the Holdover's Party(傭兵とオフェンス ※学パロ) 冬休み期間を迎えた学園構内は火が消えたように静かで、小鳥が枝から飛び立つ時のささやかな羽ばたきが、窓の外からその木が見える寮の自室で、所持品の整理をしている――大事に持っている小刀で、丁寧に鉛筆を削って揃えていた。彼はあまり真面目に授業に出る性質ではなく、これらの尖った鉛筆はもっぱら、不良生徒に絡まれた時の飛び道具として活用される――ナワーブの耳にも、はっきりと聞こえてくる程だった。この時期になると、クリスマスや年越しの期間を家族と過ごすために、ほとんどの生徒が各々荷物をまとめて、学園から引き払う。普段は外泊のために届け出が必要な寮も、逆に「寮に残るための申請」を提出する必要がある。
それほどまでに人数が減り、時に耳鳴りがするほど静まり返っている構内に対して、ナワーブはこれといった感慨を持たなかった――「帝国版図を広く視野に入れた学生を育成するため」というお題目から、毎年ごく少数入学を許可される「保護国からの留学生」である彼には、故郷に戻るための軍資金がなかった。それはナワーブにとっての悲劇でも何でもない。ありふれた事実としての貧乏である。それに、この時期にありがちな孤独というのも、彼にとっては大した問題でもなかった。毎年彼の先輩や、或いは優秀であった同輩、後輩といった留学生が、ここの“風潮”に押し潰され、ある時は素行の悪い生徒に搾取されるなどして、ひとり一人、廃人のようにされて戻されてくる様を目の当たりにしていた彼は、自分が「留学生」の枠としてこの学園に送り込まれることを知ったとき、ここでの「学友」と一定の距離を置くことを、戒律として己に課していたからだ。あらゆる人付き合いをフードを被ってやり過ごしていた彼にとって、学園での孤独はすっかり慣れっこだった。
その年の留学生(つまりは彼)の、見るからに馴れ合いを好まないという涼しい顔が気に食わないらしい生徒からは、その態度を「黒い羊」とやっかまれもしていたし、時に暴力沙汰に巻き込まれることもあった(これには、彼が学内で孤立した生徒であることが関係ないとは言い切れないものの、それよりもむしろ、学友と馴れ合うことのないように彼が身を潜めた校舎の屋上や校舎裏、構内の外れといった場所こそが、人目を忍んだもめ事が起こる場所だということも言えただろう。)が、人より他に売れるものがないという理由で民兵を多く輩出する貧しい村を出自に持ち、体格こそヨーロッパ人の生徒には劣るものの、喧嘩のいなし方を体得していた彼が、外圧によって己の信念を曲げられることはなかった。
ナワーブが一通りの作業を終え、木くずのついたナイフを、入学当初ハンカチとして支給された白い布で拭い取ったところで、部屋の扉がノックされた。しかし、彼には部屋を行き来するような間柄の友人は勿論居らず、当初は同室だった留学生の面子も、冬になる頃には、彼を除いた殆どが、何らかの問題や本人の体調によって、除籍や希望退学という各々の形でここを去っていた。たまに寮監が、彼の「社交的ではない態度」や「問題行動」を叱責する為に訪れることがあるが、それぐらいだ。寮監も家に帰っているこの時期なら猶更である。
全く予期していない来客にナワーブが取り敢えず居留守を使うと、ノックの音が止んでから程無くして、ドアノブが動いた。そこでナワーブは素早く二段ベッドの上から飛び降り、手持ちの小刀を携え扉を蹴り開けると、扉の向こうに立ってドアノブを握っていた体格のいい生徒は驚いたように「うわっ!」と声を漏らしたが、そこには居ぬき強盗を咎められた者の怯むような後ろめたさはなく、より単純に、不在を念のため確認しようとしたところから、勢い良く飛び出てくるものがあって驚いた、というような、実に呆気ないものだった。
「ここ、ナワーブさんの部屋だったのか!」
いかにも物々しいナワーブの様子に、スタジアムジャンバーの下に白いラグビージャージを着込んだドレッドヘアの男は、まるで物怖じした風もなく白い歯を見せて快活に笑い、「寮に残ってる連中でパーティーをしようっていう話があるんだ」と、早速ここに来た用件を話し始めた。その様子を見るに、ナワーブが小刀を構えていることには、どうやら気付いていないらしい。予期しない来客がいたって友好的な態度で話し続ける姿に驚くあまり、かえって呆然としてしまってそれを聞き流していたナワーブは、ある瞬間にふと我に返ると、訳が分からないとはいえ、まあ敵意のある相手ではないらしいということで、構えていたナイフをそっと制服のポケットにしまった。件の来客はそれにも気付いた様子がない。彼が続けることには、「まあ、それぞれ色々な事情があってここに残ってるんだろうけど。折角年越しだからな。図工の先生が軍資金を出してくれたんだってさ。そこで先生のツケで、ピザとチキン、それとジュースでも買って来ようって話になってて、どうせなら人数だって多い方がいいだろ? それで、まだ寮にいる連中のところを回って、逐一声を掛けてたってワケだ。」
「お前、ウィリアム・エリスか……」
「このウィリアム・エリスがな!」と誇らしく話を締めくくろうとしたところで、決め台詞である名乗りを先んじて取られたその男は、今度こそ驚いたように目を剥いてナワーブを見遣ってから、続いて茶化すように首を竦めると、「なんだ、今思い出したのか?」と、思い出されたことの安堵と同時に、「忘れられていたこと」への少なからぬ不満を表明する具合に口角を歪め、咎めるようにも笑った。
実際、ナワーブはこの男の顔を知っていた。彼は夏頃に入ってきた転入生であり、どうにも他人の不興を買いやすい性格をしているのか、よくナワーブが根城にしているような校舎裏なんかに呼び出しを喰らい、そこに律儀に顔を出して、「メニューの方針を話し合うのに、わざわざこんな場所に来る必要があるのか?」と能天気なことを抜かしてその場をピリつかせていた。ナワーブは元々、そのようなリンチの前触れめいた状況に居合わせた場合、できるだけ劣勢の方に加勢するようにしていた。彼がそもそもここの〝学友〟らと距離を置く原因となったのは、彼の同朋である留学生に対する過酷な仕打ちが原因であり、そういった腹を持っていながら、他人への過酷な仕打ちを見て見ぬふりをするというのは、どうにも寝覚めが悪いからだ。
そう言う訳で、その時も物陰から身軽に飛び出していったナワーブが、彼に向かって振り下ろされたバッドを先程まで枕にしていた通学用カバンで受け流してから、素行の悪い先輩の腹に拳を叩き込むと、彼に庇われたウィリアムの方は逃げるどころか、「おい! 何をしてるんだ!?」と騒いで、逆にナワーブを止めようとする。何でも彼は運動部の生徒であり、ベンチ入りするにはそういった〝問題〟を起こしてはいけないらしい。
「……それなら、この手の呼び出しには応じない方が良いだろう」
ウィリアムに肩を掴まれ動きを制限されたナワーブは、先刻相手の体重を活かして拳をめり込ませるやり方で打ち込まれた彼のパンチによってダウンし、地面にもんどりうった男子学生の後頭部を踏んづけ、額を地面に摺りつけさせながら、内心では呆れかえっているとはいえ、ひどく無感動な調子で(彼は考えていることが顔に出ない性質だった)そのようなことを口にした。その時丁度、場所を変える為まずは己の標的を確保しようしたのか、ウィリアムの背後から彼を羽交い絞めにしようとする、もう一人の男が目に入ってしまう。
(こんな手ぬるいことを言っている奴だ。多少痛い目を見た方が、本人の為にもなるような気がするが……)
しかし、気付いてしまったものは仕方がない。ナワーブは頭で逡巡する間もなく、隠し持っていた尖った鉛筆を男の顔の方に投げると、うまく目元に刺さったらしい。後ろで急に苦しみ始めた背後の男を見て、今更そろそろと距離を詰められていたことに気付いたのか、ウィリアムがぎょっとしている内に、その場にもう一人いた三人目男子学生が、ばたばたと無様な足音を立てて逃げていく。
「……だ、だが、この人達は、今後のメニューのことで話があると……俺はてっきり、俺の意見を採用するという話になったんだと思ったんだが。」
「それなら、わざわざこんなところに呼び出さないだろう。」
場が荒々しいやり方で収まってから、ようやく己の勘違いに気付いたのか、それを恥じるように後頭部を掻いて力なく笑うウィリアムに、ナワーブは今度こそ呆れの態度を隠し立てもせず、大袈裟に深い溜息を吐いて見せた。どんな世間知らずなんだこいつは、という、呆れるくらいの気持ちである。それにとどまらず、ウィリアムはそこからさらに、ナワーブの足の下で地面に伸びている例の男子学生を担いで、医務室に連れて行こうとさえした。
「それは、やめておけ……お前がやったことになるぞ。」
「だが、放っておくのは……」
「俺がやっておく。実際、そいつをやったのは俺だしな。」
「でも、君は俺を助けてくれたんだろ? このままにはできない。」
良くも悪くも意思の、もとい自己主張の強そうな形をした眉をきっと吊り上げながらそう言い張るウィリアムを前に、ナワーブは(これ以上付き合う義理もない)と判断し、「じゃあ、まあ、勝手にしろ……だが、そいつらを医務室に運ぶのは、お前の為にはならないぞ」と言いおいて、さっさとその場を後にした。その時は付き合いきれないとんだバカがいたものだとナワーブは思ったものだったが、それからも、片手で数えられる程の回数ではあるが同じようなことがあり、ナワーブは仕方なくウィリアムの助太刀に入った。その後、ウィリアムの押しつけがましい自己紹介に対して、ナワーブは一度だけ応じた。その程度の仲であった。
「それにしても……お前は何で帰っていないんだ?」
ウィリアムの誘いに応じ(というのも、ナワーブの目から見たウィリアムはあまり人の話を聞かない性質のように見えたし、ナワーブの部屋にやってきた彼を追い出すのは、喧嘩慣れしているナワーブとしても至難の業に見えた。断って無理に連れ出されるより、最初から応じた方が話が早そうだという判断である。)、彼と共に買い出し当番に任じられたナワーブが、閉鎖された校門の隣にある事務用の扉から敷地外に出た後、店のある大通りに向かって石畳を並んで歩きながら、当初から疑問に思っていたことを尋ねると、ウィリアムは特段痛いところを突かれたという風でもなく、「次に戻る時は、凱旋にしたいからな!」とだけ返した。
彼はある種のプレー違反が露見したことによって元居た学校のチームから追放され、その学校に在籍し続ける限り入部できないという困難を乗り越える為、転入という形でこの学園にやってきた生徒であり、今その学園が運営する部のベンチにも入れていない状態で実家に帰るのは、あまりに決まりが悪いというところであったが、ウィリアムはその辺りの込み入った話を省いたし、ナワーブもそれ以上、詳しい事情を掘り起こそうとはしなかった。
「そうか」
込み入ったところへ自分から話を振ったわりに、あっさりとした相槌だけ残して引き下がるナワーブに、今度はウィリアムの方が、「ところで、あんたは何で帰ってないんだ?」と、自分の事情を言うのと同じだけ呆気らかんと尋ねる。ナワーブはそれに、少なからず気分を害した、というよりも、見れば明らかにわかるようなことをはっきり言葉にして尋ねられたことに一種のデリカシーの無さを感じ、つい薄い眉頭を寄せつつ「お前は馬鹿なのか、見ればわかるだろう……」と不平を言うような調子で続けながら、習い性から目深にかぶっていたフードを取って見せた。
「俺は、お前らよりよっぽど〝家〟が遠くてな、帰る金がないんだ。」
そう言って種明かしをするナワーブに、それまで彼の目深にかぶったフードのことしか記憶になかったウィリアムは、フードの下から出て来た彼のアジア人らしい顔つきというよりもむしろ、その髪型の方にぎょっと目を丸くすると、「ナワーブさんあんた……そんなに髪が長かったのか!?」と、そこを指さしすらしながら、ナワーブからすると全く主題ではないところで声を高くした。何でも、フードの下はつるつるの坊主頭にしていると思っていたらしい(ウィリアムはそこからさらに、「アジア人はそうやって修行をするんだろう。だから、あんたは喧嘩が強いんだとばかり」と、当事者であるナワーブからすると意味のよくわからない話を続けた。)。
そのように「頭を剃って坊主にしている」と思われていたことに特別不満を感じた、と言う訳ではなかったものの、学校に在籍するような年頃の少年として多少思うところのあったナワーブは、その日一日だけ、フードを目深に被るのを止め、枯れ枝のような色をした茶髪に手を入れず、伸ばしたままにしている長髪を後ろで一つに結わえたいつもの髪型の上に、ウィリアムから渡された三角帽子を直に被って年越しパーティーに参加し、学内で「黒い羊」の噂を耳にしたことのある一部のパーティー参加者をどよめかせた。