炊飯器の話2瞼にあたる柔らかい日差しと、食欲をそそる匂いにナンバは目を覚ます。
本当は少し前から意識だけははっきりしていて、炊飯器のアラームや、台所で料理をする音や、楽しげな小さな話し声は聞こえていた。
寝返りを打って台所を見ると、案の定そこには春日と趙の姿があった。
長身でガタイのいい二人が並んで台所に立つと、昭和仕様の小さな台所はますます小さく見えて、ままごとのセットのようだ。
「そう、しゃもじは縦に切るように入れて、かき混ぜて」
「こうか?」
「そうそう、上手だねえ、春日くん」
「柔らかすぎねえか?」
「炊き立てだからね、こんなもんだよ」
「味見してみてくれよ」
「そんな心配?どれどれ…うん、大丈夫、ちょうどいいよ」
「本当か?」
「うん、美味しく炊けてるよ。ごうかく〜」
「よし!」
ナンバを起こすまいという気遣いか、それとも顔を寄せ合う近い距離に自然とそうなるのか、小さな声で囁くようにやりとりをする春日と趙に、思わず頬が緩む。
新婚か。
頭に浮かんだ言葉に苦笑しながら、ナンバは台所の二人に向かって声を掛ける。
「俺はお前らがそこでキスしても驚かねえぞ」
びっくりしたように振り返る春日と、のんびりと首を傾げた趙の手にはしゃもじとおたま。
「はァ?なんだナンバ起きたのかよ」
「オハヨ〜ナンバ。ご飯できたよ」
「新婚ていうよりは、ママと坊やだね」
先程のナンバの言葉の意味を正しく理解していた趙が、食事の合間に言う。
趙は普段むやみやたらと春日を甘やかすくせに、時折こうした線引きをするような、踏み込ませないような言い方をする。
趙の言葉に春日の眉が少し下がって、なんとも言えない表情をした。
強いて言うなら、迷子の子供のような。
でも、これは無自覚だ。
「昨日の夜、春日くんにお米の研ぎ方と炊飯器のタイマーセット教えたんだ。
だから今日のこのご飯は、春日くんが作ったんだよ」
安物の茶碗に盛られたご飯を恭しく両手で持ち上げ、晴々とした顔で趙が言うと、春日が得意げな顔をしてナンバの方を向く。
「どうだ、ナンバ。うまいか?」
「うめえよ」
最新の炊飯器で米を炊くなど、誰がやっても同じだろうと思うけれど、それは口にしない。
春日が得意げで嬉しそうで、その顔を見ているだけで本当に美味くなった気がするからだ。
この3人で、小さな座卓を囲んで朝食を取るのがすっかり日課になった。
米を炊いて、味噌汁と、たまに副菜があるだけの簡単な朝食。
今日の味噌汁は、じゃがいもとベーコン。
味噌汁にベーコンという組み合わせにナンバと春日は「ベーコンはねえよ!」と反発したが、趙に騙されたと思って食べてみてよと言われて以来、すっかり春日のお気に入りだ。
ここ最近は、八割くらいの確率で春日の好きな具の味噌汁が出てくる。
いつだったか、ナンバが『一番の好物ばっかでズリィぞ』と言ったら、いつも笑ってのらりくらりとかわす趙が、口の中で何かをモゴモゴ言って、逃げるようにどこかへ行ってしまったことを思い出す。
「食材調達と片付けは俺とナンバでやってるけどよ、趙は作る分早く起きなきゃならねえだろ?だから、なんか他に出来る事ねえかなって思ったんだよ。ナンバ、お前、米研いだことあるか?案外奥が深いぜ〜」
「いや深くないよ。聞いてよナンバ、春日くんにまずは軽くお米洗ってって言ったら、洗剤手に取ったんだよ?自炊経験ないって言っても、流石にそれはないと思わない?」
「言うなよ!」
嬉しそうに楽しそうに、交互にナンバに向かって話しかけてくる二人の背景には、カタギの自分には想像しきれない程の重い過去がある。
新婚、という言葉が先程は脳裏に浮んだが、この二人はどこか青春のやり直しよりも遡り、家族のやり直しを求めている部分もあるのかと、ふと思った。
「…やめた」
最後の一口を味噌汁で流し込んだナンバが呟くと、春日と趙が揃って首を傾げる。
ああこいつら、こんな仕草まで似てきやがった。
「実は弟から、一緒に住まないかって誘われてたんだよ。でも俺がここ出てったら、お前ら絶対イチャイチャするだろ。邪魔してやる」
「はあ?出てくって…いや、イチャイチャってなんだよ!」
春日が耳を僅かに赤くして文句をいう横で、趙は明らかにホッとした顔をしていた。
弟が世話になったコミジュルの子を通して、もしかしたらソンヒあたりから聞いていたのかもしれない。それでも、黙っていてくれたのかと思うと、趙の情のようなものを感じた。
「趙、明日の味噌汁は俺の好きなのにしてくれよ」
「オッケ〜。豆腐とわかめでしょ?」
「ちげえよ!そりゃ足立さんだろ!」
今はまだママと坊やの関係の二人が、新婚のような関係になるまでは、この少し歪で心地良い同居生活を続けようとナンバは決めた。
そう遠くない話かもな、と思いながら。