ありったけの夢かき集めて「すごい伏線だなあ…」
放課後、小波美奈子は誰もいない教室で、ある漫画を読んでいた。
読んでいるのは海賊王を目指す少年が主人公の国民的漫画だった。少し読んだら帰ろう、もうちょっとだけ…この巻だけ…と思って読んでいたら、帰るに帰れなくなっていたのだ。
「美奈子さん」
漫画に集中していたはずなのに、聞き慣れた美声に名前を呼ばれれば、驚いて顔を上げた。
「夜ノ介君!」
顔を上げれば柊夜ノ介が、不思議そうに美奈子を見つめていた。
「何読んでるんですか?」
「あ、これ?クラスの子に借りたんだあ」
そう言うと、美奈子は持っていた漫画の表紙を見せる。
「ちょっと読んだら帰ろうと思ってたのに、つい…ずるずると…」
夢中になって読み耽っていた。続きが気になっていたが、夜ノ介とお喋りの方が重要だ。
「あ!この漫画知ってますよ」
「本当?」
夜ノ介君は漫画とか読まなそうだけど、話題になってるし、歌舞伎にもなってたし、国民的な漫画だから知っているのかな?
共通の話題があることに嬉しくなって、ついつい顔が緩む。
「確か主人公は悪魔の実というのを食べて、ゴミ人間になったんですよね」
「んん?!ゴム人間のことかな?」
「あと三枚舌の剣士とか…」
「三刀流だね!」
ちゃんと読んだことなかったら勘違いしちゃうよね!
美奈子は色々なキャラクター達が描いてあるページを見せると、そこに描かれているマスコット的動物キャラを指差した。
「私、この青鼻のトナカイさんが好きなんだ〜」
「とても可愛らしいですね」
「うん!夜ノ介君は気になるキャラとかいる?」
「うーん、…この方ですかね…」
夜ノ介が指を刺したのは、肩に刺青をしたスタイル抜群の茶髪の女航海士だった。
意外だった。こういう女性が好きなのか。美奈子の顔から表情が消えた。
漫画のキャラとはいえ、その豊かな胸を見たあと、自分のささやかな膨らみを確認してからさらに絶望した…
お姉さん系の服が好きなだけあって、年上でボンキュッボンな女性が好きなのだろうか…。劇団でも年上の人と接する機会が多いから、必然的に求める女性像もそうなるのかもしれない…
悶々としても仕方がない。恐る恐る「ど、ど、どのへんが…、気になったの…?」と尋ねた。
「この方、泥棒猫なので…」
「…え…?」
美奈子が見せたページには、ナイスバディの船員は“泥棒猫”という異名があることが書かれていた。これを見たらしい。
「…もしかして“猫”ってつくから?」
「ええ」
なーんだ!とあからさまにホッとした。
夜ノ介が泥棒猫の意味わかっているのか怪しかったが、そんなことはもうどうでも良かった。胸を撫で下ろして笑顔になった。
「夜ノ介君、本当に猫が好きなんだね!」
「ええ。リンゴ3個分のリボンをつけた白い猫さんと仕事をするぐらいですからね」
「ふうん?」
劇団の仕事かな?猫ちゃんと仕事ができるなんて楽しそうだな!
どんな仕事なのか聞こうかと思ったが、こちらをじっと意味深に見つめる夜ノ介の視線が気になって、思わず口を噤む。
「でも僕が本当に好きなのは子猫ちゃんですよ」
「…それって…」
あの日のことを思い出す。
気持ちが抑えきれずに、デート帰りに何度も何度もスキンシップをして、警告されてきた。こないだついに攻守交代されて、そのまま…
思い出して頬が熱くなる。灼熱のようだ。
いやいやもしかしたら本物の子猫のことを言ってるのかもしれない。きっとただの自意識過剰だ。
猫好きだって、構いすぎるぐらいだって、言ってたし…。うん、きっとそうだ!
「思い出しちゃった?」
夜ノ介のその一言で“子猫ちゃん”の意味がわかった。夜ノ介の瞳が鋭く光る。そんな風に見つめられたら心臓が激しく脈を打って動けなくなる。徐々に距離を詰められる。アワアワと大慌ての美奈子はなんとか活路を見出そうと頭をフル回転させた。
「こ、攻守交代!」
顔を真っ赤にしながらそう叫んだ。
夜ノ介は突然のことで少し驚いたのか肩を揺らして半歩下がった。
「はい?」
「や、野球だって交代があるんだから…でしょ?」
苦しい言い訳だ。
そんなこと言ったら、お互い攻めと守りを9回まで続けなければならない。延長戦に入ったりしたらとんでもないことになる。
「…いいですよ」
「え…」
「どうぞ」
「え、えっ…」
夜ノ介が何を思って美奈子の提案を飲んだのか分からなかった。あれだけスキンシップはダメだと言っていたのに…。
やれ、と言われれば、逆にどうして良いのかわからなくなる…。
おどおどと視線を揺らしながら夜ノ介見つめた。
切長の眼、整った目鼻立ち、透き通るような肌…
何度も何度も触れたはずなのに、愛おしくて、どうしたら良いのかわからない…
で、でも…、せ、攻めなきゃ…
右手を伸ばした…
「ゴ、ゴムゴムのピストル〜」
右手をグーにして、夜ノ介の胸を軽ーく叩いた。
漫画の知識がない夜ノ介は、何が起こったのか理解できずにキョトンと目を丸くしている。
滑った!恥ずかしい!
美奈子の大後悔時代が幕を開けた。
心の中でバスターコールが鳴り響くだけでなく、マリンフォード頂上決戦が始まった。
「はははっ…!」
この世の全てを置いてきた大海賊の代わりに処刑台に駆け上ろうとした矢先、夜ノ介の優しい笑顔で現実に引き戻された。
よ、良かった…!うけた…!!
夜ノ介は美奈子の慌てた表情が可愛らしくて、思わず微笑んでしまっただけだったのだが、それは知る由もない。美奈子も口を引き攣りながら笑顔を作る。
そのぎこちない笑顔を見て、ちょっと意地悪だったかな?と言いたげに首を傾げたが、美奈子は意図を理解できずに、同じように首を傾げた。
「…ははっ。僕も漫画読ませてもらってもいいですか?あなたと色んなものを共有したいので」
「う、うん!読もう!」
美奈子は袋の中から漫画の一巻を渡した。
「何冊あるんですか?」
「104巻!」
「わあ大作ですね!」
「うん!」
二人の大冒険が今始まる…