透明な空⚠️直接的な描写はありませんが、夢主が襲われる表現があります。何でも許せる方のみ閲覧下さい。
棘×不登校女子。
※**※**※**※**※**※**※**※
幼い頃から使えた呪言。
狗巻の家は、決してそれを良しとはしていない。
自分は幼い頃から、たくさんの人を呪って生きてきた。
事ある事に、自分を排除しようとするその家は、それこそがひとつの呪いとなって、ただ自分にとっては苦しいだけの場所でしかなくなっていた。
産みの母とは、会ったこともなくて。母を愛情を求める事すらも、疾に忘れていた。
言葉じゃない。
でもその呪いはきっと、自分がいるから産まれたもの。
中学に上がる頃には、ほとんど学校にも行かなくなっていった。勉強は家でも出来る。
御家柄か、世間体だけは気にする「家族」とは何度か揉めたけれど。強い術式のお陰で、表立って強く当たられる事もなかった。
ただそれは、無関心へと転じて行く。
衣食住は与えられ、死ぬ事はないけれど。
きっと生きていても死んでいても、世界は何も変わらない。
否。自分が死ねば、この家の呪いはひとつ消えるのだろう。
家を抜け出した、平日の朝。
黒のマスクを付けてコンビニに向かう途中。
そこに、彼女はいた。
小さな公園だった。
自分と同い年くらいの、女性と言うには少し幼い少女。春らしいふわふわした服に、小さなポシェットを下げていた。
自分が言うのもおかしな話だが、今は普通の学生は学校にいる時間だ。
棘は思わず足を止めた。
彼女はブランコに座り、ゆっくりと揺れていた。
温かい風と、散り行く桜が舞う中で。
空を見上げる彼女に。
思わず、見惚れてしまった。
彼女が顔を上げる。
「わ。すごい美人に見られてる」
目が合った。
「………」
思わず棘は、逃げ出してしまった。
その夜、棘は眠れなかった。
きっとまた、自分はひとつ呪いを作った。
彼女を、傷付けた。
別に、だからどうと言う訳でもないけれど。
翌日。
別にどうでもいいけど。
棘はもう一度公園に足を運んだ。
やっぱり平日の朝だった。
風に揺れるブランコに、彼女はいない。
少しほっとしたような。
残念な、ような。
「わ!また美人来たー」
「………っ?!」
振り向くとそこに、彼女がいた。
Tシャツにカーディガンを羽織って、今日もポシェットを身に付けている。
ふわりと笑った彼女が、棘を追い越す。
「暇でしょ?ちょっと付き合ってよ、
狗巻先輩」
棘は目を見開く。
一歩下がったけれど、彼女は構わず棘の腕をぎゅっと掴んだ。
振り払えない力ではない。でも棘はそれをしなかった。彼女は公園に棘を引っ張って行く。
彼女が先にベンチに座る。棘の目を見て、ベンチを指した。
横に座れと言う事だろうか。
「びっくりした?」
座ってすぐに聞かれて、棘はとりあえず頷く。
「喋れないんだっけ?喋らないんだっけ?」
これには首を横に振る。
「お、おかか…」
おかか?おにぎり?と、彼女は繰り返すが、さほど気にする様子もない。
おにぎりの具。血の繋がりがある人はそうでもないが、女中奉公の人たちと話をする時に使っていた。
家を出ると、それも通じない事は勿論知っている。
「私、後輩だよ。たぶんね」
敬語使ってないね、と彼女は付け足して笑った。
「こんな小さな田舎の学校だもん。不登校は私と狗巻先輩だけだから…。当てずっぽうだったけど、狗巻先輩さんで当たりだよね?」
「しゃけ」
「それわかんないんだけどさ」
彼女は笑った。
揶揄う訳でもなく好奇な目で見るでもなく、嫌な笑い方ではなかったから。
「名前、聞いてもいい?狗巻…」
棘は拾った枝で地面を名前を書く。
“ 狗巻 棘 ”
「いぬまき、?」
“ と げ ”
「とげ、くん」
「しゃけ!」
棘は彼女の顔を指差して首を傾げた。
「ツナ」
「私は、唯。枕木 唯」
枕木 唯 。
初めて聞いた名前だった。
「よろしくね。棘くん」
笑って手を出した唯の、繕わない態度に。
何だか不思議な気持ちがした。
柔らかい、春の日だった。
それからしばらく。
約束もしていないのに、その公園で時折唯に会った。平日の午前中、そこに行くと大体彼女は居た。
「しゃけは、○で、おかかは×なんだ」
「しゃけしゃけ」
特に何がある訳でもなくて。
ただ、彼女と話をした。
表情とジェスチャーで大体事足りるのは、普段人との関わりを避けている棘には少し驚く事だった。
何で喋らないのか、唯は何も聞かない。
マスクはいつも付けていた。
「花粉症?」
「…おかか」
「そっか」
いつも唯は近くまで来るけれど。
それ以上、棘には近付かない。
自分も、唯の事はあまり聞かなかった。
その距離が、お互い心地良かったから。
春も終わりに近付き、日差しが眩しい暑い日だった。
いつもの公園にいると、不意に人の声が聞こえて顔を上げる。
「…あ、今日…」
中学生が数人歩いて来るのが見えた。
「テストかな」
唯は顔を上げてそちらを見た。中学生を目に止めると、少しだけ俯く。
「こんぶ」
俯く彼女の手を握った。
「ツナツナ?めんたいこっ」
その手をぐいっと引っ張って、中学生とは反対方向に走り出す。
「えっ!棘くん、ちょっと、待っ!!」
「おかかー」
彼女に合わせて少しだけ速度を落として。
でも、走る。
走って、走って、
走って。
公園から離れて行く。
いくつか田畑を越えて、民家を通り過ぎ、それでも一番近いコンビニで、立ち止まった。
ハァハァと、肩で息をする唯。
棘も息を切らしている。
「…棘くん、足…っ、早すぎ…」
途切れ途切れに話す唯。
「ツナマヨ」
小さなポシェットからハンカチを取り出して、汗を拭きながら唯は笑った。
棘もそれを見て笑う。
桜ももうすっかり散って、葉が青く茂る。
棘はマスクを外した。
当たり前のようにマスクを外して、袖で汗を拭うと。
「……….?」
不意に、彼女の視線に気付いた。
彼女に、心を許し過ぎたのかもしれない。
慌ててマスクを付け直す。
他人と違う口元に。きっといい気はしないだろう。
今まで散々聞いてきた。見てきた。
他人とは違う自分は好奇の目で見られて当然で、揶揄われて、蔑まれる対象になりやすい。
呪いとか呪言とか、どうでもよくなるくらいには、他人との関わりを避ける要因のひとつになった。
唯はそっと棘に近付いて、マスクに手を掛ける。予想もしないその動きに、身体が反応出来なかった。
片方の紐を外されて、露わになった棘の顔に。
唯はただ、静かに微笑んだ。
「やっぱ棘くんは美人だね」
唯の顔が近づいて。
ちゅ、と棘の頬にキスをした。
「………っ?!」
コンビニでパンとお茶を買って、近くの神社に行って昼食にした。
唯と初めて食べるご飯だった。
「ツナ」
先に食べ終わると、棘はマスクをポケットに閉まったまま、地面に文字を書く。
“ 怖くないの? ”
「怖い?何が?」
“ 顔 ”
「…別に。棘くんは優しいから。怖くない」
即答だった。
「綺麗な顔だと思うよ。イケメン」
「おかか」
唯は笑った。つられて棘も笑う。
「私ね。別に中学校嫌いじゃないよ」
唯は菓子パンを一口かじった。
「友だちがいない訳でもなかったんだ。それなりに」
だから、テストの事を知っていたのかと納得したけれど。
「それなりに、ね。でも、それ以上でもそれ以下でもない。居場所がない…と言うか、何と言うか」
俯く彼女。
その顔に表情は見えない。
「よくわかんないけど、何か居辛いの。居場所がないみたいな」
ただ、それだけ。
唯は笑って棘を見た。
何とも言えない、寂しそうな笑顔に。
それは衝動的だった。
頭で考えるよりも先に、身体が動く。思わず手を伸ばして、ぎゅっと唯を抱きしめた。
菓子パンが、彼女の手から落ちて転がる。唯は何も言わずに、棘に身体を預けた。
そこに今、言葉はいらないのかもしれなかった。
空がオレンジに染まる頃。
棘は唯と並んで歩く。手を伸ばせば、彼女は少し恥ずかしそうに笑ってそれを握って返してくれた。
「棘様!」
後ろから呼ばれてハッとする。
「お探ししました!どちらにおいでになられたのですか!!」
女性が2人。
見慣れた何人かの女中の中の2人だった。
別に家を抜け出すのは今に始まった事ではないけれど。長い時間、無言で家を開け過ぎただろうか。
そんなに子どもでもないのに。
それ程までに疎ましいのか。
唯は隣で少し不安そうに棘を見た。
棘は笑い掛ける。
「ツナマヨ」
心配ないと告げて、手を離した。
また明日、話そう。
まだ全部は話せていないけど。
自分の事。
唯の事も。
彼女ならきっと、全部を受け止めてくれる気がした。
否、受け止めてくれなくてもいい。
ただ、隣にいてくれれば。
それでいい。
「またね、棘くん」
「しゃけ」
手を振った彼女は翌日から、あの公園には来なくなった。
メッセージを入れても既読は付かない。
いつもの平日の午前中、あの小さな公園に、唯の姿はなかった。
神社にも、コンビニにも。
思い当たる場所はそんなになかった。
探すにも、探す場所がなくて。
自分は彼女の事を、あまりにも何も知らなすぎた。
大きな狗巻の家。
裏口から部屋に戻ると、珍しくそこに人影があった。必要以上に関わることのない、祖父。棘も祖父だとは思っていないし、向こうも孫だとは思っていないだろう。
「何処に、行っていた?」
現当主である祖父に聞かれる。
棘は目を逸らした。答える義理もない。
「あの娘はもう、来ない」
言われた言葉に大きく目を見開く。
…何故?
「そう、約束させた。それだけだ」
彼はそのまま身を翻して歩き出す。
その背中を睨み付けて、奥歯をぎゅっと噛んだ。
何故?
だって、彼女は関係ない。
言いようのない不安に駆られて、棘はもう一度公園へ出向いたが。やはり唯は居なかった。
棘は部屋に戻る。
扉を閉めて、壁にもたれ掛かった。
スマホを握りしめてもう一度、唯にメッセージを入れる。
「会いたいです」と、ただ一言。
それから、棘は部屋から出なかった。
彼女から連絡はない。
けれど、ようやく既読が付いた。
一日経った翌日の朝、扉を叩く音がした。
何もする気が起きなくて、気怠そうにそちらを見ると、扉の下に紙が挟まれているのに気付く。
「………?」
慌てて扉を開けて飛び出すが、そこには誰も居なかった。
棘はそのまま部屋を出た。
登校時刻はもう過ぎていて、誰もいない道をひたすら走った。
紙に書かれていたのは住所だった。辿り着いたそこには、小さなアパート。あの公園はすぐ目の前だった。何度も見た事があったが、初めて立ち寄る場所。部屋番号までしっかり書かれている。
誰がくれたかはわからないけれど。
小さく掲げられた表札を見れば、枕木と書かれている。間違いなく、唯の家だ。
インターホンに人差し指が触れた。
けれど、やはり押す勇気はない。
…どうしよう。
しばらくそこで迷って、結局棘は何も出来ずにアパートを後にした。
あの公園に差し掛かる。
そこに彼女はいないけれど。
公園の出入り口の前、唯と初めて出逢った場所だった。
風がゆっくりと通り抜ける。
日差しか強い。もう時期梅雨が来る。
がさっと、背後から物が落ちる音が聞こえた。
振り向くと、そこに彼女がいた。いつもの小さなポシェットに、春らしいストールを巻いた唯。足元には白いビニール袋が落ちている。
「…棘くん」
驚く唯。眉をひそめて、困ったような顔をこちらに向けた。
「ツナ」
そちらに一歩踏み出すと、唯はビニール袋を放置したまま踵を返して掛け出した。
「……こんぶ?!」
伸ばした棘の手はするりとすり抜け届かない。
やっと会えたのに。
棘は震える拳をぎゅっと握りしめる。爪が食い込むくらいに握った。
一瞬躊躇したが、唯の背中に向かって棘は走り出した。思い切り走って後を追う。先に走り出した彼女はどんどん距離を伸ばして行ったが、追いつくのに時間はさほど掛からなかった。
走って、彼女の手を捕まえる。
ぎゅっとその腕を握って、引っ張るように止めた。
「……っあ!」
ふらつく唯の身体を受け止める。
息を切らす唯と棘。
触れたその手からは、白く覗く包帯が見えた。
「こんぶ…」
唯は掴まれた腕を振り払う。
「………ごめん、ね」
包帯が巻かれた腕を唯は隠すように握った。その瞳は涙をいっぱい溜めて揺れている。
「…ツナ?」
心配で棘は腕を伸ばす。
けれど、唯は再びその手を払った。
「や…、やめてっ!」
悲鳴にも似た声に、棘も驚きを隠せない。
それきり、彼女は俯いて動かなくなった。
「こんぶ…」
大粒の涙が、ぽたりぽたりと地面に溢れる。
「…ごめん。ごめ…んね。棘が、悪いんじゃ…ないの。…わかってる…」
唯は顔を覆って、その場に蹲った。どうして良いのか分からずに、自分の身体をぎゅっと抱きしめて、震える彼女を見ると。
珍しくストールで巻いていた彼女の首筋に、
赤い痕が見えてしまった。
手首を覆う包帯に、首筋の痕。
怯えるように震えるその姿に、何となく状況を理解する。
ぼくのせいだ。
棘はもう、彼女に掛ける言葉を持ち合わせていない。触れる事も出来ない。
ぼくは、呪いをうむことしかできないから。
君を守ってあげる事が、出来なかった。
棘は、嗚咽を漏らして泣いている唯を見守る事しか出来なかった。
ただ静かに、隣にいた。
徐々に落ち着いて来た唯は、ハンカチで涙を拭いて、
「ごめんね」
と、また呟いた。
棘は「おかか」と首を振る。
2人で公園に戻った。落ちたビニール袋はそのままで、拾った中身は包帯と塗り薬だった。
唯に誘われて、公園のベンチに座る。
ぽつりぽつりと、声を絞り出すように彼女は話してくれた。
棘と別れたあの日の夜、知らない男性に襲われたと。途中で人が来て、大事は無かったけれど、もしあの時…誰も来なかったら…と、語る彼女はまた泣き出しそうで。腕の怪我はその時傷になったものだった。
怖かった、と俯いて小さく呟いた。
ごめんと、言わなければいけないのは俺だ。
棘は唯を見たが、唯は決して棘の目を見ようとしない。
唯はその場に立ち上がる。
「棘くん。ちょっと、後ろ向いて」
「……?しゃけ」
立ち上がって、棘は唯に背を向けた。
唯は深呼吸をして、棘の袖を小さくぎゅっと摘んで握る。
「私、棘くんが好きだよ」
続く言葉は、少しだけ震えている。
「でも、ね。住む世界が、違うんだって言われたんだ。もう、会わないで欲しいって…」
どくん、と心臓が嫌な音を立てる。
いつ?誰がそんな風に告げた?
それは、
「棘くんと一緒だと、もっと…怖い目に遭うって。棘くんに、迷惑なるって…」
棘は俯いた。
棘に唯を引き留める権利はない。
彼女を傷付けたのは、他でもない俺だから。
「私…どうしたら、いいのかな。怖いのは嫌だけど、もう…棘くんに会えないのも、嫌だよ…」
唯は今、たぶん泣いている。
今すぐにでも抱きしめて。
大丈夫だよと、嘘を吐きたい。
「棘くんの迷惑に、なるんならって。もう会わないつもりでいたの。…でも、やっぱり嫌だよ。これでお別れなんて…やっぱり嫌だ…」
棘の袖を引っ張る唯の手に力が入る。
このまま一緒にいれば、いずれまた何かが起こる気がした。取り返しが付かない何かが。
あの家は、きっとそれをするだろう。
その時俺は、君を守る事が出来るだろうか?
ごめん、
とマスクの中で微かに呟く。
その謝罪は、唯に届いていないだろう。
棘はマスクを外して振り向き、唯を真っ直ぐに見た。
驚いた表情の唯の背中に手を回して、ぎゅっときつく抱きしめた。
「…棘くん?ゃ…っ」
唯は棘の服を握り、力一杯抵抗する。
でも、棘は構わず唯の唇を奪った。逃げようとする唯の顎を掴み固定してもう一度、その柔らかい唇を啄む。
「…っん、やだ、離して…」
ストールをズラして赤い痕跡に口を付けてから、その耳元に顔を寄せた。
「ありがとう。大好きだよ」
掠れた声で小さく呟いて。
呪いを紡ぐ。
『 唯は、狗巻棘の全てを忘れる 』
言われて言葉を理解したのか、唯の動きがピタリと止まった。
棘が腕の力を抜くと、一瞬唯と目が合って。
けれど、ゆっくりとその瞼は閉じていった。
口の中は、血の味がした。喉が痛む。
目頭が熱い。視界が揺れる。
抱き止めた唯は、きっともう俺を知らない。
…さよなら。唯。
呪いを学んで、
強くならなきゃいけないと、思った。
君を守れるくらいに。
End***