ハグの日ふわりと伸びた黒の袖。感じるその人の体温と、優しい香り。その手は勢いよく唯の背中から伸びて視界に入ると、胸元で結ばれるようにぎゅっときつく抱き締めらた。
「明太子っ」
もう聞き慣れた語彙に振り向けば、あまり身長差がないその人は、唯の肩口から顔を覗かせている。同じ目線に、紫色のアメジストの瞳が唯を見た。
「狗巻先輩…!」
「しゃけ〜」
一学年は僅か数人。それにしてはやたらと大きな校舎に、長い廊下。二年生の教室はここから少しだけ離れているが、一年生の教室は角を曲がってすぐそこだった。唯は慌てて周囲を見るが、そこに人影はない。それでも小さく聞こえる人の声は、おそらく唯の同級生のものだろう。
狗巻先輩は首を傾げ、唯の顔を覗き込む。
「ツナ?」
目が合えば、微笑んで細くなった綺麗な瞳に、真っ赤になる顔を隠して視線を逸らした。
「…………っ」
ネックウォーマー越しに感じる、声にならない息遣い。
顔を上げようとしてみたけれど、包み込まれるようにふわりと感じるぬくもりに、その顔を見ることも出来ない。
「…先輩、あ…の……」
触れている密着した背に回された腕。胸元で組まれた白い指先。小さく耳に届くの笑い声はは野薔薇ちゃんと虎杖くんのものだろうか。心臓が煩くどくどくと鳴り始める。
ずっと大好きだった狗巻先輩。こうやって先輩の特別になる事が出来て嬉しいけれど、やっぱり少し恥ずかしくて、くすぐったい。ぐるぐると回る思考回路。頭が真っ白になっていく。
「……ち、近い…です…。誰か、来るかも…」
小さく吐いた、溜息のような吐息が聞こえた気がして。
「…おかか?」
胸元で腕を組み、抱き締めていた先輩の手がゆっくりと離れていく。その白い指先は唯の頭に触れて、髪を梳くように名残惜しく撫でていく。
「こんぶ…」
ごめんね、と告げたその声はとても小さく低く唯の耳に響いた。少しだけ寂しそうに呟く狗巻先輩の声。
「あ、違…っ」
唯は顔を上げた。
嫌な訳じゃない。違う。ただ、少し恥ずかしいだけで。
「違う、んです。私、嫌な訳じゃなくて…、先ぱ、」
慌てて振り向くように仰ぎ見れば、思い掛けずすぐ目の前にある紫色。
言い掛けた唯の言葉はその柔らかな唇に噛みつかれるように塞がれて途中で止まる。
「…………っ?!」
軽いリップ音と共に、触れただけの唇は離れて行く。突然の事に固まって動けない唯の唇を舌先が撫でていった。
「ツナマヨ」
片手でズラしたネックウォーマーから見える蛇の目の呪印。吊り目がちな目元を細め、してやったりと口の端を持ち上げて悪戯に笑う。
「……!な、何するんですか、先輩…っ」
「すじこ」
唯の言葉に舌先をペロリ出して見せる狗巻先輩。普段は見えない牙の印が小さく見えた。
ネックウォーマーを鼻先まで伸ばして整えると、反対の手で唯の髪を一度ぐしゃっと掻き撫でる。
「……っわ?!」
ふっと笑った狗巻先輩は、ひらひらと手を振って唯に背を向けた。
「いくら」
“ またあとでね ”
End***