「魏無羨! 魏無羨!」
伏魔洞の高い天井に温情の声が響く。
「魏無羨! 食事も取らずにいったい何をしているの? みんなが心配して……何これ? 大根?」
こつんと足先に触れた物を見て、温情は眉をひそめた。
いつもは書きかけの呪符や作りかけの道具が散らばっている床を占領しているのは、輪切りにされた大根だった。
「ちょうどいいところに来てくれたな、温情。鍋を持ってきてほしいんだ。一番でかいやつ」
伏魔洞の主はこちらに背を向けて軽やかに手を動かしている。
彼の手が動くにつれて輪切りの大根が山積みになっていく。見れば、積み上げられた大根の表面には様々な吉祥文様や蓮の花などが細やかに彫り込まれており、それはまるで……
「月餅みたいね」
温情が思わず口にした言葉に、大根を手にしたまま振り返った魏無羨は嬉しそうに破顔した。
「だろ? あとは良い感じの色になるように味付けすれば、俺特製の月餅大根の出来上がりだ」
みんなで食べてくれと言われて、温情は今日が中秋節であることに気がついた。
乱葬崗では月などほとんど見えない。いや、日々の暮らしに追われて月を見上げることも忘れていた。
それなのに、この男はこんな状況でも日々を楽しもうとしているのだ。
(本当に敵わないわね)
感謝の言葉を伝えようとした温情は、しかし大根と一緒に並べられた唐辛子の山を見てその言葉を飲み込んだ。確信に近い嫌な予感を抱きつつも、一応確認してみることにする。
「魏無羨? その大量の唐辛子は何かしら?」
「何って、味付け用だけど?」
質問の意味がわからないと言うように魏無羨は首を傾げている。先ほど感じたばかりの感謝の念を放り出して、温情は思わず彼の頭をぺしっと叩いた。
「せっかくの大根が台無しじゃない! いいわ、味付けは私がするから、あんたはここで休んでなさい。ひどい顔色よ」
おおかた睡眠もろくに取らずに月餅大根を作っていたのだろう。何かに熱中すると他が疎かになるのは彼の悪い癖だ。
用意ができたら呼びに来ると告げる温情を遮るように、魏無羨はひらひらと手を振る。
「いや。俺はいいから、お前たちだけでやってくれ」
「……なによ、私の味付けでは気に入らないって言うの? どうやらあんたには味覚の治療が必要なようね」
ぴきりと温情の眦が吊り上がった。
「違う、違うって! 治療は必要ない」
懐から太い針を取り出そうとする彼女を見て、魏無羨は咄嗟に身体をすくめる。
そして、小さな声でぽつりと呟いた。
「……中秋節は家族で祝うものだろう?」
温情は深い深い溜息を吐き出すと、再び魏無羨の頭をぺしりと叩く。
「だからでしょ! あんたも、一緒に祝うのよ」
魏無羨は言葉の意味を反芻するように瞬きを繰り返している。その頭をさらに何回か小突いて、温情は鍋を探すため伏魔洞を後にした。
その晩、やはり乱葬崗に月は出なかった。
しかし代わりに夜を彩ったのは、満月色に煮込まれた数え切れないほどの大根と、真っ赤に染まった幾ばくかの大根だった。