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    あめくもふたり展示/小説

    はるさがし ああ、ここにもない。

     村雲江は幾度目かの失望を肩に乗せて、何も買わずにしおしお店を出た。こんなに見付からないものだとは思わなかった。

     人の世は風の匂いよりも早く季節を移してゆく。まだ寒さも緩み切っていないというのに、街行く人たちの服の色は明るくなり、商店はこぞって春一番ですという顔で新商品を売り出す。まだ冬だよ、と悪態をつきながら、村雲もまた春に踊らされている。
     今日から発売予定の、コンビニエンスストアの新商品。染井吉野よりも一月も早く咲く、満開の桜を模した洋菓子を、たまたま広告を目にしたらしい五月雨が「美しい季語ですね」と話していたから。その彼は数日前から遠征に出ていて、帰還予定が今日の昼過ぎで。疲れて帰ってきた彼に、その季語を差し出せたらきっとすごく喜んでくれる。だから、割り当てられた内番を高速で片付けて、財布片手に店舗に飛び込んで――何の成果も得られないまま、徒労感だけが伸し掛かってくる。
     本当は別のものだって良いのだと思う。この時季はどこもかしこも桜で溢れている。この桜は良いけれどこの桜は駄目ですねなんてこと、雨さんは絶対に言わない。でも諦めの悪い村雲は、端末を叩いて近くの店舗を検索してしまう。最初の店で売切れていた時点で、あと一店舗行って見付からなかったら諦めようと思ったはずなのに、その決意を何度も裏切って。
    「……よし」
     かなり歩くが、今まで回った店よりも人気がなさそうな店舗がある。ここなら手に入るかもしれない。ここが駄目だったら今度こそ諦めよう。素知らぬ顔で、桜餅でも買って帰ろう。菓子ひとつのために何店舗も巡っていたなんて、自分の弱い腹の底に収めて。


    「あ……!」
     今までの店よりも客の少ない店内、スイーツの冷蔵棚には探し求めていた鮮やかな桜色がふたつ咲いていた。ただ、その花は。
    「はい?」
     一足先に、手折られてしまった。村雲の声に振り返った彼の目に宿る戸惑いに、慌てて両手を振る。
    「ああ、いや、ごめん。なんでも、ない、です」
     何でもなくはない。なくはない、が。両手に桜を携えたそのひとの邪魔をするわけには、いかなくて。別本丸とはいえ、彼もまた――季語を愛する、五月雨江だ。
    「もしや、貴方もこれをお探しでしたか」
    「ええと、まあ。でもいいんだ。そんなに欲しいわけでもなかったし。うん、別のにするから気にしないで」
     目を逸らして、棚を眺めているふりをする。ちりちりと横顔に視線を感じて、目が滑っていく。それなりに慣れたはずの横文字の意味が上手く繋がらない。
    「雲さん」
     低く、落ち着いた声。その声で、彼しか使わない呼称で。呼ばれると、村雲は抗えない。
    「……はい」
     観念して振り返った村雲のすぐ目の前で、桜が咲いていた。
    「よろしければおひとつどうぞ」
    「……いいの?」
    「はい。半分こ、です」
     いとけない語彙と共に恭しく差し出されたカップを、落とさないようにそっと受け取る。いいのかな。ふたつ買いたかったんじゃないかな。でも。目の前で微笑むひとの顔に、笑ってほしいひとの顔が重なる。雨さんに、喜んでもらえる。
    「ありがとう、雨さん!」
    「どういたしまして。美しい季語ですね」
    「へへ、うちの雨さんと同じこと言うね」
     どこの五月雨も季節の移ろいを愛しているのだと思うと嬉しくなる。尻尾を振って、手の平の中の小さな春を愛でる。春だ。春。村雲にとっての、初めての春。
    「俺、去年の夏に顕現したから、春は初めて」
    「おや、では私と同じですね。私も名前の通り去年の五月雨の季節に顕現したので、この身で春を感じるのは初めてです。写真や句を通しては知っていても、やはり違いますね。つい浮かれてしまって……ほら」
     そう言って、肩に掛けていた鞄の中身を見せてくれる。そこには春が溢れていた。大事そうに仕舞われた、春色の菓子や雑貨。「私の本丸では誉を十取ると褒美がいただけるのですよ」と得意げに言う、彼の集めた春。きっとこれから時間を掛けて味わって、愛でて、美しい句にしていくのだろう。
     聞かせてほしいな、と思うと同時に、彼が句を聞かせたいと思うのが俺じゃないといいなと思う。

    ――俺じゃない、村雲だといいな。

    「うちの雲さんと半分こするんです」
     村雲の心の声が漏れていたわけではないだろうが、五月雨がそう言って微笑んだ。あんまりにも嬉しそうで、釣られてしまう。
    「そっか。俺も、これ。うちの雨さんと半分こするよ」
    「はい。とても喜ぶと思います」
     会計を済ませて、並んで店を出る。外に出るとやっぱり空気はまだ冬と呼んで差支えのない冷たさだったけれど、目的のものを手に入れられた村雲は調子よく早春の風だと思う。
    「じゃあね、雨さん」
    「さようなら、雲さん」
     それだけを言って、笑顔で手を振って別れる。本丸の在所も連絡先も何も知らない、特別目立つ特徴を持つわけでもない。数多の五月雨江と村雲江に紛れて、もしもどこかで再会してもお互いにきっとわからない。
     でも帰る場所も待っているひとも持っている俺たちは、それを寂しいとは言わないのだ。


     息せき切って駆け込んだ自室では、既にすっかり戦装束を解いて落ち着いた様子の五月雨が茶を啜っていた。勢いよく飛び込んできた村雲に、「おや雲さん」と微笑む。
    「おかえりなさい」
    「た、ただいま……雨さんも、おかえり」
    「はい、ただいま戻りました。随分息を切らしていますね。お茶を淹れましょうか」
    「お願いします……の、前に。雨さん、これ」
     振り回さないように大事に胸で抱え込んでいた菓子を袋ごと差し出す。なんでしょう、と小首を傾げた五月雨の顔が、袋の中身を確認した瞬間に花のように綻んだ。
    「ああ、これは。美しい、季語ですね。ありがとうございます、雲さん」
    「うん」
    「私が以前話していたのを覚えていてくださったんですね」
    「うん。たまたま見掛けたから。雨さんに」
     嬉しい。喜んでくれたのも嬉しいし、五月雨もまた自分と交わした会話を覚えてくれたのが嬉しい。ぶんぶん尻尾を振りながら、手の上に乗せた季語を愛でている五月雨をじっと見つめていたら、不意に彼が何かに気付いたように用済みの袋に手を入れた。その指先につままれているのは。
    「随分遠くまで買い物に行かれたんですね」
    「え」
    「れしーとが」
    「あ!」
     袋に突っ込んでそのままになっていた小さな紙片を、彼の手から奪い取って握り潰した。こういうところで詰めが甘いから、今一つ自分は格好がつかないのだ。
    「……へへ」
     誤魔化し笑いも格好悪い。いっそ開き直って、「雨さんにあげたくて何軒も回って探したんだよ! 褒めて!」と可愛げ全振りで言える性格ならよかった。ちょっとお腹が痛くなってきた。
    「お散歩に行っていたのですか?」
    「う、うん。楽しかったよ」
    「そうですか。今度は私も連れていってくださいね」
     でもその痛みも、全部わかった顔で誤魔化されてくれる五月雨のおかげですぐに治まった。優しい彼は、村雲の見栄を暴かない。
     茶の支度をする五月雨の横顔に滲む浮かれた気配に、へへとまた口元が緩む。このひとに春を差し出すのが自分であることがこんなに嬉しい。きっと春の喜びに溢れた句を詠んでくれることが嬉しい。

     彼が去年の春詠んだという句を見せてもらったことがある。句帳ではなく、写真の貼り付けられたアルバムに添えられたそれらの句は、美しいけれどどこか寂し気だった。その印象をそのまま五月雨に伝えると、彼は気を悪くした様子もなく「寂しかったので」と告げた。「春が美しければ美しいほど、私たちは寂しかったのですよ」
     その寂しさを五月雨は句にしたため、そして同じように寂しい写真を撮っていたひとと一緒に美しくて寂しい句集を作った。
     世界で二冊しかないその句集の片割れを持つひととは、春の終わりに別れてそれっきりだという。

     どうぞ、と差し出された茶の上で、静かに湯気が揺らめく。桃色の花が咲く村雲の湯呑みも、満たされた明るい色の緑茶も、昨日となんら変わることがないのにやっぱり今日の村雲は春だと思う。美しく、優しく、暖かで――彼も自分も寂しくない、春。
    「一緒に食べましょう、雲さん」
     彼が今年初めて詠んだ春の句は、春を分け合うひとが隣に在る幸福を謳っていた。
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