで長く伸ばした爪を奮った。ピッと乾いた音が聞こえて、それが布が裂けたものとは気づく前にまた拳を繰り出す。
    「おっと!」
     薄皮一枚分で避けたところに回し蹴りを叩き込むも、ヒヨシは後ろに軽く飛んでダメージを殺した。
    「どうした? 何をそんなに怒ってるんじゃ?」
    「許さねぇって、言ったよなあ」
     低い低い声が出た。それは、ロナルドが兄に対して決して出したことのない。自分でも知らない種類の感情を含んでいた。
     生まれた時から、ずっと一緒だった。それ故に思い知っている。決して敵わない──否、逆らおうとなんて考えたこともない。
     大好きなにーに。兄ちゃん。兄貴。
     それは今までも、そしてこれからも決して変わらない──でも。
    「アイツに……俺のモンに手ぇ出すんじゃねえッ」
     生まれて初めて、ロナルドは兄に本気の怒りを抱いた。そしてそれは明確な殺意となり、拳に宿る。
    「ぐっ」
     間合いの外から真正面から繰り出されたパンチを両手で受け止め──ようとして、受け止めきれなかった。衝撃波ごと吹っ飛ばされ、ヒヨシの体は背後の建物の壁に突っ込む。
    「っ……兄貴っ」
     我に帰ったロナルドが思わず手を伸ばしても間に合うはずがなく。猛烈な勢いで全身を固いコンクリートに叩きつけられれば、たとえ吸血鬼でもただでは済まない。と思われた──その時。

     ──プヨン──

     どうにも間の抜けた音が辺りに響いた。
    「えっ?」
    「けんか、ダメ」
     数十メートル先まで吹っ飛ばされたヒヨシは、壁に激突する寸前で何かに全身を包まれた。ぷよぷよした、半透明の、デカいヤツ。
    「は?」
    「はい、そこまでです」
     チノミダイダラのぷよぷよボディに包まれていたヒヨシの腕を何者かが掴み、無理やり立たせる。
    「おお、ゴウセツか。久しぶりじゃな!」
    「久しぶりだな、じゃない。なにをやってるんだお前は」
     突然現れた顔見知り──マスターを見てロナルドは唖然とするしかなかった。既に殺気は完全に消え失せている。
    「ちいにい」
    「ヒマリ……」
    「コユキには会えたか?」
     ロナルドが何か言うより先に、ヒヨシが妹に尋ねた。こくりと頷いたヒマリの後ろから、羽根の生えたコウモリ? のような生き物が顔を出す。マスターの娘のコユキだ。ちなみに人間態にもなれるし、ヒマリの仲良しの幼馴染みでもある。
    「よかったよかった。ずっと会いたがってたもんな」
    「もしかして、二人ともそのために新横に来たの?」
     既にバトルモードではなく、完全に“イイお兄ちゃん”モードになっているヒヨシと妹を何度も見比べて、ロナルドは泣きそうになった。先ほどまでのシリアスどこ行った
    「お話は済みましたか?」
     声と共に、吸血鬼の一団はカッと強い光に照らされた。その逆光の中に浮かぶ細いシルエットを見て、ヒヨシは全てを察する。
    「感動の再会のところ、申し訳ないのですが。貴方方には警察署まで同行願います。ゴウセツさんも、よろしいですか?」
    「仕方ありませんね。昔馴染みのしたことですし」
     渋い顔をするマスターに、ヒヨシは悪びれずに笑いかける。
    「俺はいいが、妹にはお手柔らかに頼む。ヒマリは友達を連れて、友達に会いにきただけなんじゃ」 
     兄の言葉を聞いて、ヒマリがその手をキュッと握った。その肩には小さくなったチノミダイダラが乗っている。
     手のひらサイズから高尾山サイズまで伸縮自在、だが論理は不明。多分チノミダイダラ自体も気にしていない。そんな人智を超えた存在を初めて間近で見て、ドラルクは密かに混乱していた。どれだけ出鱈目な生態をしているんだ、吸血鬼ってイキモノは。
    「……ギルドマスターから、貴方についての報告が上がっています」
     吸対隊長の言葉に、高等吸血鬼がピクリと反応する。
    「ギルド……マスターだと?」
    「『アイツは女ったらしで性格も悪いし、しかもクソ強いが、その力を人間に使ったことはない……今のところは。敵に回すだけ損だから、適当に調書をとって、存分に都会で遊ばせてとっとと帰らせるが吉』だそうです」
    「あんの……似非昼行燈が!」
     ここで、ドラルクは初めてヒヨシの顔が歪むのを見た。今までは決して余裕の表情を崩さなかったのに。絵に描いたような苦虫を噛み潰したような顔のまま、ヒヨシは先頭に立って歩き出す。
    「あ、そこのおまわりさん。壊れた街の修復費用は、全部俺に請求がくるようにしてくれんか?」
     ついでのように声をかける。
    「は……えっ?」
    「個人所有の建物と、あと一応インフラにも影響ないように壊したつもりじゃが……もしなんか不都合があったら、速攻で修理屋向かわせるから言ってくれ」
    「……すぐ調査します!」
     通りすがりに吸対隊員に指示を飛ばす高等吸血鬼様の後ろ姿を、ドラルクはやれやれと見送った。これではどっちが隊長か分からない。妹と旧友、その娘まで引き連れて、迷わず警察署に向かうヒヨシの後を追おうとすると。
    「隊長は、今日はこのままお帰りになってください」
     部下に行先を塞がれた。
    「は? 事後処理が残ってるだろ。今回の件、どうせ始末書だし。その前にさっさと調書を書き終わらせないと、ヒゲにまたなに言われるか……」
    「たいちょ、たいちょ」
     顔を顰める副隊長の横を通り抜けようとしたら、今度は後ろから袖を引かれた。
    「なに? 私は忙しいんだけど」
    「うしろ、見てみ」
     若い隊員に言われた通りに渋々振り向く。すると十メートルほど離れたところに、一つの影が見えた。
     もう何にも照らされていない闇の中、ポツンと立っている。長身で逞しい肉体の吸血鬼。なのに、その表情は寄るべなく。迷子になった子供のような、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
    「……」
     ドラルクが見ていたのに気づいたのか、ゆるりと手を上げて、伸ばそうとして。でもすぐにハッと気づいたように、その手を下ろす。その後強く強く拳を握りしめるのが、離れていてもハッキリと見えた。
    「魅了にかけられた二名にも、先に帰宅するよう命令しました。隊長も高等吸血鬼同士の戦闘に巻き込まれて心身の疲労が激しく、すぐに業務に復帰するのは無理だと判断した。と上には報告しておきます」
     優秀すぎる副隊長の言葉に、ドラルクは観念して頷いた。そのまま、所在なさげに佇む吸血鬼にゆっくりと歩み寄る。
    「ロナルド君」
     声をかけると、大きな吸血鬼の体がビクリと震えた。手を差し出しても、すぐに握ってこない。
    「ハンド」
     促して、やっと。おずおずと重ねられた手をぎゅっと握って。
    「GO HOME……帰ろ。一緒に」
     柔らかな飼い主の声を聞いて、ロナルドはやっとこくりと頷いたのだった。


     ベッドの上で唇を塞がれた。
    「ん……っ」
     いつものようにロナルドに抱かれて窓から部屋に入り、いつものようにベッドに寝かされた。しかし、それから先は全然“いつものよう”ではなかった。
    「ロナっ……く、ん」
    「ドラ公……」
     押し倒されて、キスされて、熱っぽい瞳で見つめられて。熱い吐息混じりの声で、何度も名を呼ばれる。
     触れ合う唇を舐められて、逃げる舌は追いかけられて。絡められて、絡まって。喉の奥まで塞がれて苦しくて、でも放してはくれなくて。口元から溢れる唾液も全て啜られて。牙の根本を舌先でくすぐられれば、それだけで快感が全身を駆け巡る。
     いつもの、血液を混ぜた“ドーピング用”の唾液交換なんて言い訳は、もうきかない。荒っぽくて、粗野で野蛮で。でも、何よりも熱くて甘い口付け。
    「ドラ……ルク」
     ハアハアと荒い息を吐きながら、ロナルドはまた名を呼んだ。その声は酷く苦しげだった。
    「……私は君ほど夜目が効かない。だから、君が今どんな顔をしているのかわからない」
     真っ暗な寝室で、力では絶対に敵わない相手に押さえつけられて、手足を拘束されて動きを封じられていても、ドラルクは冷静だった。ちなみに今晩はジョンはいないし、この階に他の住人はいないので、どんなに大声を出しても誰も気づかない。
     助けを呼ぶ気もないけれど。
    「ダメだ……ドラ公、おれ」
    「ん? なにがダメなの?」
     苦しげな、泣きそうな声。手首を掴まれていなければ、手を伸ばして頭を撫でてあげたかった。優しく頬に触れたかった。
    「俺……お前に酷いことしようとしてる」
    「酷いこと?」
     赤い目が、すうっと細められる。
     どんなに暗くても、何も見えなくても。その瞳だけは見えるのだ。真っ赤で、ギラギラ輝いていて。どんな時も真っ直ぐに見つめてくる、その瞳が。
    「ダメ、なのに」
     紅い欲望に染まっている。
     ビリ、と音が聞こえて。衣服が破かれていることを知った。丈夫な布で作られている隊服も。上質なシャツも。まるで紙切れみたいに一瞬でボロ屑にされる。そして顕になった素肌に、ピタリと冷たいものが触れた。
     真っ赤で、鋭い。長くて冷たい爪。
    「……血だけじゃ、足りない」
     ドラルクの目の前で、カパリと大きな口が開いた。真っ白な牙。長い舌。真っ赤な口内に、今にも吸い込まれそうだ。実際、ロナルドがその気になれば、いつだってその牙を頸動脈に突き立てることができる。
    「食いたい……」
     それどころか鋭い爪で心臓をくり抜いて、そのまま丸呑みすることだってできる。そのことをドラルクはずっと前から知っていた。
    「……私は食べがいないと思うけど?」
     ドラルクいつも通り、むしろ優しく囁くように言った。ロナルドは必死で首を振る。
    「血だったらわかるんだけどね。それでも、あんまり美味しそうだとは思わないけど」
    「んなこと、ねえよ」
    「肉なんてほとんどないのに?」
    「食いたい」
    「骨と皮ばかりの、中年のダンピールなのに?」
    「食いたい……でも」
     ダメだ──とロナルドは急にドラルクから手を放した。
    「なんでダメなの?」
     ドラルクは体を起こして、自らボロボロになった衣服を取り払う。自分で言った通り、骨と皮ばかりのガリガリの体が闇の中に浮かび上がった。
    「止められねえ……」
     ロナルドの喉が、ゴクリと鳴る。
    「血も、肉も……全部、食っちまう」
     手で顔を覆い、ドラルクを見ないようにする。そんなロナルドに、ドラルクはそっと手を伸ばした。
    「全部?」
     問いながら、痩せ細った指で銀の髪をそっとすく。
    「全部……お前の、ぜんぶ」
    「血も、肉も?」
    「皮も、骨も……ぜんぶ」
    「いいよ」
     ロナルドは息を呑んだ。
     顔を覆ったままの手に指を伸ばして、ドラルクはゆっくりと手を剥がしていく。出てきたのは、幼い子供のような、今にも泣き出しそうでクシャクシャな。それでもなお美しい吸血鬼の顔。
    「いいよ。君にだったら」
     ドラルクの言葉に、美しい吸血鬼は更に信じられないように目を見開いた。
    「ドラ公?」
    「なに?」
    「俺は、お前に……酷いことしたくないのに」
    「うん」
    「なのに、止められないんだ。お前の血が欲しくて仕方ない……いつか、絶対、全部飲み干しちまう」
    「うん」
    「それどころか、血だけじゃ足りなくて……ぜんぶ、食いたくて」
    「うん」
    「お前の全部が、ほしくてほしくてたまらない」
    「だから、いいよ」
     赤い瞳が、チカっと瞬く。
     真っ赤な、抑えきれないドロドロした欲望の中でも、決して損なわれない。
     綺麗た綺麗な輝き。
     その純粋さと美しさに。
     もうとっくに、魅せられていた。
    「私の血も、肉も。骨も皮も君にあげる」
    「ダメ……」
    「どうして? 私は君のモノなんだろう?」

    『……俺のモンに手ぇ出すんじゃねえっ』

     そう言ったのは、君だったじゃないか。
     そう言うと、ロナルドはハッとしたように何回も瞬きをした。
    「き、聞いてたのか」
    「そりゃ聞こえるよ、あーんな大声で話してるんだもん。それに、君がアレ言ったの二回目だからね」
    「え”っっ いつ」
    「私が吸血鬼の凶悪犯に襲われた時」
     それはロナルドと出会って間もない頃。
     血液を交換するだけの存在だと本気で思っていた頃、ドラルクが人間蔑視の吸血鬼に襲われたのを、ロナルドが助けてくれた。
     あの時、既に言っていたじゃないか。
    「俺のモンに手を出すな、って」
    「あ、あの時は俺、夢中で……お前が他のヤツに傷つけられたり、触られたりするのが……我慢できなくて」
    「それは今でも?」
     ドラルクの問いに、ロナルドは素直に頷いた。
    「お兄さんでも、イヤ?」
    「当たり前だろっ!」
     普段の言動から察するに、あからさまなブラコンで。兄のことは“絶対”だと思っているような素振りすらあったのに。それでも──
     細い肩を掴まれて、ドラルクは思わず痛みで顔をしかめた。ロナルドはすぐに手を離し、ベッドの上で距離をとり俯く。
    「でもお前は……俺のじゃ、ないから」
    「違うよ」
     ロナルドは首を振り、表情は見せずに、聞いたこともないような弱々しい声で告げる。
    「だから、お前が止めてくれ。頼む……俺を拒絶してくれ」
     止めてほしい、とロナルドは言う。
     拒絶しろ、と吸血鬼が言う。
     ひ弱で無力なダンピールを無理やり押さえつけて、拘束して、脆弱な生き物を弄び、やがて全てを喰らい尽くそうとする化け物だと──言ってくれと。
     拒否してくれと。
     拒絶してくれと。
     全身全霊を持って、この手を振り払って。  
     俺から──
    「逃げて、くれ……」
    「ねえ、ロナルド君」
     いつも通り、ドラルクは呼びかける。
     ロナルドが、その声に抗えないことを知っていた。
    「言っただろう、私は君のモノだって」
     ロナルドが、そろりと顔を上げると、目の前でドラルクが薄く笑っていた。
    「ドラ、こ……」
    「君が望むのなら、なんでもあげる。血でも肉でも。骨の一片まで、全部」
     ロナルドの瞳には、ドラルクの全てが映っていた。衣服を破かれ、痩せ細った哀れな姿を晒す。なのにいつも通り、冷静に冷徹に冷酷に、そして酷く愉快そうに笑う。無力なダンピール。
    「だから、教えて? 君が本当にほしいモノは、なんだい?」
     その声に、ロナルドは決して逆らえない。
    「俺が……ほしい、のは」
    「私に流れる、最後の一滴まで飲み干したい?」
    「お前の、肉を、全て食い尽くし……たい」
    「骨まで残さず、余すところなく、全部全部飲み込んで。それで?」
     それで本当に、満足なのかい?
    「あ……れ?」
     ロナルドの赤い瞳に、ドラルクが映っている。
    「君は本当に私を食べたい?」
     ロナルドはこくりと頷き、すぐに首を傾げた。
     ならば何故──口付けをしたのか。
     血も飲まずに。
     ならば何故──青白い肌に触れたいと思ったのか。
     肉も削がずに。
     ならば何故──いまだ細い体にまとわりつく布地を全て取り払い、その下の全てが見たいと思うのか。
     骨の一本も抜き取りもせずに。
     何故──でも。
    「俺は……お前の全てがほしい」
     それだけは、迷うことのない本当の気持ち。
    「あげる。君がほしいなら」
     ドラルクが伸ばした手を太い首に絡ませると、引き締まった筋肉がビクリと震えた。抱きついて、首筋に浮かぶ血管に優しくキスをして。そのまま真っ赤な唇をぺろりと舐める。
    「ドラ公……」
    「ん?」
    「食って、いい?」
    「いいよ。ちゃんと、残さず食べてね」
     ロナルドは頷いて、闇の中で細い体をそっと抱きしめた。また貪るようなキスをして。傷つけないように、何も損なわないように。そっと。肌に触れて、素肌が触れ合って。ガリガリの体と、逞しい肉体を擦り合わせて。全身の、髪の毛の一本から足の爪先まで、全てに舌を這わせて、味を確かめる。
    「ドラ公……俺」
    「ん?」
    「俺……お前のことが好きだ」
     ロナルドの言葉に、ドラルクは一瞬動きを止めた。キョトンと、珍しく大きく目を開けて、美しい吸血鬼の顔を凝視する。
    「え? なに?」
    「いや……初めて聞いたなあと思って」 
    「えっ ウソっ……言ってなかったっけ」
     急に焦り出すロナルドを見て、ドラルクはクスクスと笑った。闇の中で忍び笑う姿は、ロナルドよりも余程吸血鬼のようだ。
    「まあ知ってたけどね。じゃなきゃ、君に血を飲ませても割が合わないし」
    「割が合わないって……俺はずっと、お前のことが好きだからぁ」
     泣きそうな声を出す年下の恋人を見て、ドラルクは更に楽しそうに告げる。
    「好きじゃなきゃ、こんなオジさんの血なんか美味しくないだろうし」
    「ドラ公の血は美味いって! 他のみんなも絶対そう言う! 飲めばわかる」
    「飲んでもイイの? 他の吸血鬼が、私の血を?」
    「ダメに決まってるだろっ」
     ぎゅっと抱きしめられて、骨が軋むほど力を入れられて。それでもドラルクは笑った。
     中年ダンピール男性の血液が、一般的な吸血鬼に好まれる訳がない。それなのにロナルドには、どんな高級ボトルの血液よりも美味に感じるらしい。それすなわち、惚れた欲目というやつだ。
    「痘痕もエクボってヤツだよねえ」
    「ドラ公は顔もイイぞ。背も高いし、すらっとしててカッコいい。ちょっと細すぎなのは……どうにかしたいけど」
    「君までジョンみたいなことを言うんだねえ」
     ちょっと眉をひそめて、ドラルクは高い鼻先を紅潮する頬に擦り寄せる。
    「そう言えば」
    「そういえば?」
     上目遣いでキスをねだる。
    「言ってなかったけど、私も君のこと……」
     その先は唇を塞がれて、音にはならなかった。
    「……知ってる」
    「そっか」
     満足げに頷いて、吸対隊長は吸血鬼の腕の中で幸せそうに微笑んだのだった。


    「それでな、ドラ公も俺のこと好きって言ってくれたんだ!」
     意気揚々と報告する友人に、ショットは呆れた顔を向けた。
     店内全てに聞こえるような大声で話し続けるロナルドの顔は蕩け切っていて、全身で『幸せです!』と主張している。しかし、いくら嬉しいからと言って、相手のプライベートに関わることをこんなに大っぴらに言ってしまって良いのか。しかも吸対隊長であるドラルクが高等吸血鬼のロナルドと付き合うだなんて──常識人であるショットは、つい無駄な心配をしてしまう。余計なお世話と分かっているのに。
    「……あの隊長さんなら、お前の性格を分かった上で口止めしてないんだろうとは思うんだけどさあ」
    「ん? なんの話だ?」
    「はは……まあ、でも良かったんじゃない? ロナルドはずっと好きだったんだし」
     曖昧に笑ってお茶を濁すサテツに、ロナルドは更に惚気を続ける。
    「おう! ドラ公も『体』はくれるって言ってくれたし。これで晴れて両思いだぜ」
     その場にいた全員がビクッとした。
    「ロナルド、お前いま……」
    「え?」
    「『体』は、って……言わなかった?」
    「言ったけど?」

    『そうだ、君の欲しいものをあげるって言っておいて申し訳ないんだけど……』
    『今更ムリとか言うなよ!』
    『いや、全部はちょっと無理かなって。私の“心”はジョンのものだから』
    『ジョンの?』
    『うん。私の“心”はね、未来永劫ジョンのものなんだ。それはもう、出会った時からそう決まってしまっているから。だから……それ以外なら君にあげられるんだけど』
    『それ以外は……全部か?』 
    『うん。全部。言っただろ。血も肉も。皮も骨も。ぜぇんぶ君のものだよ』
    『……なら、いい。ジョンなら仕方ない』
    『ありがとう。君ならそう言ってくれると思ってた♡』

    「お前……それで納得したのか?」
     ショットの低い声に、ロナルドはこくりと頷いた。
    「ジョンなら仕方ねえなって。俺もジョンのこと大好きだし。『心』以外は俺のモンになってくれるって言ってくれたし」
    「ロナルド……それは」
     ショットとサテツ、だけではなく店内にいた他の吸血鬼仲間まで、全員が青ざめていた。
    「そりゃあ、体だけの関係って宣言されてるようなモンじゃねえか」
    「セフレってヤツ?」
    「さすがの私もドンビキね」
    「こっわ! 人間こっわー!」
    「隊長さんはダンピールだけど……ロナルドがいいなら、それで……なあ?」
    「俺にフルな!」
     ニコニコと満面の笑みを浮かべている高等吸血鬼から物理的に距離をとって、仲間達がこそこそと言い募る中。その場より、もう少しだけ離れたカウンター席に座る影が、人知れず大きなため息を吐いた。
    「聞きましたか?」
    「あんな大声で話されたら、嫌でも聞こえるわ」
     カウンター越しにグラスを差し出すマスターに小柄な吸血鬼──ヒヨシはまた盛大なため息を吐いてみせた。こんな時、どんな顔をして良いか分からない。
    「我が弟ながら、とんでもない契約をしたもんじゃ」
    「ええ」
     若い吸血鬼達とは違い、ゴウセツとヒヨシには解っていた。
     吸血鬼に『体』をあげるということ。
     それは未来永劫吸血鬼の奴隷になるということに等しい。
    「所詮は『心』なんぞ、ココの産物じゃからな」
     ヒヨシがコメカミを指で突き、ゴウセツも深く頷く。
     脳も『体』の一部である。
     つまり、ロナルドはその気になればドラルクの『思考』も支配することができるのだ。
     催眠、魅了、脳改造、その他どんな手を使ってでも。『脳』を操ってしまえば、『心』なんてあやふやなものはすぐに溶解する。
     それどころか、意識を残したまま『体』だけを意のままにすることもできる。どんな辱めも思いのまま。体を支配し、精神を陵辱し、『心』の中だけで絶望する様を眺めながら、その血を啜る。
     生かすも殺すも吸血鬼の気まぐれ次第。そしてロナルドほどの力があれば、死してなおグールとして使役することも可能だろう。望まぬ生を生き。殺されても決して死ねず。やっと死ねたとしても、なお吸血鬼の慰み者として、永久に『体』だけが陵辱され続ける。
     吸血鬼に身を捧げるとは、そういうことだ。
    「ロナルドさんなら、そんな前世紀みたいな悪趣味なことはしないと思いますけどねえ」
    「当たり前じゃ。俺の弟だぞ。せいぜい……同族にして永遠の生に付き合わせるくらいじゃろ」
     それにしたって、生半可な気持ちで決められるものではない。
     何も知らない人間の口約束ならともかく、ドラルクは片親が吸血鬼のダンピールで、しかも吸血鬼対策課の隊長だ。吸血鬼との『契約』がどんな効力をもつか、知らない訳がないだろう。若い、イマドキの吸血鬼であるロナルドの方がその辺に関しては無知なのだ。それでもドラルクに対する執着を考えれば、その未来は容易に想像できた。
     弟の、そして彼が選んだ者の執着と覚悟の深さを思い知り。それでもヒヨシは、わざといつも通り軽く言う。
    「今から一族が増える準備をしておかにゃあならんかー」
    「その前に、貴方の方はどうなんです? そろそろ落ち着いて身を固めても良いのでは?」
    「俺ぇ? 俺はまだ……お、そろそろ出ないといけない時間じゃなあ!」
     旧友の視線を振り払うように、わざと大きな声を出したヒヨシに、弟が顔を向けた。
    「もう行くのか、兄貴」
    「おう、ヒマリと中華街で待ち合わせしてるんじゃ。お前も一緒に飯食いに行くか?」
     兄の言葉にロナルドは首を振る。
    「今日は行けない。これからドラ公に呼ばれてるんだ」
    「そうか。じゃあまた次の機会にな」
     ごく普通の兄弟の会話だが、これがつい数日前に、兄弟喧嘩で新横の街をぶっ壊しまくった二人とは誰も思うまい。と言うか仲間達は慣れているので、今更誰もツッコまない。この兄弟にとっては、あのくらいのバトルならジャレあいの延長だ。
    「兄貴……俺、ここで頑張って、いつか兄貴みたいな畏怖い吸血鬼になってみせるぜ!」
    「そうか……頑張れよ」
     自分より高い位置にある弟の頭を優しく撫でて、ヒヨシは去っていった。ちなみに『兄貴よりも畏怖くなる』の詳細は、ヒヨシにも分からない。
     なんでアイツは俺をあんなに神聖視してるんじゃ──弟が産まれてから数万回は思ったことを、ヒヨシは久々に脳内で噛み締めたのだった。
    「じゃあ俺も行くぜ。マスター、お勘定置いとくな」
    「はい、いってらっしゃい」
    「またなロナルド」
     店を飛び出し、軽くアスファルトを蹴って。ロナルドは、そのまま一気に飛び上がる。くん、と鼻を蠢かせれば。すぐに行くべき場所が分かった。
    「ドラ公!」
    「おや、早かったね」
     上空から呼びかけ、急降下して一瞬で痩せぎすのダンピールの隣を陣取る。
    「今日はなんか出たか? 俺がすぐに退治してやるぜ?」
    「馬ぁ鹿め! お前の出る幕などない!」
    「半田てめぇ……それはセっ……んギャっbmi°こム_ッッぎp*/-っ」
    「遊んでる場合ではないぞ、お前ら!」
    「君達は本当に仲がいいねえ」
     ドラルクの指示で隊員が動き、ハンター達も各々散っていく。ドラルクは目を閉じ、クンクンと鼻を蠢かせる。
    「君が近くにいると、やっぱり分かりにくいな」
    「えっ? 俺、ドラ公の邪魔してる えーん! 俺はベランダに溜まって掃ききれない落ち葉……」
    「ロナルド君、give」
    「ワン!」
     飼い主のコマンドを瞬時に理解して、ロナルドは大きく吠えた。細い体を抱きかかえ、そのまま跳躍する。一気にビルの屋上まで昇り、誰もいない闇の中に二人で降り立つ。
    「そう言えばジョンは?」
    「ヒナイチ君と、先に現場に向かってるよ。場所が分かったら、一緒に連れて行ってあげて」
    「了解」
     会話しながら、自然に唇が合わさる。
     真っ白な大きな牙で自らの舌を噛んで、流れ出た血液に唾液を混ぜて、たっぷりと喉の奥に注ぎ込む。
    「……飲まないのかい?」
     絡む舌を名残惜しげに離して、ダンピールは飼い犬に尋ねた。きちんと褒美を与えてこそ、犬は順従なのだと知っているのだ。
    「今はいい。後でたっぷりな」
     吸血鬼はニヤリと笑う。目を閉じ、また鼻を効かせるダンピールもまた、薄く笑った。
    「今日中に帰れたら、いくらでも」
    「おっシャっ! どっちだ?」
    「ちょうど東……ヒナイチ君のカンがドンピシャだ。大通りを走ってるから、拾ってあげて」
    「りょーかいっ」
     大きな声で叫んで、そのまま躊躇いなくコンクリートの縁を乗り越える。真っ黒なマントがヒラリとはためいて、一瞬でドラルクの視界から消えた。
    「……ロナルド君が推定現場に向かった。後は指示通りに」
    『了解しました』
     スマホで短い会話を交わして、ドラルクは夜空を見上げた。果たして、自分はこのビルから降りられるのだろうか? 屋上のドアに鍵がかかっていたらアウトだが、その時は事件の事後処理が遅くなり、ロナルドが期待していることが無に帰すだけである。
    「私の子犬が早く帰ってくればいいけど」
     それよりも早く有能な部下に探し出されるのが先かなあ、と思いつつ、ドラルクは星のない夜空をまた見上げたのだった。


    「ドラ公っ……ごめんっ! 俺、すっかり忘れてて……」
    「いいよ、別に。へんな君が迎えに来てくれたし」
    「屋上! 野外! いつ誰に踏み込まれるか分からないシチュエーション! 滾りますねえ〜!」
    「ロナルドさんも、もう少し後のことを考えて動きましょうね」
    「ううっ、ごめんなさい」
    「まあまあ、おかげで事件は早期解決できたではないか!」
    「そうよ。夜風に当たったくらいで風邪引く隊長が軟弱なだけでしょ」
    「うわぁ、相変わらずキッツ……」
    「この機会に、しっかり休めましたか?」
    「体調は戻ったけど、うちの駄犬のせいでぜんっぜん休めなかったから。いつも通り満身創痍だけど仕事はできるよ」
    「ロナルド……貴様!」
    「悪かったってばあ! でもドラ公も楽しんでたじゃん!」
    「ヌヌヌヌン! ヌヌヌヌヌヌヌ」
    「ご、ごめんねジョン」
    「ジョンさん、すいませんでしたあっっ」

     こうして。
     新横浜署吸血鬼対策課は、いつものように更けていくのだった。

    【 Puppy Love 】Happy end ♡
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ☺🙏💲⛎🎋ℹ💞💞🌠🌠
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    めいや

    DONE新横に住む、とある男性のお話です。
    盆先生のnoteを読んで、どうしても書きたくなって書きましたが、ただの蛇足でしかありません。
    新横在住Mさん(仮名)の日常──少し遅くなっちゃったな。まだいてくれるといいけど。……なんだ? なんか騒がしい……?

    「…………うわっ」

    『…… ッ……! …………』

    ──びっ……くりした。いまの? デカい蚊か? 誰か助けてくれ……あ。

    「……ありがとうございます。ハイ。怪我はないです。いきなり出てきたからちょっと驚いたけど。……あのお、ハンターのロナルドさんですよね?」

    「ええ。もちろんお顔は知ってます。この先に自宅があるので、よくお見かけしますし。先週の週バンも表紙でしたよね? ……それに、あの……ロナ戦読んでます!」

    「す、すいません、お仕事中に……え? 本当ですよ? 最初は息子が読んでたんですけど、今ではすっかり僕も妻もファンになりました。週バンを買ったのも妻です。ロナルドさんが表紙だと絶対買うんですよ。……自分は建築の仕事をしておりまして……お恥ずかしい話ですが、子供の頃から小説は全くと言っていいほど読んだことがなかったんです。息子が読み始めた時も、なんだか難しそうだな、と思ったくらいで」
    5723