夕立ジェクトとアーロンは素材集めのためフィールドに繰り出していた。敵は大した強さではなく、簡単な狩りに近い気持ちでジェクトは大剣を振り回し、モンスターからドロップするアイテムを黙々と集めていく。
隣を見ればサングラス越しに鋭い眼光で魔物を見つめる男が、フードからチラリと覗く口元を吊り上げた。ジェクトは相棒のこの表情が好きだった。決して争いは好まないはずなのに、一度戦闘に入れば交戦的なその表情に体の芯を熱くさせられるのは、ジェクトだけではあるまい。
見事な太刀筋で魔物を一刀両断にしていく姿は、10年経っても変わらないとジェクトはしみじみ思った。負けじと自分もその隣にいる標的へと剣を振るえば、心得たとばかりにアーロンが頷いて次の敵を倒す。
言葉など必要なかった。
まるで生まれた時から決まっていたかの如く、隣で戦うことが当たり前のような感覚。それは孤高な王者であり続けたブリッツとはまた違う充足感をジェクトに与えた。
しばらく敵を倒していると、目の前に立ちはだかるのは、今まで捩じ伏せた雑魚とは明らかに毛色の違う大型の魔物だった。こちらを見るなり、耳をつん裂くような叫びを上げて襲いかかってくる。
「おっ、ここらの親分のお出ましかァ?」
「油断するなよ、ジェクト」
「わーってらぁ!おめぇこそボサっとしてんじゃねぇぞ」
叫びと共に吐き出された冷気をアーロンの太刀が食い止める。ジェクトでは防ぎきれない攻撃は、アーロンに任せれば良かった。相手のことを全てを守ってやる必要はないし、時に守られることになんらプライドを傷つける必要もない。それがジェクトがスピラの旅を通し得たアーロンとの絆だった。
敵の攻撃が止んだら、強烈な一撃をお見舞いするのがこちらの役目である。ジェクトが飛び出せばアーロンが援護するように隣の雑魚を蹴散らしてくれるから、思う存分暴れられるのだ。
どれぐらいそうしていただろうか。目標数の素材は手に入ったし、そろそろ飛空艇の方に戻っても良い頃合いだろう。
戦いに夢中になっていたせいで気付かなかったが、東の空がどんよりと黒い。日が落ちているせいではない、凄い速さで低い雲が流れているようだ。
森の方からさわさわと葉が擦れる音が響き渡った。風だ、と感じた瞬間駆け抜けた伸びたままの髪とバンダナを揺らすそれは明らかに湿っぽくなっており、ひんやりと頬を冷やす。戦いで火照った体には心地よいが、強い雨が来るのだと本能が感じ取っていた。
「ジェクト、そろそろ戻ろう。夕立が来そうだ」
アーロンもまた澱んだ雲を見つめ呟いた。
「ああ、すげぇのが降るかも。髭がビリビリしやがるぜ」
「髭…はどうだかわからんが、確かに古傷が疼く気はするな」
古傷、というのは片目を潰し肺まで達したその傷のことだろう。
サングラスの上から、右眼を押さえる動きがジェクトには痛々しく見えた。青年だったアーロンを死に至らしめたこの傷を、塞いだのは紛れもなくジェクトだからこそ、生々しかった頃の傷口を思い出したのかもしれない。
二人で走るようにしながら、来た道を引き返す。湿度が増して纏わりつくような空気に、とにかく早く屋根のあるところに行きたかった。
「おせぇぞ、アーロン!」
「あんたが速すぎるんだ…ッ!」
そんな言い合いをしていたのも束の間、鼻頭にポツリと大粒の雨が垂れてきた。
「いけね、降り始めたぜ」
「思ったより雲の流れが早いな」
風の音に混じり、雨粒が地面を叩く音が響く。それが速度を増していくのに比例して、自分のむき出しの肌がどんどん生温い雨で濡れていくのを感じた。
その水滴から逃れるべく、二人はひたすらに走った。
「知ってっか?最初の一粒が鼻の頭に当たったら、好きな人と両思いになれるらしいぜ」
「…良い歳して、何を言ってるんだ」
「昔ガキと見てたテレビアニメに出てきたんだって。だから俺様も好きな人と両思いに…ってオイオイ、マジかよ」
「ああ、逃してくれる気はないようだな」
走り続けていたかったが、目の前に現れた今まで以上に大きな魔物の影に、足を止めるしかない。雨が降り注ぎ、額から頬を通り首筋にかけて汗と混じった水滴が垂れていく。
「なーんでこんな時に敵サンがお出ましになるんだよッ!」
「俺たちと同じで、雨宿りをしたいのかもしれんな」
「ケッ、魔物のくせに贅沢だぜ!」
獣の咆哮を合図に二人して武器を構えた。アーロンと並んで戦うのは、呼吸よりも容易い。
全身に伝わる水の感触と、神経を震わせる戦いの空気は、いっそ試合のためにスフィアプールに飛び込んだような気分にもなる。
だが土砂降りの中で戦うのは、視界も悪ければ、足場も悪かった。背中や頭を叩く大粒の雨、遠くで雷鳴が轟いている。
その瞬間、隣にかけがえの無い相棒の存在を感じるだけで気持ちが高揚していくのをジェクトは感じた。不利であればあるほど、気分が良くなる。
この感覚を、あの旅の間何度感じただろう。そして今もまた、この昂りがジェクトの胸を焦がすのだ。
それは恋愛よりももっと、魂の根源に近い感情だった。お互いの生死さえも共有する感覚は、セックスよりも濃厚で現実味を伴っている。
雑魚たちを薙ぎ払い、豪雨にもかき消されない炎で焼き尽くす。すぐ隣から放たれる一撃が、その後に控えていた魔物を吹き飛ばして、リーダー格の方への道を切り開いた。
斬り込むタイミングはもう、勝手しったるものである。
水を吸った服が重く纏わりつく分、体力の消耗はいつも以上だった。すでにかなりの戦闘をこなしている今、気を抜くと剣を地面に突き立てたくなるほどには疲れていた。
隣の男も疲労してくる頃だろうと盗み見れば、確かに呼吸は荒くなっているというのに、その楽しげな鳶色の瞳が魔物を射抜く。そしてこちらを見てニヤリと笑ったその瞬間ジェクトは、雷でも落ちたかのように全身が痺れるかと思った。自分の相棒は最高だと、疲れが全て吹き飛んでいくような歓喜を感じた。
その歓喜に身を任せて剣を振るう。敵の肉体に食い込む刃の感触が、手応えとなって雨と共に降り注ぐのが心地よい。
それに身を任せながら、敵を殲滅していくことしか考えられなくなっていくのが、たまらなく楽しかった。アーロンも同じ興奮を感じているだろう、という根拠のない自信さえもジェクトの身を満たす。
そして、ようやく魔物の群れを撃破すれば、アーロンが小さな洞窟のようになっている場所を指差した。
「ジェクト、とりあえずあの岩の下で雨宿りをしよう」
「あん?ここまできちまったら、別に濡れたって良いじゃねぇか。天然のシャワーみてぇじゃん!」
「あんたと違って服が水を吸って、重いんだ」
この会話をしてから、10年前もこのような土砂降りの中、濡れる事を厭わなかった自分にアーロンが小言を言ってきた事を思い出した。
あの時は「ブラスカ様のお体にさわる」だったっけな、などと思い出すだけで懐かしさに頬が緩みそうになる。
あの旅の続きをしているのだと実感するたびに、ただジェクトは嬉しかった。
そして多分、アーロンも喜びを感じているに違いない、言葉には出さなくともそれを共有しあっているということがジェクトの心を温めた。
「へいへい、んじゃ急ぎますか」
言葉と共に洞窟に向かって走り出す、ここまで完全に濡れてしまえば、二人で雨に濡れるのは楽しかった。中年と言っても差し支えのない年になったというのに、童心に帰った気持ちになる。降り注ぐ夏の雨は心地よく、不必要なまでに体を冷やす事もなかった。
そのまま潜り込むように辿り着いた洞穴で、身を寄せ合うようにしながら雨を凌ぐ。
「ふ〜、まだ止まなそうだなァ」
ずり上げるようにバンダナを外せば、ずっしりと重い。固く絞ってから顔を拭えば幾分かさっぱりした。
アーロンもうんざりしたような顔で首筋に張り付いた髪の毛を掻き集めている。だが、ジェクトにとってその仕草は妙に色っぽく見えるのであった。
「ああ、凄い雨だ…。ほら見ろ、凄い稲妻だぞ」
「雷平原みぇになったらどうしよ」
「またスフィアに撮影してやろうか?」
「コノヤロッ」
あはは、と笑い出したのはどちらが先だっただろう。
水滴が飛ぶのも構わずに2人でひとしきり腹を抱えて笑った。何が面白かったのかも、もはやわからない。多分土砂降りの中を走り続けている時からもう可笑しかったのだとジェクトは思った。
なんの気兼ねも策略もなしにただ笑い合える事が嬉しかった。こんな瞬間がずっと続けばいいのに、と漠然と思う。
原罪にも似た夜の闇の中ではなく、明るい自然の中で大声で笑い合う。その行為によって、スピラの理を知る前の、己が『シン』となる前の、本当の自分達に戻れるような気がするからかもしれなかった。
「ブーツの中までバケツのようだ」
そんな事を呟きながら、アーロンが袖を絞るとびちゃびちゃと派手な音を立てて滝のような水が足元に叩きつけられる。そのまま、赤い衣を寛げて胸元に常備しているポーションなどを取り出してから、がっくりと項垂れた。
「煙草も濡れてしまった…」
「煙管は?」
「部屋に置いてきた。くそ、全滅だ…」
連戦の後だ、さぞ一服したかったに違いない。未練がましく全ての煙草を確認したアーロンは、小さく忌々しげな声を上げた。
「この雨じゃなァ…飛空艇まで我慢しろや」
「そうだな…」
じめじめとした洞窟内で髪をかき上げながら続く会話は、ポツポツと続いては沈黙に服すのを繰り返す。外から絶え間なく響く雨音が、一瞬の静寂をもたらすのかもしれなかった。
「こないだ禁煙した時、どうだった?」
「どう、と言われてもな。落ち着かなかったし、飴には飽きるし…。何より、三日ぶりに吸った煙草はとんでもなく美味かった」
「そりゃ一生禁煙出来ねぇわな」
「一生どころか、俺は喫煙者のまま死んだつもりだからな…」
「違ェねぇ」
たった三日間だったのになんだかやけに印象に残る禁煙となったのはお互い様だったと思う。今思い出しても、煙草が切れているアーロンは面白いものがあった。
「土砂崩れなんかが起きないと良いんだが」
ザーザーと怒号のような音を立てて降る雨を見ながら、アーロンが呟いた。それがいつもより高い声に聞こえたのは、スピラでも何度も聞いたセリフで、時間が巻き戻ったような気持ちになったから、かもしれない。
「スピラん時は道が塞がったとか結構大変だったよな」
「スピラの人間は『シン』に怯えて生きていたとはいえ、自然災害全般にも無力だからな」
『シン』の襲来以外でも、やれ土砂崩れだ、やれ大しけだ、で何度足止めを食らったか思い出せないほどだった。その度にアーロンが現地の人間に手を貸していた事を思い出す。
「おめぇの手際の良さにいつも感心してたんだぜ?」
「僧兵の仕事の一つだったからな。都市の警備や要人警護が目立っていたが、被災地に出向き復興の支援なんかも僧兵の仕事だった」
「ほー…なんかお偉いさんの私利私欲のために居るんだと思ってたわ」
でっぷりと太り、老師の名を欲しいがままにしていたアーロンの旧友とやらを『シン』越しに見たのを思い出す。
「私腹を肥やす暇もないほど、『シン』は全てを奪っていく」
「…確かに、そうだな」
その言葉に、かつて自分が『シン』の本能の赴くまま、少しでも高い建物を目がけて破壊行為をしていた事を思い出した。
よっぽど酷い顔をしていたのだろう、アーロンがじっとその透き通った琥珀色の瞳でこちらを見据えて言う。
「だが、もう居ない。あいつらが、倒したんだ」
「ちげぇだろ?俺たちで、だろ?」
「ああ、そうだ。その通りだ…」
アーロンがこんな風に弱そうに微笑む姿を見られるのは、自分だけだとジェクトは思っている。そしてその座は、誰にも渡したくないとも思っていた。
「お?雨弱まってきたぜ!」
ふと外に視線を向ければ、あんなに大粒だった雨がパラパラとした小雨に変わっていた。
「本当だ、日差しも出てきたな」
アーロンの言葉通り、雲の切間からきらきらと太陽光が降り注ぐのが見える。濡れた地面が急速に照らされて、天地の境が曖昧になるようなそんな瞬間であった。
「ジェクト、見てみろ」
奇跡のような黄金に包まれた世界で、アーロンがふいに空を指差した。
「虹だ」
雨上がりの空には見事な虹がアーチを描いている。
だけどそれを見上げるアーロンの顔こそが、ジェクトにはどうしようもなく愛しいものに見えた。