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    renpihanemui

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    おおてんたとそはやのけいじょうについて

    おおてんたとそはやのけいじょうについて個人的なメモ個人的にもしかしたら?って思った事です。専門家ではないので間違った事言ってるかもしれませんので話半分に聞いてください。

    大典太とソハヤの鋒と反りと樋についてちょっと色々考えてた事。
    大典太の形状がああなったのって来寇による影響が大きいんじゃないかって何度か言ってますけど、鎌倉期にも身幅広くて樋が通ってて猪首鋒って刀の系統もあるんですよね。やっぱり来寇だったりアグレッシブ鎌倉武士の需要によるものなのかと思うんですが、おそらく現存刀は磨り上げられているものが多く刀身はもっと長いのが本来。
    で大典太。九州北部は古くは奈良時代から来寇の矢面に立たされてきた地方な訳で、大典太が作られたとされる平安後期に先述の鎌倉期の進化の先取りをした+独自の進化をした可能性もあるのかな?と。
    何て言うか斬撃と刺突の両方の性能を兼ね備えた刀身ではないかと思ったんです。
    猪首鋒と言うのは「突く」のに向いた鋒だそうです。そして幅広の樋がある。樋は血流しや軽量化など色んな説がありますが以前、槍の説明か何かで肉を突いた時に抜けなくなるのを防ぐため、と言う説も見ました。刀身をひねる事によって空気が入り抜けやすくなる。先幅が太い事は刺突の衝撃に耐えるため、とか?
    深い反りは斬撃にとって必要なものだし、先幅の太さは短い刀身でも重心が先に来て馬上でも徒歩でも威力が増す。刀身が短いのは徒歩戦・船上戦への対応なんでしょうか。
    平安後期~鎌倉期の武士の装備は大鎧、つまり重装弓騎兵の形態ですが、来寇のモンゴル兵などは軽装騎兵でしかも船で来ているので馬を伴っているかは不明。なので近接戦闘の為の打刀的な長さが求められたのかもしれない。
    実際に大典太が使われたかどうかは別として(2019年に本身を見た個人的な感想としては使用された感はあるように思います。少なくともソハヤよりは…ソハヤはすごく健全ぽい)そう言った刀身が当時の筑後で必要とされたのかもな…と言うあくまで個人の妄想です。

    以下(2021/9/28追記)
    例えばなんですけど元寇って言うと神風じゃないですか…それ以前の来寇時にもそう言った自然現象に助けられた事例があったかもしれませんよね…そうして外敵を退けた際に大将の手にあったとしたらその剣は神威を帯びませんかね? 
    そこまで直接的ではなくても前の戦で大風が吹いて敵が逃げた。あの刀工の刀は縁起がいい!って感じで箔がついたりとか。
    筑後鍛冶筆頭とされた刀派の祖が傑作。ついでにそんな「逸話」まで付随したとなれば所有者であった筑後の豪族が中央(鎌倉幕府)に献上したとしてもおかしくはないのではないか。
    そして献上するにあたってその刀派の後代にこれと対を為す刀を打ってくれと依頼があったとしたら。あの二振りが刀派の特徴を差し引いても似過ぎている理由にならないかな~と思ったのでした。(妄想です)

    つづく
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