吸血鬼連合による新横浜への大規模侵攻──あの激闘から、すでに一ヶ月が過ぎていた。
街を混乱に陥れた吸血鬼たちは、驚くほどスムーズに、新横浜の生活へと馴染みつつあった。
まるで何事もなかったかのように。
……良いことなのかもしれない。けれど、ドラルクの胸中はどうにも晴れなかった。
なにせ、ほんの先月、自分はこの街の未来を懸けて命を賭して戦ったのだ。そんな簡単に「敵が友」になるなんて、到底納得できるものではない。
あまりにも馴染みすぎている。彼にはそう思えてならなかった。
実際、すでに住処を確保した吸血鬼も少なくなく、ハンターギルドの報告によれば、彼らは観光地を丹念に調査し、引っ越し気分で新生活の拠点を探しているという。
……いいご身分だ。
片や自分は、吸血鬼騒ぎの尻拭いに追われ、残業続きの毎日。書類の山と格闘しながら、終わりの見えない報告書とにらめっこ。そして極めつけは、わけの分からない流れで、規格外の吸血鬼を一体、監視下に置く羽目になった。
やってられない。
その報せを受け取ったとき、ドラルクは戦後処理の雑務に埋もれており、もはや火の車を通り越して業火の釜の中だった。当然そんな面倒を歓迎するはずもなく、彼は即座に本部長のオフィスへと突撃し、こう叫んだ。
「現場の最前線で働く人間に監視業務まで押し付けて、休息時間まで削るなんて、無能の極みだぞノスティン!!」
そのまま演説をぶち上げたのち、クソヒゲが反論する間も与えず退室。後に血圧計が壊れるほどの数字を叩き出したという噂である。
もちろん、文句は文句としても、大局を覆せるわけではない。ドラルクもそれは分かっていた。監視任務自体は遂行するつもりだったし、ノスティンへの抗議も半分はガス抜き、もう半分は補償なり人手なりを引き出すための交渉の一貫だ。
そうして、問題の吸血鬼──不死身のロナルドを呼び出すこととなった。
混乱を避けるため、ロナルドは一時的にVRCに収容されていた。移送された際、手には血液パック。主食なのか、単なるおやつなのかは不明だ。
ドラルクの脳裏に、あの戦いの記憶がよぎる。弾薬をいくら費やしても鎮圧できなかったのに、薬入りのケーキ一つであっさり事態が収束した、あの出来事──眉がぴくりと動くのを自覚しつつ、彼は小さく溜息をついた。
食い物を与えればおとなしくなるとか、どこの野生動物だ。
そんな思考を振り払いながら、彼は机の上の資料を手に取った。
「見ての通り、私は吸血鬼対策課の隊長ドラルク。こちらは補佐のジョンだ。君がここにいる理由は分かっているな?」
吸血鬼の反応を待たずに、淡々と話を続ける。
「君たちの派手な侵入によって、街は多大な被害を受けた。今後の安全を鑑みて、協議の結果、侵攻側から代表者を一名、警察活動に協力させることとなった。」
本部から送られた文書は何ページにもわたる冗長な報告書だったが、ドラルクはそれを一瞥しただけで要点を抽出し、装飾をそぎ落として簡潔に伝えた。
「――要するに、君には今後、吸血鬼対策課の“備品”として働いてもらう。」
本来ならば、これで合意が成立し、ロナルドは夜勤の隊員たちと共にオフィスで一夜を過ごし、ドラルクはさっさと退勤して、積みゲーを崩す……その予定だった。
24時間付きっきりの監視など、どこにも書いてない。
しかし、世の中そんなに甘くない。
「俺を監視? 君が?」
ロナルドが口を開いた。やや意外そうな顔──悪意はなかった──で、ドラルクをじっと見つめる。
「てっきりあの赤いハンターが来ると思ってたよ。……君、なんか弱そうだし?」
「はああああああーーー???」
その言葉に、ドラルクの怒りが天元突破した。「誰がひ弱なカナリアだって言ったんだ!!」
「いや、そこまでは言ってないってば、」
「そうかそうか、強いからってすっかり天狗になっちゃって! 遊撃型ゴジラの指先とでも比べてるのか!? 確かに筋肉量じゃ負けるがな、俺の栄養は全部、脳に回ってんだよ! ちょっと褒められたくらいで“ウホウホ”言いながら薬入りケーキを食うような奴は、いくら強くてもただの筋肉バカだ!!」
「遊撃型ゴジラって何!? あのケーキ、お前が作ったの!? めちゃくちゃ美味かったぞ!? そんな美味いもんに薬混ぜるなんて、お前……卑怯だろ!」
「ありがと~~それは天才隊長・私の手作りスイーツですから~~おかわりはありませんが~~」
ドラルクはお嬢様風に高笑いを浮かべる。
「これを卑怯とは言わない。これは“堂々たる知略”ってやつだよ? あら、こんな言葉、三歳児には難しかったかしら?」
「知ってるわ、そのくらいの漢字はッ! くそっ、ムカつくなァ! やんのかコラ!」
「お前の脳みそ筋肉か! やめろ拳を下ろせ!」
激しい口論は、最終的にジョンの仲裁でようやく収束した。ジョンの可愛さには誰も抗えない。怒れるロナルドでさえ、ジョンに宥められると渋々ながら落ち着きを取り戻した。
一息ついたドラルクは、自分が──たぶん──少しだけ反応しすぎたことを自覚したが、仕方ないとも思っていた。挑発の意図がなかったとしても、吸血鬼が目の前に立っているだけで頭が痛くなるのだ。溜まりに溜まったストレスを思えば、多少過敏になるのも当然だろう。
「配属がどうであれ構わないが、先に言っておく。俺は一ミリたりとも、君の指図は受けない。」
血液パックを噛みながらロナルドが言い放つ。
「たとえ君が監督役に任命されようが、絶対に従わないからな!」
険しい表情。けれどドラルクには、ケーキを頬張っていた三歳児のような姿が重なって見えてしまい、その言葉もどこか空威張りに聞こえた。
だが、彼は根っからの挑発耐性ゼロ体質だ。心のヒゲに「ケチで器が小さい」と言われようが、知ったことではない。
「ちょっとしたお菓子でホイホイ落ちたガキが、よくもまあそんな偉そうに言えるな、」
ドラルクは冷たく笑った。
「交渉ってのはな、それに値する立場の人間がやるもんだ。“備品”くん?」
「なんだと!?」
ロナルドが立ち上がろうとした瞬間、ジョンが飛びついて制止する。渋々座り直すロナルドを無視して、ドラルクは続けた。
「君がいようといまいと、任務に支障はない。我々は君の力など当てにしていない。君をここに置いたのは、君を人質にして、他の吸血鬼たちの滞在を保障させるためだ。」
説明とともに、ロナルドの放つ威圧感が強まっていく。だがドラルクは眉ひとつ動かさず、両手を組んで顎を支え、淡々と続けた。
「もっと分かりやすく言ってやる。我々が必要としているのではない。君が、自分の存在価値を証明しなければならないんだよ。」
それは真実の一端にすぎない。
ロナルドを監視対象と引き換えに、他の吸血鬼たちの滞在を黙認する。それは形の上では共存の一歩に見える。だがその本質は、制御であり、封印であり、利用だった。
“吸血鬼Never Dies”──その存在が鍵になる。
彼が手懐けられずとも、支配下には置かねばならない。
「どうだ? 君の一族の未来は君にかかってる。……畏怖を感じないか?」
ドラルクは目を細めて、低く囁いた。
ロナルドはしばらく黙っていたが、やがて静かに威圧を収める。
その様子を確認すると、ドラルクは満足げに手を打ち、慈悲深く告げた。
「安心しろ。お菓子くらいは作ってやるさ。」
「お前、性格最悪だな。」
ドラルクは、それを最大の賛辞として受け取った。