大掃除と正月いつも世話になっている礼にと、サバイバーの店内の大掃除を買って出た足立と春日の胡散臭いような笑顔に、マスターは胡乱な視線を向ける。
二人の背後には『だからツケはもうちょっと待ってね』と書いてあるようで呆れるが、それよりも普段掃除をしているところなど見たことのない二人に勝手にやられては、かえって年明けの仕事が増えるのでないのかと不安が募った。
「マスター、俺らもやりますから、大丈夫っすよ」
テーブル席に座ったナンバが苦笑しながら告げ、その向いで趙がヘラリと笑って手を上げているのを見て、ようやくマスターはため息を吐く。
「…じゃあ、頼むか」
ちっとも嬉しくなさそうに応えるマスターに、足立は「おお、任せておけ!」となぜか上機嫌で胸を叩いた。
12月29日に最後の営業を終了し、冷蔵庫の中に残ってるものは勝手に使えと言い置いて、マスターといろはが店を出る。
「…まあ、良いお年を」
「良いお年を〜。来年もよろしくね〜」
ごくごく当たり前の年末の挨拶に、不器用にしか世間と関わって来られなかったメンツは、若干の戸惑いのあと嬉しそうに声を揃えて「良いお年を!」と返した。
大掃除は翌日朝からということにして、早々に二階に上がって寝る準備をする。足立も朝から来るのは面倒だという理由で久々に泊まっていくことにした。
「やると言ったのはいいが…大掃除って、何するんだ?」
案の定の足立の台詞に、ナンバが大きなため息をつく。
「んなことだと思ったよ…。まあ、店の中はマスターが普段から綺麗にしてるからな、蛍光灯磨いたり、外窓綺麗にしたり、エアコンのフィルター掃除したりとか、普段手の回らないようなとこだろうな」
「冷蔵庫の中も意外と汚れてたりするからねえ。後はシンクの下とか。まあ水回りは俺がやるよ」
趙が付け足すように言うと、春日が意外そうな顔をして趙を見つめた。
「…趙お前、総帥だったのに、そんな掃除とかすんのか?」
「え〜?するよぉ。一応飲食店のオーナーだし。てかそうじゃなくても、掃除くらいちゃんとするってぇ。春日くんだって、組事務所の大掃除とかしてたんでしょ?」
「おお、神棚とか、机とかやらされたぜ。最後にカシラの最終チェックがあってよぉ、めちゃくちゃ厳しかったんだよなあ…」
「へぇ…ヤクザも自分で掃除とかすんだなあ…」
「ちなみに俺のデスクはいつだって綺麗だったからな、大掃除なんかしたことねえよ」
足立がドヤ顔で言うと間髪入れずにナンバが「使ってねえからだろ」と突っ込んで、皆で声を合わせて笑う。
「さあて、明日も早いし、今日はもう寝ちゃおうよ」
趙が穏やかに言って電気を消すと、それぞれがこんな穏やかな年末を迎えるのは久々だと言うことを思い出し、小さな声で誰ともなく「おやすみ」と声を掛け合った。
翌日、ナンバと趙の指示のもと、店と居住スペースに使わせてもらっている2階の大掃除をあらかた終えると丁度時刻は正午になっていた。
昼に何を食べるか話しながら、趙が冷蔵庫に残っていたものを物色していると、春日が2階から大きな古びた段ボール箱を抱えて降りてきた。
「なあ、これ押し入れの奥にあったんだけどよ、なんなんだ?」
せっかく掃除をした床に下ろした埃っぽい段ボールにナンバが顔を顰めるが、春日は気にせずに中身を取り出す。
いかにも昭和っぽいくすんだ黄緑色のプラスチックの四角いそれは、古びた家電のようだった。
「炊飯器かとも思ったんだけど、なんかよ、中に変なのついてんだよな」
確かに炊飯器の釜のようなものがあるが、その中に羽のような金属の部品が付いている。
「ほんとだ、なんだろね」
覗き込んだ趙が不思議そうに首を傾げる。
「趙でもわかんねえか?」
「うーん…初めて見る気がするけど…」
そこに外の窓掃除を終えた足立が寒い寒いと言いながら戻ってきて、古びた家電を見て顔を輝かせた。
「お!懐かしいなあ、餅つき機じゃねえか〜」
足立の言葉に春日と趙が目を丸くして、ナンバが苦笑いをする。
生い立ちはまるで違っても、ごく一般的な幼少期を過ごして来なかった二人には変なところに共通点がある。この年代の人間なら見知っているようなことを知らないということが、こちらが切なくなるほどに二人には多かった。
「餅つきぃ?これがかぁ?」
春日は不審そうな声をあげたが、趙は何か思い出したような顔をした。
「あー、言われてみたら…。餅米炊いて、ここでくるくる回って餅になるんじゃなかったっけ?」
「そうだよ、つきたての餅が食えるぜ。いいもん見つけたなあ、春日よ。しっかし古いが、動くのか?」
そう言いながら足立がコンセントを差し、適当にスイッチを押すと機械は鈍い音を立てて動き出した。
「お、いけんじゃねえか」
「マジか!なあ趙、餅つくれるか?」
目をキラキラとさせながら春日が問うと、趙はびっくりしたような顔をする。
「いやなんで俺なの。俺だって初めて見たよ」
「あ、そ、そっか、だよな…」
しゅんと項垂れる春日に弱い趙は、下唇を噛み締めて言葉に詰まった後、ふうと息をついて埃っぽい段ボール箱の中身を探る。
「説明書があればなんとか…あ、あった。…ふーん、とりあえず、餅米さえあれば普通の餅は出来るみたいだね」
「よし一番、俺らで機械きれいにしておくから、お前その間に米買ってこい。間違うんじゃねえぞ。餅米だからな。白米とか玄米買ってくるんじゃねえぞ」
ナンバがそう言うと、春日は「ガキじゃねえんだからそれくらいわかるっつの」と捨て台詞を吐いて、それでもコートも着ずに年末の街にあっさりと飛び出していく。
程なく両手に米を抱えて戻った春日に趙が「10時間位水に漬けるんだって」と言って絶望させて、その落ち込みっぷりを皆で笑う。
「まあ餅は正月に食うもんだろ」
「お雑煮作ってあげるから、元気出してよ春日くん」
米を抱えたまま項垂れてしゃがみ込んだ春日に目線を合わすように趙が膝をついて視線を合わせ、なぐさめるように肩を叩く。
「本当か?」
「うん」
「…きな粉もちも食いてえ」
「ふふ、うん、わかった」
上目遣いに趙を見て、甘えたようなことを言う春日を、趙は目を細めてどこまでも甘やかす。
その様子にナンバと足立が呆れたように視線を逸らしてため息をつき「あ〜腹へった」と嘆く。
「よしじゃあ、とりあえず昼にしよっか。冷蔵庫の残り物だと焼きそばくらいなら作れそうだけど」
「いいね〜。頼むぜ趙」
「オッケー。じゃあ俺こっちで焼きそば作ってるから、餅つき機上に持っていて、テーブルの準備とかしておいてよ」
「はいよ、了解」
足立が餅つき機を抱えて、ナンバと一緒に2階へ上がる。
春日はそれには着いて行かずに、趙がカウンターの中に入って冷蔵庫から食材を取り出すのをぼんやりと見ていた。
「ん?どうかした?すぐに出来るから、出来たら声かけるよ?」
「あ、おお…」
生返事をして、それでも動こうとしない春日を少し不思議に思いながら、趙は思いつくままに言葉を紡ぐ。
「お正月にさ、紗栄子ちゃんとか、みんなで集まるでしょ?その時に色んな味付けのお餅作ろうか?きな粉とか、あんことか、えーと、磯部焼き?とか」
話しながらも手を動かして、手早く野菜を切り始めた趙の正面のカウンター席に春日は腰を下ろす。
「もちパーティーだな」
「あはは、そうだね〜」
笑いながら趙が答えて、フライパンに油を引く。その様子をじっと見ている春日に、促すように首を傾げて見せる。
「…見てていいか?」
「はは、出た〜。春日くん好きだねえ」
いつの頃からか、趙が料理をしているところを春日が眺めるのが定番になりつつあった。
そしていつも必ず、遠慮がちに「見てていいか」と尋ねる。
趙が断ることなど、あるはずもないのに。
「…お前が料理してるの見るの、好きなんだよ」
言い訳がましい枕詞をつけて、春日が耳を赤くしてボソボソと呟く。
「ふーん、悪い気はしないねえ。ありがと春日くん」
いつものように飄々とした態度の趙も、それでも心なしか口角がいつもより上がっていた。
それでもどこかはぐらかされたように感じて、春日は唇を尖らせる。
その様を見て、吐息をこぼすように趙が笑う。
「…ね、もちパーティーはそれとしてさ…。元旦って、春日くん、お誕生日でしょ?」
「ん?あ、そうだな」
正月に仲間で集まる約束は既にしていて、紗栄子からは誕生日パーティーもしようと言われていた。だから、その席で餅をみんなで食べればいいと春日は思っていたのだが、趙に改めて問われたことが少し不思議に感じて首を傾げる。
「…みんなに内緒で、何か好きなもの作ってあげるよ。何がいい?」
調理の手を止めて、カウンターの正面に座る春日の目を覗き込むように趙が言う。
サングラス越し、黒目の大きな趙の目が優しく和らいで瞬く。
みんなに内緒。
好きなもの。
春日の耳が都合よく言葉を拾って、そのまろやかな声音を何度も頭で反芻する。
それはつまり、趙の料理を独り占めできるということで。
更には、内緒ということは、二人きりということなのかと、そんなことまで一瞬で考える。
「…なんでもいいのか?」
「もちろん。春日くんのリクエストなら、フランス料理だって頑張って作っちゃうよ」
「フランス料理って…すげえな、作ったことあんのか」
「いや無いけど」
「ねえのかよ!」
漫才のようなやりとりをしてひとしきり笑って、春日が目を伏せる。
「…お前が作ってくれるんなら、なんでもいいよ。なんだって嬉しいさ」
「春日くん…」
「あ、でもエビチリだけは絶対に食いてえ!」
不意に密度を増した空気に自分で耐えられなくなったかのように、春日が慌てたように付け足す。趙もそれに気づかないふりをして笑って、焼きそば作りを再開する。
「オッケー。じゃあお誕生会終わったら、祐天飯店行こっか」
「おう!」
明るく誘った趙も、快活に応えた春日も、心の中に『みんなには内緒で』というほんの少し後ろめたくてほの甘い言葉を飲み込む。
くすぐったいような、どこか心のうわつく時間は、腹を空かせて焦れた足立が降りてくるまで続いていた。