「土曜日さぁ、撮影が夕方くらいに終わるから、待ち合わせしてディナーでも行こうよ」
ぱちくり。思わず、目を見開いてしまう。フォークを持つ手が僅かに震えた。そんな俺に気づくことなくセナは続ける。
「モデル仲間にパスタの美味しいリストランテを教えてもらったの。パスタが絶品なんだって。折角だし行ってみたいなって。え、なにその顔」
「い、いや、びっくりしただけ……待ち合わせしてディナーって、デートみたいだな?」
「……デートのつもりなんだけどぉ」
ぴしり。今度は瞬きくらいじゃすまなくて、全身が固まってしまう。あのセナが、デレた……?!
「なんか失礼なこと考えてるでしょ……。最近一緒に過ごせてなかったからたまにはいいかなって。別に付き合ってるんだから文句ないよねぇ?」
「お、おう……?」
あの素直じゃないセナがここまではっきり言葉にするとは。どうやら想像以上にセナを寂しがらせていたらしい。ちょっと反省。
確かにセナの言うとおり、最近は忙しかった。おれへの作曲依頼は立て込んでいたし、セナのモデル業も好調で、朝早くから撮影で出かけることも少なくなかった。やーっと個人仕事が落ち着いたかと思えば、次はKnightsの新曲の発売されて、ありがたいことに音楽番組や雑誌のインタビュー、リリースイベントでてんやわんや。
そんなこんなで目がまわるほどに忙しい日々を送っていたおれたちは、すっかり“コイビト”らしいことから離れた生活を送っていた。でも、まさか、こんな可愛らしい誘いを受けることになるとは。
「ねぇ、聞いてるの? ……まさか断るつもり?」
「わわっ、横暴だなぁ〜? ぼーっとしてただけ。行くに決まってるだろ!」
「そう、じゃあいいけど。最近はあんたも忙しそうだったし、たまには息抜きもいいんじゃない?」
「うが〜〜っ! 思い出させるなっ! あれは突然納期を早めたクライアントが悪い!!」
「はいはい暴れないの」
そう言って、おれを窘めつつバゲットを口に運ぶセナ。くそ、こんなことですら絵になるのか。美人ってのはつくづく得だ。
「郊外にあるリストランテだから、次の日二人ともオフだしそのままホテル取って泊まっちゃおっか」
「ん! なんでもいいぞ〜。セナに任せる!」
言い残して食卓に並ぶ色とりどりの料理に目を向ける。ぱくり。今日のメインディッシュはセナ特製のアクアパッツァ。うん、バジルの風味が染みてて美味しい。
小さく咀嚼しながらセナの言葉を脳内で反復する。待ち合わせして、ディナー。いかにも鉄板コースって感じだ。ううん、むずがゆい。って、え、あれ……? ホテルってことは、もしかして。デートはデートでも──これって所謂、お泊りデートってやつじゃないのか……?
自覚した瞬間にぽっと頬が火照る。セナは「やっと気づいたの?」って揶揄うように笑ってきたけど、おれはそれどころじゃなかった。だって、こんなの柄じゃないじゃん! 当たり前に一緒に住んでいるから今更って感じだけれど、は、恥ずかしいです、普通に。だってホテルだぞ!? シティホテルとはいえ、自分の家じゃない場所で二人っきりっていうのは、どうしても非日常だ。お泊りっていかにも恋人って感じだし! おれとセナなのにっ、変な感じ!
それなのに、それなのに! セナはおれのことなんて置いてけぼりでどんどん話を進めてしまう。浮かれててムカつく! かわいいけどっ。
「せっかくならベッドが大きい部屋がいいよねぇ。クイーンとか」
「う、うん?」
「チェックアウトの時間も遅いところ探そっか」
「ひぇ……」
そ、そんなにするつもりなのっ!? 思わず情けない声が出た。想定外すぎる。そんなに溜まってるのか……?!
「ローションとかスキンは、まぁ買えばいいよね」
淡々とセナは続ける。おれはというと、流石にこれ以上は生々しくて、照れくさくて、もう限界だった。
「せ、セナ、まっ、待って!」
セナの話を遮って、思わず上目遣いで伺い見る。仕方ない、これは不可抗力だ。だからそんな怖い目で見ないでっ!
そりゃあ両手の指の数じゃ収まらないくらいには行為を重ねてきた訳だけど、あんまりにも恥ずかしくて、流石に無理……! そもそも、おれたちの行為は全部その場の流れというか、いきあたりばったりというか。だからこんな風に次のオフの時に抱くからねって宣言されたのは初めてだ。この場合おれはどうしたらいいの? 意識しすぎておかしくなりそう。
けれど、おれの戸惑いはセナに筒抜けだったみたい。
「なぁに、言葉にしてほしいの?」
かわいいねぇ、なんて言いながら、くすりとセナが微笑む。するり。セナのしなやかな手がおれの頬を撫でて、そのまま跳ねた横髪を耳にかけられる。戯れのようなそれは、けれど確実に夜の色を含んでいて、思わずびくりと体が跳ねた。おまえだってほっぺた赤くなってるくせに。悔しい。
不貞腐れたおれのことなんてお構いなし。いっそ憎らしい程に晴れやかな顔で、セナが笑う。
「美味しいご飯食べて、いいホテルに泊まって、わけわかんなくなるまでえっちしようね」
他に誰もいない二人だけの箱庭の中で、小さく小さくセナは囁いた。それだけで、逃げ道なんてすっかり塞がれてしまって、おれはもうどこにもいけない。……ほんとは、それを望んでいたのかもしれない。自分のことなのによく分からない。確かなのは、決して嫌じゃないってことだけだ。
「おまえ……あくしゅみ…………」
思い通りになるのが悔しくて、セナを恨みがましく見つめる。けれどそれも逆効果みたい。
「ふふ。デート楽しみだねぇ♪」
指先で手の甲をなぞられて、熱を携えた瞳に捉えられる。勝ち誇った顔に何か言い返してやろうと思ったけれど、困ったことにそのとおりだったので。
すっかりばかになってしまったおれは、首まで真っ赤に染めて小さく頷くことしかできなかったのだった。