となりのあなたへ 大学受験を終えて高校生活も終わりに近付いたある日の夜、なんとなくつけていた自室のテレビから、同性婚が合法化する、というニュースがランサーの耳に入ってきた。
「へー じゃあ、オレとアーチャーも結婚出来るってことか」
深く考えずポロリとこぼした言葉に、一瞬思考が止まる。
「……え? いやいやいや…… え?」
ランサーの恋愛対象は女性だった。アーチャーもまた同じ。(彼女のいた時期があったからそのハズ)
その為、ランサーは自分やアーチャーが同性と恋愛――ましてや結婚するなんて発想はこれまで一度もしたことが無かった。
ランサーとアーチャーはずっとお互いの『一番の親友』で、お互いの『パートナー』の権利は何処かの女性のもの。それがランサー少年の〈普通〉で〈常識〉だった。
一番の親友だから、ランサーは大学に入っても就職しても最低月四回はアーチャーと会うつもりだし、お互いに家庭を持ったらまた絶対にご近所さんになりたいし、あっちとこっちで子供が男女だったら結婚させても良いし、老後は同じ老人ホームに入る気満々だった。
でも、自分とアーチャーが結婚すればそんな計画なんてすっ飛ばしてずっと一緒にいられる。『一番の親友で唯一のパートナー』になれる。今、その事に気が付いた。
見慣れた壁の模様が実は壮大な絵だったと気付いた時のような、晴れやかな驚きと喜びに、ランサーはアーチャーの元へと走り出した。
「アーチャー! 結婚しよう‼」
「は?」
突然窓から現れた幼馴染の発言に、アーチャーはついに頭のネジが飛んだかと憐みの目を向けた。
尚もその場で喋り続けるランサーへ、とりあえず部屋の中に入れ声がデカい窓は閉めろ等と急き立てながら、先ほどの発言に至った経緯とランサーの思いを聞き取る。
「話は分かった」
「分かってくれたか」
「君は疲れている」
「分かってないじゃん!」
「分かっているとも。
ああ、しかし君がストーカーじみた人生計画を思い描くほどにオレと一緒にいたいと思ってる、なんて事は知らなかったがね」
「愉悦顔やめろムカつく」
「だからといって結婚というのは、やはり思考が飛躍している。
第一にだ、……我々の間に恋愛感情は無いだろう」
「今まではな。これからの事はわからん。
それに愛情は既にある。特大のが。オレにも。お前にも。違うか?」
「……」
「お前オレのこと好きだろ」
「疑問形でないのが非常に腹立つ」
「お前を男にも、もう女にも渡したくない」
「……」
「オレは気が付いた。お前にも、可能性に目を向けてほしい」
「……考える時間が欲しい」
一人でじっくり考えたいから、こちらが答えを出すまでこのことは話題に出さず、こうして会いに来るのも控えて欲しい。アーチャーが真剣な面持ちでそう告げると、ランサーは少し考えた後、「分かった」と真面目な顔で頷き帰っていった。
ランサーの気持ちは、正直、嬉しかった。
嬉しかったが、結婚はやはり行き過ぎだとアーチャーは思っていた。
一時期はシーズン毎に彼女の変わっていたランサーが、恋愛感情もない男相手に結婚? 絶対後悔する。
本当に結婚したい相手が現れた時はどうするのか。あ、離婚か。
『オレら昔結婚してたんだよな』って、自分達ならそれも笑い話に出来るだろうか?
そこまで考えて、アーチャーは逃げる事を決意した。
高校はもう行かなくても良い時期なので、空いた時間は部屋に引きこもるかランサーの活動圏外で時間を潰す。
大学に入れば学業にバイトにとお互い会う時間も限られてくる。その限られた時間も会わないようにして、ランサーの頭が冷えるのを待つ作戦だった。
実際に、この作戦は上手くいった。
アーチャーからの条件をランサーが真面目に守っていた事もあって、二人がほとんど顔を合わせないまま数ヶ月が経った。
「こんなに長い期間離れているのは、ご近所さんになって以来初めてのことだな」
汗で張り付くシャツの胸元に風を送りながら、アーチャーがポツリとこぼした。
新生活のサイクルにもだいぶ慣れ、日増しに暑さが厳しくなる時期になっていた。
日陰を求め、薄暗いビルの階段へ身を隠す。西日に色付く商店街を遠目に眺めながら、思考は再びランサーとの事に戻っていく。
定期的にやりとりをしているメールや電話でも、あちらからあの話題に触れてくることは一度もなかった。
「そろそろ良い頃合いかな。ヤツめ黒歴史を作ったと内心頭をかかえていることだろう」
会う機会を少しずつ増やしていき、以前の関係に戻る。
結婚の話なんて最初から無かったかのように、お互いが振る舞う。
一生の親友が復活して、十数年後にはきっと笑い話に出来る。
今週末辺り釣りにでも誘ってみようか、アーチャーがそう考えていた時だった。視界の先に懐かしい青を見つけ、すぐさま焦点をそちらに合わせる。
ランサーだ。自転車を突きながら女性と一緒に歩いている。
何故こんなところに居るんだ、自転車買ったのか、隣の女性は誰だ。色々な疑問がアーチャーの頭を駆け抜けるが、身体はピクリとも動かず、ただただ見つめることしか出来なくなっていた。
二人が歩みを止める。何かを話している。ランサーの顔が女性に近づき、女性がつま先立ちをして、そして――――
ランサーが何か言いながら華奢な肩を押す。女の黄色い笑い声がアーチャーの耳にまで届いた。
「ほらみろ」
気が付くとアーチャーは階段に座り込んでいた。
辺りが薄暗くなるまで、立ち上がることも、顔をあげることも、出来なかった。
◆
『あれの答えを伝える。今週金曜の二十時に〇〇駅南口前の公園で』
アーチャーがそのメールをランサーに送ったのは、いわゆる仕返しをしたいが為だった。
幼馴染の男に結婚を申し込んだその口で女を口説き、人目もはばからず路チューするような愚か者に一泡吹かせたかった。
結婚しよう、と伝えて慌てる姿を見た後に種明かし、なんて生ぬるい事はしない。
『いきなり結婚というのは無理だ…… だから、まずは付き合ってみないか』
コレだ。
恋人としてヤツの不貞を暴き、なじり、ヤツに不自由な思いをさせ、過去の己の安易な発言を大いに後悔させる。
別れてくれなんて言われても別れてやるものか!
少なくとも数ヶ月は‼
運命の金曜日。
公園に着くと、約束の時間より三十分も前だというのに、もうランサーが居た。
答えが気になって仕方がないのだろうな、と心の中だけで片頬をゆがめて笑うアーチャーに「久しぶり」とランサーが手を振った。
早かったな、乗った電車が早く着いて、最近どうしてる。そんな定型文のようなやり取りを一通り交わすが、お互い緊張しているせいですぐに会話は途切れる。
とっとと本題に入ることにした。
「答え、なんだがな」
「……おう」
アーチャーには、ランサーの緊張の高まりが手に取るように分かった。伊達に幼馴染をやっていない。
「やはり結婚は考えられない」
「!」
「だが、まずは付き合ってみないか」
一度安心させてから突き落とす。
この日の為により威力の高い言葉選びを考え抜いてきたアーチャーは、目の前の獲物の反応を何一つ見逃すまいとじっと目を凝らす。
「マジか……」
緊張の為に血の気が引いた顔の中で、大きな赤い瞳が人工の光を反射してキラキラしている。
アーチャーの獲物は、傷ついて尚美しかった。
美形は絶望しても美しいままなんだな、と納得したようなガッカリしたような気持ちでアーチャーがランサーから視線を外した時、
「マジかー‼」
突然の絶叫と共に、何かがアーチャーへ突進して来た。
いくら体格に自信のあるアーチャーでも、自分とほぼ同じデカさのモノに全力でぶつかられては耐えられず、ソレと一緒に一メートルほど吹っ飛ぶ。
何が起こったのか理解できないまま夜空を見上げるアーチャー。その視界に、衝突物が顔を出した。
衝突物の顔が近付く。
視界が衝突物でいっぱいになって、そして、唇に柔らかいものが触れた。
アーチャーには謎だった。今起きている事の全てが謎だった。
何故、自分は地面に押し倒されているのか。
何故、目の前の男は笑っているのか。
打ち付けた頭が痛かった。首も背中も痛かった。きっと服はダメになった。
何一つ予想していた通りになっていない。
何故。
何故。
何故、また顔を近付けてくる⁉
「どうした?」
慌てて自分の口を掌で隠したアーチャーに、衝突物ことランサーは首を傾げて問いかけた。
「ど どうしたもこうしたもない。なんだこれは。なんでこんな」
「おう?」
「………………座って話さないか」
「おう」
場所を数メートル先のベンチへ変更し、アーチャーとランサーは向かい合った。
「いいか、ランサー。まず最初に、何故、君は、オレに、ぶつかって来た?」
「嬉しくてつい」
「うれしくてつい?」
「アーチャーから付き合おうって言ってもらえたから」
「うん?」
「オレ達、お付き合いする」
「オレタチ、オツキアイスル」
「そう。だから嬉しくてつい」
「……うん?」
「……すまん。打ちどころが悪かったか?」
後頭部へと伸ばされたランサーの手を叩き落とし、アーチャーは鈍い頭で一生懸命考える。
アーチャーと付き合うことになったから嬉しくてアーチャーにぶつかった。ランサーはそう言っている気がする。
「では、ではさっきの局地的小規模な接触事故は」
「は?」
「先ほど危なく二回も起こりかけた」
「キス」
「ウッ」
「なんでダーメジ食らうんだよ。
あれも嬉しくてついな。お付き合いしてるんだから問題ないだろ?」
街灯に照らされたランサーが、少し照れたように笑う。
アーチャーは(さっきまでお付き合いするって言ってたのに、もうお付き合いしてることになってる)と思ったが、ハッと我に返り平和面したランサーへ詰め寄った。
「いや、待て! 貴様既に付き合っている女性がいるだろう!
〇日の夕方、〇〇商店街で人目もはばからずキスしていたのを目撃した者がいるんだぞ!」
「‼ それ彼女じゃねぇよ! バイト先の先輩! すっげー肉食系でガンガン来られてて困ってんの!」
アーチャーの剣幕に反射的にランサーも声を張り上げるが、直ぐに落ち着きを取り戻し、声のトーンを落とす。
「あの時のキスもいきなり騙し打ちでされて。やめてくださいって言って、そのまま先輩と先輩の自転車おいて帰ったんだ。その目撃者、そこまでちゃんと見てねぇのかよ」
「嘘だ」
「嘘じゃねぇ」
アーチャーにはランサーが真実を言っていることがすぐに分かった。しかし、ここでそれを認める訳にはいかなかった。認めてしまえば、二人の関係が、大事な何かが、決定的に変わってしまう予感がして恐ろしくてたまらなかった。
「嘘だ! 大噓つき! 浮気者! 別れてやる!」
「はぁ⁉ ぜってー別れない‼」
「もう別れた‼」
「ふざけんなよテメェ」
ベンチから立ち上がろうとしたアーチャーの肩をランサーの掌が掴もうと伸び、それを撥ね退けたアーチャーの拳がランサーの上腕に打ち付けられた。
ランサーの右足が素早く持ち上がり、アーチャーの脇腹へ蹴りをお見舞いする。
そこからは、ひたすら肉と骨とがぶつかる音と、時々何かを喚く声が夜の公園に響き続けた。
◆
「それで? 結局どっちが勝ったの?」
「オエ」
バナナを頬張りながらランサーが答える。
クーラーの効きが悪いのか、少し暑さを感じる病室で、ランサーとアーチャーは仲良く並んでベッドの上の住人となっていた。お互いの顔が見えない位置まで間仕切りのカーテンが引かれ、無言の喧嘩中宣言がされている。
そんな二人を見舞いに来た黒髪の少女は、一度ニッコリ微笑むと、カバンの中から極太サインペンを取り出し「優勝者にはお似合いのトロフィーをあげるわ」と、ランサーのギブスの足の裏へ何かを書きつける。次に隣のベッドへ近付くと「準優勝には特別賞ね」と、首と胴が固定されて身動きが取れないアーチャーの腕のギブスにも同じように何かを書いた。
最近のギブスって天井から吊り下げたりしないのねぇ、と独り言のように呟きならが少女がサインペンをカバンに仕舞う。
「それで? 結局お付き合いはするの?」
「する」
「しない」
同時に発せられた真逆の返答に、少女の顔に苦笑が浮かぶ。
「ちょっといいかしら。大事な部分があやふやになってるようだから、ここでハッキリさせましょう」
「二人は私の質問にハイかイイエで答えてちょうだい」
問答無用のオーラを放ちながら、そう少女がまくしたてる。
「質問その一。あなたは相手の事が好きだ」
「ハイ」
「……イイエ」
「アーチャー嘘はだめよ」
「君の言う好きの種類が分からないと正確に答えられない」
「そこは貴方の一番最初に思い付いた種類の好きで答えてちょうだい」
「その質問意味があるのか?」
「質問その二。あなたの恋愛対象は異性だ」
「ハイでイイエ」
「ハイ」
「質問その三。相手とキスした時、嫌悪感を感じた」
「イイエ」
「凛!」
「相手とキスした時、あなたは嫌悪感を感じたり嫌だと思ったりした」
「…………イイエ」
「質問その四。相手が自分以外の異性や同性と付き合う事になっても嫉妬なんてしない」
「イイエ」
「……」
「アーチャー?」
「……イイエ」
「質問その五。あなたはこれからも相手とずっと一緒にいたいと思っている」
「ハイ」
「ハイ」
「最後の質問。あなたは相手の事が好きだ」
「ハイ」
「……ハイ」
とある界隈で赤い悪魔と恐れられている少女が、黒髪を優雅にかき上げながらニッコリ笑う。
「それで? 結局お付き合いはするの?」
◆◆
凛が記念にと、我々二人の無様な姿をカメラに納め帰って行った後、私達は色々なことを話し合った。
腐るほど有り余った時間の中、あちらは片足を折って動くのに不自由していたし、私は首とあばらをやられていたのでどうあがいても逃げようがなかったから。
話し合いの結果がどうなったかは、ご存じの通りだ。
この後も、意見の食い違いで何度か二人同時に病院のお世話になる機会があり、関係者各位に対して非常に気まずい思いをする事となる。若いって恐ろしい。
私達の住む国で婚姻に性別を問わない法律が成立・公布されたのは、実はこの後何年も先の話になる。
結局、婚姻は社会的保障を得る手段でしかない、という見方も出来る。だから、昔私は結婚に拘る必要はないと思っていた。もちろん、結婚出来るならしておいた方が色々と面倒が少ないは事実だ。だから結婚した。
あの頃の私は解っていなかった。
婚姻は、死に目に会う為の保障。
喪主になる為の保障。
骨を持ち帰る為の保障。
同じ墓に入る為の保障なんだ。
今なら君が結婚を望んだ理由がよくわかるよ。
なぁ、ランサー。
心から感謝している。