寒波到来、この辺りにも雪が降り始めている。今晩は室内にいても凍えるほど寒い。だが一人暮らしの良守は節約するためなるべく暖房器具を使用したくなかった。親の仕送りを無駄遣いしたくないからだ。もちろん自身でもアルバイトをしているのでその金を宛てがうこともできる。でも今月はダメだ。12月24日、兄の正守がこの家に来る。理由は聞いてない。でもわざわざクリスマスイブに約束を取り付けてきたんだから、それってつまりそういうことだろう。良守は正守を愛している。正守も良守を…恐らく愛してる。断言はできない。イマイチ掴みどころのない男だから。しかし、一人暮らしを始めてから正守は何かと良守を気にかけるようになった。実家で暮らしていたときは年単位で会うことがなかったのに、今や月一程度には顔を見せあっている。何がどうしてこうなった?初めこそ困惑したが、正守と過ごす時間は存外楽しいものだった。突然ピザを一緒に食べようと言って家にきたり、成人したときには酒を持ってきて朝まで酒盛りをした。思い返せば正守は唐突に連絡を寄越してやってくる。そうして毎回良守を振り回しては満足そうに笑っていた。だけど良守が嫌がるようなことはしない。むしろ今までやれなかったけれど、やってみたかったことを叶えてくれているような気さえした。それは良守の思い上がりかもしれないが、しかし良守の中で正守は完璧でいけ好かない兄ではなくなっている。というか正守は全然完璧なんかじゃなかった。酒が好きなくせにすぐ酔って眠ってしまうし、ケーキは盗み食いするし、課題をして構わないと拗ねる。この部屋にいるときの正守はまるで子供みたいで、だから説教好きでジジくさい兄のイメージは簡単に崩れた。いつの間にかいけ好かないと思っていた兄との関係は、気の知れた良き友のようなものへと変わっていった。実家ではないからだろうか。二人きりで過ごしていくうちお互いに妙な意地を張るのをやめた。そのうち不思議と2人を取り巻く据たちの角は丸くなり、隣にいる時間がなにより愛おしく思えて…何気なく無言で見つめあったときキスをしてしまった。
魔が差したのだ。有り得ないことに男同士で、というか血の繋がった兄弟でキスをするなんて。しかも舌を絡めあってしまった。そんなの事故では済まされない。本気で相手に欲を抱いてしまった。
その日以降、キス以上の関係も持つことになる。そうするのが自然に思えたのだ。もちろん、この関係に名前は無い。くだらない事を駄べり、飯を食らい、体を繋げる。家族と愛し合うことに罪は無い、子供ができるわけでもない、二人だけの秘密にしておけば誰も不幸にはならないだろ?そんな苦し紛れな言い訳を必死に自分へいいきかせて、今日まで生きてきた。
だから、もし他人に恋人がいるのか?と聞かれたら良守は居ないと答えるし、好きな人はいるのか?と聞かれたのなら居ると答える。きっと正守も同じだ。二人の関係を語るのには、それ以外に答えは無い。
理由はどうあれ正守が24日に良守の家へくるのなら、良守は彼をもてなしてやりたかった。ご馳走とプレゼントを用意しておきたかった。もしかすると「そういうのはやめてくれ」なんて素っ気なく言われてしまうかもしれないけれど、別にいい。良守は一人でもクリスマスを楽しむつもりだ。例え正守が乗り気じゃなくてもいい。というか期待してない。どうも正守にはロマンスがなんたるか分からない様子が垣間見えるときがある。ふわふわした夢は決して見ないし、心がツンドラ並に冷めきっている。だから良守に「好きだ」とか「愛してる」だとかを言わないのだ。良守を抱くくせに跡も形も残してくれない。
困らせてやりたい気持ち半分、楽しい時を過ごしたい気持ち半分。クリスマスなんて派手なイベントに乗っかれば、一度くらい「好き」だとか「お前が一番大事」だとか、そんな夢みたいなセリフを言ってくれたり…しないか。違う違う、だからこれは憂さ晴らし。トナカイの耳をその坊主頭に生やしてやる。せいぜい困ればいい。そんな投げやりな気持ちも芽生えてくる。
でも正守は結局家族に弱い。なんだかんだ笑って「お前はバカだなぁ」と許されてしまうのかもしれない。それはちょっとつまらない気もする。
時が流れ正守へのプレゼントを用意できても、良守は相変わらず冬の寒さに凍えていた。実家から持ってきた湯たんぽを足元に置き布団にくるまって寒さを凌ぐ。正守から12月24日に行く、そう連絡があった事が嬉しかった。当日は最大限尽くしたいからケーキを作って待っていたいから材料費のために節約を続けている。
そんな良守の努力は今、雪と共に溶けていった。
12月24日時刻は間もなく23:59。
ダイニングテーブルの上で冷めきったチキン、冷蔵庫でカチコチに凍ったショートケーキ。良守の心も寒さと不安で震え上がっている。
正守が来ない。待てど暮らせどやって来ない。
仕事が忙しいのだろうか?もしかして何か危険な目にあって来れなくなった?
分からない。連絡がつかない。電話もメールも届かない。涙が氷柱になりそうだった。床にはトナカイの角とクラッカーの大砲が転がっている。クラッカーは正守が玄関についたら鳴らそうと思っていた。そしてクラッカーにひるんだ隙をついて正守の頭にトナカイを着ける算段だった。良守がそれを笑って正守が怒って、楽しいクリスマスがはじまる。心のどこかで正守も自分と同じように、会える日を心待ちにしてくれているんじゃないかと信じていた。クリスマスにわざわざ会いに来てくれるなら、正守も良守を愛してくれているのだと思っていた。
でも違った。どんどん惨めな気持ちになっていく。一人で浮かれて何しているのだろう。良守は頭につけていたパーティー帽を乱暴に取って床に捨てる。
もういい、寝よう。明日になればこの胸の痛みも忘れられる。冬の夜は嫌いだ。寒くて嫌なことばかり考えてしまう。正守がもし別の誰かと今一緒にいたらどうしようだとか、実は正守には本命がいて良守はその保険に過ぎなかったのだとか、そんな酷いことばかり頭によぎる。
そもそも兄弟で愛し合える確率なんてほぼゼロだ。絶望的だ。きっと正守の本命相手に良守は顔や雰囲気が奇跡的に似ていて、その練習台にされていたのかもしれない。年頃の男同士、後腐れなく性欲を満たせるならいいだろ?くらいにしか思われてなくて…兄弟で本気になる?マジか。そう言って笑われて関係は正守の婚姻で終止符を打たれる。想像しただけで地獄の針に突き刺された気分だ。苦しい。悔しくて泣いても涙が止められなくなって、嗚咽を堪えるために必死で唇を噛み締めた。
ダメだ、気持ちが沈んでいる。どうかしている。こんなの普段の自分じゃない。女々しい。良守は鼻水をすすりながら布団にくるまってボーッと部屋を眺める。
寒くて情けなくて穴があったら入りたい。
もう何もしたくない。
正守なんて知らない。
目を瞑って眠って明日の朝になれば、正守とは何もなかった世界に変わっていて欲しい。
次に会った時、もし正守がなんて事ない顔で「仕事だった。悪かった」だけで済ませてきたら…?上手く怒れる気がしなかった。泣いてしまうかもしれない。正守は泣き虫が嫌いだ。これ以上嫌われたら良守は本当に消えたくなってしまう。
練習しておいた方がいいかもしれない。
良守はもはや正常な判断が出来ずに、思い立った言葉を天井に向かって叫んでいた。
「正守のぶぁぁぁぁか!!!」
ピンポーン。
「ひっ!?」
叫び声と共にインターホンが鳴ってビクッと震える。心臓に悪い。びっくりした。なんだ?こんな時間に宅配なわけない。もしかして、正守?
ガバッと起き上がって、だけど素直に駆けつけられなかった。
(アイツ合鍵持ってるんだし、放置しても別に…)
ピンポーン。
(俺、散々待たされたんだからこれくらいの意地悪許される。うん許される)
ガチャ。
鍵が回る音がした。痺れを切らして合鍵を使ったのだろう。良守は慌てて布団をかぶりなおし、寝たフリをすることにした。ドアが静かに閉まって正守が部屋に上がり込んでくる。その姿を見なくても足音で容易に兄であると確信できた。
「良守、いる?」
ダイニングテーブルにビニール袋を置く音がする。何か買ってきてくれたのかもしれない。
「なんだこれ」
囁くような笑い声が聞こえて良守は耳まで真っ赤になってしまう。やばい、チキンとかクラッカーとか仕舞うのを忘れていた。浮かれていたことがバレたのだ。最悪だ。恥ずかしくて泣きそうになる。
「寝ちゃった?」
布が擦れる音がして、正守がすぐ側にいることが分かる。心臓がバクバクうるさい。ギュッと目を瞑って寝たフリを決め込む。
「待たせて悪かったな」
知るか。謝っても許さん。
連絡しないやつなんか無視だ。
良守は完全にへそを曲げていた。だから正守がそっと良守の髪に触れるのを嫌がり、寝返りを打つ振りをして邪険にあしらう。
「普段ならまだ起きてるはずなのに…ふて寝かな」
「ふー」と耳元に吐息が当たった。
ゾクッ。鳥肌が立つ。しかし唇をかみしめて堪えた。
その瞬間、かぷっ。
「ひょわ!??」
耳を食まれ、びっくりして声を上げてしまった。
「おはよう良守」
耳を抑えて目を開けると、いつの間にか正守が良守に覆いかぶさっていた。
「あっ、あにき…」
至近距離で見つめられることに慣れていない良守は直ぐに目をそらす。正守はクスクス笑って布団についていた手を良守の顎へ添えた。
「ふて寝してた?」
「ちげぇ。明日早いから」
「そう。たっぷり寝れたか」
「ま、まぁな」
「ふーん?」
やけに楽しげな声色が怖い。まるで蜂蜜をとろかしたような甘さを孕んでいた。
なぜ上機嫌なのだ?わからない。
正守の考えることなんて良守には理解出来なかった。
ただひとつ分かるのは、そういう時は必ずろくな目に合わないということだけ…
「床に転がってたもの、見たよ」
ぎくっ。
良守にとって触れられたくない話題だ。
「ご馳走も用意してくれてたんだ?」
ぎくぎくっ。
あぁそうか。理解した。鈍い良守でも察した。
クリスマスに浮かれて正守を待っていた、この柔い気持ちを素手でツンツン弄られているのだと。
正守は良守の恥を煽ろうとしている。
そして良守は堪らない羞恥に襲われていた。
いっそ殺せ、そう思うくらいに。
「お前、可愛いな」
「うるさい!」
咄嗟に出た右フックを布団に縫い付けられ、左フックも躱されて同じように拘束される。
「本当に可愛い」
「るせぇ!バカにしやがって、クソッ」
「バカになんてしてない。好きなんだ」
「はっ?」
「ほら、そういう顔とか」
ちゅっ。軽い音がしてキスをされた。
「なんで、今ちゅーした…」
「食べてしまいたくなったから」
「こわ…」
正守はまるでお気に入りの玩具を愛でるような手つきで、良守を撫で回す。妙に優しいというか、変だ。そして砂糖菓子みたいな笑みと目が合って思わず頬を染めてしまった。
(なんか、兄貴が兄貴じゃないみたいだ)
こんな表情筋ふにゃふにゃなことなんて滅多に有り得ない。それこそそんなのは酒を飲んだときくらいで…
「まさか酔ってる?」
「ふふ。まさかぁ」
正守は目を細めて、流れるように良守の唇を奪っていく。優しく触れて時折甘く啄んで、良守が吐息を漏らしたのを皮切りに口付けは深まった。
「はぁ、んんっ」
良守はキスだけで身体中に心地よい電流が走ってしまう。久しぶりに感じる正守の熱、激しくなる鼓動、そのすべて胸がかき乱された。
堪らなく気持ちが良かった。衣が擦れ、唾液が交わる音に犯されていく。
「はぁ、はっ、はぁん…ぁ」
下唇に軽く噛みつかれて、長い口付けは終わった。二人の間に垂れる銀の糸がいやらしく、良守は必死にスエットの裾で唇を拭う。
「そんなに嫌だった?」
「あっ、いや…ちがくて」
こういう行為に未だ慣れないと口にするのも、気持ちが良かったと素直に告げるのも恥ずかしい。だけど正守を傷付けたいわけでもない良守は、ただ顔を赤くして首を振ることしか出来なかった。
「大丈夫、わかってるよ。その顔を見れば嫌じゃない事くらい」
「どんな顔」
「知りたい?」
「あんま知りたくない」
恥ずかしすぎて良守は、そっと正守に抱きつき顔を隠した。
「隠さないでよ」
「隠してない。くっつきたいだけ」
「は?なにそれ」
「可愛いって言ったら殴る」
良守頭をグリグリ押し付けると正守は擽ったそうに笑った。そして壁掛け時計を横目に、良守の耳元で囁く。
「これ受け取ってくれる?」
「ん?」
「はいどうぞ」
抱きしめる力を解かれて、良守の眼前に広がったのは手のひらサイズの真っ赤な包み袋。
「プレゼント!?買ってくれたの!?」
「そんな驚く?」
「だって、だって!兄貴!わぁ〜」
良守は目をキラキラ輝かせて包み袋を見つめていた。早く開けたくてうずうずしているのだろうと察した正守は、良守を抱きしめて起き上がり、自身のあぐらの上にちょこんと座らせる。
「あけていい?」
「もちろん」
きゅるんとした良守の瞳と目が合って自然と笑みが零れた。そして良守は包みをバリバリと剥がしてプレゼントを開けていく。
「すげぇ!手袋だ!」
にぱっと笑い、良守は手にはめて見せた。サイズはピッタリでモコモコしていて暖かい。
「ふわふわ!あったけぇ!」
「いいだろ?これ手にフィットしてよく馴染むから、付けたまま術が使いやすいんだ」
「へぇー!でも確かに。時音に貰ったやつより指が動かしやすい!違和感もない!」
「時音ちゃんにも貰ったのか?」
「うん。あ、でも去年の話な!」
「へぇー去年…」
「最近マジ寒いからすげー嬉しい!ありがとう兄貴!」
良守が笑顔でお礼を告げると正守は真顔で「どういたしまして」と呟く。なんだか機嫌が悪い。
あれ?なにか間違えた?
「実はこんなこともあろうかと、もう一つプレゼントを用意してきたんだ」
「えっ!?どんなこと?俺、これだけでも満足…」
「開けてみて」
「おう。ありがとうな?」
良守はこれまた豪快に包み紙をベリベリに剥がして出てきた箱をぱかっと開けてみた。
「うわぁ!!?」
そこに入っていたのは良守が前々からずっと欲しいと思っていたスポーツブランドのスニーカーだった。色も形もカッコよくて気になっていたが、なかなか手が出せず諦めていたものである。
「ありがとう兄貴!すげえ嬉しい!」
「喜んでくれたなら良かった」
「うん!ずっと欲しかったんだ!えー夢みたい!つーかなんで知ってんの?!すげぇー!わぁ、かっけぇ…」
少年のように目を輝かせる良守を見て、正守は陰で小さくガッツポーズをする。
「あ、そうだ!俺からもプレゼントがあるんだぜ」
「本当?」
「うん!ちょっと待ってて今とってくる!」
ぱたぱた走って良守が棚からプレゼントを出して正守に渡す。
「はい!」
「これは…」
「くっくっく。喜びのあまり言葉も出ないか!」
「うん。嬉しすぎて泣きそう」
「いや、めちゃくちゃ真顔だが???」
良守が正守に送ったものは着物にもよく似合う無地のマフラーだった。生地は手触りがよく、保温性も高そうだ。
「これ高かったんじゃないか」
「フッフッフ、そのためにアルバイト頑張ったんだぜ。兄貴が風邪引かないようにって、あったかいやつにしたくてさ」
「…ありがとう。大切にする」
「うん!」
良守がニッコリ笑って、正守はその頭を撫でる。撫でられて良守はとても嬉しそうだった。
「なぁ兄貴」
「うん?」
「来年も一緒に、またこうやって過ごしてくれる?」
「もちろん」
「ぜったい?」
「約束する」
「言っとくけど遅刻厳禁な」
「それは本当にごめん」
「せめて連絡しろ」
「ごめん」
「ついでに俺のことも大事にしろ」
「何言ってんだよ」
「わかってる。わかってるけど」