「僕……どうすればいいのか、わからないんだ。たった一人の家族を、妹を救いたい彼と戦っていいのかな?」
穏やかな陽射しが降り注ぐ中庭に優しく木々を揺らす風が吹き、「カン、カン」と木剣を使用した打ち合いの不規則な音が辺りに響く。
彼、アルフィオは隣に座るレナス・ヴァルキュリアにそう呟いた。
その言葉にレナスは一瞬、狼狽えた目をするも少し間をおいて「何故?」と、問いかけるような視線をアルフィオに向ける。
アルフィオはそのまま視線を落とし、自身の左腕をじっとみつめた。
―― 魔物化が再発した左腕。
それを隠すように、まだヒトのカタチを保っている右手で触れる。
指先が触れたその感触は生前、スズランの毒によって失明をした妹のリィサを治すために必要と狩った、大小さまざまな魔物達の肌のようだった。
岩のようにゴツゴツとした硬い部分もあれば、指の腹に引っかかるような小さな棘もあり、爬虫類を思わせるしなやか部分もある。
そして完全に魔物化が浸食していない部分。変色しつつはあるが、本来の自分の肌がそこにはあった。
―― まさかまた、これに悩まされるなんてね……。
死の間際、レナスに選定される瞬間までを共にしたモノに今一度、再会するとは思ってもいなかったと苦笑いをする。
多くの魔物を狩るために強くならなければならなかった証。罰であり呪い。
アルフィオ自身も妹と同じくスズランの毒により身体機能の一部が動かなくなり、偶然にも見つけた書物から
毒を魔物の血によって相殺させる方法のひとつ、毒素の均衡を知った。
そこから小さな魔物を自力で狩り研究を重ね、自身の身体機能の回復と強化するまでに至る血液精製剤を作り出すも、その血液精製剤は試作品ゆえに欠点があった。
数種類の魔物の血液で精製したものだった為、アルフィオの体内で「自分の血」と「魔物の血」が均衡を保てず
足のつま先から徐々に皮膚が変色、変型…所謂、魔物化が進み、妹の目を治す秘薬が完成する頃にはヒトでは無くなった。
幸いにも妹へ注射した血液精製剤は、試作品を上回る数百種類以上の魔物から血液を採取した為。
均衡が上手く作用し、魔物化することなく回復した――と言うのを、アルフィオは後にレナスの口から知った。
生前のおこないはとても褒められたものではないが、運命の女神によって選定されたエインフェリアとして日々、終わりのみえない戦いの中で忘れつつあった呪いが、こうしてまた自分のもとに現れたのもきっと
「彼」の存在が関係しているのだとアルフィオは瞼を閉じ、遺跡で起こった事を思い出す。
自身と同じ姿、違うと言えば左腕が完全に魔物化しており、体への侵攻を食い止めるために自身で打ったのであろう
血のように真っ赤な杭が突き刺さっていた。
頭には悪魔を思わせる角。顔から首にかけて左半分は完全でないにしろ魔物化の影響で変色し、肌の硬化が始まっていた。
そしてなにより、その目は獲物を確実に仕留めると言った凶悪な獣のようだった。
彼 ―― あの遺跡で出会った、もう一人の自分。もう一人の「アルフィオ」も、この呪いに苦しんでいる。
さらに彼は自分が辿った最後とは違い、妹は死んだ。
咽える血の臭いも腕の中で少しずつ冷たくなっていく感覚も、心の奥底から込み上げてくる懺悔や後悔の念もアルフィオは治療中の最中、夢で見たのだ。彼の気持ちを考えればより一層、右手に力が入る。
ザァ……と木々を揺らす程の風が、レナスとアルフィオを通り過ぎていく。
レナスは自身の兜から漏れている銀髪の毛束が目の前を一瞬だけ覆い、鬱陶しいと思いながらもやんわりと直す。
そして、それは一瞬だけ見えた。
アルフィオの緑青色の双眸は悲痛な眼差しで自身の左腕を見つめていた、が。
片方、左目は「彼」と同じ紅くなり虚ろな眼差しになった。
一瞬のでき事とはいえレナスは胸騒ぎを覚え「アルフィオ、お前…」と、声を掛けようとしたその時だった。
「……!?」
左腕の違和感。肌が石のように硬くなったと思った直後、皮膚の下を「なにか」が蠢く感覚がアルフィオを襲う。
「どうしたアルフィオ?」
異変に気付いたレナスは顔を見ようと覗き込むも、アルフィオは硬直したまま動かない。
「ぁ……が、っ……!」
レナスの問いかけに応えず、アルフィオは左腕を体で抑えるように倒れ込む。
いまにもなにかが突き破ってくるような激痛が襲う。
肘から肩にかけ肥大化しシャツの袖は見るも無残に引き千切れ、ただの布切れになり
先程まで変化が見られなかった魔物化が再びアルフィオの左腕から肩へと徐々に変色、変型をおこし始めたのだ。
「なんだ、どうした?!」
木剣で打ち合いをしていたクルト、アルトフェイルも異変に気付きレナス達へと駆け寄ってくる。
クルトの右手が、倒れもがき苦しむアルフィオの肩に手を掛けた時だった。
「うわっ」
アルフィオの左腕が、振り払うように暴れはじめたのだ。
空中を鞭のようにしなやかに動いたと思えば、地面に叩きつけるように振り下ろされる。
アルフィオ自身も抑え込もうとするも、腕の力が強く制御が利かずにいる。
暴走する左腕からレナスを庇うようにアルトフェイルは前に出て、クルトもアルフィオから距離を取るように飛び退く。
「ぐ……ぁ、あっ……あああッ!!」
獣のような声と喘鳴が交ざった咆哮が中庭に響く。
アルフィオの体は耐えられず地べたに這いつくばり、おぞましく変型した左腕だけが
目の前にいる獲物を狩ろうと必死に手を伸ばす。
「み、……な、にげ、て……!」
アルフィオの最後の抵抗に1ミリでも体を動かさないよう、右手で地面に爪を立てた。
その場にいる全員が次に来る左腕の行動に息をのむ。
しかし徐々に左腕の動きが鈍くなり、何事も無かったかのように静けさを取り戻したのは
左腕の主であるアルフィオが気を失ったのだと、アルトフェイルがいち早く気がついたのだった。
「……アルフィオ!!」
アルトフェイルの声と共に強張っていた体が、徐々に解けていく。
「しっかりしろ、おい!」
倒れているアルフィオに駆け寄り、声を掛けるも反応はない。幸いにも息はある。
「ちょっと、どうしたのよ?」
後ろから聞こえた声にレナスは振り返ればそこにいたのは、異世界より来たアーリィの仲間であるメルティーナの姿だった。
彼女は珍しく狼狽えているレナスに視線を向け、そのまま視線を足元に移動させる。
そこには自分たちが異世界を渡り歩き、追いかけてきた仇の一人に似た男が倒れていた。
勿論、見た目は奴ほど凶悪ではないにしても左腕だけは、あの男と同じ凶悪なものになっている。
「……彼が気を失っている間に医務室に運んで。早く。」
レナス達はメルティーナに促されるまま、アルフィオを抱きかかえ医務室に向かった。
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アルフィオを運んだ医務室には清潔なベッドの横に小さめのキャビネット。包帯など他、応急処置に使用できるものが収納された棚があるだけの質素な部屋だった。
本来ならば気持ちの良い陽射しが入り込み、心を少しでも癒してくれるはずなのだが今はカーテンは閉められ薄暗い空間となっている。
ベッドに横たわるアルフィオにメルティーナは自身の武器である杖の先を向け、ブツブツ…と呪文を呟く。
そして、メルティーナの声に呼応するかのように光をまとった鎖がアルフィオの左手に優しく巻き付き、消える。
その呪文の影響なのか魔物化しつつあった左腕は、先程までの活発な様子もなく落ち着きを取り戻していた。
「しばらくはこれで大丈夫、だとは思うけど……」
応急処置を終えて肩でひと息。メルティーナはいま一度、小さく深呼吸をする。
メルティーナの後ろに控えていたレナスに向き直り、薄暗い室内でもカーテン越しに差し込む光もせいもあるのか
彼女のいつもの挑戦的な瞳ではない、真剣な翠玉の眼差しが見えた。
「レナス、貴方が一番わかっているだろうけど」
レナスもメルティーナに視線を合わせ、言葉を待つ。
「このままだと彼、もう一人の自分に魂ごと飲み込まれるわよ?」
「……」
アルフィオの魔物化が再発、進行は「もうひとりの存在である彼」が現れた事により発症した。
先の謁見の間にてアーリィが言っていた可能性、魂の吸収が起こりつつあるのだ。
レナス自身も最悪な可能性から目を背けているわけではない、しかし ――。
「もう一人の彼の影響が強いのも勿論あるわ、でもそれ以上に問題がある」
「……なんだ」
レナスの反応を見てメルティーナはさらに続ける。
「彼自身が、それを受け入れようとしている」
その言葉にレナスは足元がぐらりと揺らぐような、眩暈のような感覚に陥った。
そんなレナスに構う事なく、メルティーナはさらに話を続けた。
「私は彼の過去を知らない、なにがあったのかは知らない。だから敢えて言うわ。
自分自身に揺らいでしまう彼は、はたしてエインフェリアとして言える?」
今まで様々な魂の生き様を見てきたレナスにとって、その言葉はとても重たいものだった。
自分の選定が、判断が間違っていたわけではない。そう信じたいのだが。そこへ
― バンッと、勢いよく医務室の扉が開かれる。
外で話を聞いていたのであろうその者たちは、入室の許可を聞く前に一人はしかめっ面をしたまま。
もう一人はしかめっ面した者を止めようと入ってくる。
艶のある金色の髪を有した少し小柄な男アルトフェイルは、幼さを残しているが端整な顔をしかめたままズンズンと大股で歩み寄りメルティーナとレナスの間に割って入る。
メルティーナは目線を少し下げ、割って入ってきた男を見る。髪色と同じ金色が自分を睨みつけていた。
「ふざけるな」
低く呟く声。怒気を含んだアルトフェイルの声をレナスは今まで何度も聞いてきたが
今回ばかりは彼が兄以外の事で怒っているのが珍しい、と思えるほどだ。
「なにが?」
メルティーナも引けを取らず、冷静な声でアルトフェイルに言葉を返す。
その言葉でさらに眉間に皺を寄せ、アルトフェイルは今にも掴みかからんばかりに声を荒げる。
「こいつは…!アルフィオはレナスに選定された俺達と同じエインフェリアだ!
レナスが目で耳で心で触れて選んでくれた魂だ!」
「!」
その言葉にレナスは我に返る。
しかし、メルティーナにはアルトフェイルの言葉が響いていないのか、どこ吹く風というように言葉を返した。
「私たちは死しても人間よ?選定時にエインフェリアの素質があっても心が、感情がある限り弱くなるわ」
「じゃあ、ただの人形みたいに動けって言うのかよ!」
言えば噛みつくように返すアルトフェイルにメルティーナは、はぁ…と呆れたように小さく溜息を吐く。
「そうじゃない。私情を捨てろって言っているの。
彼の魂はもう一人の自分に飲まれかけている。その影響で魔物化が始まっているのよ?
彼はもう一人の自分の魂を、その願いを受け入れようとしている」
アルトフェイルもレナスも、アルフィオがどういう人物なのか理解している故に、目の前にある事実が心苦しいのだ。
アルフィオは優しい。優しいが故に自分を疎かにしがちになり、相手の為に自己犠牲も厭わない人間だ。
アルトフェイルが固く拳を握っているとポン、と軽く肩を叩かれる。
「でもさ、そこがアルフィオの良いところでさ」
今まで静観していたクルトが、宥めるようにメルティーナに言う。
メルティーナは眉間に皺を寄せながらも、クルトの言葉に耳を傾けた。
「俺たちが思っている、考えている以上にアルフィオは苦しいんだと思う。
でも、それはアルフィオが”自分自身”と向き合おうとしていると思うんだ」
たぶんな、と凛々しい眉を八の字にしながらクルトは人懐っこい笑みを浮かべる。
「だからもう少し待ってやってくれないか?」
その言葉にメルティーナは溜息で返すのだった。
to be continued.