もし、ヒカセンが5.0途中でアゼムの記憶を思い出したなら。1
空に星が輝きはじめる。ここラケティカ大森林にも、夜が訪れたのだった。
キタンナ神影洞をあとにして、俺たちはクリスタリウムを目指し、林道を歩く。その道中は、妙に静かなものだった。
「蛮神であるゾディアークとハイデリン……そして、その召喚者だったアシエン……」
ヤ・シュトラの呟きに、各々が反応を示す。
「まさかここに来て、あんな話まで聞くことになるとはね」
話とは、先ほどふらりと現れたエメトセルクの言葉である。使命を果たした安堵と同時に、彼の言葉は、俺たちに驚愕と不安をもたらした。
キタンナ神影洞の壁画をなぞって語られた、忘れられた歴史。ゾディアークとハイデリン、そしてアシエンの正体。エメトセルクの言葉が、すべて真実とは限らないが、嘘である証拠もない。ここで議論しても果てがないことは皆も承知しており、俺たちは、とにかくクリスタリウムへの帰還を目指すのだった。
ああ、気分が悪い。大罪喰いの光の影響もあるが、エメトセルクの話を聞いてから……いや、もっと前だ。エメトセルクと邂逅したときから、喉になにか、つっかえたような、もどかしい、焦ったい不快感があった。それが件の話を聞いたとき、感覚はより強く、俺を苛んだ。
皆に気づかれない程度の、小さな溜息を吐く。アシエンには心身ともにかき乱されて腹立たしい。あのひょうひょうとした顔に、拳をぶち当ててやりたいものだ。そんな妄想をすれば、マヌケ面を晒す男に思わず口角が上がった。ハーデスがそんな顔をするとは思えないが、これはこれで……
ふと、足を止める。ハーデスとは誰だ。
自然と出てきた不思議な音の名前。どこか懐かしさを覚える、この名前はいったい……
「どうしたの?」
アリゼーが首を傾げた。皆も足を止めて振りかえる。なんでもないと答えるつもりだった。しかし今、なにかに焦らされたように、俺の足は踵を返していた。
「みんなは先に帰っていてくれ」
キタンナ神影洞へ走りだす。
「ちょっと! 突然なによ!」
「待ってくれ、私たちも……」
追いかけようとするアリゼーとアルフィノを一瞥し、俺は言う。
「また、クリスタリウムで」
ついて来るな、と。
§
ふたたび訪れたキタンナ神影洞。背後を見れば誰の姿もない。来るなという意図は汲みとってもらえたようだ。少し乱れた呼吸を整えて、俺は壁画に歩みよる。
ーー世界が分たれる前、そこには栄えた文明があり、多くの命が生きていた。
エオルゼアでは見ない建物が建ち並ぶ、かつての世界が描かれた、そこに触れる。
ーーしかし、理が乱れ、未曽有の災厄が発生。文明は、命は、危機に立たされた。
その世界にふりそそぐのは、流れ星のような、数多の隕石。なんだろう、この気持ちは。壁画を見れば見るほど、胸を締めつける感情は。恐怖、悲哀、ちがう、これは……
「あっ」
懐古。
理解した瞬間、足に力が入らず、崩れおちるように膝をついた。震える両手で頭を抱える。思い出したのだ。途方もない、はるか昔の記憶を。かつて自分が分たれる前、古代人として生きた前世の記憶を。
「ハー……デス……」
それはエメトセルクの真名だった。親愛を込めて何度も呼んだ、親友の名前だ。
「まさか、そんな」
知りたくなかった。世界を取り戻すためとはいえ、あいつの今日までの凶行で、どれほどの犠牲が生まれたことか。それは決して許されることではない。現に、アシエンの計画で失った仲間を思えば、怒りと憎しみを忘れずにはいられない。
そう、前世の記憶を思い出したといえど、俺は俺だ。原初世界で生まれた俺の軌跡こそが、俺を形成する。かつての同胞には同情するが、彼らのために幾度も霊災を引きおこし、原初世界の命を犠牲にはできない。とすれば……
「明かす必要はない、な」
生真面目なあいつが、今さら俺の説得を受け入れるとは思えない。そして俺も折れる気はない。つまり行きつく先は免れない敵対だ。あいつがなにを考えて、俺たちを「裁定」しているのかは知らないが、この決断がせめてもの、かつての親友に向けた情けである。
「おまえの敵は、ただのなりそこないでいい」
いつか歩いた故郷、アーモロートを描いた壁に手を添え立ちあがる。そろそろクリスタリウムへ帰ろう。
2
テレポを利用してクリスタリウムに帰還する。星見の間を訪れれば、そこには水晶公の姿だけがあった。
「おかえり。報告は既に受けているよ。此度も大罪喰いの討伐、ご苦労だった。本当にありがとう。ところで、あなたはキタンナ神影洞で突然別れたと聞いたが、なにか……あったのか?」
「忘れものがあって」
「忘れもの? それは見つかったのか?」
「ああ。ちゃんと見つけてきた」
嘘はついていない。忘れていた記憶を思い出しに戻ったのだから。大丈夫だという意を込めて微笑めば、彼は小さな息を吐いた。
「よかった。あなたのことだから心配はいらないだろうが。ああそうだ。次の予定だが、まだ残りの大罪喰いの居場所を掴めていなくてね。わかり次第知らせるから、それまで体を休めていてほしい」
「そうさせてもらう。今回の討伐では何度も謎解きさせられてな。正直、疲れた」
そう言って右肩を回せば、水晶公は早口で「大丈夫か?」「必要なものはあるか?」と捲し立てた。
§
星見の間をあとにして、ペンダント居住館を目指す。最近管理人に教えてもらった近道らしい、人通りのないマーケットの裏を進む。
その道中、ぐらりと視界が揺れた。
「うっ……」
倒れはしなかったが、数歩、足元がふらついて、近くの木に手をついた。しばらく目眩が治るのを待つしかないだろう。
これは光の影響か。盗み聞きしたウリエンジェたちの話をそのままに考えるなら、最終的に光は俺のエーテルを乱し、俺自身が大罪喰いになるとか。勘弁願いたい。だが、ウリエンジェは策があると言っていた。今はそれを信じるしかない。
「おや、誰かと思えば英雄殿じゃないか」
背後からかけられた声に心臓が跳ねた。しかし平常を装い振りかえれば、そこにはハーデスの姿があり、気怠そうな足取りでこちらに歩みよる。できれば、まだ会いたくなかった。
「ずいぶん調子が悪そうだ」
呆れたような、馬鹿にしたような物言いだ。加えて「これだからなりそこないは」と口にする様は、なんだか大げさで、芝居がかったようだ。こいつ、記憶が戻る前は気にしなかったが、昔からこんな剽軽な風体だっただろうか。もっとアーモロートの市民らしく、冷静沈着な男だったような……
「なんだよ」
視線に気づいた彼は、俺をジットリ睨んだ。慌てて目を逸らす。
「別に。それより、まさかわざわざ心配して来てくれたのか?」
からかうように言えば、彼は「それこそまさか」と失笑を見せた。
「だろうな。まあ、なんだっていい。俺はしばらくここで休むから、昼寝なら他所で頼む」
「なんだ、ずいぶん落ち着いているな」
「原因ならわかってんだ。おまえも気づいてんだろ? 俺のエーテルが、光に侵食されかけているのを」
「ほぉ、自覚はあったか。それでもおまえは、大罪喰いを討伐しつづけると?」
「おまえがなにをもって俺たちを裁定しているのか知らねーが、まあ見せてやるよ。俺が光を制するところを」
強がりでニヤリと笑ってみせた。すると彼は、挑発に乗るわけでもなく、珍しい無表情で俺を見た。なにか変なことを言っただろうか。不思議で俺も見返せば、今度は彼が視線を逸らした。
「まあいい、せいぜい足掻いてみせろ」
彼はくるりと背を向け、片手をひらひらと振った。ああ、その仕草は……
「ははっ、ハーデスの悪い癖だぜ? 都合が悪くなったらそうやって逃げるのは」
「は?」
立ち去ろうとしたハーデスは足を止め、丸めた双眼をこちらに向けた。
あっ
しまった。
「おまえ!」
ハーデスはすばやく詰め寄り、俺の襟を鷲掴む。
「うおっ」
身長差がある彼に引きあげられ、踵があがる。そうして迫った彼の、目を見開いた剣幕に、思わず息を止めた。
「まさか、思い出したのか……!?」
襟を掴む手が、若干震えていた。俺は焦りと同時に、そんな彼の姿に、不思議な切なさを覚えた。それでも……
「な、なんのことだ?」
俺は惚けてみせた。
「俺、なにか、おかしなこと言ったか?」
声が震えないよう必死に努める。するとハーデスは、困惑したように眉を顰めた。
「……おまえ、今の言葉、もう一度言ってみろ」
「えっ? お、俺、なにかおかしな……」
「ちがう! その前だ!」
「エ、エメトセルク、逃げるのかって……おっと」
襟を離され、数歩ふらついた。目眩はまだ治まってはいないが、倒れないようふんばり、ハーデスを見た。彼は俺を凝視しながら、ぶつぶつとなにか呟いている。聞き取れたのはひと言、「聞き間違えか?」という言葉だけだった。とりあえず誤魔化すことはできたか。
「それじゃ、俺そろそろ行くわ。じゃあな、エメトセルク……」
俺は逃げるように、早足でペンダント居住館へ向かった。
3 ※三人称視点
少しふらつきながらも離れていく背中を、エメトセルクはしばらく見つめて、思案した。しかし思案に浮かぶ顔は彼のものではない。ローブを揺らし、赤い仮面の下で微笑む、かつての親友だった。
ーーははっ、ハーデスの悪い癖だぜ? 都合が悪くなったらそうやって逃げるのは。
真名を呼ばれたのは、自分の願望から表れた幻聴だったのか。だとすれば、情けない。エメトセルクは片手で目元を押さえた。元来の猫背がさらに丸まった。
「冷静に考えろ、私……」
自分を諌めるように呟く。そもそも、かつての親友と同じ魂を継いでいようと、分たれたそれは、また別の存在である。記憶を有しているはずはない。やはり自分の聞き間違えだったのだ……
が、
指のあいだからまだ見える、遠くの背中から視線を逸らせない。もしかしたら。万が一。そんな淡い期待が一瞬でも灯れば……
「ーーーー」
友の名を、呼んでしまう。
4
翌日。
「ふぁ……」
大きく口をあけて、ベッドから起きあがる。ここはペンダント居住館の、自分に充てられた部屋である。昨日、逃げるように帰宅した俺は、早々に就寝したはずだが、時計を見れば既に昼を過ぎていた。大罪喰いと戦った疲れもあっただろうが、ずいぶん寝たものだ。
部屋の窓を開ければ、気持ちのいい日差しが俺を照らした。あたたかさと眩しさに目を細めた。さて、今日はなにをしよう。大罪喰いの居場所がわかるまでは当分自由だ。このまま二度寝するか、鍛錬するか、それとも……
「あ、武器の修理」
愛用する武器の耐久度がそろそろ心許ないことを思い出す。俺は軽装に着替え、武器と小さなカバンだけ持って部屋を出た。
§
訪れたマーケットの修理屋に依頼し、武器とギルを手渡した。腕のいい修理屋が言うには、夕方には受け取ることができるようだ。それまでのあいだ、買い物を兼ねた散歩でもして時間を潰そうか。そう考えていると、よろず屋の前でサンクレッドを見つけた。
「おーい」
近づけば、彼は「よお」と片手をあげた。
「水晶公から聞いたぞ。昨日、突然引きかえしたのは忘れものをしたから、なんだって? 驚かすなよな」
「ごめんて。それより、なにを買いに?」
「ダークマターだ。これから大罪喰いの情報収集のため、アム・アレーンへ行くんだ。道中、ちょうどいいところに修理屋がいるとは限らないからな」
「そっか。頼りにしてるぜサンクレッド」
「ああ。おまえは次の戦いに備えて、きっちり休んでおけよ」
「おう。けど、残念だったな……」
「なにが?」
「武器の修理を依頼したばかりだったんだ。そのあいだ、マーケットを回ろうかと思ってて、一緒にどうかなーって」
そう言えば、サンクレッドは苦笑いを浮かべた。
「おまえ……さては俺を荷物持ちにさせようとしたな?」
「いやいや、純粋におまえと買い物を楽しみたかっただけだって。はぁ、さみしーなぁ」
わざとらしくチラ、チラとサンクレッドを見れば、彼は「ったく」と困ったように笑った。
「だったら、私が付き合ってやろうか?」
一瞬、奇声をあげそうになった。振り向けば、やはりそこには今あまり会いたくない男、ハーデスの姿があった。サンクレッドは笑顔から一転、鋭い視線をハーデスに向ける。
「なんの用だ」
「私が尋ねているのはおまえじゃない。そこの英雄殿だ。私もちょうど暇しててね。せっかくだから、おまえの買い物に付き合ってやろうじゃないか」
その申し出に、俺とサンクレッドは目を見開いた。これは本当に気まぐれか。それともアシエンらしく、なにか企んでいるのか。横目でサンクレッドを見れば、明らかに後者を考えて警戒しているようだった。彼は武器が手元にない俺を庇うように、一歩、前に出る。
「こいつの付き添いなら、アリゼーたちが喜んで名乗り出るだろう」
「だーかーらー」
ハーデスは深い溜息を吐いた。
「私は英雄殿に尋ねていると言ってるだろう。なんだ? おまえはこいつの父親か? それより、さっさと調査とやらに行ったらどうだ」
サンクレッドは舌打ちをした。そうして俺を見る。
「アリゼーとアルフィノは果樹園のほうにいる。ヤ・シュトラは資料館だ。じゃあ、気をつけてな」
「あ、ああ……」
サンクレッドが立ち去り、ハーデスとともに残された俺は、いたたまれず頬を掻く。一方、ハーデスは去った男を鼻で笑った。
「頭の硬い奴め。まあ、一度ラハブレアのじいさんに体を乗っ取られたと聞いたからな。過剰に警戒する気持ちはわからんでもないが。それで? どこへ行きたいんだ?」
未だ信じられないが、この男は本当に買い物に付き合うつもりらしい。彼とふたりきりなんて、すこぶる気を使うから、できれば遠慮したいのだが……
いや、むしろチャンスか?
彼は理論的ゆえに口数が多い男である。会話を重ねれば、彼が言う「裁定」の真意を掴めるかもしれない。ならば、ハーデスの真名を呼ばないことにさえ気をつければ……
「えっと、まずは装飾具を見たい、かな?」