“あなたの存在は、ああいうのと同じくらい──”◇自室
せっかくなので着てみる。
「───………、………………」
「…なんっっっじゃその顔はぁ!!」
自然と目が細くなり、眉間にしわが寄っていく。……ハッキリとは、何かを言うことも出来ない。
若干言葉がおかしい気がするが、そう言う他ないくらいには何と思えばいいかすら定まらなかった。見る見るうちにそうなっていくベレトの様子に、ソティスはへそを曲げる。
困った、と言うのも違う。そうではないんだ。時間が経てば経つほど結果的にそういうことになるのだが……本当にその時を待っている訳ではない。
……ただ、強いて言えば。自分はあまり肌を出すような服装を普段していないから、こうなっている……だけなんじゃないかなぁ、と思った。
「要するに! 不満が! あると、いうことじゃろぉッ!?」
はっきりしないベレトにソティスは暴れまわる。……ソティスが物に触れることが出来たら、部屋が大変なことになっていただろう。
不満………。いやそうではなくて、やっぱり、何と言うか──
「…………心許ない…?」
「どういうことじゃあ~!!」
ポカポカと拳を作って両手で頭などを叩かれる。いたい。こっちは可能であるらしい。自分の内に居るようだから当然なのだろうが……。
神祖の服──要するにソティスの格好なのだが、その男性版?自分用にしたもの?を着てみたのだが……腕周りや足元がすっきりしていた。
一瞬で済むと言われたからどういうことかと思ってソティスの申し出を受けてみた。瞬間、本当に着ていたものが一瞬で変わったため、これには驚いたが────この格好にも驚いた。
加えて一瞬、縄で縛られている様にも見えて目を疑った。勿論そんなことは無かったのだが、思わずソティスの格好を確認してしまったくらいには、視覚的な錯覚というものを味わった。
でも一点だけ、これは……と何だかそわそわとした気持ちにするものが髪に施されていた。けれど……。
「すまないが、この格好で授業は出来ない……」
元に戻してほしいと頼んだ。どちらかというと自分の着慣れていない心地などからではなく、生徒達が授業に集中できないだろうという思いで。
いつもの格好に戻ったのを雑に確認し、いつもの荷物を手に部屋をあとにする。
今日も励まなければ。
──と、部屋を出てすぐそこにある長椅子に、彼が寝転がって読書をしていた。
彼もこちらに気付いて顔をあげ、すぐさま立ち上がり、自身に乗っていた葉などを落としながら気さくに手を挙げて声を掛けてきた。
「よお、先生。──おはようございます」
「おはよう」
ちょっとふざけてるとすぐに分かる。……何か企んでいるとも。
挙げた腕を胸の辺りへ肘を軽く曲げて下ろし、本を持っているもう片方は後ろに回して、腰の辺りに添える。片方の足を少しだけ引き……彼はそのまま優雅にお辞儀をした。
──所謂、貴族などがする礼儀作法の一つ。……を、ちょっとやり過ぎている。
だが、そんなことより。彼がわざとらしく良い声を作って言うものだから、皆が言うように怪しい、胡散臭い、その塊としか言いようがなかった。
「…何か用か?」
「お、さすが先生。話が早い。──と言いたいが、ひとつ聞いても良いか?」
「何だ?」
「…それ、どうしたんだ?」
「?」
「ああいや、先生が良いなら別に良いんだが~……」
そう言うと彼は自身の編んでいる髪の先を摘まんで、これ見よがしに小さく左右に振る。
「…?」
───ハッ、まさか……。気持ち前屈みになって視線をそちらへやると……そのまさかだった。
「……すまない、確認を怠った。一度整えてくる」
「お、おう。
────いや待った。確認って何だ?」
「えっ」
「『確認』って何だ? 教えてくれよ先生~」
にやにやと意地の悪い笑みをして彼は問い詰めてくる。
そのまさかとは、毎日片方だけ編まれた彼と同じような髪型が、ベレトにも施されていたのだ。……ソティスに近い髪色ではなく、馴染みあるいつもどおり自分のもので。
やれやれとベレトは息をついてから二人に向けて言う。
「……大したことじゃない。少し弄ばれただけだ」
「……ふーん?」
嘘をついてないとクロードは思った。
そしてその回答に何故か少し落胆している自分に気が付き、鼻で笑ってやった。だが珍しい状態であるのに変わりはない。
俺にとっては絶好の絡む機会! ……なんだが、先生は少し居心地悪そうにするだけで、何か次の言葉を探している様子を見せる。こういうとき、大抵は面倒を避けてそれを無くそうとするもんだと思うんだが……仕方ない。
「──ほどかないのか、それ?」
……意地の悪い聞き方だなとクロードは言ったあとに気付いた。
ほどくのか、と普通に聞けばいい。こちらの方がまだ「ほどいてしまうの?」と俺が解いてほしくないと思っているように聞き取れる。わずかな違いだがさっきのは、相手がほどかないのを前提にした、“まだやらないのか?”という風にも取れる、“相手の理由に揺さ振りをかける”ような聞き方だ。
……とはいえやはり、「どんな理由があって先生はその髪型をしたのか?」というそもそもの疑問が膨れ上がる。
“確認を怠った”と言った意味をクロードはそのように捉え、気になって無意識のうちに口をついて出てしまっていた。
だが結果的には思った通りに困った様子を見せるベレトに、ちょっとだけ愉快な気分になって笑みを深めてしまう。
だが……時折見る、“1人なのにまるで誰かと話しているときのような様子”を見せると、程無くしてその編まれた髪は、はらりと解けてしまった。
「ぁ……」
────勿体ない。そう思った。
一方、ベレトはいつものようにソティスに話しかけていた。
(……ソティス。ちょっと。)
「なんじゃ、それも不満と申すか? まあそれはお主が部屋を出る直前にちょちょいとじゃな……」
……成程、仕返しをしたということか。その直後、クロードの問いも聞こえてくる。
(不満というわけでは、ないけれど……。)
「だったらいいではないか! せっかくお主専用にあの服をこしらえたというに、『あんまりじゃ~><』というわしの気持ちも少しは考えぬか、痴れ者め!」
まるでクロードを盾にするように彼の後ろに回ったり、自分がいま彼女の方を向いてしまったら明らかにおかしいと思うところへ移動しながら不満をぶつけられる。
……これは厄介だ。自分のせいだし早々に謝ろう。
(──そうだな、すまなかった。自分が痴れ者でした。)
と反省し言おうと思った。だが突然ぴたっと彼女は停止し、次のことを口にした。
「……いや待て、工夫を凝らして駄目だったんじゃから、いっそわしとそっくりそのまま同じものをこやつに授ければ──」
(“それは勘弁してほしい。”)
────即答した。
「……ふん、冗談じゃ。でも良いか、さっきのはわしとお揃いなんじゃ! この小僧とではないわっ」
吐き捨てるように言うと彼女は姿を消した。次の瞬間、髪がはらりとほどけた。
「ほどけちまったな……。結構しっかりやってたように見えたが、不思議なこともあるもんだ」
口ではそう言うが、クロードはじーっとその笑ってない目で見つめる。突然ほどけたのもそうだが……髪紐がどこにも落ちてないのだから、無理もない。だがスッとその気配が彼から消えた。
「……先生。良ければなんだが、俺が直してやろうか? 編んだあとも全くついてないから、そのままでも問題ないと思うが……せっかくの仕込みが勿体ないから、な?」
言われて髪を触ってみると、いつもの髪型に戻っていた。
(仕込みでは無いのだが……。)
確かにこのままでも問題はないだろう。だがせっかくの申し出だ。彼にお願いすることにした。
「了解だ。んじゃ失礼して……」
彼が近寄り、自分の髪に手が伸び、触れられる。
「うわ、さらっさらだな……へぇ…」
クロードは驚嘆しながらベレトの髪を軽く指でとかすと、幾らか掴んで、分けた束を作って位置を確認したあと、手をするすると動かしていく。
「♪~~♪~~……」
「…よしっと。出来たぜ」
「ありがとう」
彼は大修道院で毎日流れる、時刻を知らせる音色を口ずさみ、その短時間のうちに仕上げてしまった。
「…触ってもいいだろうか?」
「どうぞどうぞ」
……少しだけそわそわした気持ちでそれに触れてみる。髪をこうして飾りつけるようなことをしたことがないから、というのもあるけど、たぶんそれだけではなかった。
……きっちりと、そして無駄なく丁寧に編み込まれている。……なんだか不思議な気分だ。
そうして貰えたことの嬉しさがじわじわと込み上げてきて、もう一度お礼を言おうと思ったのと、視線を感じて彼を見ると目が合った。思わず微笑むと彼は一瞬目を見開いたが、同じように返して小首を傾げた。
「ありがとう、気に入った」
「そいつはよかった。綺麗な髪してるから、編みやすかったよ。
ところで……」
「──悪いが、上手く説明できない」
「おっと……。まあでもさっき気づいたみたいだしな。まったくあんたは、謎が深まるばかりだ……。お陰で俺は退屈しないで済んでるが……」
──ざわざわと風が木々を揺らす。それが鎮まった頃、彼は遠くを見る目をしながら呟くように口にした。
「……だがこんなのは、序の序、なんだろうな。──俺の勘が、そう告げている」
「…………」
「そういう予感が………って、ああ、別に不安を煽りに来たんじゃないんだ。皆を束ねるもの同士、少し話でもと思ったのさ。……続きは中で話さないか?」
彼は全身向きを変えて、ベレトがついさっき出てきた部屋を真正面にとらえる。この上なく分かりやすい思惑にベレトは首を横に振りながら答える。
「そう言っていろいろ調べるつもりだろう」
「はは、バレたか~」
痛くも痒くもない、その突っ込みを待っていたかのように返すと、彼は寝転がっていたからだろう、肩や背中についた砂ぼこり等をはらったり身だしなみを軽く整えていく。
「…………」
今の自分は、何かを単純にしか読み取れない。まだまだ勉強不足だと痛感する。戦場であれば別なのだが、これは今まで誰かと関係を深く持とうとしなかった弊害だろう。
しかしだからこそなのか、彼が“何かを抱えている”というのは伝わってきた。
その何かとは彼が気になっていることで、それが彼を今のようにさせているのなら、どうにかしてあげたいと思う。
……であれば、彼のしたいことに付き合って、協力してあげるのが良いのかもしれない。
ベレトは空いた時間が出来ると“教師”について考える事が、最近の常となっていた。
教師という仕事は生徒に何かを教えるのが基本だと思うが、大事なのはそこではないと思う。
何かとても重要な、本質のようなものがまだ掴みきれてないように思うが、そこに少しは手を掛けられてきてる感じはあった。
単なる自分の好みなのかもしれない。だが生徒達が何かを出来るようになったとき、自分もとても嬉しいような、誇らしいような気持ちになる。これこそが教師というものに多少手を引っ掛けられてる感じがする、と思う感覚だった。
であれば……
「……なあ先生、そんなに見つめられても困るんだが……。俺、どこかおかしいか?」
「…! すまない、少し考え事をしていた。……どこもおかしくない。今日も良い感じに思う」
「おお、まさか先生からお墨付きを貰えるとは、嬉しいね。今度から何か言われても盾に出来る」
「……」
何気ない一言だったが、噂話……所謂、疑心暗鬼な、差別的なものを聞いたときのことを思い出す。チクリと指に小さな針が刺さったかのような痛みを胸に感じた。
そしてクロードは少し上機嫌に目を閉じながら、うーむ……とその視線の理由を考えていた。
「…………あ、もしかして気が変わったとか?」
「うーん……」
(……お? あともうひと押しか?)
と、クロードは思ったが、ベレトは生真面目に考え続ける。
そして、何故もっと早く気付けなかったのだろう。察してやれなかったのだろうという境地に至った。
「──クロード」
「お、なんだなんだ?」
「……少し寄っていかないか。いつからそこに居たのか知らないが」
「へ?」
「…少し休んでいけ。それから教室へ、一緒にいこう」
……そうすれば不安や怖いものなど何もないだろう、とまで言うのは自重した。逆効果になってしまう気がして。
よーく目を凝らすと、少し顔色が悪いように思った。褐色で分かりづらいが、夜に遭遇したならばその様に見えてもおかしくはないが、朝に見るには少し彼にしては青白いと思った。
(もしかすると自覚がないのかも……。)
それもたぶん、抱えているもののせいなのではないだろうか。
「………あんたって人は。…いいのか、俺みたいのを上げて。何するか分からないぞ?」
だがクロードからしたら、自身はどう考えても迷惑な悪ガキで。普通そうと分かっていて部屋に上げる奴は数少ない。……呆けそうになったが、おどけて悪人面をして確認を取っておく。
「それは困る。けど君は生徒であり、客人であると考えた。……今日は特別だ。毎回じゃないぞ」
そう念押しして彼を自室へ招待することにした。
茶の香りが部屋を埋め、ひと息つかせてくれる。
「……何だか優雅な朝になったなあ~」
「そうだな。……朝食は済ませたのか?」
「そういや何も口にしてなかったな」
「……探求心もほどほどに」
その言葉と共にベレトは隠し財産を差し出す。……焼き菓子の詰め合わせだ。
「おお~、更に優雅になって……。……ありがとな」
至福のひとときが流れていく。
他愛ない雑談は彼が仲間のことをよく見ているのが感じられる内容だった。彼はたぶん、元々そういう人柄なのだろうというのが伝わってくる。自分は彼のそういうところが好ましいと思っている。
しかしその良さを、何かのために一線引いているようなのがとても勿体ないことだと思った。
短くも微笑ましいその話題が終わると、容姿もとい髪型のことになった。
「そういや先生、さっきのは自分でやった訳じゃないんだろ?」
「ああ……女神とお揃いの髪型、らしい」
「──へえ……弄ばれたって言ってたもんな。
……なるほど、先生には誰か、髪を編んでくれるイイひとがいるってことか……」
「違う、そうじゃない」
「はは、冗談さ。まあそれはそれで謎が残るが……今日のところは、もう聞かないでおくよ。それにしても女神様とお揃い、ねえ……」
すーっと茶を口に運ぶクロード。喉を潤した後、静かに机の上に置いて口を開く。
「……あながち間違いじゃないかもしれないな」
「?」
「女子達が言ってたんだよ。初めは半信半疑だったんだけどな。髪型にもかなりの歴史があるらしい。確かにこういうことって、起源まではなかなか調べようと思わないよなー」
うんうん、と頷く。ベレトだけでなくクロードも。
「場所によるが、髪は神聖なものとして扱うよう言われてたり、だから健康とか何かを祈願して編むようになったとか、そういった力が秘められているものとして考えられてたらしい」
「へえ……」
「ブリギットなんかは今もそうかもしれないな。他にも男女問わず髪を好きに切ることも『あり得ない話だ』って地もあるみたいだぜ?」
「…それは少し不便そうだ」
「だな。んでそういう地もまた祈願とかまじないみたいな意味があるけど、結局邪魔になるからって編むようになったとかもあるみたいだ。いざというときは暖をとったり相手を仕留めるのにも役立ててたらしい。
……まあさすがに女神様は、そんな理由じゃないだろうがな」
「それは違いない」
そう答えると何となくクロードの目が少し、探りを入れている類いのものになったと感じる。
「確か女神様が魔導とかを授けたって話だったよな。ならそういう髪型をしてても……って思ったんだが、どうなんだろうな?」
どうなんだ、と彼女に問いたかったが、それはそれで答えが降ってきたら以降の会話が難しくなりそうだと思って閉口し、自分の頭で考えて首を捻った。
「うーん……。でも魔導が得意な生徒は貴族、紋章持ちが多いから……」
「ああ。考えたこともなかった話だが、まさか、もしかしたら……かもしれないな」
実際ソティスの毛量は多いと思う。それに理由があるかもしれないなど、考えもしなかった。
彼はいつもこうして様々なことに疑問や興味を持ち、網を張って学び、考えているから鋭い予測や幅広い視点からの考えや答えを持っているのだろう。
だが彼女には記憶も無いし、これ以上は手詰まりな話だなとクロードと共に感じて、お茶を啜った。
そして少しだけ気になって、今度はこちらから話を振ってみる。
「…クロードは何を思って、毎日編んでいるんだ?」
「んー……それは言えないなぁ」
「そうか……。じゃあさっきやってくれたのも、何か特別、思いながらしたとかも無いか」
別にそれで落胆することもない。……生徒が、彼がやってくれたことを思い出すだけでじわじわと気分が高揚してくる。思わずそれに触れていつもと違うものがあることを楽しむ。
彼は神頼みなどに期待しないようだから、少しだけ気になった。ただそれだけで──さらりと流れていく話だと思った。
「……いや、それはどうだろうな?」
「……え?」
「知りたいか?」
頷く。間も全く置かずに。
「秘密を教えてくれたら、良いぜ?」
「秘密…?」
「あるだろ、何か」
……首を傾げたあと、横に振る。
「本当か? あのレアさんに期待をすごく掛けられてるじゃないか。何にもない、とは思えないんだが…」
「そう言われても」
「ふーん……じゃあ質問を変えるか。…ううむ……。
──あ、率直だけどさ先生、学校生活はどうだ?」
「え?」
「いやなに、朝だしな。一食の恩も受けちまったし、軽い話をしようじゃないか。
……で、どうだ? 気づけば三節経とうとしてるが」
「そうだな……」
ベレトは4の節の後半に訪れて、現在は7と書かれた節の始め……つまり三節目に明日明後日には突入する寸前であった。
「何でも言ってくれていいぜ。この級長様が、愚痴から願いまで、出来る範囲で聞いてしんぜよう……」
「……ふ」
何でも、ではないんだな。さっきの曲者で鋭い雰囲気は何処へやら、両腕を緩く広げ、寛大な雰囲気たっぷりでおとぎ話にでも出てきそうな存在のように問われ、ベレトは思わず口元に手を添えて小さく笑った。
「……楽しい、よ。楽しくさせてもらってる。だが君の言う通り、目を掛けられてる分なのか、やることが多くて驚いている。それが自分にだけ降り掛かるなら良いが、今以上に皆に負担が掛かるようなら……と思ってる」
「……へー。そうかそうか」
クロードにとってそれは少し意外な返しだった。
良い人なのは間違いない。だがその良い人の象徴である、血の通った暖かい返しをここまでされたことが、少し意外だった。
(けど俺はたった今さっき、その恩恵を受けたばかりで……。)
こりゃ自分の認識を改めないといけないなとクロードは残りのお茶と焼き菓子をしっかりと戴こうと思った。
「それにしても、美味いなこれ」
「それはよかった。…試作品だったんだ」
「え、あんたが作ったのか?」
てっきり女子達から貰ったものだろうとクロードは思っていた。
「ああ。少し失敗したものもあるから、それには手をつけるなよ」
(…………。)
…………そう言われると気になり……。クロードはそれっぽいものを見つけて口にした。
「……なんだ、美味いじゃないか」
少し茶葉を混ぜ、挑戦したことが伺える一品だった。洒落た香りが口のなかに広がる。
「む、食べたのか? …まったく……」
何かを発散し示すようにわざと音を立ててベレトはお茶を啜った。それでクロードの中の悪い何かが疼いて、ベレトをつついていく。
「どのあたりが失敗なんだ?」
「………………形」
ぼそっとベレトは答える。聞かれたくも答えたくも無かったのだろう。だがちゃんと答えてくれてしまうものだから、それもまたクロードの内にあるものを刺激して、寧ろそういうものを探し出す。
「これは?」
「…………味」
「……うん、野菜を感じる。でも悪くないぜ?」
「…食べるなと言った筈だが……」
そう言いながらもその後も律儀に付き合うものだからクロードの腹筋は震えた。
──失敗したものを全部自分でこっそり処理するつもりだったんだと思うと、白日のもとに晒しながらこうする方が有意義に思い、ひとつひとつそうしていった。
彼が詰まるところ“出待ち”をしていた理由は、実は明確になかった。だが気付けば7の節。一年の前半期が終わりに差し掛かり、強いて言えば彼には気分転換のようなものが必要だった。
“故郷に戻ればまたあの日常になるかどうか。それはこちらで過ごした日々に掛かっている”と、無意識のなかでそれが積もり、息苦しさを覚え、早朝の美しく力強い生命の目覚めを感じることが彼には必要で、分かち合える者もまた必要だった。
そんな朝のあと。教室へ向かうと案の定ベレトの髪型のことでなかなかの盛り上がりを見せ、女子達は互いの髪を楽しく飾り合うような微笑ましい様子を見せていたり、男子達も身だしなみについて向き合うような、立場と年頃の狭間で揺れてる感じの話題で休憩時間を過ごしていた。
その最中でベレトは思い出す。“何を込めて編まれたのか”を彼から聞きそびれていた、と。
ーー
それから数日経った夜のこと。
ベレトは自室で武器の手入れを終えて、生徒達の名簿等を眺めていた。現状確認や、今後の方針を見直したり、誰がどれくらい成長しているか。思った以上にあちこち奉仕活動ということで向かったりするため、誰が何であり、何を抱えているか等を今一度、覚えたりする必要を感じたからでもある。
(…………。)
少し彼女に意識をやると、もう眠ってしまっていた。……少し羨ましい。これから自分には見回りの仕事が待っている。任意の仕事だけれど、レアからの特別扱いを快く思っていない者への何かを埋めるには、地道にこういうことをするのが良いだろうと思った。その特別扱いに見合った功績もしっかり残せていると思うから、気にしなくて良いのかもしれないが……自分だけの力ではなく、生徒達も巻き添えだということがベレトは気掛かりだった。
──天気は豪雨。戻ってきたときのことを考えて準備をしようと思ったその時、外から足音が聞こえてきた。一応灯りを消して様子を探る。
だが警戒していたような事態にはならず──扉の前に何者かが立っているのを感じたあと、少し間を置いてからその人物は意を決したように扉を叩いてきた。
とくに危険な感じもせず返事をして出ると、彼が立っていた。
「……クロード? どうしたんだ、一体…」
濡れてるせいか、いつもとかなり印象が異なる。──いやなんでこんな天気のなか、外に居る?
彼はちょっと濡れてるなんてものではなく、全身ずぶ濡れだった。
「ちょっと話でもと思ってね。……っと、どこか出る予定だったか?」
真っ暗な部屋を覗いて彼は気を回す。軽い嘘になるが、問題はないだろう。
「まあ見回りに……けど大丈夫だ。それよりも、とりあえず入るといい」
「悪いな~、って、おわっ──!?」
彼は足を踏み出したが、躓いてずるりと滑って、盛大にベレトに覆い被さる形となった。ベレトはベレトでとっさに彼を受け止め、支えきれず尻餅をついて抱き止める形になった。
「わっ、悪い! 先生、大丈夫か?!」
ベレトの両肩に手を置いてバッとクロードは距離を取る。
「…ああ。クロードこそ、平気か?」
「ああ………って、あ……」
膝立ちで見下ろすような形でクロードはベレトを見る。しっかりと抱き締めて受け止めたことでベレトの服も濡れてしまっていた。
「……ほんっとすまん!」
「別に構わない。…見回りに出たら、濡れることになったはずだ」
「けど……」
本当に不測の事態だったらしく、珍しく落ち着かない様子を見せる。毛先からポタポタと垂れる雫が、滴る水が、彼の気持ちをまるで表してるようで。会話を続けながら、とりあえずいつも持ち歩いている手頃で清潔な布(ハンカチ)で、彼の顔やその周りを拭いてやることにした。
「平気だ。…それよりも、何の用で来たんだ、この雨のなか。
しかも夜中に……危険だろう? 無事だからいいけど、教師としては……あまりいい顔が出来ない。言いたくないけど、あまり困らせないでくれ」
ちょっと拭きにくいと思って体勢を整え、下がった前髪や煩わしいだろうと思うところを拭いていく。──ああ、もう、こんなに濡れてしまっては。吸水性がそこまでないから徐々に意味が無くなってきて、手で水気をはらってもいく。
「……えっと、とりあえずさ先生………」
「何だ?」
「悪かったよ。…んで、拭いてくれるのは有難いんだが……」
瞬きをし、視線を微かに左右にさまよわせて、はにかみながら気持ちだけ距離を置かれた。
「扉も開いたままだし……な?」
「…本当だ」
この状態で夜風を受けるのは良くない。暑い日が続くとはいえ、流石に冷えて風邪を引くかもしれない。
「そういうわけだから、先生、そっちの手をだな……」
まるで拭き終わるまで逃がさないようしてるとも取れる、しっかりと添えていた方の手をクロードは指摘した。
パッと放すと彼はホッとしたように俯いて息をはいた。そしてゆっくりと立ち上がり、少し重たそうな足取りで扉を閉めようとする。
その一連の様子を見たあと、ベレトも起き上がり、本当に閉められたら真っ暗になるため灯りを用意して、吸水性のある柔らかで大きめの織物(タオル)を彼の頭の上に掛けてやった。
すると少々間抜けなまあるい山が誕生して、何だか丁度撫でやすそうだったからついでにそうしてやった。
「わ、ちょ……先生!?」
結果的に拭くようなことをしてしまったが、笑ってくれた。嫌じゃなかったらしい。……良かった。
見回りは中止にして彼と向き合うことにした。
より天気が崩れてしまったため、自分だけでなく彼にも服を貸し出し、着替えて、あいにく今日菓子は無いが、数日前の朝のように自分用に用意していた茶を魔法で軽く温め直して分け与えて、一息ついたところでようやくまともに話が出来そうな空気になってきたのだが……。
「あー、何か疲れた……」
「こんな日に外を出歩いてるからだ。……止みそうにないし、仕方ない。今日はもう泊まっていけ」
「はーい……」
「…反省してる?」
「してるしてる」
「……これを狙ってのことなら、追い出すからな」
「いやいや偶然! 誓って、狙ってない!」
慌てて本当に申し訳なさそうに手を左右に振るクロード。日頃の行いが悪いは悪いけれど、本当にくたびれてる様子だった。
「……わかった。それで、こんな日にここまでどうしたんだ。ちゃんとしてる君らしくない」
──ちゃんと好機を狙って動けるはずだ。
だからこそベレトは彼の行いを多めに見たり、見逃してきたりしたのだから。偶然なのもそれはそれで気になるし、純粋に理由が知りたかった。……だというのに、彼はこんなことを言い出した。
「いやまあ、大したことじゃないんだ。本当に。浅い考えで動いてたってだけ。
……だからさ。何にも聞かずに、泊めてくれたり……しないか?」
「………」
……それは、大したことがあったと言ってるようなものだと思った。……浅い考え?
「……誓って、狙ってなかったんだよな? こうなる展開を」
「ああ。そこはもう、信じてもらう他ない」
まるで長時間正座でもしてたかのような顔で、苦心してることを正直に伝えてくる。
……彼のことだ、こうしてる間にも何か考えていそうだが、何かを試されてるなら乗ってみようと思った。
しかしそもそも建物の構造的に、駆ければこの部屋まで、あんなに濡れずに来られると思う。ということは…………いや、分からない。ますます分からなくなった。狙ってないということは状況を意図的に作ってないということだ。
……用事はそこまで急を要していないのか? でも雨宿りを許さない選択肢は、とにかく自分には無い。
「…………仕方ないな、分かったよ」
「…!」
「でも用はあるんだろう? 君のことなら、学級の皆は突然押し掛けても、たぶん泊めてくれるだろうし…」
「……先生って優しさで出来てるよなー」
「いきなりなんだ」
「皆が泊めてくれるか。……それは五分五分だと思うぜ?」
「……そうかな。そうかも」
「………ええっと、先生?」
「……冗談だ」
「…あ、あんた…。真顔で冗談言うのはやめた方がいいぜ…? 悪いがすごく分かりづらいから……」
「フッ…」
「…………」
また笑った……。クロードは目を見開いてそう思った。だがまたすぐにいつもの無表情に戻ってしまった。それに合わせてクロードも自然と元の表情にスッと戻った。会話は続く。
「クロードはその寝台(ベッド)を使うといい。自分はまだやることが残ってるから、気にせず先に寝てくれ」
「え、いやいやそれはさすがに…」
「でもやることも無いだろう。……たまには早く寝ろ」
「うっ……何も、言い返せん……。
……いや、でも、待て待て。俺にだって用があるんだよなー」
「そういえばそうだったな。…なんだ?」
「…先生の心音の話を耳にしちまってね。動いてないってのは本当なのか?」
「………本当に狙って来てないんだよな?」
こくこくと激しく頷くクロード。
「先生、頼む、確かめさせてくれ! このとおり!」
クロードは両手を合わせて頭を垂れる。…信じるには何とも微妙なところだ。
(……だって何も、今日じゃなくたって別にいい事じゃないか。)
だが訪れた時の様子が演技なら、彼は役者になれるだろう。……まあ彼であるし立場を考えれば、出来ても何らおかしくはないが。きっと違うと信じよう。
「…………良いけど、条件がある」
「どーんと来いっ」
「此方のやることが終わってからなら、良いぞ」
「……先生は、俺よりそっちを取るんだなー……」
その時、一瞬だけ外が白く光った。遅れて轟くような音が鳴り響く。外はいつの間にか嵐になっていた。
「………………そこまでなら見送るが、どうする?」
「悪かった。調子に乗った。勘弁してくれ…」
「分かれば良い。……おやすみ」
ベレトは椅子の向きを変え、机に向かうことにした。
……リシテアは魔導が得意だからこのままで良いな。補助や回復等ももっと使えるようになったら非常に頼りになりそうだがどうだろう。レオニーは最終的に傭兵になることが目的、いや通過点だから、自分の経験も役立たせられる。ラファエルやイグナーツもそうだな。得意なことを活かせるよう鍛え、自身に対しての信頼や自信をつけさせたい。
……魔導は傭兵時代に学ぶ機会がほとんどなかった。だから他のものより教えるに値するまでこちらも学ばないと。自分の得意な剣でさえ、いざ教えるとなると適切な言葉をまず知らないと出てこない。生徒達も読んでそうな指南の本等を読むのが意外と同じ目線にも立ててる感じがして、良い気がしているから続ける。
……試験の準備もしないとな。ヒルダとローレンツと……マリアンヌ。彼女は少し強引にでも本心や憧れに手を伸ばしやすくして、諦めて何でも引き受けるか距離を取るかの二極的な姿勢を変えてやらないと。
───と、人の集中を遮るように両肩に手が置かれた。彼が背後に立っている。
「……どうした」
「何してるのかなと思ってさ」
「……眠れないのか」
「…終わるのを待ってるんだよ」
そう言うと彼はするりと腕を回して前屈みになり、こちらにそこそこの体重をかけるような、ベレトの顔のすぐ隣に彼の顔があるような体勢になる。
そのまま机の上を覗いて、感心したような声を洩らす。
「へえ……やっぱあんた、良い教師になれるよ。…いや、もうなってるか」
「そうだといいが……いや、勝手に見るんじゃない」
「へへ……なあなあ、俺は?」
「うーん……逆に聞きたいな。今の方針とか、いろいろどうだ?」
「質問に質問で返すもんじゃないぞ、先生」
一時の退路を塞がれ彼を見ると、目を細めて口角を上げられた。何も答えないつもりのようで、じっとこちらの返しを待っている。……仕方なく、彼のものを机に並べながら答える。
「……近距離での反撃も出来るようになった。とても頼もしいと思ってる」
「他には?」
並べたものを指先でなぞりながらベレトは答える。
「そう、だな……やはり力はもう少しあるといいな。君に問題があるという意味ではなく、そういう隙を減らしていくのがいいだろう。相手の思い込みや予想を覆すのは、好みだろう?」
「…気を使ってるのか使ってないのか分からん御言葉、どうも。あんたが俺のことをどう思ってるのか、よく分かったよ。……その通りだけど」
「教えてもいない動きを本番でする。だから、分かる」
特に逆さの体勢で弓を正確に射てるのには驚かされた。あれだけ達者だと元々出来たんじゃないかとすら思ってしまう。だがあの意表を突くような動作、弓兵の弱点を意識してのこともあるだろう。……そういう姿勢は嫌いじゃない。
「敵を騙すにはまず味方から、ってな。……この言葉自体は、有名になり過ぎてあまり好きじゃないが」
そうした者達にやれやれと思いながら息をはくクロード。……そうしてゆるりと身を起こし、肩に置き戻した手をベレトの首の後ろに指先だけ添えて、何故かほぐすように動かす。……ちょっと気持ちいい。たぶんそういう知識もあるのだろう…。
話がひと区切りしたのを感じ、今度はこちらから話を振ってみることにした。
「……少し相談なんだが、いいか?」
「ん、なんだ?」
そういうと再びさっきの体勢にクロードはするりと戻る。
(…………。)
……続けて欲しかったな。そんな思いで彼を見てると、まるで小動物ようにきゅっと口許を結んで(ω)、ちょっと目を見開きながら首を傾げられた。……伝わらなかったようだ。
「…一人二人くらいは馬に乗せるとか、飛竜の兵種に就かせたいと思っているんだが、どう思う?」
「いいんじゃないか? ──というか、俺がその飛竜の兵種に立候補するよ」
「本当か?」
「ああ。皆も戦えるようになってきたし、そのうち俺が最前線に立たなくても良くなってくるだろう。勿論、必要とあらばやってやるけどな」
「…いつもすまないな」
普通に考えて弓兵を最前線に、というのはおかしい。斧や槍を振るうあの二人ならともかく、だいぶ無茶なことを頼んでいるよなといつも思う。
「おっと、そういう意味で言ったんじゃあないぜ? それに理解もしてる。いまは次に向けての話だろう?」
「…そうだな、ありがとう。…じゃあ上空の、警備の仕事をそのうち入れていこう」
「おおっとそう来るか……。
──お手柔らかにな。熱心なのは有難いけどさ」
そう言うとクロードは、より近づいて、ベレトの頬に自身の頬を薄く添えて、擦るような動作をする。
「!」
「最初はどうなることかと思ったけど、余計な心配だったな。…嬉しいよ」
「っ、クロード…? …さすがに、近いぞ……」
「まあまあ、いいじゃないか」
さらにくっついて、頬擦りする。縦横めちゃくちゃに。そのせいで耳同士も時折擦れ合う。
当然だが真横に彼の顔があるためその表情は分からない。が、漏れ出てる無邪気でもあり、時折柔らかくもなる笑みの声音から想像がつく。
嫌な気持ちにはならないが、一通りそうした後に脱力しながらぎゅーっと抱きしめ直される。此方に体重をかけるような、背負ってるような体勢でもあり……まさかそのまま眠るつもりだろうか? と少々思わされる。それはちょっと困るが寝台はすぐそこなのだから、そっちで寝れば良い。……と言うのは、しかし少々憚られた。
腕を置くのに最適な位置を探るようにか、或いは……想いを込められてか、求められてか。こう何度もむぎゅむぎゅと抱きしめ直されるのは、少し心臓に悪────いや、待て。
“さりげなくある一点に手を押し当てられ、そこだけ動いていない……!”
「…クロード、ちょっと」
「……ん?」
異常事態発生、というようにベレトは三回くらい回された腕を軽く叩く。すると脱力と心臓に悪い抱擁をやめて、先ほど頬擦りしていた位置までクロードは身体を顔を戻す。彼らはそのまま互いの顔を見合わせるように動かすと、鼻先がぶつかりそうになった。
……近、過ぎる。そう思ったのは彼も同じだったようで、目を見開いた後すぐ距離を取ってくれた。腕も解いて、片方の肩の端に両手が置かれる形になり、そのまま少し縮こまってこちらをじっと見つめてくる。
(………。)
……彼は一体何がしたいんだろうか。まるで会話ができない動物を相手にしているかのようだ。
…………あと。ここまであまり意識しないようしてたけど。
前髪も下がっており、そのせいで顔には普段掛かりようの無いところにまで影が落ちていて、編んでいる髪もほどけていて、自分の服を着ている。そこにどこか愁いを帯びしっとりとした、いつもと違う印象の彼が居て、視界いっぱいになったら───さすがに少し無理だった。
何を考えてるか分からないような彼だけど、照れるときは照れるし、失敗もするし、さっきだって盛大に転けたし、慌てるし。ほんの今しがた感心してくれたけど、いい加減にやれば彼は呆れるか怒るか等々するだろうし、意外と真剣であり真面目で……。
いずれにしても、自分よりよほど人間らしいものを持っているのが見て取れる。
………もっと、言うと。
毒薬の調合や過去の事を聞いてしまってから、どんな一面も気になって仕方なかった。打ち明けてくれたことは、こちらに気を使いながら話してくれた内容に過ぎないだろうが、僅かに見せたいろんな感情が入り混じった、複雑そうな、一言では言い表せないほど、しかし悲しく辛そうだった表情が忘れられない。
……人の事を知るのは、難しく思う。
ちゃんと知ってあげる、知ろうとするようなそういった姿勢も、そもそも正しいのだろうか。良いことなのだろうか。不快ではないだろうか。
向こうから話す分にはいいが、多くのものと交流を深めてきたわけではないベレトは、表には出さないようしているがその辺りが困難に感じていた。
……まるで破れた紙。割れ物の破片。
聞いた話、情報とはそういうもの。完璧に破れたり壊れる前の状態に戻すのは不可能なのと同じくらいには……ちゃんと相手を知るとか分かると言うのは、不可能に近いくらい難しいのではないかと思う。
どのように聞いた話を繋ぎ合わせるか。ひとつにするか。それはこちらの何かに委ねられているところがあると思うからだ。
だから人によってその者に対して出てくる言葉が違うのだろう……と、思う。
「……」
「……」
互いに眼をじっと見つめる。何を思っているのか、そうしても読めないのに読もうとして。
……この仕事は、やりがいがある。
けれどその難しさ、やらなくてはならない事に圧迫感を覚えるようなときもある。
今もそうだ。常に自分は試されている。教師という仕事は、そういうものと常に隣り合わせなのだろう。
──ある意味、戦場と同じだ。
だからこそなのか、やりきりたい。信頼に応えたい。
その気持ちがいつも自分を正しい方へと導いて行き、ひとまわり大きな、善い人間にさせてくれてるのではないだろうか──そんな期待をベレトは教師という仕事に寄せていた。
…そしてまだはっきりと分からないだけで、とても素晴らしい事をさせて貰えてるのだろうと感じる。そう思う何かがある。
それが知りたい。それを知りたい。だから教師という突然与えられた仕事を続けられる。
きっと今は気付けていないだけで、何となくそれはいつもあるような気がしている。……なかなかもどかしい。
(……ああ、今度マヌエラ先生とハンネマン先生に聞こう。どうして教師になることを選んだのかと。)
求めているような答えが聞けずとも、それは意味のある、糧になることだと思う。何故なら自分は傭兵になりたくて傭兵になったというより、傭兵という生き方がとても身近であったから傭兵になったようなものだから。
──とにかく今は、自分が持っているものだけで応えなければ。
「……寝るんだ。終わるまで、待てないなら」
「ありゃりゃ、バレちまったか~……」
そう言って彼はそっぽを向いて俯き、深い溜め息をついたあと、身を起こして肩から手を離した。そうしてそのまま観念して寝台へ行き、眠りに向かうのかと思ったが、違った。
もう一度両肩に手を置かれ……一拍置いてから再びぎゅうっと抱き締めてきた。まるでそうできる大義名分を失ったかのように、潔く静かに諦めて。
「………」
一体どうしたんだろうか…。さっきから肩越しに振り向いて顔を見ていたはずなのに、少ない灯りのせいもあってあまり表情が見えなかった。ただいつもの彼ならば、あまり簡単には見せない姿であるのは間違いなかった。
別にこうすることが必要だと言うのなら、拒まないし構わない。けれど、距離やら何かしらを気にする彼らしくなくて。叱るに叱れないし、分かってはいるけど──やっぱり聞いてしまった。
「……何か、あったんだろう? 聞くのはやっぱり、駄目…なのか?」
「…ああ、聞かないでくれると有難いな」
「……分かった」
戸惑いが抜けないが、回されている彼の腕に触れてみると少しひやりとしていた。季節的に凍えることは無いだろうが、自分が思うよりも彼は雨に打たれていたのかも知れない。
(……彼は今日半日、一体何をしていたのだろう……?)
そうして彼の繊細な何かに寄り添っていたが、突如として彼はパッと身を起こし、両肩に手を置いて、また変わったことを言ってきた。
「──ていうか先生。待て待て言うけど、俺が机の下から顔出して、勝手に聞くってのは…」
「駄目だ」
「えぇー、即答かよ…? うーん、不意打ちもなしの良い案だと思ったんだが……」
…いや絵面的にちょっと。……今更かもしれないけど。
いやもっと何かが──例えば距離感とか、距離感とか…──先程からおかしいと思うが、今はそこまで頭が働かない。
彼がどこまで、何を本気で言ってるか、してるのか、今一つ分からないが……。言うべき事は言わねば。
「……まあでも、今日は忍び込んだりしたわけじゃないから……及第点ではあるけど。でも本当に、こういう日くらい大人しくしてないと、危ないぞ。こういう日も平気なものに勘違いされて、何か押し付けられたり、されたりしても、文句は言えないんだからな」
教師然として、あるいは隣人然として、傭兵経験に人としても、ベレトは彼を叱ったのだが。
「いやいやこんな日に忍び込むとか、証拠が残るだろう? あと部屋に帰って眠れなくもなかったんだけどさあ……」
「・・・・・・」
重苦しい音でも出そうな雰囲気でじっとり睨まれ、クロードは一瞬たじろぐ。
「……い、やいやいや! 今日は本ッ当に偶然なんだって! 信じてくれよぉ~。
うぅぅ~…………分かった! 今日はもう何もしない、約束するっ! だから放り出さないでくれぇ~~…………な?」
最後、小首を傾げてにこっとしながら言う辺りが駄目だと思う。必死さが薄れて此方がそうしないことを分かってて言ってる。そのように見える……。
じとーっと彼を見ていたが──ザアザアと容赦なく雨が降っている音が耳に入ってくる。……そんな中へ彼を放り出すなど、彼の読み通り、出来るはずもなく……。
ベレトは両目を閉じて小さく息をはいてから、いつもの表情でまっすぐに言う。
「……忍び込もうとする君は少し面白いけれど、感心は出来ない」
「それは、つまり……?」
「──今日の偶然は信じるし、いつも信じてるけど、自分を大事にしてくれ」
「……」
ピカッとまた外が点滅する。先程より大きな音がして、彼がビクッと微かに反応を示した。
二人、無言になる。
何もせず、腹の底まで轟き、耳を塞ぎたくなるような音とその一時が過ぎ行くのを自然と待った。
(……。)
……そういえば。雷を怖がる者もいるんだった。彼はたぶん平気だろうけど、これじゃ眠れない生徒も居そうだ。
(……大丈夫だろうか。)
明日、生徒達の様子をいつもより気に掛けることにしよう。
更に一段階増したような激しい風と豪雨の音が耳に入り、意識が現在に戻る。
……そうだな、まずは彼だ。今も離すことなく両肩に置かれたままの手からも、さすがに察せられた。
原因こそ明かしてはくれないが──元気がなくて、すっきりも出来ない。だから何かで発散させたりしたい、今日という日をまだ終わらせたくないと思うような……そんなときは誰にだってあるはずだ。それに今日みたいな日は、誰かと一緒が良いとか…………きっとあると思う。
ここは学校だ。それらがどうしようも出来ない所や状況にあるならば仕方ないが、そうでないのだから彼の行動は何一つ間違っていない。
「……眠れない、だけじゃなくて────眠りたくない……。
……そういう日も、あるよな」
導きだした答えをベレトはそっと口にしておいた。
……そう、きっと今日の彼は、“効率とか理屈では動けない何か”があったんじゃないかと思う。毎日出来てることが上手く出来なくなる時だってあるだろう。
大修道院に来てそういうものや人に多く振り回されているのを感じてもいたため、ベレトはそう考えたが───それは正解だった。
**
今日のクロードの一日は、一言で言えば「そういう日だった」、で流せて片付けられるものではあった。
いつも通りに彼は半日を過ごし切ったが、帰ってふて寝するのは勿体ない。そう思って書庫に脚を伸ばしたり、訓練場に向かおうと思った。
……だが結局、どちらにも向かわなかった。その道中で問題が生じたからだ。
いつも流せている噂話が、今日は何かと引っ掛かってしまう日だった。自分の不注意だったり失態は笑いを誘うようなものに変えたけど、心の奥底は暗い夜道みたいなものだった。……いや、これは今に始まったものではないのだが。
気分転換に散歩をしてもまた噂話が聞こえて。
……行く先々でそうだった。
俺はこれらを毎日かわしていたのか? と思ったが、大方表面化していく問題や、怪しい連中とかのせいで皆気が立っていたり、不安なんだろう。共通の話題で結束力を高める。安心感を求める。そうして気を調整する。……よくある光景だ。
だがそれで自分のことが良くも悪くも引き出されて話に浮上するならともかく、何の悪さもしてないような級友たちがとなると──これが全く面白くなかった。
結論から言えば、こんな日にするのが間違いだったわけだが……たまにはちゃんと級長に課せられている役割だとかの為、自主的に闊歩してやろうと思い、そうしていた。
「……面白そうな話してるな」「──へえ、それで?」「ほうほう、続きをどうぞ?」
そんな調子で割って入ると、すぐに蜘蛛の子散らすようにして、雲散霧消……。
(……俺が聞いてた程度で血相かいて逃げ出すくらいなら、最初からそんな話するなよな…。)
きちんとこちらに聞いてきたり、解消したい素振りを見せる奴はまだいい。けど噂をするあいつらも、俺も、結局はなーにやってんだか……って話。
こんなことをしたって何も解決しない。そんなものは見込めない。
だけど内容によっては、俺みたいないい加減じゃない奴等が聞いたら、と思うと……というものがあって。片っ端から興味深~く聞かせてもらいたいと思った。
だから使命感なんて立派なものじゃない。“これを放置出来る奴に、その野望が果たせるものか”と自分で自分に許しを与えなかったまで。その“感覚”を信じて、歩き回ることにしただけに過ぎない。
──彼のなかで築き上げてきた、自制や自戒。そして信念。それらは時に警鐘を鳴らす。
実際の経験や見聞きして得た知識、可能性や情報。現実と理想、既知に未知、等々……。
己というものは、常にその狭間にある。
だからこそ冷静に。時に冷酷に。在りたい方向へ、やりたい事へ、打破したい事などに対して、状況や善悪や物事を見極めたりする理解力や判断力等がそれらを見失わないためにも必要になる。
……云わば誰にでもある危機感や警戒心、等々……。彼はその感覚が非常に研ぎ澄まされていた。
加えて彼の好奇心旺盛な性格と、野望の内容が内容であるため、そこにある問題や謎への嗅覚も優れていた。……慣れているとはいえ噂話が耳についてしまうときがあるのも、無理のないことである。
そもそも今の彼が出来上がったのは、差別をされた経験があること、今そういうものがある世界なのだと認識、理解したことにこそある。
彼が自分を大事にしたり律するのにも“それ”は彼の基盤となり地図となり、長く役立つ事になる。
──全ては野望を叶えるために。 どうしても見たい景色のために。
けれど別に、こうすることはそこにたどり着くのに必要なことではないだろう。せいぜいが良い寄り道。意味のある寄り道、程度だろう。その自覚は薄々、厄介な雑草のように芽生えていた。だがそれでも人として目の前の事を、正しいと思うことをしたかったのかもしれない。
そのくもだか霧だかは大体思った先に居て。情報が増えるから別に無駄ばかりの行いでもなかったが、少しそれらも気持ちも整理する時間が必要だと思って、脚を止めた。
──それからすぐだった。雨が降りだしたのは。
頭が冷えたのかようやく“少し”の時間も必要なく、視野が狭くなっていた自分に気づいて、心底呆れた。だからのんびり帰ることにした。そんな気分なだけだったが、お陰でいくらか気は晴れた。
──もう何事かを噂するやつは、誰も居なくなったからだ。
あくまで視界のなかだけだけど。……訪れた静けさと自然の音が心地よかった。
風が吹こうが雨がどれだけ強くなろうが、その時の彼には関係なかった。
いま外に居るのは、仕事のためにそうしてる奴等ばかり……と次第にはっきりしていく様をこうして直接見る機会もそうないだろうと思って、最後まで見届けた。
(………。)
こんなに濡れちまったら行けるところも限られてくるなと思った矢先だった。全身甲冑に身を包んだ教団の騎士からすぐに出撃出来る者が欲しいとか声をかけられて、恐らく暇そうなヤツとして急遽彼らの任務に協力することになった。学生は俺とたぶんここか各地にあるどこかの教会に就くのを希望しそうな、片手で数えられる程度の奴らだけで、俺がいるのが心底意外そうな様子だった。
(……はいはいもう少し級長として働けってことね~。)
と、笑みを深めながら“前向きな検討”をしようと心に留めておいた。でも俺を見た奴等に多少の安心感は与えてやれたらしい。緊張やら気を引き締まりすぎていた全体的な堅さを、此処の学生の手本のようなものに少し変えてやることが出来た。
大分兵種が偏っていて嫌な予感がしたが、案の定働かされた。
騎士団のほうですでにやること全て決まっていて、俺たちは突然駆り出された鼠や猫みたいなもの。
前後を騎士団の皆々様で挟み、俺たち学生組は残りの騎士達と一緒にその中間で、戦闘ではなく土砂崩れ等で避難してきた者達の引率、護送が仕事だと聞かされていたため、“こんなときまで”と取るか、“こんなときだからこそ”なのか、襲ってきた賊や魔物に動揺する奴らを正しつつ、矢を放って脚を遅らせることで騎士団と足並みを揃えるよう図ったり、まだ少し未完な技量だったが囲うように穿ち、動揺させたりした。
結局武器持って賊や魔物と対峙した学生は俺だけで、他は足を悪くした避難者の治癒や弱っている奴の励ましなどを行っていた。遠距離攻撃が出来るやつは俺を含めて僅か数名だった。……まあ遅い時間だしな。
しかしこの悪天候のなか野宿も大変厳しいだろうが、なかなかの決断をしたもんだ。足場は少々悪かったが激しい雨のお陰で鷹などが出現しなかったのは幸いだったと思う。
そこまではいい。人命救助や困ってる奴を助けるのは大事な仕事だ。
…………その先でも噂話が待っていたのには、少々うんざりした。
寄進や信仰等さえすれば、孤児の保護から何でもやるような評価できるところは結構あるんだが、小さいガキに出来ることなんてたかが知れてるのに、そういうのにも刃を振り下ろしそうな警戒心がお高過ぎる会話が聞こえてきて、これこそ阿呆な時の浪費だと思いながら、話題を変えるとかそんな間を取り持つようなことも行った。
(……ま、これくらいは仕事のうちだよな。)
帰還を果たし解散した後、結局……貴重な一日を無駄にしたと思った。
学生の俺たちはあくまでおまけ程度の人員だったし、その距離も出迎えみたいなもんだったが、こんな悪天候で暗く遅い時間の中を、無傷で帰って来れたことで強くなったのを実感出来たくらいが、今日の収穫かもな……といい加減帰路についていたが、はたと脚が止まった。
「………」
自分達を強くしてくれている人は、もう寝たのだろうか。
武器とか全て教団のものを貸し出された為、何の報告も要らないしする必要もない。労力のわりに何か高い経験を積めたとかの実感もない。
ただ今日、あの人を全然見てないなと思った。
あの人に興味を持ってしまうのは、いろいろあるけども……物事が大きく動くとき、あの人が居て。何か謎を調べたとき、あの人のもとに何故か集約・収束するような……そういう不思議な何かを感じるからだ。そういうのもなしにレアさんがあれだけ目を掛けるようなこともしないと思う。
……盗み見た限りセテスさんも取り繕ってはいるけど、あの人でさえどういうことか分からず、レアさんに問い詰めてるようなところも……。
やっぱり最終的に、何処に束ねられるかを考えると、先生を調べるのが一番の近道のように思うんだよなあ~……。
いやあ、全くもって謎過ぎる。謎に満ち過ぎている。此処も、あの人も、あの人だって……。
そこまで考えて、思った。
──いつもの調子に戻ってきてる、と。
今日はなんだかこうして物事を俯瞰し整理して考える力がなかったみたいだ……。答えが出て、すっきりしてきた。そしてほんのりと思う。
……俺もその束のうちの一人なのかもしれないな、と。
雨宿り出来るところに移動して服を絞ると笑えるくらい水が出た。
(……こんなの着てうろうろしてたのか。……俺が?)
全然気が付かなかった。気にしてなかった。ああ……なんだかドッと疲れが押し寄せてきた。
……部屋は本でいっぱいだし。片付けるのも面倒くさい。調合に使うものの準備をしていた途中だった気がする。
(…………無理だ、うん。湿気る。いろいろ終わる。)
「…………はあ~…」
……ちょっとばかし、休憩させてもらえないかね。
厳しい中にあるあの人の思いやりとか優しさが、今は恋しかった。
実は部屋の中にあるものを押し退け、場所を空ける気力も無い。全部駄目にする自信の方がある。
こんなことでこの位置を今は誰にも譲れない。
こんなくだらないことで築けてきている信頼を落としたくはない。
こんな……。
そういえば今日、すごい歩き回ったよなぁ……。いろんなやつが居るって改めて分かったしそれに……。
自分が今、どの地に立っているのか──。
彼はそれを思い知らされてもいた。だが否定する気は起きない。
ただ単に、事実、そうであるだけに過ぎないからだ。
異国が、第二の自分にゆかりある地が、そうであっただけに過ぎない。
……こちらもそうであっただけに過ぎない。
やりたいことがはっきりとした形には未だならず、道が見えて来ない。
……いや、違う。正しいのか、間違っていないか。疑わしいと自分が思っているだけ。
自分のやりたい事というのはそういうもので、道標とするものが正しくなければ、どうなってしまうのか分からない。すでにある枠内で叶えたい個人の夢や願いではなく、枠自体をどうにかしたいのだから。
──彼の悩みは尽きなかった。
此方に来ようと思ったときの情熱は尽きてはいない。だが、明確な答えというものが未だ夜の闇のなかに沈んでいる状態で、はっきりとは見えていなかった。
さながらそれは、まるで木漏れ日のようでもあり、詰まるところ答えという光がずっとそこに指しているわけではないことを彼は感じており、また人というのは気分や感情や心という不確定で不確かなものを備えていることが、彼の思考や感情の休息の時間を奪ってもいた。
確固として彼には理想とする、やりたいことが存在する。見たい景色がある。
だが光というのは強ければ強いほど具体的なものを白く飛ばしてしまっているのかもしれないと思うのは、当然の事ではないだろうか。
目指す先はそんな未知で未開の地なのか、それともすでに目の前に広がっているもので、気に入ってきている此処を改良したようなものなのか。
変動する、変更する、突然起こる出来事に、感情に、思いに、具体的な中身もまた異なってくるのではないかと、彼は自然と等しく変わらない、不変の物としたい道標に対して深いところまで沈み、潜り込んで、今日も一人思い悩んでいたのだった。
ベレトがいるであろう場所が、彼には仄かに光っているように思えた。強い光ではなくまるで夜空に浮かんでいる一番大きなものの周りくらいの……。そこに誘われるようにしてクロードは、なにかに惑わされず、確かな足取りで歩いていく。
得たいものに対して渇望する気持ちを抑えつつ、空元気で無理矢理に頭を回転させて、失礼の無いようやれるだけのことはやって、駆け込んでみることにした。
**
静かな、まるでひなたで読み聞かせでもされたかのような優しい声音で言い当てられて、不覚にも胸が高鳴った。
「……あんたにもそういう日があるんだな」
けれどそれは出さずにクロードは返す。勿論あるとベレトは頷いた。
「……そろそろ寝ようか。眠れるか分からないけど」
「そうだな。
………お? ってことは……?」
期待するような視線にベレトは仕方ないなと思いながら寝台の上に座る。その上にクロードも上がらせて、許可を出した。
「悪いな。それじゃ失礼して……」
クロードはそっと手を置いてみる。先程も置いてみて違和感があったが、確信に変わった。今度は耳を押し当ててみる。やかましい日だが、集中に集中を重ねてみる。
…………だが動かない上に、音もない。
「……一度横になってもらってもいいか?」
「ああ」
仰向けに横たわってもらい、その上から要は救助行為のようにしっかりと耳を押し当てたが結果は同じだった。試しに脈を押さえるとか息を止めるとかもしてもらったが、結果は変わらなかった。
「…………訳がわからん……」
「………だな」
クロードが腕を組みあぐらをかきながら首を傾げてる横で、証明されればされるほど自分は普通ではないことが分かっていくことにベレトは、悲しいとかよりも「じゃあ自分は一体何なんだ?」という思いが膨れ上がっていく。だが答えは出ない。寝台に全身を預けてボーッとする方が有意義な時間の使い方だろう。思わず息を吐いてそうする。
「……おーい、先生? 大丈夫か?」
「ああ、大丈夫……って、近い」
顔の近くで手を振られ、顔を覗き込まれた。額と眉間の辺りに手刀を軽く落とす。
「おわ……って、もっと強くやらないと駄目だろ、先生?」
「……他の生徒には、そもそもこんなことしない」
「やってたら驚きだ」
クロードは何が面白いのかくつくつと肩を揺らしながら愉快そうに笑う。
注意したつもりだったのにと涼しい顔をしてる彼に、髪を耳に掛けて上げるような動作で右手を伸ばしてみる。…まだ完全には髪が乾ききっていなかった。いや、湿気のせいかもしれない。
拒まれる様子も見られない為、ベレトから見て右側の前髪を少し上げてみるといつもの彼が顔を出すが、半端にやったせいでまた違う印象を受けた。………すごい。そして面白い。
「……そういえばこの間、何を思って髪を編んでくれたんだ?」
「え……まあ大したことじゃないけど」
「知りたい」
「積極的だな。………楽しく過ごせるようにとか、そんなだよ」
「そうか。ならちゃんと効果があったな」
「え?」
「皆の年相応なところとかが見れて、楽しかった。ありがとう」
────。
そんな、なんてことない礼が、今日は突き刺さる。
「……大げさだよ。それにほとんどあんたの力だろ。皆あんただから落ち着きがなくなるのさ」
「それは……教師としては、駄目かもしれない、な……」
あまりにも真面目な返答にクロードは吹き出しそうになる。
「またやってやろうか?」
「どうしてそうなる……」
…………だめだ、堪えられない。ぷはっと笑いが漏れ出てしまった。こういうとき、この人は年相応になる。ジェラルトさんに大事に育てられたのが分かってしまう。
「……けどまた、ああいう皆が見れるなら、見たいな」
「ああいいぜ、お安い御用だ」
……穏やかな時間が流れる。つい、思っていたことがそのまま口をついて出た。
「…クロードのは──ああいや、何でもない」
「なんだ、言いかけてやめるのはよくないぞ」
「いや、君は何を思って編んでいるのかと聞こうと思ったが、前に断られてたな。
それを思い出した、すまない」
「べつに謝ることないさ。……んー、泊まらせてくれる礼として、手がかりくらいは教えてやってもいいぜ?」
「! …知りたい、聞きたい」
ベレトは上半身を起こしてクロードを見つめる。それに合わせてクロードは少し後退する。
「わかったわかった。じゃあ、手がかりな。
……俺が自分でこの髪型を始めたわけじゃない。……この意味、分かるか?」
「……?」
「…小さいときから、こうだったのさ。──これ以上は言えないな」
「…………、つまり──」
「おっと、口にするのは無しで頼むぜ?」
「わ、わかった……」
なんか注文が多いようなとようやく思うがそれよりも、かなり良い手がかりを言ってくれた気がしてそちらに意識がいく。
(………。)
────……つまり、クロードにも分からないということだろうか?
それが本当なら、何だか意外で言葉を失う。
「………」
「……さて。おーい、先生~。そろそろ寝てみようぜ。雷は落ち着いたみたいだしさ」
「あ、ああ……そうしよう」
…………ということは、その髪型にした者にしか真相が分からないということか……?
それなのに続けているのが、何だかまた意外で、けれど意味のあるものに感じた。……その“意味”とは、一体何だろう……?
「…………っくく、驚き過ぎだろ。いつまでそうしてるんだよ」
ほとんど同じ姿勢でベレトは固まったままになっていた。
「そう言われても……。意外だったんだ」
「そうかい」
いやでも分からないなんてことがあるのだろうか。何か知ってるから続けてると考えたほうが納得出来るけど……。
そうしてベレトがごく自然に寝具から降りようとすると、クロードが止めた。
「あんたもこっちで寝なよ。今日床で寝るのは、体に障るだろう」
「…だが……」
「俺は構わないぜ。あとは、あんた次第」
「……………………良くない聞き方だ」
首を横に振りながら彼に注意と不満を促し、共に眠ることにした。
今日は少し教師と生徒という立場で考えるのはよそう。彼の前ではあまり教師として取り繕っても意味を成さないときがある。
再び寝台に上がり直して壁側にクロード、手前にベレトという形で二人横になったが、少々狭く、少し動いただけで軋む音が響く。彼がその音を出す度につい彼の方を見たくなってしまう。
(……魅力が高い、とはこういうことなんだろうか……。)
少しふざけてそんなことを思ったが、少なからずベレトは彼に淡く惹かれていた。
だが年相応の恋と言うには身勝手で肉体的な欲がなく、つまりはそういうものではないのだろう。
仕事で生じる使命感ではなく、自ら生じる献身的な想いがベレトを時に動かしており、その想いが通じたかのように自らに還ってきた瞬間、ベレトの内では今までに感じたことのない高揚感のようなものを覚えた。その高揚感は傭兵という仕事のなかで少なくともベレトは感じたことのないものだった。
日が経つごとにそれを感じる機会が、信頼と比例するように増えていく。そのなかでも彼から得られるものは大きかったようだ。……と、まだ無自覚の段階であったのに、こうして一夜を共にしていくなかで気付いてしまった。
あの笑っていなかった目がそうでなくなるときが見られると、こちらも嬉しいと感じる。こちらが本当の彼の姿なのだろうと思う。
それなのに普段何がそうさせないのかは、言葉にするのは難しいが分かるつもりだ。
ここで様々なことが起きながらも皆と同じ方向を見て、しかし同じ位置で見るばかりではいけない。彼はそういう立場にある。苦楽を共にし、時に励まし、時に誰よりも警戒し、時に何かに惑わされずに、自分にとって、この集団にとって、何が必要なのかを見極め、見失うことなく良い方向へ行くため日々を過ごさねばならないのが何よりの証拠に思う。
──要するに、ベレトはクロードに憧れのようなものを感じていた。
自分が彼のようであったなら……。そう思ってしまい、もっとジェラルト達と違った日々を過ごせていたに違いないと想像してしまう。もっともこれは彼だけでなく金鹿の皆や他の生徒たちも当てはまるのだが……それでも物事に人に何事にも興味を抱いて疑問を持つということをあまりして来なかったベレトにとっては、見習いたい姿勢であった。
そんな彼らが少しでも彼ららしく過ごせる時を増やしてやれたら……と思う。
聞いた話や予定表を見るに一年間だけの学校生活らしいし、最終的に気持ちよく良い思い出を胸に、皆が此処を後にしていけたら良いと思う。送り出せたらと思う。
(…………。)
眠るには少し、考え事をしすぎだな……。
大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出してみる。それを繰り返して気を落ち着かせるよう試みる。目も閉じてみると意識が休息に向かって歩みだしていくのが感じられた。
(………そういえば、今節が彼の誕生した節だったな。)
背を向けて転がっていたため向きを変えると、彼が此方を向いて横になっていた。ぼんやりしてる様で、ちゃんと休めているみたいだ。自分もそのようにして寝転がり、彼の休息を妨げないようしていたが……目が合ってしまった。
しかし暫く、互いに逸らさず深いところまで映さず、まるで自分の姿が映っている鏡や窓を見るように見つめ合っていたが、クロードはフッと笑みを浮かべて目を細めた。……クロードが根負けしたとかではなく、ベレトの方が先に水面のように揺らいだ為である。
「……なんだ、どうした?」
ベレトにしか聞こえないような声量で、少し眠たそうな飾らない調子で問われる。
…やっぱりちょっと疲れてるんだろう。でも眠れそうなのはよかった。
何と返そうかとそのまま見ていると咳払いをされ、枕に顔を半分埋められてしまった。視線はそのままだが、顔が耳が少し赤い。──それで大事なことを確認していなかったことに気づいた。
こんな天気のなかを訪れたんだ、熱があってもおかしくはない。確認して良いか聞くと、こちらをじっとりと見る視線が和らぎ短く許可を貰えた。額や首筋に触れて確認したがしかし、熱等は無さそうでそれを伝えると、ちょっと自信ありげに口角を上げ「そこまで柔じゃないからなぁ~」と言って穏やかに微笑みながらベレトを見る。
(……。)
緑色の瞳がきれいに、穏やかに光っており、此処に来たときより良い顔色にもなっている。不思議な達成感を覚えた。
「……クロード、少し良いか?」
「ん、なに……って、えっ──?」
ベレトはクロードを抱きしめてみた。
突然のことにクロードは動揺するが、ベレトは落ち着いており、暫くそのままでいた。
(…………なるほど、こんな感じか……。)
そう思ったあと、両目を閉じてしっかりと抱きしめたり背中をさすったりなど、ベレトがしたいと思ったことをいくつか行ってから回した腕を緩めて彼と少し距離を取った。とりあえずベレトのしたいようにさせていたクロードは解放されたのを感じて問う。
「……先生、今のは…?」
「うん。……君みたいに上手く言えないから正直に言うけど、ふと抱きしめられた経験も、抱きしめたこともそうなかったから、同じことをすれば少しは君の気持ちが分かるんじゃないかと思ったんだ」
(……つまり原因は俺かぁ~。)
…………クロードの顔は更に赤くなった。
「……そうですか。で、何か得るものはあったのか、せんせー?」
「ああ……何かが満たされた。君でいっぱいになった、ありがとう」
「…………」
「それと大事にしたいとか、大切だというような気持ちが増した。……もう一度するか?」
「!? いや、もう寝ようぜ?! ……な!?」
「……そうか」
……いや、何でちょっとガッカリしてんだよ?! 俺のせいか? いやいや……。
一旦落ち着こうとクロードが両目を閉じながら寝る体制を整え直す横でベレトは少しシュン…としていた。さっきのは自分が理解したいと思っての行為であって、彼のことを思っての行為ではあまり無かったから、「今ならさっきより応えられるぞ!」……と言葉足らずの思いが伝わらず、散ったことに少しシュン…としていた。
二人は暫く天井を見つめたり背中を向けあったりしていたが、今度こそ二人は言葉なく静かに向き合っていた。気まずいような気持ちはなく、だが互いに眠れないのは何故かとベレトは思ったが、考えるまでもなかった。この挨拶という区切りがきちんと無かったからだろう。
「クロード」
「…ん?」
「…明日もよろしく。……おやすみ」
「…おやすみ、せんせ」
二人はようやくうとうととしてきて………眠りにつくことに成功したのであった。
ーーーーー
◇翌日。
そういう時季でもあるため安定はしないが、天気は晴れ。のちに曇り。
「おはよーマリアンヌちゃん、リシテアちゃん、レオニーちゃん……」
「おはようございます、ヒルダさん…」
「おはようございます」
「…おはよー」
「昨日はよく眠れた? あたしは全然だったわ~……いや結構寝たけど…。浅い眠りって言うのかしら、その繰り返しだったわ……」
「昨日は大変、でしたよね……」
「リシテアちゃんとレオニーちゃんは……?」
「……あ~、なんか忘れてると思ったら、ヒルダだったか!」
「え、なになに?」
「昨日は三人で一緒に寝たんだよ」
「…ええっ!? な、なんで?」
「そんなのリシテアが──」
「れ、レオニー! 待ってください、違います。マリアンヌの部屋が雨漏りしてて、それで一緒に寝たんです。ですよね、マリアンヌ?」
「え、あ、はい……」
「……ははーん、ヒルダちゃん分かっちゃった。でもひとまずは、そういうことにしといて~……、それでそれで?」
「あー、うん。えっとそれで……雨漏りを何とかするために呼ばれたんだよね。廊下でおろおろしてたから怖いのかと思ったら、そういうことだったんだよ」
「あちゃー、それは災難だったわね…」
「はい……」
「それを見たリシテアがさ、最初ビックリしすぎて声もなく固まってたんだよね……ぷっ、くくっ…」
「わ、笑うことないじゃないですか……! だだ、だってあれは、ほら……ね! マリアンヌ! 説明してあげてくださいっ?」
「あ、はい、その……寝間着で、髪も下ろしてたので……リシテアさんと丁度顔を会わせたときに、雷が落ちてしまって……」
「あ~……うん、それはちょっと驚きを越えて、怖いって思っちゃうのも……」
「ですよね……?!」
「それにマリアンヌちゃん、背も高い方だし……目元なんか、こう暗くて……」
「そうなんですよ…!」
「す、すみませんでした……」
「……でもでも~、どうしてリシテアちゃん、廊下に出ちゃったのかな~?」
「えっ!? えーっと、な、何でだったかしら……ほほ、ほ……」
「マリアンヌちゃんが用があったのはレオニーちゃん。二人が一緒に寝るのは分かるけど、リシテアちゃんは~……」
「うっ……そ、それは、その……」
「…うふふっ。まーでも、全部あの天気のせいってことよね」
「そうだな。んで、ヒルダは何もなかったと」
「そうね~。けど今あったって分かった感じだわ……。ねえねえ、今度はあたしも呼んでよ?」
「それは良いけど、私もそんなに眠れてないんだよな~。その覚悟をしてからの方がいいな」
「そ、そうですね、おほほほほ~……」
(((分かりやすっ……)))
「諸君、おはよう。……おや、女性陣が皆お揃いとは。何かあったのかね?」
「ローレンツ君、おはよー。昨夜の話をしてたのよ~」
「ああ、昨夜は凄まじかったね……なにも問題なかったかな?」
「うん、平気平気~。でも今日はみーんな、寝不足かもな~」
「おはようございます」
「おはようだぞ!」
「あ、二人ともおはようー。昨夜は眠れた~?」
「いえ、僕はあまり……。雷が鳴る度に起きてしまって……あはは……」
「分かるわあ……あたしもそうだったの。ラファエル君は?」
「オデは平気だったぞ。けど妹のことが少し心配になっちまったなあ」
「ラファエルは本当に妹思いのお兄さん、だねえ~」
「……お、急に賑わってきたな」
「あとは先生とクロードさんだけ……でしょうか…」
「そういえば……昨日は珍しく、クロードを書庫で見掛けませんでしたね」
「へー……なにかあったのかな?」
「先生は授業のあと、やる気のある皆を見てたから一緒じゃないと思うし……」
「──皆、揃ってるか」
「噂をすれば、ですね」
皆で頷きあってそちらを見ると、クロードも一緒にいた。そちらには「あ、夏服だ」程度で皆さほど目もくれず……。
「あ! 先生その髪型!」
「ああ……うん、またやってもらった」
「ほんと可愛いですよそれ~! あたしも下に結んでおさげにしちゃおっかなー? ああでもそういうのはリシテアちゃんの方が似合いそうねぇ~…」
「え、私はいいですよ、そういうの…!」
「またまたぁ~……。ヒルダお姉さんがやってあげるわよ?」
「い、いえ、結構ですっっ!」
「──とか言って、そわそわしてるんだよなリシテアのやつ……。
うーん、私も少しは伸ばそうかな? でも楽なんだよなあ~これくらいの方が……」
「髪の長いレオニーさん……」
「……さすがに私はあんたらみたいなところまで伸ばさないよ」
「そ、そうですか……」
「……描いてみましょうか、僕。…………な、なんちゃって……」
「えっ!」
「ほう…」
「おお、オデ見てみたいぞ! きっと格好良いんだろうなあ~」
「ラファエル君もそう思いますか? 僕もレオニーさんなら髪が短くても長くても素敵に映るだろうなあと思って……」
「えええ……や、やめてくれよぉ~」
「……」
「…クロードのやつ、相当気に入ってるな」「そうね、あたしもそこ気になってた」「お揃い…」「二度あることは三度ある……。三度目来るよきっと」
「クロードと先生の部屋ってどれくらい距離あったっけ?」「偶然会ったんじゃない?」「あいつに限って、偶然なんてあり得るか?」「毎回計算もないだろう。もしそうなら怖いわ」
「お互いなに考えてるんだろう?」「……言われてみると分からないな」「ホント不思議ね~……」
「湿気が多いと髪型決まらないんだよなあ」「分かるー。妥協も大事っていうけど、なあ?」「でもそんなん理解して意中の人は判断しないだろう? 基準外にされるのが落ち。難しいよなあ」
「~っああ、俺もぎゅんっっぎゅんっっっするような恋愛してえ~!!」「うるさっ、なんだよそれ~!」「悲恋で終わるぞ、やめとけやめとけっ♪」「ひどいっ!」
「そういや昨日クロードのやつ……」「俺も見た。何だかんだ級長……」「へー、昨日の嵐が全部……と思ったけど……」「なんか今朝は良…空気だと思っ………そんなことが……?」「意外と真面目ってか、意外と他が……?」「しーっ、怒られ……どこに刺客が……分から……」「何で今年に限って物騒なんだ……祈ろう」
「見て見て、ほら」「おお、見事な編み込み……。僕のもやって~」「お前女子に甘えたいだけだろ!」「いいわよーやってあげても。ただし、規則正しさ溢れる古式ゆかしいおさげ限定ね」「はあ~??」「だっはっは!」
「…虹見た?」「見た見た!」「彼女と見た」「あ、そういうの要らない」
「風紀の乱れを感じるわ…」
「うお、別の学級のやつが覗いてるぞ!」「誰だよちゃんと閉めなかったの!」「…クロードじゃね?」「…先生では?」「いや別にいつも閉めてもないでしょ」「そうだっけ?」「授業見に来る奴もいるしなあ。あのほら、ちっこいのとか」「孤児の子達だな。まあ他の学級にはなかなか踏み入れにくいだろうさ」「同感」「そして慣れた子達は他の学級に旅立っていく……」「寂しいこと言うなよ……」「猫とかまで来てるのはどうなのよ」「動物愛が高いのがいる証拠でいいじゃないか」「「「それもそうかー」」」「鳥とかまでは呼ぶなよ?教室内に巣でも作られちゃあ困るぜ」「それはそうだな」「授業に集中出来なくなっちゃうのは困るなあ」「可愛いんだけどね、鳥~」
「……三つ編み出来る動物って意外と少ない…?!」「何だ突然」「言われてみればあまり見ないかもねえ、そういうので飾り立てられてる動物」
「…はあ、金鹿は本当に自由ねえ~。ある意味、乱れてないのかしら…?」
「……」
「ちょ~っと1回目と違う様相を見せてるが、どうだ?」
「クロードこそ。今日は流石に此方だけの力じゃないと分かったんじゃないか?」
「…んー、そうみたいだな」
「……違うなら聞き流してくれて構わないんだが」
「?」
「……皆の気持ちや意見を聞くのは、良いと思う。とても。傭兵をしていた身としても、きっとクロードは良い主になるだろうと思う。
だがそれで、君が苦しく、重たくなるのなら……それは少し、聞き過ぎてるんじゃないかと思う」
「……」
「何かを覗き過ぎていて、立ち入り過ぎていて、許し考慮しすぎていて、君がそれらに埋もれてしまっている状態にあるんじゃないか、と思う。
……つまり、そこで頭を悩ませたりするということは、君がそこで立ち止まっている証拠、なんじゃないかと……。決して悪いことではないと思うが、な……」
「先生……」
「クロードにとって何か大事なことを得られるのであれば、悪いばかりじゃないだろう。
だがそうじゃないのにそこにいて、抜け出したい場合。本当に大事なことだけに絞って、堂々と取り組んでいけば良い。そうすれば自ずとそういったことに集中出来て、道も見えてくるはずだ。
もしその大事なことが間違っていたとしても、きっと皆、君を叱って正そうとするだろう。少なくとも、自分はそうする」
「……そうか。でも、何でだろうな?」
「……無論君だけじゃなく、皆が良い人生を歩めたら、と願ってる。良い人生を歩みたいのは、皆同じはずだ。だから君のことを、誰かのことを、叱る気持ちがそもそも起こるんじゃないか?」
「…ああ、全くもってその通りだろうな」
「けど、皆はそれだけで君を叱らないと思う。自分の幸せばかりじゃなく、君のことを思って叱ってくれると思う。もう全く知らない相手というわけではないし、楽しいと思う瞬間を君はよく皆に分け与えていて、それを皆も感じてきているはずだ。
それらに、何も感じない、揺り動かされない皆じゃないと思う。……そうだろう?」
♪~~♪~~……
「──授業を始める。皆、席についてくれ」
音が鳴りやんだあと、静かな教室内にベレトのはっきりとした声が通る。皆それに従い、席についていく。
クロードは教卓に向かうベレトの背を見て、何故ベレトがそこまで言い切れるか、感じ取った。
──あの人は、本気なんだ。
本気で俺達に向き合っている。だからそうである筈だと思いきれる。……信じているんだ。
「……クロード君、なんだかご機嫌ですね?」
「…まあな」
「何で?」
「言うわけないだろ?」
にやりと彼は笑う。先の言葉も響いたが、彼は今日こちらに来てはじめて自分以外に、そんな御方に、髪を編まれたことを思い出して気持ちが上手く抑えられなかった。
ーーーー
「………え、自分が?」
「ああ、編めるんだろ先生? それとも嘘だったのか?」
「いや嘘ではないけど……」
今朝、クロードは礼を言って自室に戻ったのだが、なぜか戻ってきた。
そっちでないとやれない用事を済ませて、夏服に着替えて、ここで一緒に支度をしている。
……よほどこちらの朝の支度やら何やら気になったのだろうか。
そんな支度中にクロードは質問した。ジェラルトさんの髪は先生が編んでいるのか、と。ベレトは答えた。
「……いや。けれどやってあげるときもあっ、た……」
ハッとベレトは言いながら気づいた。ジェラルトはあの髪型にこだわりがあるのだろうか? と。ベレトは何も知らなかった。
しかしクロードにとってそこは考えにないくらい問題ではなく。
「へー、じゃあ先生、編めるんだな。ますます謎が深まるが……まあ、もういいかこの話は」
あまりにもいろんなことが秘められ過ぎてる先生に、いつかの早朝のことは遠くへやってしまうことにした。彼の記憶の引き出しにだって限界と容量というものがある。
「もしまた先生にこんな不思議なことが起こったら、その時の俺……どうか思い出しま……いや思い出せよ~、うん……」
「?」
「──でだ、先生」
「あ、ああ……なんだ」
「髪、やってくれないか?」
「……嘘ではないけど、大事なものだろう。いいのか?」
「ああ」
戸惑いつつも片方だけ長い髪に触れる、その寸前で、もう一度問う。
「……本当に、いいのか?」
「いいよ。先生の読みが正しければ、俺がこう言う理由も分かるはずだ」
「……」
たぶん良いところまで答えは出ている。しかし彼が込められているものを知らないままこの髪型を続ける理由に、ちゃんと答えを出さないまま昨日は寝てしまった。
…………伝統? 文化? どんな願いを、誰が込めたのか……。
「…………」
「……なんか思って編んでくれればそれでいーよ」
「…分かっ、た……」
「……っ、くく……フフ、ふ……」
「…………まったく。自分でやったらどうだ?」
そう言いつつベレトは彼の髪をとかして、三つに分ける。明らかにムッとしながらもやるその姿がクロードにはおかしく映った。
「言い出しといて、やっぱ無しはダメだろ?」
「この場合はべつに良いと思う……」
自分とも父とも違う髪質だった。艶があって、けれどうねりがある。これは湿気のせいではなく、元々のようだ。いつも編んでいることでか癖もついてる。
「……」
黙々と編んでいく。今日は授業だけだからよかった。戦闘中も崩れないようにとなると、ちょっと自信がない。父と彼とでは動きが大きく異なるから。
……真面目に、思いを込めて編んでいく。見た目も、いつも目にしていた彼を思い浮かべながら、しっかりと詰めて……。
───こんな感じでどうだろう。
「……あ」
「ん、どした?」
「最後、いつもどうやってるんだ?」
「ああいいよ。そこは自分でやるから、最後まで編みきってくれ」
「分かった」
毛先まで編み、彼に渡した。ついでにそれを見ておいた。が──早すぎてよく分からなかった。
「丁寧にどうも。……んで、何を思いながらやってくれたんだ?」
「……」
「…?」
「…………言わない」
「…えっ?」
何を言われたか一瞬理解が出来ず聞き返したが、じとーっと目だけで何か訴えてくるベレトに対し、クロードは身に覚えが有りすぎて困った。
「うっ……えーっと、わ、悪かったよ! 確かに昨日からいろいろ勝手してるよな、俺!」
「……」
…………困った。そう素直に非を認められても。昨日の彼を思い出すとそう強く出たりも出来なくなる。
仲良くやりたい気持ちもあるし、昨日みたいな彼になるくらいなら教師のようにするのをやめて、何事があったのかと一人の人間として真摯に向き合うのが正しいと思ってしまう。でも自分がそればかりするのは彼によくないことでもあると思う……。
「…………はあ。本当に、まったく……」
「あ、あはは、なんか悪いなせんせ~……。でもあんたもあんたなんだからな?」
「どういう意味だ」
クロードはベレトが泊めてくれたことも意外だったが……無表情、悪く言えば取っ付きにくいと思う者がいても納得のこの人のことを、思っていたとおりのところもあったが、そうでない面を昨日だけでも沢山見られて、口が滑った。
もう少し身も心も冷たい傭兵然としている人と思っていたため、意外だったのだ。知らないことが多いだけで無関心という訳じゃなく、この人も突然なってしまったというのにそれに囚われず、努力して教師になろうとしていたことを感じられて、クロードは少し気が緩んでいたとたった今自覚し、それを認めて誤魔化すように照れ笑いを浮かべた。
その様子を受けてベレトが口を開く。
「…………いつもの君相手なら、自分だってもう少し考える」
じーっとベレトはクロードを見つめた。二、三歩下がり全身も確かめるように見る。
「……な、なんだよぉ~?」
そして再度近付き頬に触れて、その形をなぞりながら一言、二言、重ねていく。
「……昨夜、何も食べてないだろう。昼も食べたのか? 朝は?」
これだからため息をついてるし、こちらが悪いとばかり言われても、と指摘する。彼の頬はうっすらと痩けているように見えた。実際に頬骨にすぐ触れられるのはともかく、そのまま下へなぞると内側に凹むようにしてなぞれた。
なぜ気づけなかったんだろうと昨日の自分を蹴り飛ばしたくなる。
…昨日は少し特殊で、全員での授業は午前中だけだった。
というのも天気が崩れる恐れがあるというレア達の読みがあってのことで、その後はやる気のあるものや見て欲しいというものを片っ端から見るという、名の知れたクロード達以外の者をみっちりと見る予定がベレトには入っていた。
そのため授業後、彼を始めとした皆とは珍しく接点がなかったのだが…………とはいえ、間抜けだったと反省する。
そうしてわずかな触診をやめ、頬から手を離す。
「そういや何も食ってなかったな……」
ぽつりと呟くように言ったクロードに、やはりかとベレトは頷く。
「けど平気だって。たった1日食わなかったくらいじゃあ死にはしないし」
にかっとクロードは笑って見せ、気ままに肩や首を回したり伸びをして見せた。その様子から全くいつも通りに見える。無理してる様子でもない。──侮るなと言ってるようである。
……それはいいのだけど。
「……以前、食事の時、君に言われた言葉……結構、嬉しかったんだけど、な」
「ん…?」
「ここでの生活に、また別の意味が出来た気がして……。君みたいに思う時が訪れても、はっきりと言葉にできる力が自分にはあまり……まだまだないから……」
彼に対しての尊敬と自分に対してのいくつかの小さな悔しさがあった。
「……良いなと思ったんだ。そういう風に思いながら皆と過ごす、皆と向き合うって。君にとっては記憶にも残らない軽口だったとしても、まったく思ってない者から、そんな言葉が出るとは思えない」
“食べることは生きることと同義だ。あんたと飯が食えて、嬉しいよ。”
……そう言われて、こちらこそ嬉しかったり、救われた心地にならないはずがなかった。
その言葉が単に自分と距離を詰めるだけのものではないと、彼と共に過ごし、見ていればちゃんと分かる。
「……要するに。生徒の経験もなく、勉強し試験での採用でもない。ちゃんと段階を踏んでいない自分に、教師が勤まるのだろうかと実は思っていたんだ。……誰にも言うなよ」
自分に対しての不安。それがあるのに教師というものが勤まるはずがないとベレトのなかでまず最初に消そうと思ったことだった。だが不完全に何となくであったり、無理にそうしてもいけないのだと、その言葉で気付かされたのだった。
──まだまだ至らぬところがある自分であっても構わないのだと。
それが一緒に同じ時を生きるということなのだと、言われたようだった。
……ベレトの纏っていた取っ付きにくさとも呼べるものは、傭兵の面だけでなく、「教師然としていなければ」という緊張感であったり慎重さ、いい加減にやりたくない気持ちの現れ等で出来てもいた、鎧のようなものだったわけである。
クロードになにか反応する空気や間を与えず、ベレトは続けた。
「──君にとって楽しい、良い1日になるようにと編んだ。そういう日になるといいな」
励ますように肩を手の甲で軽くポンと叩いて、ベレトは微笑む。……朝露に濡れてこっそり今日も輝いている植物のような笑みだった。
ベレトとしてはもっと明確に言いたいところではあったが、例えば自分がそういう日にする、と言うのはある意味相手から自由を奪うことでもあると思い、迷惑になったり独り善がりなものになってもいけないと、想いという形で“すぐそこに自分がついている”、と込めるに留めた。
そのまま扉に向かって歩き出していこうとするベレトの手首をクロードは掴む。
「…?」
「……礼が、まだだったよな。ま、礼なんてほどのものでもないが……」
そのまま引き寄せ、立って欲しい位置でベレトを受け止める。
「髪、やってやるよ。同じこと思いながら、な」
「…! ありがとう」
「……」
何がそんなに嬉しいんだか……。でもそのように思っているのだと分かると、少し調子が狂った。遠くからだと分かりにくいが、今はすぐ目の前にいて、他に人はいない。
──自分を見てどういう表情をしているのか、よく分かった。
昨日のは幻なんじゃないかとも思ったが、俺はしっかりと先生の部屋で目を覚ました。
だが後に起きたってのに、おはようの挨拶と新鮮で冷えた水を一杯差し出してくれた。
他のやつが知ったら羨ましいじゃ済まない待遇だろう。起きたならさっさと出ていけと言われても何らおかしくないのに、何も言われなかった。今日が休日とかだったら……勢いと若さに任せて突き進むやつもいるだろう。俺も今日が休日で予定も特に無かったら、この人を連れ回したり一日そばにいさせて礼を尽くすような日にしたかもしれない。
室内は本当に微かにだが空気が良い感じがした。…昨日には無かった植物が飾られている。水を汲みに行った時にでも摘んできたのだろう。
いつもこうやって朝の時間を過ごしているのかと聞いたら、沈黙のあと、少し気恥ずかしそうに首を横に振られた。
「…こういう朝を過ごしてみたいと思っただけ」
──つまり理想の実現? 生活改善? ……いやいや。
分かってしまったら此方もなんだかそういう気分になってしまい、自然と背筋が伸びて両手で器を持って水に視線を落としていた。
自身のためにしたのは間違いないだろうが、俺のためにしてくれたことでもあるわけだ。
(……ふっ、ふふふ……どうだ羨ましいだろう。両手で持ってるとまるであの人らしさを直に感じてるみたいだったし、ていうか寝具からはあの人の匂いがしたし…?!)
………などと、彼は何か誤魔化すように過去の可哀想~な自分にまるで自慢するように出来事を整理していった。
(……あーあ、今日が休みだったら、恐らく本当に一日中、この人を自分のものにしただろうな。)
残念ながら今日も今日とて、学生として過ごさねばならない。うんざりしながら聞いていた過去の彼らもその点だけは納得や同意した様子を見せた。
振り回し、感謝してまた振り回し……何事もなければ無邪気にそうしただろう。
「……っし、出来たぞっと」
「ありがとう」
お互いに姿や顔色がいいことを確認して彼らは微笑み合う。だがベレトの顔が僅かに痛みに歪み、少し伏せた。
「……っ…」
「? どうした、何か……」
「あっ、いや何でもない。気にしないでくれ」
何か明らかに気まずそうな様子を見て、……ああもしかして、時々見るあれかとクロードは思い至った。
だがそれについて……今はこの空気を壊したくなくて流すことにした。たぶんこの謎はどこにも逃げないだろうし。いい加減飯を食えと言わんばかりに頭を使おうとすると微かに頭痛を覚え始めてもいた。
気を取り直すようにベレトは息をついて、クロードに向き直る。
「……教室にいく前に、少し食事を取ろうか」
「ああ」
ベレトの手により、扉が開かれる。
──眩しい朝日が、清々しい空気が、二人に射し込んだ。
「……お、見ろよ先生」
彼の指す方を見ると空には虹が架かっていた。それを見て自然と金鹿の皆を思い出し……自分にとって彼らはそういうものなのかもしれないと染み入るように腑に落ちた。
「……知ってるか先生。あの虹と水やりしたときなんかに見られる虹、出る条件は同じなんだぜ」
「そうなのか?」
「ああ。天気が悪い日に水やりしてもあまり見られないだろう? つまりは陽も虹発生の条件に必要なんだ」
「へえ……」
「細かいことを言うと、光の当たり方にあるんだがな。だから条件が揃わないと見れないんだ」
「なるほど……じゃああれは? 夜、一番大きな星が見れないときや形を変えるのは……何なんだ?」
「お、いい質問だな。……んー、先生は天体について何か知って…」
「?」
「ああいや、分かった。大丈夫」
「えっ」
「……ははっ! 先生に興味を持って貰えて嬉しいが、朝にするには時間の足らん、収まらない話なんだ。──とりあえずだな、あれは陽と違って自ら光ってないらしい」
「えっ!?」
「驚きだよなあ。まあそうなんじゃないかってのが今のところの話のようだが。頭が混乱するかもしれないが、あの星も日の光を受けてのものなんだ。つまり照らし出されたものなんだよ」
「……?」
「……おーい、大丈夫か先生? 無理して深いところまでいくなよー?」
「あ、ああ……。……えっと、つまり、見えないときは光が当たってないってこと……なのか?」
「お、そうそう。さっすが先生」
「……いや、よく分かってない。ええとつまり、……??」
「……順番に整理しよう。
まずあれは光ってない。自ら光を放つ術を持ってない。んで透き通ったりしているわけでもない。だから想像するに、暗い部屋で物に蝋燭の火を近付けて当てたときみたいになってて、その様を俺達は見てる、って感じだ。第三者の視点からな」
「ああ、なるほど……。ん、ということはつまり、あの星は……」
「うん」
「……いや、ううん…………」
「…いいぞ、言ってみてくれ」
「…………あの星は、実は……いつも出ている、のか?」
「おお、本当に凄いぞ先生! 実はそのとおりらしい」
「い、いや……」
何だか急に照れ臭くなってベレトは頬をかいた。
(…なんでこんな必死で考えて、こんな話をしているんだっけ?)
「だからあれは出ていないんじゃなくて、正確には見えないってことだな。光が当たってないから、見えないだけ。……ま、言い方は自由だけどな」
「なるほど……」
「だけど虹とあの星は同じじゃない。……綺麗なことと天気と光が揃って俺たちも見ることが出来るのは一緒かもしれんがな。
虹はいつも出現する訳じゃなくていくつかの条件がいるんだ。霧みたいなもんだから。だからじょうろから出現した虹には触れるが、実際は水に触ってるだけで手のひらには虹が残らない。
一方であの星はそこらの石ころと同じように手の中に残り続けるもの、だと考えられてるらしいぞ。……ま、そんなところだ。勉強になったか先生?」
「……ああ」
…と返事をしたものの、根本的な謎は残った。なぜ昼も夜も見られるあの星と半日しか見られない陽という違いがあるのか。とても大きな規模のことが分かっていないままに生きているんだなと思ったが………それよりもクロードがこういう話を出来ること自体を楽しんでいる感じがして、そこに自分が懸命に頭を悩ませた意味が少しはあったのかなと思えた。
再び二人は虹に視線を戻す。
(……そうだ。あの虹を彼らだと思ったのは──彼らがとても輝いていると思ったからだ。)
自分のやることというのは、きっとそういうものを強くするためにある…のかもしれない……。
不確かなものではなく、確かなものと少しでもするために。
それに気づいたベレトの胸の内もまたきらきらと輝きを増していった。
二人はその美しい架け橋を胸に、水溜まりがある景色すら楽しみながら歩き出していく。
──今日も明日も、もっとそういった日にするために。
どれだけ月日が経とうとも、皆はあの失われない景色のようなのだと、気づいたのだから。
おわり。
ーーーーー
おまけ 戦後のある日
「へー、そんなことがあったんですね」
「クロードったら、私より子供じゃない……ふふっ♪」
「でもオデは妹のこと気になってばかりだったから、先生の気持ちも分かるぞ」
「私も……クロードさんの気持ちも、先生の思いも、分かる気がします…」
「しかし……あいつは本当に、肝心なことをはっきりと言わない奴だ。あの悪癖……先生、今のうちにどうにか直させたほうが今後のためになるのではないか?」
「そうだね。あたしらはいいけど、皆そんなに気が長くないからなあ」
「ですが僕達の目指すものはクロード君みたいな、先生みたいな、特に何か有るでも無いでもある僕たちも、等しくただそこに居ても、誰からも何者からも咎められたりすることのない世界……。
……ですよね、先生?」
「ああ」
壁のない世の中とは、そういうことだ。人と動物という別の生き物と深い絆が築けるように、相手のことを敬い、認められる気持ちや心を持てれば、それは可能なはずだ。
時にそれで争いが起きても、“度”や“相手にも自分と同じくらいの大事なものがある”という基礎の概念があれば、規模をわきまえ己を律することだって可能なはず。
その為には、各々に満たされるものがあり、余裕というものがないと難しいとは思うが……。
その難しくて儚い時期や世界に、誰もが憧れを抱き、本気で目指すものが現れたら。自分はそういう者の力になりたい。
何故なら自分も、いつも思い出す一番素敵な思い出は、皆と過ごした学生時代なのだから。
当然今このときも、夢の続きのような素晴らしい一時だ。
「……あら? どなたか来ますわよ」
「セテスさん、かな?」
「いいえ、何やら鎧のような音が聞こえますわ。でも少し…軽そうですわね?」
「……あー濡れた濡れた。飛行中の急な天気の崩れは勘弁願いたいもんだ。……おーい、誰か居るだろそこに。ちょっと拭くのも貸してくれないかー? ……居ないのか?
──って、なんだ。やっぱり居るじゃないか。悪いけど拭くもの貸してくれよ」
「「「………………」」」
「……? なんだよ、お前らじーっと見て。……滴って見とれてる……って訳じゃないなあその顔は! 何があったか知らんが、そういうのはよくないぞお前ら~」
「「「………はあ~~」」」
「……おい。お前らどんな出迎えだよ。わざわざこの級長様が遠くから飛んできたってのに。……なあ先生?」
「……。──さ、休憩は終わりにして、皆、作業に戻ってくれ」
「はーい」
「先生ッ!?」
「……冗談だ。拭くものはこっちだ、来てくれ」
「~~っ……分かった」
「何だそういうことか。ったく……。でも皆の顔も結構面白かったな。……っくく」
「どんな顔してた?」
「……こんな顔」
何とも言えない、しかし、いにしえの独特な特徴のある壁画のような顔をされた。しかも一種類だけでなく、次々見せてくる。その無や生暖かいような、憐れむような感情から生まれた表現に……じわじわとくる。
「……フフッ」
「おかしいだろー? 全く、いくつになっても俺を飽きさせない奴らだよ」
誕生日が迫る彼のための宴を開こうと皆で数日前から準備をしていたのだが、突然の雨のため皆の予定が崩れたり、慌ただしく動いたあと、一旦皆で小休憩を取ることに。その最中、思い出話をしたあとすぐに当の本人が現れるという珍事が、今まさに起こっていた。
……そんな顔を皆からされるのも、当然である。
「……しかし、予定より早く来たな。何かあったのか?」
「いや? ……俺が皆の顔を見に来るのに、何か理由が要るかい?」
「──無い。……よく来たな、クロード」
ベレトが手を差し出すと、その手をクロードがしっかりと握った。ぐっと男同士握手したあと、ベレトは彼の頭を撫でた。
「……俺、もうそういう歳じゃないんだけど」
「嫌だったか?」
「…………そういう意味じゃあないが……」
とても言いづらそうに否定するクロード。……じっと見つめていると、頬と耳が少しずつ赤くなっていく。
「……ふふ」
「あ、笑ったなきょうだい」
「気のせいだ」
「嘘だ。……笑顔で言っても説得力ないぞ?」
「……悪かった。お詫びに何か望むものがあるなら聞こう」
「──言ったな? 二言は許されないぜ?」
「君こそ。皆にどう思われてるか考えて言った方がいい」
「……っく。そうだな……だが、あえて挑ませてもらう」
「……なにっ?」
「きょうだい、俺と──」
「早く来た理由ってこういうことだったんですかね?」
「そうかもね~。全くクロードくんったら、ここぞとばかりに先生独り占めしちゃって……」
「……ずるいです」
「先生がか? クロード君がか?」
「無論、クロードがですよッッ!!」
「そんな力一杯言わなくても……」
「ふふ……。でも今度は全員でフォドラを一周したいですね」
「あら、良いわねそれ! 皆となら楽しい旅行になりそう~!」
「……宴までには戻ってくるって言ってたし、たぶん何だかんだ視察だよな、目的は」
「だろうな。……全く、そうならそうと言えばいいものを」
「……じゃあオデ達で計画を立てちまうってのはどうだ?」
「賛成~!」
「意義なし!」
おしまい。
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あとがき
作中時期も公開も梅雨くらいを想定していたのですが、読み直すと修正したくなる質なのかずっとそんなこんなしていたら開けてしまって……。でもゲリラだったり台風だったり、失念していた天気続きで7の節中ならいつでも大丈夫か……な? と思い、勇気が出たのはいいけど誕生日(過ぎ)にあげる予定は特に無かったんだなあ……。でもせっかくなのでおまけを付け足しました。
お誕生日おめでとうクロード君! たくさん愛されてください!!
その他のこと
・初の物書き作品うpです。元々は別の少し長めのものが本命で、これは息抜きに書いてたものなのですが……上記の通りです。もう少しこう、手が抜けるものになりたい……。
・元々はドビュッシーの「月の光」を聴きながら息抜きしてたときに浮かんだネタで、見えてきた話です。その曲のタイトル変更前「感傷的な遊歩道」(※某サイト訳にて)という言葉に影響を受けているところがあります。
他にも「感傷的な散歩道」など訳に揺れがあるようですが、そういうところも何だか月っぽいね。
全体をこの曲が持つ雰囲気だけで構成してません。例えば陰陽で言えば陰の気が高まると……、という風に考えています。「……おや、何だか雨のにおいがする。」と感じるときくらいなもの。
○この作品のタイトルは「彼の髪型を始めた人からの、向けられてる想い(愛情)」です。
自分はそう受け取ったという話。放任主義と言ってもその名前をつけたのだから、その人なりの愛情、考え方、捉え方、向け方与え方などが詰まっているのではないか。そして支援等で見るにそれを彼も気づいていて向けられてる想いにこっそり、まんざらでもないのではないか?というのがこの話の土台、出発点となっています。
子供の頃、嫌なことを経験した後なんかに自ら聞いたか話をされたかのその想いを覚えていて、でもどういう意味かに気づいていくのはちょっと後、みたいな経緯を想像してます。
小さい頃は親に髪を切ってもらったり、その髪型をやってもらったという経験があるのではないでしょうか。その時になにか親は想いながらやっていたのかもしれん、と思い至ったこともあってちょっと考えてみることにしたのです。そういうのもあって生まれました。
(……となると、もしかしたらキャラデザをされたkrhn先生だけが、あるいはこういう感じで…と案を上げたりした方だけが答えを知ってるのかもしれませんがね。実際のところどうなのでしょうね。)
・この曲と三つ編み、クロード君の名前(本名)の意味をミックスした、青春しっとり爽やか日常もの、平和的なものになるよう目指しました。あと愛情や楽しさ。金鹿らしい爽やかさと希望みたいのが出せたらいいなあと思いました。
うp主的には「♪月の光」よりもこっちの金鹿の持つ希望や青春の方が土台でやってます。
・おまけは急遽付け足しました。主役がフライングでやってくる、司令塔を連れ去る……。
いにしえの壁画はお好きなものを想像してください。
(うp主的にはシューr…なエジプトの壁画とかですが、細かなこと言うとベレト達がお勉強だったり調査したときに見たものとか、ソティスから見せられてた記憶のなかで見たものに近かったとか、そんなイメージです。正解はない。)