春日のハンバーグ「あ〜っと、趙、道変えようぜ」
「はぁ?」
異人町の街はずれ、車もほとんど通らない道を歩いていると、ナンバが突然そう言って趙の視界を塞ぐように回れ右をした。
春日に頼まれていた武器の素材とやらが手に入ったので、不在の本人に代わり、浪漫製作所へ向かう道中のことだった。
そうは言っても脇道もまだ先で、しかもその不自然な焦り方は明らかに何かを隠そうとしているとしか思えず、趙はナンバの肩を掴んでひょいと道の先を覗いた。
通行人に知り合いはいそうにないし、特に柄の悪い連中もいない。
道沿いには比較的新しい住宅やアパートが並んでいて、異人町にしては治安のいい穏やかなエリアだ。
その一角にあるマンションの、高級そうな煉瓦造りのエントランス。そこに所在無げに立ちつくす春日がいた。
「春日くんじゃん」
モジャモジャの髪に赤いスーツ。
それだけでも充分目立つが、均整の取れたスタイルが遠目から見てもモデルのようで人目を引く。
格好いいなぁと思って見ていると、春日は突然くるりと振り返った。
その視線の先には、マンションから出てきた小柄な女性がいた。ゆるくカールした髪をきちんと結んで、花柄のエプロンドレスを着たその女性は、にこやかに春日に笑いかけ、その腕を引いてマンションの中へと連れて行った。
その様子を見ていた趙は、面白がっているような口調で「あらら〜」と言って、ナンバに寄りかかる。
「なにあれ、春日くんの彼女?」
「は?」
ナンバが趙の質問に対してあまりに意外そうな顔をするので、腹の底がヒヤリとする。
「ん?違った?もしかして、なんか触れちゃいけない相手だった?」
突然『道を変えよう』と言ったのは、春日とその相手を趙に見られたくなかったからなのかもしれない。今更ながらに思い至り、趙は焦ったように言葉を続けた。
しかし、ナンバは当惑したように、趙の顔をまじまじと見つめてくる。
「いや、その…お前が、一番と付き合ってんじゃねえのか?」
「はあ?まさかでしょ。それ、こないだ紗栄子ちゃんにも言われたなあ。なんか流行ってんの?そのネタ」
あまりにも意外な思ってもいない言葉が返ってきて、趙は目を丸くして即座に否定する。
「いやネタじゃねえよ…」
はあ、とため息をついたナンバが諦めたように歩き出したので、趙もそれに続いて歩く。
「俺はお前と一番がそういう仲だって思ってたからよ。女と一緒のとこ見られちゃやべえだろと思ったんだよ。…なあ、本当に付き合ってねえのか?俺は偏見ないぞ」
「いや本当に付き合ってないって。てことは、ナンバもあの女の人が春日くんの彼女かどうか知らないの?」
「知らねえよ。あいつ、そういう話しねえだろ」
「しないけど…。まあそれは、今までそれどころじゃなかったからじゃない?ようやく色恋ごとに気が向いたんだっら、いいことなんじゃないの」
「そうかもしれねえな…。けどよ、よく考えたら、あいつが女とシッポリしてる間に、なんで俺らが武器造りのお使いしてんだよ」
「いや言い方古いな…。まあでも確かに〜。なんか腹立ってくるなあ」
「帰るか」
「ええ?やだよぉ、こんな得体の知れない虫持って帰るの。それよりさあ、武器造ってもらって、そのお釣りで勝手に買い物しちゃおうよ。夜ご飯カレーにしよ」
「お、マジか!いいねえ。じゃあ足立さんにも声掛けてみるか」
「そうしよ。勝手にいいお肉買っちゃお」
「いいねえ」
機嫌よく返したナンバが自然早足になって、趙は苦笑しながらその少し後ろを歩く。
春日に彼女が出来たのならよかった。
彼には、先の出来事で負った深い傷を癒してくれる相手が必要だと思っていたから。
そんな女性と、この異人町で出会えてよかったなと思う。
ただ、それとは別に、なぜナンバや紗栄子が自分と春日が付き合っていると思い込んでいたのかも気になってしまう。
特に何か、そういう素振りを見せたつもりはなかったから。
春日が好きだった。
好きにならないでいられるはずがなかった。
けれど、自分の気持ちを伝えたり、押し付けたりする気は毛頭なく、ただ彼に幸せになってほしかった。
先ほど、春日が女に腕を引かれてマンショに入っていく姿を目撃しても、特にショックを受けるでもない自分に安心した。
よかった、ちゃんと彼の幸せを喜べていると。
醜い嫉妬の感情が湧いてしまったら、どうしようかと思って内心動揺していた。
大丈夫。俺の気持ちは、そういうものじゃない。
ふ、と息を吐いて感情を整えた趙は、少し距離の開いてしまったナンバを追いかけるように足を早めた。
武器造りを終えて買い物を済ませ、ナンバと趙がサバイバーに戻ると、足立がカウンターで飲みながら機嫌よく手を上げてきた。
「よう、晩飯カレーだってな。ご馳走になりに来たぜ」
「早えな。作るのこれからだぞ」
呆れたようにナンバが言うのに笑って、趙はその手から買い物袋を受け取る。
「ちゃちゃっと作っちゃうからさ。ナンバも飲みながら待ってなよ」
「手伝わなくて大丈夫か?米なら俺も炊けるぜ」
「ありがと。でも大丈夫、すぐ作るね」
そう言って趙は階段を上がり、部屋に入って手を洗う。
サバイバーの二階の、この小さな部屋の台所は狭いので、正直一人の方が作業がしやすい。
まずは米を研いで早炊きで炊飯器にセットし、野菜と肉を刻む。
春日がいなければ、これらの作業にかかる時間は半分程度で済む。
いつも狭い台所でこれななんだ、あれはなんだと纏いついてあれこれ聞いてくる春日にその都度答えて、たまには手伝ってもらったりすると、自然と出来上がりは遅くなる。
それでも、趙はその時間が好きだった。
誰かが料理をするところを間近で見る経験がほとんどなかったのだろう、珍しそうに新鮮に目を輝かせる姿は可愛かったし、技術や知識を褒められるのは素直に嬉しかった。
料理が出来てよかったな、と思うくらいに。
肉と玉ねぎを炒め、鍋に移して他の野菜を入れ、計量した水を入れてコンロの火をつける。
一煮立ちするまで、と手の空いたタイミングを見計らうかのように、スマホのメッセージを知らせる短い着信音が鳴った。
ポケットから取り出して確認してすると、そのメッセージは春日からだった。
『おそくなる』
変換すらされていない、ごくごく短いメッセージ。きっと大慌てでそれだけ入力したのだろう。
あのマンションからかな、と思うと少し気持ちがモヤモヤして、趙は試すように返信を入力する。
『夜ご飯カレーだよ』
しかしそのメッセージに返信はなく、既読がつくこともなかった。
「…趙、なあ、寝てるとこ悪いな」
「んん…?」
翌朝、趙は春日に肩を揺すられて目を覚ました。
「…朝帰り…?」
「あ?なに言ってんだ、昨日の夜帰って来たぜ。お前寝てたけど。それより、連絡くれたのに返信できなくて悪かった。ちょっと立て込んでてよ」
そんなことを言うためにわざわざ起こしたのかいう呆れと、『立て込んでいて』という言葉に、眠りを妨げられたこともあって趙はみるみる不機嫌になっていく。
「そんなのどうでもいいよ…。眠いんだけど…」
「あ、そ、そっか。悪い、すまねえ。一応、米だけ炊いといたから、起きたら食えよ」
突き放すような物言いに動揺した春日が焦って謝ってくるが、趙はそれには答えず掛けてあった布団に潜り込む。
「…起こして悪かった。じゃ、俺、仕事行ってくるから…」
布団の上をぽんぽんと宥めるように叩かれても、趙は顔を出す気にも返事をする気にもなれなかった。
無言を貫いていると、春日の困ったような気配と、ナンバの苦笑するような小さな笑い声が聞こえてくる。
「…なに笑ってんだよ、ナンバ。なあ、昨日のカレーって残ってねえのかよ?」
「ふああ…。ねえよ。足立さんが全部食っちまった。まあどうせ、昨日はいいもん食ってきたんだろ?」
「なんだよ…。別に、いいもんじゃねえよ」
ナンバの揶揄うような口調に思い当たる節でもあるのか、春日はモゴモゴと歯切れの悪い返事をする。
「いつもなら趙がちゃんとお前の分取っといてくれるんだけどな」
当てつけるように言ったナンバの言葉は、もちろん昨日の意趣返しだ。
そうとわかっていても、まるで自分が嫉妬した上でそんな行動を取ったようで、趙は寝たふりをしながら居た堪れなくなってくる。
春日はナンバの言葉になにも返さず、ただ、しゅんと肩を落とした気配だけが伝わってきた。
「…行ってくる」
「おう、いってらっしゃい」
ナンバがおざなりに返した返事にため息をついた春日が、扉を閉めて出て行く。
それを見送ってゴロリと再び横になったナンバの、物言いたげな視線が趙の背中に刺さる。
「なあ、本当に付き合ってないんだよな?」
面白がるようなその声音に、趙は返事をせずに布団の中でぎゅうと丸くなる。
ナンバはそれを笑って、二度寝を決め込んだ。