タイトル未定【0】
――望み?
――そう、望み。何でも言って。どんな願いでも、僕が叶えてみせるから。
――急に言われてもなぁ。ええと、じゃあ、いつか自分の足で…………なんて。まあ、無理だろうけど。
――大丈夫、きっと叶える。『約束』するよ。
【1】
スノウとホワイトの屋敷の一室には、他の魔法使いたちの手には負えないほど強力な呪具がいくつも転がっている。自分たちで集めたものもあれば、貢物もあった。善意で寄越されるものもあれば、悪意で渡されるものもあった。それら全てをコレクションとして部屋に保管していたのだが、流石に一度整理せねばなるまい、と思い切って大掃除を始めることにしたのが今朝のこと。
「お片付けしたら賢者ちゃんを呼んでパーティーしちゃお!」と意気込んで始めはしたのだが、随分と懐かしいものばかりで、ひとつ手に取っては埃を払い、思い出を呼び起こし、と中々作業が進まない。そもそも、この量をひとりで整理するには魔法を使っても数日かかる。片割れであるホワイトは今、愛弟子であるフィガロと一緒に浄化に使う道具の買い出し中だ。もう一人の愛弟子であるオズには別な部屋の掃除を任せている。他の魔法使いたちには、とてもじゃないがこの部屋の整理は任せられない。つまり、フィガロたちが戻ってくるか、あるいは掃除を終えたオズが来るまで自分一人でなんとかしなければいけない。
骨が折れるのう、とぼやきながら部屋の隅に置いていた椅子の前に立つ。椅子は気配に気付いたのか、嘲笑うように鈍い音を立てて揺れ始める。ぎい、ぎい。濃い血の匂いを振りまきながら、揺れる。
「《ノスコムニア》」
魔道具を出し、浄化の魔法をかける。椅子は最後の力を振り絞ったように、一際大きな音を立てて揺れた。ぎい、ぎい。暗い部屋に響く音に反応したように、呪具たちが笑い出す。絵画の女が呪詛を吐き、剥製の鳥は逃げ出そうとして動かした翼がもげていく。食器は揺れて耳障りな音を出し始め、机に積まれた本たちはどす黒いインクを吐き出し、床を汚して喜んだ。どれもこれもやりたい放題だ。
いっそまとめて塵にした方が早そうじゃの、と僅かに苛立ちを覚えた時、背後から視線を感じた。
『――久しぶりだね、スノウ』
「……あなたは、」
懐かしい声に振り返れば、鏡の中に、数千年ぶりにその姿を見た。日暮れのように青みがかった紫の髪、ウィスキーのように深みがあり、見るものを惑わす甘く垂れ下がった瞳。優しげとも軽薄とも取れる、絶妙なバランスで歪められた唇。以前「喪に服しているのだよ」と笑ってみせた、黒く塗られた爪。間違いない。最後に見た時と何一つ変わっていない『彼』が、そこにいた。
「――兄さま」
【2】
魔法舎を出てわずか数分で、ファウストは自室に戻りたくてたまらなかった。晴れ渡った空に響く、人々の活気に溢れた声。歩くたびに肩がぶつかりそうになる程の人混み。何もかも苦手なものだ。それでもこうして、嫌々ながらも中央の市場を歩いているのは彼の人の良さゆえだった。要は、断れなかったのである。年下の彼にあんな真っ直ぐな瞳を向けられ、「あなたのことをもっと知りたいんです」なんて言われてしまっては、たまらなかった。
ファウストは自分を連れ出した彼の――ルチルの後ろ姿を見て小さく笑う。ルチルは両手いっぱいに紙袋を持ちながら、さまざまな屋台の出し物に目移りしているようだ。ここのところ、ルチルが任務で自分の時間が取れていないことは知っていた。だからこれは息抜きなのだろう。なぜそこに自分が呼ばれたのかは分からないが、こうして楽しんでくれているなら水を差すわけには行かないだろう、と言い訳のように心の中で呟く。
断りきれずやむなしで来た市場だったが、ファウスト自身もそれなりに楽しんでいた。ルチルのおすすめということで入ったレストランのガレットは絶品だったし、パレードを見ていたらしい店主が「賢者の魔法使い様たちには特別!」とジェラートをサービスしてくれた。市場で買った焼き菓子は猫の形をしていて、二人とも「食べるのがもったいない」と言いながら中々食べられなかった。
「猫の形をした焼き菓子、美味しかったですね」
とルチルが笑う。その言葉にファウストも頷いた。
「猫の種類も豊富だった」
「私は黒猫さんでした、チョコレート味でとっても美味しかったです!」
ルチルが唇をぺろりと舐める。愛嬌のある仕草に自然と頬が綻んだ。
「僕は――っ!?」
「……ファウストさん? どうかしましたか?」
どうかした、どころではない。ルチルの問いに答える暇も惜しみ、ファウストは市場を行く人々の中から『悪寒の正体』を探し出そうと神経を集中させる。たった今、間違いなく、『呪いの気配』を感じた。それも相当重い呪いだ。この呪いを掛けられたものが、生きているのが不思議なほど濃い呪いだというのに、それは今もこの市場を動き回っている。ありえないことだが、間違いなく現実に起こっていることだ。もしかしたら《大いなる厄災》の影響で、何かよからぬものがこの市場に紛れ込んでいるのかもしれない。
ファウストはルチルを守るように傍に立つ。最早自分一人で対応できる案件ではないと分かっていたが、それでもなんとかしなければいけない、という使命感があった。
中央の国にも、人間にも未練はない。好意もない。滅ぶなら勝手に滅んでしまえ、と思うが、何も自分の目の前で滅ぶことはないだろう、と舌打ちしたくてたまらなかった。ルチルといたのが自分ではなく、あいつだったら――フィガロだったら、もっとうまくやるのだろう。誰にも気付かれないまま全てを片付けて、なんてことない顔をして、日常を続けるのだろう。己の無力を分かっているからこそ、悔しくてたまらなかった。
今ここで自分だけが別行動をとるのはリスクが高すぎる。せめてもう一人、二人手が欲しいところだが、こういう時に限って双子やオズ、フィガロは北の国に行っている。若い魔法使いと北の魔法使いは呼べるはずもないので、そうなると魔法舎にいるであろうムルやシャイロック、ラスティカにネロ、レノックスの誰かを呼ぶしかない。いっそ全員来てくれればありがたいが、呪いの気配が囮で、本体は魔法舎にいる賢者を狙っている可能性もある。戦力は残しつつ、連携を取りやすい魔法使いを呼ぶとするなら――
「あ!」
「っ、どうした、ルチル!」
「さっきのレストランにハンカチを忘れてしまったみたいで……すみません、とってきます!」
「待て、今は無闇に――」
「ああ、ようやく見つけた」
駆け出そうとするルチルの前に、一人の男が現れた。男は人好きのする笑みを浮かべながら「これ、君のでしょう?」とハンカチを差し出す。ルチルは「まあ!」と驚きの声をあげハンカチを受け取ると、男に礼を述べた。
「ありがとうございます。ちょうど今、ハンカチをレストランに忘れたことに気付いて、取りに戻ろうとしていたところなんです」
「本当? それはタイミングが良かったな」
「ああ、あまりにもタイミングが良すぎるね」
ファウストは間に割って入り、男を睨みつけた。困惑するルチルを背後に隠して、彼にだけ聞こえるよう「僕が合図をしたら逃げろ」と告げる。間違いなく、この男が呪いの気配そのものだ。今は先程までの悪寒はないが、それでもうなじの辺りがピリピリするし、指先から徐々に体温が奪われていくような威圧感がある。
「何が目的だ」
その問いに、男は深みのある金の瞳を瞬かせ、「驚かせちゃったかな」と困ったように笑った。
「ハンカチを届けにきたのは本当だよ。でも、あの店で店主が君たちを『賢者の魔法使い』と呼んでるのが聞こえてね。……お願いがあって、あとを追ってきたんだ」
「断る」
「ええ……まだ何も言ってないよ、手厳しいなあ」
優しげとも軽薄とも取れる、絶妙なバランスの笑み。こういう相手は信用ならないと身をもって知っているファウストは、ルチルの手を引いてその場を離れようとした。しかし、逆にルチルに手を掴まれて、その場を動けなくなってしまった。
「君、何を……意外と力強いな」
「畑仕事で鍛えてますから! ええと、ファウストさん、せめてお話くらい聞いてあげませんか? なんだかとっても困っているみたいですし」
「君は困っているなら誰彼構わず悩みを聞いて手を貸すのか?」
「私にできることであれば」
満面の笑みで返すルチルに、思わず乾いた笑いが漏れる。昔の、何も知らない無知で愚かな自分を見ているようで、居た堪れなかった。世界を変えられると思った。悪習を断てると思った。こんな自分にも救えるものがあり、こんな自分を求める者がいて、こんな自分でも役に立てると思っていた。今では何もかも、焼かれて灰になり、消え去った、そんないつかの夢。今では呪いであり、悪夢のような過去。思い出したくもない、とファウストは頭を振って記憶に蓋をした。
「いいか、この男は魔法使いだ。魔法使いの依頼なんて、自分ではどうしようもできない面倒ごとに決まってる」
「それなら尚更、私たちが力になってあげられるはずです! 同じ魔法使いですから!」
「君は人の話を聞いてたか!? 面倒ごとに首を突っ込む必要はないと言ってるんだ」
「でも、困ってる人を放っておけません」
どこまでお人好しなんだ、と怒鳴りたくなるのをグッと堪えて、ファウストはできるだけ落ち着いた声で「いいか、ルチル」と言い聞かせた。
「この男が普通の魔法使いだったなら、僕も協力しよう、という気になったかもしれない。けれど、この男は呪われているんだ。それも、普通ならとっくに死んでいてもおかしくないほど強力な呪いだ。そんな呪いを受けるやつが善人だと思うか? よく考えてくれ」
「あー、ちょっとごめんね、申し訳ないけど、今の言葉を訂正させて欲しい」
男は爪が黒く塗られた手を左右に振って、二人の話に割って入った。先程と変わらない笑みを浮かべてはいるが、目が笑っておらず、声も少し低い。敵意こそ感じられないが、どうやら先程の言葉の中に彼の機嫌を損ねるものが混じってしまったようだ。
「俺が呪われてるのは本当だよ。でも、死んでいてもおかしくないほど強力な呪いにかかっているのは、俺じゃない」
思いもよらない言葉に、ファウストもルチルも目を見開く。こんなに濃い呪いの気配を纏いながら、対象者でないはずがない。あるいは本人ではなく、持ち物の方に呪いがかかっているのだろうか。だとしたら、持ち主にも何か障りが出るはずだ。そんなものをわざわざ持ち歩く意味が分からない。
「じゃあ、呪いは」というルチルの問いに、男は目を細め、自分の髪に結われたリボンに触れた。緩く三つ編みされた、日暮れのように青みがかった紫の髪に映える、鮮やかな黄色。愛しいものに触れるような手つきはひどく優しく、けれど彼の声は、吐き捨てた怒りで濡れたように響いた。
「――俺の、兄さまだ」
【3】
フィガロは店内を見回して感心した。これだけの呪具を揃えるのは、随分手間も時間もかかっただろう。今まで見てきたどんな店より品揃えもよく、また品質も最高のものばかり揃っている。店主はよほど呪具に拘りを持っているのだろう。それに、これだけのものをかき集めたにも関わらず全く障りがないのは、店主である魔女の実力が相当なものだという証だった。
「これフィガロや。今回必要なのは呪具ではないぞ」
「分かってますよ、浄化に使うための道具でしょう?」
ホワイトの傍に寄り、彼が手に持っている水晶を覗き込む。
「それにしても、ここは呪具も聖水も、なんでも揃ってますね」
「本来、そういうものなのじゃ。悪しきものを呼ぶも払うもできて、初めて一流。他の店は年々質が下がっておる」
「なるほど。どちらかしかできない者が増えている、と」
そうじゃ、と頷きながら、ホワイトはフィガロが持っている籠の中に次々と物を入れていく。フィガロは重くなっていく籠に魔法をかけ、軽くして持ち直した。自分で持てばいいのに、と思わないでもないが、荷物持ちとして呼ばれている以上、ホワイトは始めから重い物を持つ気はないのだろう。とはいえ、双子の屋敷の掃除をしているオズに比べれば、だいぶマシな仕事だ。荷物持ちなんて魔法でどうとでもなるし、つまらない掃除に時間を使うくらいであれば、ホワイトの機嫌をとりながら自分の買い物もできるこちらの方が、フィガロにとって当たりだった。
「昔、どんな呪いも扱い、払う魔法使いがおった。もう、あの人のような魔法使いは現れんのじゃろうな」
少し寂しげなホワイトの声に違和感を覚え、本に伸ばした手を下ろす。「それって」と窺うようにホワイトの横顔に疑問を投げた。「前に言ってた、兄さまって人のことですか?」
「おお、そうじゃ。よく覚えておったの」
「あなた達より年上の魔法使いの話は、あれが初めてだったので」
「ほほほ、我らより年上の魔法使いなど、沢山おった。じゃが、記憶に残っておらん。それだけじゃ。兄さまは……忘れることもあるが、ふと思い出すこともある。本当の兄ではないが、よき話し相手じゃった」
懐かしそうに細められた瞳には、僅かな信頼が見えた。フィガロが『兄さま』とやらの話を聞いたのは、今聞いた話を含めて二回だけだ。会ったことはないし、双子と暮らしていたときに『兄さま』が訪ねてきたこともない。スノウとホワイトの口から直接聞いてはいないが、恐らく自分が拾われる前に石になっているのだろう、とは薄々感じていた。
それにしても、ホワイトがそこまで言う相手であるなら、相当強い魔法使いだったのだろう。少しだけ会ってみたい気もしたが、双子以上に癖の強い人物だったら、と考えやめた。自分も含め、長生きしている魔法使いにろくなものはいない。みんなどこか、錆びて、壊れて、欠けているに決まってる。もし数千年生きて『まとも』な感情を持っているならば、それこそ本物の『狂人』に他ならないだろう。
「へえ、随分慕ってたんですね。兄さま、なんて呼ぶくらい」
「呼び方はおふざけじゃ。いつの間にか定着してもうたがの。慕っていたか、と聞かれると返答に困るが……あの時代、我らと対等であったのも、我らに会話を試みようとしたのも、あやつくらいじゃ。それに、あやつは『双子』に執着しておっての。研究させてくれと頼まれ、我らもそれを受けた。その程度の付き合いじゃ」
「双子の研究ですか? その人って、西の魔法使いだったりします?」
話を聞く限り、随分と北の性質とは遠いように思え、フィガロはついそんな疑問を投げた。しかしホワイトはあっさりと否定する。
「いいや、北の魔法使いじゃ。『双子』のこと以外なら、北の魔法使いらしい、自由で容赦のない人じゃったよ。我らのことは随分と気に入っていたようじゃ。まあ、こんなに可愛いんじゃ仕方ないよね!」
へえ、と気のない返事をしながら、フィガロは内心、やっぱりろくな人じゃなさそうだ、とため息をついた。
執着が生み出す結末など、何度も見てきた。求めたものは結局手に入らず、それどころか最悪の結末を迎える。求めるほど遠ざけられて、望むことすら罪だと言わんばかりに拗れていく。きっとその『兄さま』とやらも、まともな終わりを迎えることはなかっただろう。憶測に過ぎないが、そんな気がしていた。
「フィガロちゃんてば、ノリ悪ーい」
未完です。完成時期は未定。
もし続きを書く際は大幅に修正する可能性があります。