たけのこご飯だんだんだん!
サバイバーの階段を必要以上に音を立てて登ってくる足音に、台所にいた趙と、畳の上に転がってスポーツ新聞を見ていたナンバが顔を見合わせる。
乱暴に扉が開いて、現れたのは春日だった。
「おかえり、お仕事おつかれさま」
何事もなかったように趙がのんびり声を掛けると、春日はジロリと睨みつけるようにして、それでも口の中で「おう」とも「ああ」ともつかない返事をモゴモゴとした。
ナンバが唖然と見守る前で、春日はジャケットを脱ぐと畳の上に叩きつけるようにして投げ、そのまま浴室に繋がる扉を開けて入って来た時と同じ勢いで乱暴に閉めた。
建て付けの悪い古い部屋はそれだけでも地震かと思うほど揺れて、ナンバが思わず腰を浮かす。
「なんだありゃ…」
「機嫌悪いねえ〜」
閉まったドアに向かって呆れてナンバが呟くと、趙がのんきな声で返す。
その声に笑いが含まれている気がして趙の顔を見ると、案の定楽しそうにニヤニヤと笑っていた。
「…お前らケンカでもしたのか」
少し前から春日と趙がそういう関係なのはなんとなく気づいていた。
だが、この部屋では特に匂わすような雰囲気は出さないし、気を使うこともないのでナンバは今まで通りにしていたのだが、痴話喧嘩に巻き込まれるとなると話は違ってくる。
なんせ元ヤクザとマフィアの2人だ。春日はまだ下っ端だったからいいとして、趙に至っては武闘派組織の総帥だった男で、そんな2人の痴話喧嘩に巻き込まれては命がいくつあっても足りやしない。
「まさかぁ。俺だって会うの久しぶりだもん」
趙はけろりと答えて買い物袋の中身を漁った。
確かに趙はこのところ戻って来ない日も多く、春日と2人で忙しいのかねと言いながら、いつも朝に作ってくれる味噌汁を恋しく思う日も多かった。
程なくシャワーの水音が聞こえて来て、ナンバはほっと息を吐いて立ち上がり、台所に立つ趙の横に並ぶ。
「…なんで笑ってんだよ」
「ええ〜?だってアレ、完全な八つ当たりでしょぉ?」
「そうだろうな。俺も心当たりねえしよ」
趙が買い物袋の中から取り出した鮮やかな緑色のぷっくりとした豆を見て、ナンバが首をかしげる。
「これなんて豆だっけ?」
「スナップエンドウ。春日くんの好きなやつ」
「ああ…」
大して野菜好きではない春日が、外食した際のメインディッシュに添えられていたこの豆だけは、うめえうめえと食べて、面白がった趙が自分の分まで分け与えていたのを思い出す。
「八つ当たりだよ?あの春日くんが、八つ当たり」
「んん?」
心底楽しそうで嬉しそうな趙に訝しげな顔を向けると、いつの間にか人の悪そうな笑みは消えて、慈しむような表情を浮かべていた。
「…それだけ俺たちに甘えてくれてるってことでしょ?なんか、嬉しいじゃん」
「ああ…」
冬にあんなことがあって、春日は身も心も計り知れないダメージを負った。
この街に恩義を返す、そして街の人間も、春日に受けた恩を返しながら、なんとか春を迎えて春日も立ち直ってきたように見えた。
趙の言いたいことがわかる気がしてふと笑い、趙と顔を見合わせてもう一度笑う。
そこに烏の行水ばりの短時間でシャワーを終えた春日が部屋に戻ってきた。熱いシャワーを浴びて少しは落ち着いたのか、バツのわるそうな顔をしていた。
「ナンバ、テーブル出して」
春日には構わず趙がそう告げると、畳の上に腰を下ろして髪を拭っていた春日が、こっそりと伺うように趙の顔を盗み見る。
趙は気付いているだろうに見ていない振りをして台所での作業に戻る。
ナンバは笑い出したいのを堪えて、小さなちゃぶ台を春日の目の前に置いた。
すると、趙が小皿とザルに開けたスナップエンドウを春日の前にトンと置く。
「スジ取って。前にもやったからわかるよね?」
「…お、おう」
淡々と告げる趙に、春日が臆するように返事をする。
「ヘタもちゃんと取ってよ」
「…はい」
思わずといった様子で折り目正しい返事をする春日に、ナンバは堪えきれずにとうとう吹き出してしまう。
「なんだよ!」
「いや、なんだよじゃねえよ。お前こそなんだよ」
アッハッハと声を上げて笑うナンバを、苦虫を噛み潰したような顔で睨む春日に趙は苦笑する。
「エンドウ、胡麻油の中華炒めかツナと和えたやつとどっちがいい?ちなみにご飯はたけのこご飯だけど」
「…たけのこ?」
「そう、炊き込みご飯。たけのこと鶏肉の。たけのこ嫌いだった?」
ぶんぶんと音がしそうな勢いで首を横に振った春日に、趙も堪えきれずに笑ってしまう。
「そりゃよかった。で、エンドウはどっちがいいの?早くしないとご飯炊き上がるよ」
「えっ…え、じゃあ、じゃあ中華炒め!」
頬を少し上気させ、慌てて答えるその様は完全に子供のそれで、趙は再び込み上げる笑みを誤魔化すように「わかった」と短い返事をして台所に戻り、ナンバは顔を背けて俯いた。
春日は2人のそんな態度に居心地の悪さを感じながらも、いそいそとスナップエンドウの下処理に取り掛かった。
春日が下処理をしたスナップエンドウは、ナンバのリクエストで玉子も追加された中華炒めになった。茶碗にたけのこご飯を山盛りに盛り付けながら、趙が「おかわりたくさんあるよ」と告げると、春日とナンバの2人がガッツポーズをする。
春日は部屋に戻って来た時の不機嫌さが嘘のように消え、目を輝かせて趙から茶碗を受け取り、いつもように「いただきます!」と手を合わせた。
「たけのこ、マスターからもらったんだけどさあ、ちゃんと下処理してあってびっくりしたよ。あの人ほんと何でも出来るんだねえ」
「めんどくさいのか?」
「かなりねえ。でも旬のものだし、手をかけた分美味しくなるよね。あ、後で少しマスターといろはちゃんに持っていこっか」
「おにぎりにすりゃいいんじゃねえか?」
「あ、それがいいね」
趙とナンバが淡々と話す横で、春日はがっつくことなくゆっくり味わうように食べている。
「美味しい?」
「めちゃくちゃ美味い」
家庭的な味や、仲間と一緒の家での食事などを春日はことのほか喜び、そういう時は大概無口になる。
いつの日か、春日も無駄口をききながら食事をするのが当たり前の光景になればいいと、趙は思った。
たけのこご飯を趙がおにぎりにして、ナンバが届けるついでに一杯飲んでくると言って部屋を出ていった。
食器を片づけようとした趙の隣に春日が並んで「俺がやる」と、趙からスポンジを取り上げる。
何か言いたげな春日の横顔を、趙が片眉を上げて見つめるていると、徐々にしかめ面になった春日が観念したようにため息をついた。
「…八つ当たりして、悪かった」
「自覚あったんだ」
おう、と小さく答えた春日に腕を絡めて、趙はその肩に頭を擦り寄せる。
「ナンバにも言いなよ?」
甘く諭すように趙が言うと、春日はこくりと頷いた。
「え〜もう、かわいすぎるよ春日くぅん」
茶化すように言って、頭をぐりぐり擦り寄せると春日は黙ったまま顔を赤くした。
八つ当たりの理由など、何でもいい。
こちらからは聞かないし、春日が言いたくなったら言えばいい。
今は、春日が甘えてくることが、こんなにも心が震えるくらいに嬉しいと気付いてしまった喜びをもう少し味わっていたかった。