夢の答え『青木…』
『……俺…、お前のこと……本気で』
固く瞑っていた目を開ければ、そこには見慣れた天井。
「……またこの夢か…」
高校を卒業してから3年。
この夢はもうすでに数えきれないほどみた。
何回見たっていつも同じ。
ほぼ毎日袖を通した制服で、通った校舎。
…あまり行った記憶はない屋上で、
目の前には、真っ直ぐこっちを見つめる
………とあるクラスメイト。
「……"本気で"……、」
夢の中の自分のセリフは、中途半端に終わる。
何か言いかけてるけど、何が言いたいのかはわからない。
…いや、検討はついてる、んだけど。
「……あーっ、もう…」
夢をかき消すように頭をわしゃわしゃと掻き回し、洗面台へと向かう。
なんでよりによって、今日…。
また一つ、大きなため息をついた。
「……お、青木ーー!こっちこっち!!」
小さなホテルの大宴会場に着くや否や、遠くから手を大きく振って俺を呼ぶ聞き慣れた友の声。
「あっくん…!」
久しぶりの再会に人をかき分けながら小走りで駆け寄り、自然と顔には笑みが浮かぶ。
「青木くんっ、久しぶり!」
「橋下さん!うわー、変わってないね!」
そう〜?ってニコニコ笑う、俺の初恋の人は、相変わらず天使のように可愛い。
「青木〜、なに俺の彼女にデレデレしてんだよっ」
「いでーっ!」
容赦なく俺の脇腹をつねってきたあっくんのノリは懐かしい高校生活を一気に蘇らせた。
結構痛くてやり返そうかと思ったけど、「俺の彼女」ってフレーズに照れた橋下さんが突き飛ばしてくれたおかけでどうでもよくなった。
…ああ、本当に付き合ってるんだな…
知らない間に終わってた、俺の初恋……
「まぁそう落ち込むなよ、覚えてなくたってお前も一応恋愛してたわけなんだしさっ」
「は、はやとくんっ…」
橋下さんが慌てて静止に入る。
けどデリカシー0人間・あっくんは、気にもとめない。
「せっかくだしゆっくり話してこいよ、さっき見かけたぞ」
目の上に手を当てて会場を隅々まで見渡すあっくんの視界を「別にいいからっ」と目の前に立って遮った。
が、
「あ、いた。井田ーー!」
……遅かった。
親友の呼びかけと手招きにより、目の前に現れたのは
「おう、相多、久しぶ…り、………青木、」
1番、会いたくなかった、…例のクラスメイト。
「……久しぶり」
嬉しそうな、悲しそうな、苦しそうな…なんとも言えない表情で見つめてくる視線に
どうしようもなく居心地が悪くなる。
きらいとか、そういうんじゃない。
……なんなら、好きでも嫌いでもない、ただのクラスメイトだったんだ。
俺の記憶では。
『恋人だ』
記憶がぶっ飛んでしまった俺の事を、やけに親身になって心配してくれるから、2年に上がって意気投合でもしてあっくんみたいな親友になったんだと思ったら、
告げられた、まさかの関係。
『え?』
記憶がないってだけでもパニックなのに、
いやまてまてまて、え?どゆこと?え?
残っている記憶も全部すっ飛んじゃうんじゃないかと思うくらいの衝撃的な展開に、その日はどう家に帰ったのかも、両親にどう報告したのかも、全く覚えていない。
とりあえず、記憶を取り戻す方法として1番効果がありそうな"思い出の地巡り"を何日か続けてみたけど、
どこに連れてってもらっても、これといって特別な場所もなかったし、いつの間にかギャルの友達できてたし、柴犬には唸られるし…
本当に、…こ、恋人なのか?って疑いしかないまま、目前に迫ってしまった受験。
しかも、聞けば俺たち2人は同じ志望校らしい…。
たしかに、ただの友達がわざわざ、地元から遠く離れた地で、同じ志望校なんて…。
じゃあ、本当に俺たち……、
その答えは、最後に訪れた場所で、確信に変わった。
『ここから花火を見たんだ』
生まれ育った町がよく見渡せる、丘の上の神社。
……ここは、ずっと……
いつか恋人ができたら、絶対に教えたい場所だった。
限界だった。
『俺ら、前に進もう』
ここまでしても戻らない記憶に、目の前の人1人の人生が捕われていることが、苦しかった。
大切な場所を教えたことさえ覚えてないことが、苦しくて、申し訳なくも感じた。
高校を卒業するという節目もあるし、ここで終わらせないと、俺はこの先の井田の人生をも無駄にしてしまう気がして、無理矢理に関係を終わらせた。
……納得は、してもらえなかったけど。
卒業式の後に声をかけられた時も、平然を装った。
戻る気配のない俺の記憶に、期待させてはいけない。
都合いいかもしれないけど、井田も、忘れてくれ。俺のこと。どうか…。
不思議と落ち着く井田のにおいが、忘れられなくなって、……その日の夜だった。初めてあの夢を見たのは。
さすがに卒業後はじめての同窓会だし、来ているとは思ったけど。
会いたくなかった。
変わらず俺には、井田との、そういう記憶はないまま。
あれから一浪してなぜか希望してた農学部がある近場の大学になんとか受かり、自分なりに楽しく生きていた。
だから、別に、思い出さなくてもいい、って思っているし。
「井田〜、京都生活はどう?一人暮らし慣れた?」
「あぁ…まぁ。それなりに」
「今春休みだよな?いつまでこっちいんの?」
「…明後日、帰る予定だけど、」
あっくんに話しかけられているのに、真っ直ぐこっちを見ながら答える井田の視線に耐えきれず「おれ、飲み物貰ってくるわ!」と、その場を後にした。
なんだか、京都、ってワードもモヤモヤするし、
井田は何か言いたげにこっちみてくるし、まだ着いてほんの数十分なのに、もう帰りたい。
「青木くんっ」
「わっ、橋下さん…」
大丈夫?って心配そうな顔して、これ食べない?って、おつまみが乗ったプレートを差し出してくれた。
「ありがとう…」
「ふふ、乾杯しよっ」
少し大人になった俺たちは、久しぶりの再会にアルコールが入ったグラスで乾杯した。
「…なんかごめんね、はやとくん…悪気はないんだけど」
「ああ、気にしないで!」
あっくんらしいよ、って、笑い合う。
親友の彼女、ってことにいまだにすこーし悲しくなるけど、普通に会話できる事が嬉しくて、懐かしい気持ちになって、ホッとした。
橋下さんは気を遣ってか、井田の話はせずに、今の環境、あっくんとの喧嘩の話(ほぼ惚気だけど)、俺の近況なんかを聞いてくれたりして。
他にも懐かしい顔ぶれに入れ替わり立ち替わりでいろんなやつと話して乾杯して、いつの間にか戻ってきたあっくんと、豪華景品をかけたビンゴ大会に本気で盛り上がったり、まだ慣れないお酒を豪快に飲んでみたりと、高校生活の延長のようなノリで一次会が終わった。
「ぅおえ…っ」
「あおきぃ〜つぎいくだろ〜!」
絵に描いたように酔っ払ってテンションは最高潮だ。
どうやら二次会があるらしく、ぞろぞろと次のお店へ移動していく。
「はやとくんっ、マフラー忘れてる〜!」
もー、って少し困った顔してる橋下さんが、あっくんの忘れてる荷物を手に持って俺たちの後ろを追ってきた。
「もーあっくん、しっかりしろよ〜」
「ごめんごめーん」
はっはっはっと笑いながらも俺の肩に回す手はそのままに荷物を受け取ったあっくんが、この前さー、と思い出したように話し出した。
「おれぇ、みおちゃんにマフラーもらったんだけどー、飲み会で汚しちゃってさー、」
「そうそう、手編みでね、結構時間かけて作ったのに」
手編みのマフラーとか惚気かよー、って、さっきの仕返しとばかりにあっくんの脇腹を突く。
ひゃはひゃは笑いながらやめろって身を捩りながら俺から離れて今度は橋下さんの肩に手を回した。
橋下さんの顔が一段と赤くなった。
「んで、やべーっつって家帰ってソッコー洗濯したらさ、こーーーーーんな縮んじゃって!」
大袈裟なほど指で小さく例えてみてけらけら笑うあっくん。
「いやいや、洗濯機でそのまま洗ったら縮むに決まって、る、……ぁれ…?」
なんだろう、
おれ、何でこんなこと知ってるんだろ……
「……青木くん?どうしたの?」
「あおきー?飲み過ぎかぁ??」
違う、お酒とは違う、気持ち悪さ。
こう、なんか、頭の中が、ぐるぐるして、
目の前がぐわんって回った。
「青木くん!?」
「ちょ、青木!?しっかりしろ……!!!」
赤かったはずの2人の顔が青くなっていくのを最後に、俺の意識はそこで途切れた。
「…………ん、…?」
なにかボソボソと話す声が聞こえて、目を開けた。
「あ、青木くんっ!!」
「…は、しもと、さん…」
「おい、大丈夫かよ、」
心配そうな顔で、起きあがろうとした俺を支えてくれた親友たちに、ありがとうと呟いて部屋を見渡す。
「あっくん、…ここ、は?」
「とりあえず…、お、俺ん家、」
どうやらぎりぎり自力で歩ける俺を2人で担いで、タクシーであっくんの家に運んでくれたみたいで、俺はそのまま着くなり直ぐに小一時間ほど寝ていたみたいだ。
「どうして…俺、」
「お前、いきなり真っ青な顔して…」
そこまで言うとなんだか急にもごもごしだしたあっくん。
「え?なに…?聞こえない」
「いやぁ…」
めずらしく言いづらそうに頭をかきながら、とりあえず飲めってペットボトルの水を渡された。
「…青木くん、なんも覚えて、ない?」
「…なに、を…」
さっき、意識が飛ぶ前…。
2人の真っ青な顔が最後で、目の前が回って、そこで終わってる。
「………青木くん、ずっと戯言のようにね…、」
「…うん、」
「……井田くんの名前、呼んでた…」
橋下さんの言葉に、理解が追いつかなかった。
「い、いだ…?」
なぜ?そんな時に…井田の名前を?
同窓会ではあのまま井田のことは見ないようにして、最後まで会わないように過ごしていたのに。
「…きゅ、急にね、はやとくんの話聞いてたら、青木くん、顔が真っ青になって…しゃがみこんでね、…」
うっすらと目に涙を浮かべながら、俺の途切れた記憶を説明してくれる橋下さん。
あっくんの話は覚えてる。
「橋下さんが編んでくれたマフラーを、…あっくんが洗濯したって、はな、し……、うっ…」
「大丈夫っ!?」
さっきと同じように、頭の中がぐわんっ、と回った。とっさに口元を押さえたけど、吐き気がするだけで、それよりも頭の中が、凄い勢いで回っている気がする。
なにか、なにか…忘れてる…。
「おれも、……縮めた、っ……大事な…セーター……」
急に途切れ途切れに、頭に浮かんだ映像。
「……青木、この部屋は、見覚えないのか…?」
目を合わせるように、俺の肩を掴んで顔を覗き込んできたあっくんの顔は、今まで見たこともないくらい真剣で。
「え、あっくんの部屋…、…じゃな、い……」
言われてみれば、なんか違う。
あっくんの家は高1の時に一回だけ遊びに行ったことがある、覚えてる。
でも、違う、こんな感じじゃなかった。
シンプルで、余計なものはなく、きちんと整った本棚…
あ、あの漫画、
「俺も持ってる、……っ!!!」
ぶわっと、全身が鳥肌たった。
「、井田の、部屋……?」
知ってる。この部屋。この雰囲気、…におい。
一気に頭の中から、なにかが溢れそうになって、考えが止まらない。
頭が痛いとか、気持ち悪いとか、逆にスーッと晴れていくような、色んな感覚がごちゃまぜになって回ってる。
え、なんで?井田の部屋にいるの?
「おれ、何度も、きたことある、…げーむ、したり、4人で勉強もしたっ!…井田の、部屋、………ドキドキして、それで…、あとは……」
「青木くん…、」
ぽろぽろと溢れる涙の数だけ、走馬灯のように、次々と頭に流れてくる断片的な記憶。
同じように涙を流しながら橋下さんは、俺の手に何かを渡した。
「け、しごむ…?」
「あの時のじゃないけど、っ…消しゴム、覚えてる…っ?」
青と黒のシンプルなカバーデザインの、大体の人が使ってる消しゴム。
今でも俺も使ってるし、何の変哲もない、
「消しゴム、………、ぁ、…おれ、橋下さんに、か、借りた……」
そこに、名前が書いてあって、そうだ…失恋したんだ。
「いだの、なまえ…」
『俺、お前のことっ…本気で』
あ、
「好きに、なっちゃったんだ…」
「……青木」
すっ、と、胸に届いた声。
消しゴムから目線を上げると、そこにはもう橋下さんとあっくんの姿はなくて、代わりに、
ずっと、またせていた、…おれの、
「……いだぁ…っ」
名前を呼ぶと同時に強く抱きしめられた。
苦しくて息が止まりそうなほど強く。
でもどこか心地よく包まれるような。
ずっとずっと足りなかったピースがはめられたように、ぐるぐる忙しなく回っていた頭の中は、穏やかになっていた。
「っ…おもい、だした、俺っ…、修学旅行、も、文化祭もっ、…一緒に見た、花火も…」
「あおきっ…!」
なにもかも、思い出した。
忘れたくなかった、忘れちゃいけなかった大切な思い出達。
「いだぁ、っごめ、ごめんっ…!」
「あおき、ずっと、会いたかった…っ、ずっと、忘れられなかったっ…」
井田の涙は、今、初めて見た。
俺の記憶には、泣いた井田はみたことなかった。
「ごめんな、いだ、俺お前を、すごい苦しめた、っ」
「謝るな、青木は悪くない、…青木が、思い出してくれただけで、俺は十分だ、」
頬を包む手のひらに擦り寄った。
どうしようもなく、愛おしい。
やっと、頭の中のモヤが晴れて、夢の答え合わせができた。
「おれ、井田のこと……、本気で、好き…」
伝えずにはいられなかった。
何度も何度も、夢の中で言えずにいた言葉。
「あぁ…俺も、…俺も好きだよ」
瞼にそっと唇が触れた。
くすぐったくて、恥ずかしいけど、嬉しくて、愛しくて、もっとほしくて。
視線がぶつかって、2人で微笑んだ。
「俺と、付き合って」
あの時言ってもらった言葉は、今度は俺から伝えよう。
返事の代わりに唇が触れた瞬間、あの夏の日の匂いがした気がした。