夏祭り / めぐまき+虎釘 夏祭りに行きたいと最初に言い出したのは釘崎だった。上京して初めての夏、高専の麓の街でそこそこ有名な祭りがあると知り、絶対に行きたいと強く主張したのだ。
指名での任務が入ってしまった狗巻が泣く泣く諦めて、気軽には外を出歩けないパンダがいじけながら留守番を申し出て、予定の空いていた真希が一年生三名を引き連れて出かけることに決まった。彼らより一年長くこの街に住む真希も、去年の祭りは通りすがりに眺めた程度で遊びに行くのは今年が初めてだという。
夕方五時に学生寮の正面玄関前に集合。そこまでは何の揉め事もなくスムーズに決まった。せっかくだから浴衣を着たい、一緒に着よう、と釘崎が真希を説き伏せ始めた頃、突然口を開いたのは狗巻だった。
「ツナマヨ!」
「なんだよ棘、いきなりどうした」
閃いたと言わんばかりの興奮した様子で叫ぶ狗巻に、真希が怪訝な顔で尋ねる。狗巻は四人の顔を次々に指差して得意げに答えた。
「高菜、ツナマヨ、こんぶ!」
「ほうほう?」
パンダがにやけた笑みを浮かべながら頷く。
「オマエら四人、Wデートだって言いたいらしいな!」
パンダの通訳に驚いた四人は石になったように固まる。最初に動き出したのはみるみるうちに赤面した釘崎だ。
「はぁ⁉︎やめてよそういうこと言うの!」
茹でダコが一匹。そして、その隣で黙り込んだ虎杖が二匹目の茹でダコになろうとしている。
「ちょっと! アンタもなんとか言いなさいよ! 普段あんだけやかましいくせ、に──」
援軍を要請して振り返った釘崎は、真っ赤な顔を隠すようにうつむく虎杖を見てさらに動揺する。
「お似合いだねぇ」
「しゃけしゃけ」
パンダと狗巻の追い討ちにいよいよ釘崎も言葉を失い、茹でダコ二匹は黙って目を白黒させるのだった。
虎杖と釘崎が恋人同士になったのは二週間前のことだ。ようやくか、というのが伏黒の正直な感想だった。
虎杖から釘崎への、また釘崎から虎杖への恋心に最も早く気が付いたのは伏黒だった。当の本人達よりも早く、恋と呼ぶにはまだ幼いふわふわとした感情が二人の間を行き来していることに図らずも気付いてしまったのだ。
それからまどろっこしい日々の末にようやく本人達が自分の感情を自覚して、これで一安心かと思いきや、今度は二人がそれぞれに伏黒へ恋愛相談を持ちかけ始めた。側から見れば疑いようのない見事なまでの両想い状態だというのに本人達はまるで自信が持てないらしい。結局、伏黒の多大なるアシストを受けて虎杖から釘崎へ告白し、二人は晴れて付き合うに至った。長い長い両片想いが成就したことは一瞬のうちに高専中に知れ渡ることとなり、功労者たる伏黒は、彼同様ずっとヤキモキしながら見守っていた二年生や補助監督達から次々に労われたのだった。
一方、伏黒と真希の方にはまるで何もない。ただの遠い親戚、ただの先輩と後輩、ただの体術の師匠と弟子だ。突拍子もない発言への驚きさえ過ぎ去ってしまえば悪ノリ好きの狗巻のからかいに大して動揺することもなくいつものことだと流していた。
「そもそもっ! Wデートってのがまずおかしいでしょ⁉︎コイツが真希さんとデートだなんて許せない!」
茹でダコ状態からなんとか復活したらしい釘崎がキャンキャンと喚き立てる。
「オマエは禪院先輩の何なんだよ」
「まったくだな。つーか恵も名字で呼ぶんじゃねぇ」
平常通りの伏黒と真希の淡々としたツッコミにも釘崎の興奮は止まらない。
「伏黒ォ! アンタ真希さんとのお出かけだってのにスカしてんじゃないわよ! 生意気!」
怒りの矛先がなぜか伏黒へ向く。厄介な話の流れを面倒に思っていたところへ口を挟んだのはパンダだった。
「野薔薇ぁ、じゃあ祭りに行くのやめるか? 真希と一緒に浴衣着たいんだったよなぁ? せっかくのチャンスだよなぁ?」
嬉々として茶化しにかかる。パンダもまた狗巻に負けず劣らずの悪ノリ好きで、特に恋愛沙汰は大好物なのだ。
「うっ……! お祭りは……行くぅ……」
「浴衣は?」
「着るぅ……」
「そんじゃ、Wデート、決まりだな」
「しゃけ!」
釘崎がパンダに綺麗に丸め込まれたところで、就寝時刻を告げるチャイムが鳴り響きその場はお開きになった。
そして、当日。
「どうだ、野郎共!」
待ち合わせ時刻ちょうどに玄関口に現れたのは美しく着飾った二人だった。
釘崎の浴衣はえんじ色の地に満開の桜の花が咲き誇っている。短い髪を器用に編んで、帯と同じ白色の髪飾りを左耳の少し上に留めている。真希の浴衣は白地に小さな桔梗の花をいくつも散らした柄だった。紺色の帯を締めて、艶のある黒髪は丁寧に編み込んで首の後ろでひとつにまとめていた。日頃よく目にする制服や稽古着とはまるで雰囲気の異なる装いにすぐさま反応したのは虎杖だ。
「おお……」
いつも通りのTシャツにジョガーパンツを着た虎杖は華やかな彼女らの姿に感嘆の声を上げた。そのまま固まってしまった虎杖に、釘崎が拗ねたように訴える。
「ちょっと、感想ぐらい聞かせなさいよ」
口をパクパクとさせていた虎杖はゴクリと唾を飲み込んで、消えかけの小さな声で呟いた。
「釘崎、そのぉ……」
「何よ、さっさと言いなさいよ」
「その、釘崎、すげぇ……可愛い……」
「……そう? アリガト」
言わせた側であるはずの釘崎も釣られたように照れ始め、二人は揃って赤面した。中途半端な距離で向かい合わせになった二人は、顔を上げて目が合ったかと思えばパッと視線を逸らしてうつむいている。
「なぁ、恵」
下駄を履き、いつの間にか恵の隣に来ていた真希が静かに名前を呼んだ。
「もしかして私ら、この後ずっとこれに付き合わされんのか?」
「……」
祭りの夜はまだ始まったばかりだ。
「意外と人多いのな」
「そうですね」
寮の玄関でのたどたどしいやりとりはどこへやら、祭り会場へ着くなり虎杖と釘崎は目を輝かせて屋台の群れに突進していった。呆気に取られてしまった伏黒と真希はすっかり置いてけぼりだ。
「野薔薇の奴、あんなに食って帯苦しくねぇのかな」
わたあめを片手に真希がぼやく。
「真希さんは苦しくないですか?」
「おう。ま、私は着物とか袴とかでもともと慣れてるしな」
そう言ってニカッと笑うと、真希はわたあめを指でつまんでパクリと食べた。
「うん。たまには甘いモンも悪くねぇな! 恵も食うか?」
「いいです。今、手塞がってるんで」
伏黒は両手に焼きそばやイカ焼きを抱えていた。端から端まで屋台を巡り終えて、腰を落ち着けて食べられるところを探している最中なのだ。
「あ、そっか。じゃあ」
「は?」
思わずギョッとして声を出す。真希は再びわたあめをつまむと恵の顔の前に突き出したのだ。
「ん。美味いぞ」
訴えるようにジトリと見つめても真希は首を傾げるのみで一向に伝わる様子はない。伏黒はついに諦めてしぶしぶ口を開いた。
真希の指に触れぬよう慎重に口を閉じて、伏黒はしかめ面で目を逸らした。ふわふわした感触は口の中でするりと溶けてゆく。
「甘ぇ」
「あ? せっかく食わせてやったのに文句か?」
「いや、そもそも真希さんが勝手に……」
言葉尻がすぼんでいく。言っても無駄なことは分かりきっているからだ。
「おっ! あの辺とか座れるんじゃねぇか?」
真希が指し示したのは街灯の下のベンチだ。ここまでもいくつかベンチはあったがその全てに先客がいて、いつの間にか祭り会場の外れまで来てしまっていた。
「これ、まだ使ってないんで」
早速座ろうとする真希を制して、伏黒はベンチの上にハンカチを広げる。
「いいよ別に。汚れんだろ?」
「洗えば済む話です」
稽古着やジャージならまだしも今日は浴衣である。真希は遠慮を見せたが伏黒は断固として譲らなかった。
「まぁ……そんなに言うなら、借りるわ」
「はい。そうしてください」
二人並んで腰かける。少し距離を空けて座り、伏黒は二人の中間地点に運んできた食べ物を置いた。
「野薔薇達は?」
すぐそばにもう一脚空いたベンチがある。すっかり別行動になってしまったが、合流するには頃合いだろう。
「連絡してみます──は?」
ポケットから携帯電話を取り出した伏黒は通知を見て固まった。
「なんだよ」
「虎杖が、はぐれちゃったしこのまま別々で寮に戻ろう、って」
苦々しく吐き出し、伏黒は頭を抱えた。
真希と二人になること自体はそう珍しくもない。共に任務へ赴くこともあれば伏黒から稽古を頼むこともあったし、一緒に街まで買い出しに行ったこともある。今日に限ってこんなにも意識してしまうのは、すべて狗巻とパンダのせいだ。
『オマエら四人、Wデートだって言いたいらしいな!』
パンダの言葉が頭をよぎる。横目でチラリと真希を見やれば、キョトンとして見つめ返してくる。
「どうした? メシ、食べねぇの?」
真希には少しの動揺もないようだ。それもそのはず、伏黒はいつも通りの普段着なのだから日常の延長にしか見えない。
「せっかく四人で来たのにってのはあるけど、でもこの人混みじゃ会えないだろうしな。悠仁の言うとおり、もう合流は諦めようぜ」
「……はい」
大人びた柄の浴衣に身を包み、髪は普段のポニーテールよりも手をかけて丁寧に結い上げて、さらにはおそらく化粧もしている。柔らかく光る街灯に照らされた真希に思わず見惚れて伏黒はしばし無言になった。
「恵?」
聞き慣れた声に名前を呼ばれて我に返る。
「何ボーッとしてんだよ。さっさと食べようぜ? 冷めちまう」
真希は言うなり焼きそばのパックに手を伸ばした。どことなく嬉しそうだ。真希はもともとジャンクな食べ物を好む。京都の実家にいた頃はお祭りになんてとても行かせてはもらえなかったと言っていた。味の薄い和食とは真逆の油ぎった屋台料理に目を輝かせる真希に、伏黒はふっと力を抜いた。格好がいつもと違うだけで、真希は変わらず真希なのだ。
「そんじゃ、いただきまーす!」
「え、それ俺が買ったタコ焼き……」
「ん? 恵、なんかさっきからボーッとしてるみたいだし腹減ってねぇのかと思って」
「だからって横取りしないでくださいよ」
割り箸を急いで割り、真希の手からたこ焼きを回収する。
「メシは美味ぇしなんだか賑やかだし、祭りって楽しいのな!」
喧騒と祭囃子が遠くに聞こえる。今日一番の真希の笑顔に、伏黒はそっと口元を緩ませた。
「あー食った食った」
真希は右手の手首からヨーヨーを三個吊るし、左手には射的で獲ったクマのぬいぐるみを抱えている。伏黒は数匹の金魚の入ったビニール袋を慎重に両手で運んでいた。本当は真希は二人とも観たことのないアニメのキャラクターのお面も欲しがったのだが、一緒に歩くのが恥ずかしいからやめてくれと伏黒が必死に止めた。
山道をゆっくりと登って高専を覆う結界内に足を踏み入れる。学生寮が見えてしまえば年に一度の非日常ももうおしまいだ。
「恵、明日だけど場所はグラウンドでよかったか?」
まだ下駄を脱いでもいないというのに真希はすっかり通常営業だ。二人とも任務が入っていない明日は、真希に体術の稽古をつけてもらう約束をしている。
「はい、授業終わったらすぐ向かいますね。よろしくお願いします」
「おう! ビシビシ鍛えてやる!」
元気よく答えた真希はニカッと笑って力こぶを作ってみせた。よほど祭りが楽しかったらしい。真希はここ数週間で一番の機嫌の良さだ。
玄関で靴を脱ぐ。伏黒はスニーカーを下駄箱へ戻して、真希は指の先で下駄を拾い上げた。
「部屋に持ち帰るんですか?」
「ああ。普段から履くもんでもないしな」
下駄も、それから浴衣姿に結い上げた髪も、次に目にする日はいつになるのだろうか。伏黒は途端に名残惜しくなって真希をじっと見つめた。
「……」
「どうした? 恵」
黙り込んだ伏黒に真希が問う。伏黒は素知らぬ顔で答えた。
「別に、何でもないです。明日はこの前みたいに宿題忘れの居残りで遅れてくるとかやめてくださいね」
「それは謝ったじゃねぇか! だいたいオマエなぁ、稽古つけてもらう立場なくせに生意気言っ──」
「ああ、それと」
真希の言葉を途中で遮る。真希が再び口を開く前に、伏黒はその一言を放った。
「綺麗ですよ、真希さん」
切れかけの電球が頭上で耳障りな音を立てる。
「は……?」
たっぷりと時間を置いて真希がようやく発した音はなんとも気の抜けた響きだった。
「オマエ、何言って……!」
Wデートだとからかわれても微塵も動じなかった真希が、今は色白の頬を真っ赤に染め上げて大いに狼狽えている。伏黒はそれを静かに噛み締めた。
「お休みなさい、真希さん」
すっかり満足した伏黒はくるりと背を向けて立ち去った。
「ただいまぁってアレ? 真希先輩だけ? 伏黒は?」
背後から虎杖の声が聞こえる。虎杖と釘崎が伏黒達の少し後ろを歩いていたことには気付いていた。普段の釘崎ならば真希の後ろ姿を見つけるなりすぐにでも駆け寄って伏黒から引き離すだろうから、大方最後まで二人でいたい虎杖が釘崎を制していたのだろう。
「真希先輩、どったの? なんかあった?」
「まさか伏黒の奴、真希さんに失礼なことしたんじゃないでしょうね──って、真希さん⁉︎なんでそんな赤くなってんの⁉︎」
喚き立てる釘崎の声を遠くに聞きながら伏黒は自室のドアを静かに閉めた。今夜は早く寝なければならない。明日から真希を口説き落とすために頑張らなければならないから。