【ジェリーフィッシュが解ける頃】Ⅶ 某所、某マンション二十二時五十分—
訪問者を知らせるインターフォンの音にリビングのソファに座って本を読んでいたアルミンはふっと顔を上げると玄関のほうへ視線を向けた後、時刻を確認した。
こんな時間に誰だろう…と小さな不安を持ちながら本にしおりを挟んで置くと静かに玄関へと向かいカメラ映像を確認すれば扉の前に一人、ぽつんと立ち尽くしている人物の姿にアルミンはすぐにそれが誰だかわかり玄関の扉を開けた。
「エレン」
名前を呼べば床に落としていた視線がゆらりと上がって
「悪い、こんな時間に、連絡もしないで」
「一体どうしたの?とりあえず入って」
促されるままに玄関へと入ったエレンを見やりつつ扉を閉めて鍵をかけるとアルミンは改めてエレンを見た。
「何かあったの?」
ぼんやりとした表情のまま動かないエレンにアルミンは戸惑いながらもその姿に既視感を覚えて
「とりあえず上がりなよ。何か飲む?」
「アルミン」
「ん?」
「今日、泊めてくんないか」
「え、」
突然の言葉にさすがに戸惑っているとエレンは「ごめん」と呟いて
「なんか、家に帰ってひとりでいたくなくて廊下で寝かせてもらえれば、ここでもいい」
「いや何言ってるの、とりあえずここで話をするよりも上がって。コーヒー淹れるよ。飲みながら話を聞かせてくれ」
アルミンはそう言うとエレンに靴を脱ぐように伝えて自身が先に廊下を進むようにして中に誘導すればエレンはのろのろとついて行きリビングのソファにぽすんと座った。
「コーヒーって言ったけどこの時間に飲んだら眠れなくなっちゃうね」
アルミンはキッチンへ行きながらエレンに声をかけ棚からカップをふたつ取り出す。
「いやそれでいい。とびっきり苦いの入れてくれ」
そう言って背中を丸くしているエレンの後姿に、アルミンはいくつかの予想を立てながら飲み物を入れたマグカップを電子レンジにつっこんだ。
「はい、どうぞ」
「…なんだよこれ」
受け取ったマグカップの中身を見てエレンは眉をひそめるように動かした。
「ホットミルクだよ。体があったまって気持ちが落ち着く砂糖入り」
「ガキかよオレは」
「おいしいよ。時々飲んでベッドに入るとぐっすり眠れる」
アルミンはそう言うと自分用のカップを持ったままリビングテーブルのサイドに置いてある一人用ソファに座った。
「…ありがとな」
「どういたしまして」
小言のようなことを言いながらもきちんとお礼を伝えるエレンの、そんな生真面目な所にアルミンは微笑むとカップにゆっくりと口をつけながらエレンの様子を見た。
しばらく湯気が漂うミルクを眺めていたがひと口飲むと安心したかのように深い息をはいて
「うまいな」
「でしょ?」
もうひと口飲んで先程よりも静かに息をはくエレンにアルミンは「それで」と声をかけた。
「これは僕のあくまで予想なんだけど、君が今ここに来たのってもしかしてLさんの事?」
その言葉に驚いた表情を見せたエレンに当たりかとアルミンは内心思った。
「なんでそう思った?」
「君がさっき現れた時の状態、既視感があると思って。なんだったっけかなぁって記憶をたどっていったら思い出したんだ。前に一緒に講義受けてた時に似たような状態になってたなって。その時もLさんの事だったからもしかしてと思ったわけ」
アルミンの言葉を聞いてエレンは「はは…」と力なく笑うと
「すげぇな、お前」
「そんな事ないよ」
そう返してアルミンが黙れば室内は静かになる。カップに口をつけホットミルクを飲むエレンの喉がごくっとなるのが聞こえるほどに
「名前、わかったよ」
不意にそう言ったエレンにアルミンは視線を向ける。
「Lさんの名前?」
「あぁ」
アルミンはテーブルにカップを置きながら
「えっと、聞いてもいいかな?」
恐る恐るそう聞いてみればエレンはテーブルのどこを見るでもない視線のまま
「リヴァイ、って名前だった」
エレンの言葉にアルミンはぐっと拳をつくる。
「………アルミン?」
反応の無い相手にエレンは視線を向ければ難しい顔をして黙っているアルミンに怪訝な表情を見せて
「どうしたお前?」
「…え?あ、あぁごめん」
視線に気づいたアルミンは慌ててそう言うと誤魔化すように笑いながらテーブルに置いたカップを手に取ってミルクをひと口、勢いよく口に入れてしまったので舌先を軽くやけどしてしまった。
「教えてもらったんだね、名前」
「いや教えてもらっては無いんだけど」
「調べたの?」
「知ってる人が呼んでるの聞いて」
「あぁ、なるほど」
「なぁアルミン」
「ん?」
「実はさっきまでリヴァイさん家にいたんだけど」
「はいッ!?」
急なお知らせにアルミンは思わず大きな声を出し持っていたマグカップが揺れ中身のミルクがぽたっとズボンに落ちて染みた。
「あ、っつ」
「大丈夫かよ」
「わ、わ…大丈夫、ちょごめん」
アルミンは慌てたようにテーブルにカップを置くとキッチンへ行きふきんを手に、ズボンの濡れた部分を叩くように当てながら戻ってくると他にこぼれたところはないか確かめながら
「足大丈夫か」
「大丈夫、実際はそんなに熱くなかったから。なんかあぁいう時ってつい条件反射みたいにあつって言っちゃうよね」
アルミンはそう言いながらはははと笑ってカップの底とテーブルを拭いていく。
「ごめんね。せっかく君の話を聞いてたのに」
「いや、そんなん気にするな」
ふるふると首を振りながらエレンは大丈夫そうだなと確認すると顔を正面に戻した。
「ふきん洗ってくるね」
そう言ってリビングを離れていくアルミンの足音を聞きながらエレンは手に持っているカップを静かに口をつける。
伝わった温度に不意に頭の中に浮かんだ映像に意識が流れて
「エレンッ」
「え?」
ぱしっと手を掴まれ見れば落としそうになっていたマグカップをアルミンが支えていて
「うわ、わりッ」
「いやギリギリセーフだよ」
安心したようにふぅと息を吐きながらカップをテーブルに置くと
「僕より盛大にこぼす所だったよ」
「ごめん」
謝りながらもどこか心ここにあらずな様子にアルミンは心配そうにエレンを見ながら座りなおすと咳ばらいをひとつして
「リヴァイさん家にいたって、さっき言ってたけど」
「あぁ…誘われて」
「知らない間にその、親交があったんだね」
「いや、この間一緒に飯食って以来だから」
ねぇ、だから展開がわかんないんだよッなんで三度目で相手の家に行くんだよッ
アルミンは叫びそうな衝動をぐっと抑えて「ぐッ」と唸りながら自分の腿を手のひらですぱーんと叩いた。
「どうした」
「なんでも、痛感療養だよ」
「??そんなんあんのか」
「そんな事よりもッえっと、ちょっと今の所までの情報を整理させてもらっていかな。えーとエレン、君は三度目の再開を果たしたLさんの名前を知って、それでその、リヴァイさんの家に今日行って、そして今僕の家に来たと」
「あぁ」
「えっと何か、あったの?そのひとりでいたくないみたいな事言ってたよね?」
アルミンは興味と不安の板挟みのような感情でエレンに聞いてみれば相手はマグカップに口をつけてぼんやりとした表情のまま
「……アルミン、これってなんなんだろうな」
「何がだい?」
エレンはカップをテーブルに置くと静かに揺れて止まる液体を見つめながら
「オレ、なんであの人の事こんなに気になるんだろう」
独り言のように呟いてそのまま膝を抱える様にソファの上で丸まってしまったエレンにアルミンはなんと声を掛けていいのか見つからず
「……エレンは、」
その感情は、どういう感情なのと聞こうとして先に自分が言葉にしてしまったらそれにとらわれてれてしまうのではないだろうかと思いアルミンはぐっと唇を閉じた後
「そのリヴァイさんに会ってみたいな、僕」
アルミンの言葉にエレンは顔だけ横に動かしてアルミンを見ると
「前も言ってたな」
「ダメかな?連絡先の交換とかしたの?」
「一応、でもあの人の許可なく教えられない」
「それはもちろん。僕もそこまでは」
アルミンはぶんぶんと首を振りながらそう言うと
「一目、見るだけでもいいんだけど」
「お前がそんなに興味持つなんて」
エレンの視線がじとりとしたものに変わったような気がしてアルミンは変に勘繰られているかもしれないと思い必死に脳内をフル回転させながら
「君がそんな風になるなんてさ。友人としてすごく気になるんだよッ単純に!どんな人なのか見てみたいなぁって言うかさ。今日ここに泊める見返りって言ったらなんだけど、そのくらいはいいんじゃないかなぁ」
そう言ってあははははと他意は無いんだよというように見せてみればエレンの瞳からじとりとしたものはゆっくり消えて
「……お前のいう事もわかるけど、俺からは連絡できない」
膝を抱えそこに自分の顔を乗せるようにしているエレンの視線が落ちるように彷徨って
「それって、どういう意味?」
アルミンのシンプルな問いかけにエレンは先程リヴァイに対して行った行為を思い出す。
「見たいだけなら、行きつけのパン屋がある。そこで見れると思う」
「パン屋…前に話してたねそこで出会ったって―」
話していた最中、突然ぐぅぅぅぅという音が室内に鳴り響きアルミンはぴょんと跳ねるように反応して
「何、今の」
「ごめん、オレの腹の音」
そう言ってエレンは恥ずかしそうに顔を膝に隠すと
「夕飯何も食ってねぇんだ」
*****
「帰ってきたんだな」
某月某日―午後十八時
パン屋の扉を開けて聞こえた声にリヴァイは少し安心したように息を吐いた後、締まる扉の音を確認してレジにいるペトラに近寄って声をかけた。
「はい。二日前に旅行から帰ってまいりましたッ」
溌溂とした表情と満足げな笑顔で自分を出迎えたペトラを見ながら良い旅行だったらしいとすぐに想像がついた。
「エルドから端的に話は聞いた」
「らしいですね、帰ってきたら釘指されましたよ」
そう言った後ペトラは険しい顔つきをつくって見せエルドの真似をしながら「お前、リヴァイさんが話振ってきたからって押し付けみたいに話すなよ」
「似てるようで似てねぇな」
「お兄ちゃんに言われなくても私だって一応その辺はわきまえてますッ」
「だな、チケット取れなくて落ち込んでてもそれを見せずに仕事してたって聞いたよ」
「そんあ事まで話してたんですかッ?」
リヴァイの言葉にペトラは少し恥ずかしそうに「もうお兄ちゃんてば」と言って頬を膨らました。
「えらいな、お前はなんだかんだで真面目にきっちり仕事をこなすから息抜きできる時はしっかりと―」
そこまで言ってリヴァイは、はっとしたように顔を上げて
話を聞いていたペトラはどうしたんだろうと小さく首を傾げていると
「すまない、えらそうな物言いをしてしまった」
「へ?いやいや全然ッ嬉しいですよ。真面目に頑張ってるって言われて嬉しいですよ。えらそうだなんて、どんどん褒めてください!」
そう言ってにこりと笑って見せるペトラにリヴァイもうっすらと笑みを見せた。
「お買い上げありがとうございます」
商品の入った紙袋を受け取った後
「また、機会があればお前の推し?とかいう奴の話を聞かせてくれ」
そう言ってきたリヴァイにきょとんとした表情をペトラは見せたがすぐにその顔がにこりとした笑みに代わって
「そんな気軽に聞いてきたらきっと後悔しちゃいますよ」
そう言ってふっふっふと不敵な笑みを見せるペトラにリヴァイは「お、おぉ」となんとも言えない感覚を背中に感じながら店を出た。
扉が閉まり、外の空気がリヴァイの頬に当たる。
夕日がビルをオレンジに染めている様子を眩しく眺め、今日は随分と色が濃いななんて思っていた時だった。
「すいません」
目の端に見えた人影と届いた声にリヴァイは顔を向けて見れば
「こんにちは」
そう言って自分に挨拶をしてきた人物にリヴァイはなんと返せばいいのかすぐに思いつかず黙っていると相手はそんな雰囲気を感じたように小さく微笑んで
「お久しぶりです。兵長」
その言葉にはっとしたような表情をリヴァイはした後そうかと心の内で呟いて
「久しぶりだな、アルミン」
そう答えれば声を掛けてきた相手―アルミン・アルレルトはリヴァイに向けて小さく頭を下げた。
*****
「すいません、おごっていただいて」
「かまわない、本当はどこか店に入って話ができればよかったんだが」
互いに改めて短い挨拶を済ました後アルミンから少し時間をもらいたいとの申し出を受けてリヴァイがそれじゃあと提案を出す前に
「少し歩くんですけれどよく行く公園があるんです。そこでお話しませんか?」
「公園、なのかここは?」
「一応ブランコと滑り台があるので僕は公園と呼んでます」
入口の前でアルミンとリヴァイは並ぶように立って、更地のような場所にあるブランコとその後ろ斜めにあるすべり台をそれぞれに見ながら
「よく来るのか?」
「時々」
「こんな所があるとは今まで知らなかった」
「通らない道はあるなって認識はしてても通らないですもんね、僕もたまたま見つけて何度か来てるんですがここに人がいる事っていまだに無くてひとりになれる場所としてちょうどいいんです」
喋りながらアルミンは公園の中へ入って行きブランコへと向かうとふたつ並んでいる座面のひとつに座り、リヴァイに隣に座るよう促した。
「そんな場所に俺を連れてきて良かったのか?」
そう問いかけながらリヴァイはアルミンの隣に座る。
ブランコに乗るなんていつぶりだろうかなんてぼんやり思いながら自分の体重がかかってブランコからキィと小さく軋むような音がした。
「かまいませんよ」
笑みを見せて答えアルミンは小さくブランコを揺らした。
「ブランコなんて乗ったのは何年ぶりだか」
そう呟くリヴァイにアルミンは思わずといった様子でふふっと笑みをこぼせばその音になんだ?という表情で自分に視線を向けてきたリヴァイに「すいません」と前置くと
「なんだか兵長がブランコに乗ってる姿が想像つかないなぁって思ってしまって」
そもそも子供の兵長って言うのが想像できないなぁなんてアルミンが思っていると
「ガキの頃、母親が良く連れて行ってくれた」
「そうなんですか」
「目一杯漕いだら体が一瞬ふわっと浮くだろう」
「あぁわかります。あの臓器が浮遊する感覚ですよね」
「あの感覚が立体機動で移動していた時と似ていると思ったらあまり無茶して漕ぐことは無くなったな」
リヴァイの言葉にアルミンは小さく驚いたようにすっと息を吸うと
「兵長は、その、いくつの頃から記憶が?」
「五歳の時だ。誕生日を迎えた日の翌日起きたら記憶があった」
「五歳…」
アルミンはその年齢であの頃の記憶を持つ事を想像してみたがよくわからなかった。
ただ背中が妙に震えるような感覚に体がつられて震えそうになった。
「そういうお前は?生まれた瞬間からってわけじゃあ無さそうだがいくつの時に記憶が?」
「僕は中学二年の時に。日曜日で自分の部屋にいた時でした。何故そのタイミングで戻ったのかわかりませんが本当にふとした瞬間に」
その時の事を思い出してアルミンは静かに目を閉じゆっくり開ける。
「最初はパニックになって部屋でひとり大騒ぎしてしまったので両親が驚いちゃって」
「まぁ急にまったく違う時代、土地、環境の記憶が頭の中に入ってくるんだ。お前の場合は意識がある時にだろう?大変だったな」
「兵長だって、五歳で記憶が戻るなんてそれこそ理解できなかったんじゃないですか?」
「俺は……そうだな。衝撃過ぎて逆に冷静というか」
リヴァイも当時を思い出す。薄暗い空間の中でベッドから半身を起こしてどのくらいそのまま動かずにいたか
いろんな感情が頭から足まで巡る感覚、毛布のかかった足だけがやけに温かく起き上がった半身が暗闇独特の冷たい空気に包まれていく。
「自分の手を見てちいせぇ手だなって思ったよ」
ガキの手だ。そうか、俺はこれから生きていくんだなとどこか他人事の様に思いながら
自然と口から名前がこぼれた―
「今日俺に声をかけてきたのはエレンの事か」
そう聞いてきたリヴァイにアルミンはさすがは兵長だと思いながら
「よくわかりましたね」
「お前とエレンが出会ってないなんて事は無いと思ってな」
「仰る通り、エレンとは高校時代からの付き合いになります。ちなみにミカサもいます」
そう言うとリヴァイの目が開いて「そうか」と静かに言った後
「お前ら三人、一緒にいれてるんだな」
どこか安心したような嬉しそうにも見える表情でそう言うリヴァイにアルミンは買ってもらった缶コーヒーを握りしめる。
「エレンと出会ったのは高校の時です。同じクラスになりました。見つけた時は思わず駆け寄って声を掛けたけど彼の反応ですぐに記憶は無いんだとわかりました」
「そうか…あいつ、ミカサはどうなんだ?」
「持ってます。彼女も中学二年の時に戻ったみたいで、先にエレンに会ったのは僕のほうだったので急いでミカサに伝えに行きました。何も知らないで彼に出会ったら入学早々大騒ぎしちゃうと思って」
そう言ってちょっと困ったような笑顔を見せた後、ふっと昔を思い出すように視線を流して
「ショックを受けてるようでしたけど、僕の言葉よりも実際にエレンと出会ってのショックのほうがやっぱり彼女にとっては大きいものだったみたいで」
自分と二人きりになった瞬間泣き出してしまった彼女の背中を優しくさする事しかできない自分
記憶が無くたって僕達は良い友人になれるはずだと、根拠も無いのに励ましながら
そんな自分にありがとうと涙を拭ってもう平気だと笑みを見せるミカサを見て
「兵長は記憶の無いエレンに出会ってどう思いました?」
「どうって」
「僕はね、少しむかついたんですよ。何も憶えていないエレンに。僕やミカサを見ても表情を変えないその姿に」
アルミンの言葉にリヴァイはなんと言えばいいのか言葉が見つからなかった。
それはとても自分勝手な言葉だと、されど自分自身も同じような感情を持った。
どうして憶えていない
どうして俺を見ても思い出さない
どうして何も
どうして
「その感情が独りよがりなものだと自分の中で落ち着かせるまでは正直結構きつい所があったんですが、なんていうか責めたってしょうがないんですよね。こればっかりは」
「お前は強いな」
「兵長からそう言ってもらえるなんて、でもそうやって自分の感情に折り合いをつけていっただけですよ。あとそう思えたのは他に記憶を持ってない仲間に会ったからっていうのもありますし」
「他の奴もいるのか」
「実は高校二年の時にジャンが転校してきて」
「そうなのか、あいつも大学に?」
「僕達とは違う大学ですが良く会います。彼も記憶を持ってないんです」
「そうか」
「僕にとってはぶっちゃけエレンより彼の、ジャンの存在が大きかったかもしれないですね。あ、僕今ジャンと付き合ってるんですけど」
「………は…はッ!??」
二度見するようにアルミンの言葉に驚きの反応を返した兵長を見ながら
どんどん見た事の無い兵長の表情を見れているのは実に新鮮だな、とアルミンは思いながら
「え、今ジャンと付き合ってるって」
「はい、恋人なんです」
「あ、そうなのか、え?昔からお前達―」
「いえ、前世の時はまったく。、まぁ僕は当時から好きでしたけど」
さらっと自分の恋心について言うアルミンにリヴァイはため息のような声をこぼして
「転校してきたのがジャンだと知った時はびっくりしました。違うクラスに入ったのですぐに会いに行ったんですけど、目が合った瞬間わかりました。エレンと同じだったんで。自分では動揺をうまく隠してたつもりだったんですが後からミカサにすごく狼狽えてたって言われちゃって」
そう言ってはは、と短い笑いをした後ふっと瞳に影を落として
「神様なんて信じてないと思ってましたけど、だからこそ文句のひとつでも言いたい気分になった後ふと思いました。されど運命は僕と彼を出会わせてくれた、と」
アルミンの言葉にリヴァイが視線を向ければ瞳から影は消えていて
「記憶がある無し関係なく僕は彼が好きだと素直に思えた。だったらこの時代では自分の気持ちに正直に生きていきたいと思ったんです。だってそうでしょう?あの時代では自分の思うがままに生きるなんてできなかった。誰もが自由を求めて、自由になりたいが故に戦っていた。でもこの時代はそんな事しなくてもいい。僕らはしがらみはあれど、あの時よりもうんと自由だ」
アルミンはそう言って立ち上がると
「せっかく手に入れる事ができた自由を、自分の意志で決めれる人生を、謳歌しないで何が悪いッ!」
感情のままに叫んだアルミンにリヴァイは驚いた表情のまま見上げるように見つめて
そんなリヴァイの視線に我に返ったアルミンは急に恥ずかしくなって「すいません」と慌てたように謝るとブランコに座りなおした。
「……やっぱりお前は強いな」
「貴方だって」
「俺の強さは腕っぷしでどうにかなってた強さだ。それは今の時代では通用しない」
「諦めるんですか?」
アルミンの問いかけに、それが何に対して聞いているのかすぐにわかって目を閉じる。
「お前はどうして俺に会いに来た?」
「エレンの話す相手が純粋に気になって、聞けば聞く程貴方を予想させるなと思ったので」
「そうか」
「それと友人の恋の手助けになればと」
そう言われリヴァイは目を見開いてアルミンを見る。
「エレンはきちんと自覚してないみたいなので何も言ってませんけど、もし貴方に記憶があったら貴方は自分自身の気持ちを自覚してるだろうと思ったので」
「随分と踏み込んでくるんだな」
「エレンは僕の大切な友達ですから、今も昔も」
そう言って微笑むアルミンにリヴァイは少し羨ましいと思いながら目を伏せる。
「俺はな、全部の記憶を持ってるわけじゃないんだ。いまだに夢の様に昔の記憶を思い出す時がある」
稀な話だがなと言いながらリヴァイは冷め始めた缶コーヒーのタブを開けるとひと口ぐいっと飲んだ。
「あいつが離れて行ってしまったら今の俺はきっと立ち直れない」
「兵長—」
「俺はもう、お前たちの兵長でもなんでも無い。ただの会社員なんだ」
そう言ってリヴァイは缶コーヒーを握っている自分の手を見る。少し乾燥した指先に五歳の時の指先が一瞬重なるように見えた。
カーテンの隙間から雲に隠れていた月が顔を出して光る中、次々と蘇る記憶の波の中たくさんの名前を声に出した。
森の中で、壁の中で、晴れの中、雨の中、霧の中、仲間を助ける中、戦いの中、作戦の中、
誰に伝えるでもない、これは自分の為、たくさんの名前を囁くように音にして小さな手のひらの中で大事に抱えていった。
最後に囁いた名前の後涙が流れて頬を伝った。月が見ていると思って光から逃げるようにシーツの中に潜って丸まって
こぼしてしまわないようにと握りしめる手の小ささに子供らしからぬ悪態をひとつ吐いた。
「結局俺は、この手の中に納まるほどのものしか持てない人間なんだ」
リヴァイはそう言って立ち上がる。
アルミンもつられるように勢いよくブランコから立ち上がればガシャンと揺れる音を立てて
静かに自分へと向き直るリヴァイにアルミンは緊張で体が強張った。
「今日は、わざわざありがとうな」
思ってもみない言葉を投げかけられ拍子抜けしているとそのままリヴァイが帰るように背中を向けたので思わず引き留めるように声を出した。
「あ、あの兵長」
「その呼び方、次に会う時は名前で呼ぶようにしてくれ。あだ名という事にしても少し恥ずかしい」
振り返って困ったような笑みを見せるリヴァイに戸惑っていると
「お前と話ができて良かった。今日はこれで帰るよ」
「あ、あの、僕もッ急にすいませんでした。今度はもっとちゃんと話せれば嬉しいです」
アルミンの言葉に背中を向けたまままだ半端に残っている缶コーヒーを顔の横まで上げて揺らして見せて
そのまま公園から去っていったリヴァイにアルミンは脱力するようにブランコにもう一度座り込むと地面を蹴って
「早とちりしたって事になりませんように」
そうひとり呟くとぎゅっと願いを込めるように目を閉じてしばらくブランコを揺らしてから帰宅の途についたのだった。