パイロット5️⃣×グラハン🐯 「僕の好きなタイプ?」
向こうのテーブルからやたらと通る声が聞こえてきた。それまでざわざわと騒々しかったのがまるで嘘のように静かになった。この場にいた誰もがその男のタイプに興味があるのだろう。
なんせ顔だけ見ればこんなところにいるのが勿体無いくらいの男なのだから。
「いっぱい食べる子。かな」
途端に静まり返っていたのがドッと湧き男の横に座った普段よりも随分と派手な髪と化粧をしたCAの女性が肩を叩いて笑った。
「もう〜、五条さん面白いこと言いますね。もっとこう、性格とか見た目の好みとかないんですかぁ?」
あからさまな猫撫で声に女が五条を狙っていることは明白だ。
「強いて言うなら明るくて気が効く子」
それにそっけなく答えた五条さんはいまだなみなみと注がれたままのビールに口をつけあまり美味しくなかったのか眉根に皺を寄せる。
「おい、虎杖。なーにシケた面してんだ」
その様子を二つ離れた卓でビールジョッキを手にじっと眺めていれば三つ上の先輩がすっかり酔った様子で絡んできた。
「そんなに見たって可愛い子たちはパイロットしか眼中にねぇぞ」
「そんなんじゃないっすよ」
実際CAたちはこんな油やら汗やらでドロドロになって働く俺たちよりも爽やかに上空を羽ばたくPさんがたの方にしか興味がないことは火を見るよりも明らかだ。
今だってあの五条悟という副操縦士が可愛い女子たちの輪の中心にいる。
そりゃそうだよな。なんせパイロットは空の仕事の花形。その次期エースである男が珍しく飲みの席に姿を現したもんだから皆目をギラつかせて狙っているのだ。
一体誰がこの男を誘ったのか。それもまたわかりきっている。整備課の夏油傑だ。二人は学生の時からずっと一緒だったようで仕事人間で恐れられている一面を持つ五条に気安くこんな誘いをかけられるのはあの人しかいないだろう。
これは親睦会という名の合コンなのだ。
でも、今は別に恋人とか欲しいと思わねぇしな。
頬杖をついてビールを煽る。
するとふとそこで自分が見すぎていたせいなのか五条さんと目が合う。
酒のせいかいつもとは違う少しトロンとした眠そうな目がまた色気があって、こりゃ女子にお持ち帰りされても文句は言えんよな。と妙に納得した。
するとなぜか五条さんが徐に立ち上がりフラフラと左右に揺れながら、しかし視線はじっと離さずにこちらに向かってくる。
な、なんだ!もしかしてみすぎてたか!?
それを何事かと先ほどまでベッタリ横にくっついていたCAも驚いてみている。
そしてついに隣の席までやってきた。
「虎杖くんは好きな子いるの?」
今年29になると聞いていた割には随分と幼い作りの整った顔がわざとらしくコテン。と傾けられた。
「へっ!?」
そのまま傾けられた頭が肩に乗せられたと思えばずりずりと頭が下がっていきとうとう俺の膝を枕にして勝手に寝た。
「ぇっ!?えっ!!!!????」
俺は動揺のあまり手に持っていたビールを五条さんの頭に溢さないように必死になった。
そんな俺に隣の席から声をかけてきたのは夏油さんだった。
「悪いけどそのまま連れて帰ってやってくれない?」
「ここが五条さんの部屋…」
夏油さんに教えられた場所はなんと同じ社員寮の一室だった。
まさかここに五条さんが住んでいたとは今まで気が付かなかった。
まぁパイロットじゃあ家にいることもほとんどないだろうな。そろそろ国際線も任されるって噂で聞いたし最年少機長になるんじゃないかってなにかと話題に上がる人だからな。
「五条さん、着きましたけど」
長すぎる足を半ば引き摺るようにして連れてきたけどほんとにこの役目俺にしかできないかなぁ。
確かに完全に寝入った成人男性をいくら狙っているからと言ってあの華奢な女性たちではどうしようもないだろう。しかしグラウンドスタッフたちはなかなかに屈強な男たちが揃っている気がするが…、それに俺に頼まず夏油さんが連れかえればよかったのでは?
考えれば考えるほどわからない。
「んん〜」
呑気に眠そうにしているこの人は俺と全く関わりなんてなかったはずだが。
「五条さん!カギ!鍵出して!」
俺はもう少しあの場で酒を楽しみたかったのに。
しかし、この人俺の名前なんて知ってたんだな。
「かぎ?」
「そう!カギ!」
ポヤポヤとして呂律が怪しい。
「…ポッケの中」
数秒して返ってきたのはそれだけ。そういったきり自分で鍵を出そうとはしない。
ああ!はいはいはい!テメェが取れってことね!!
遠慮なくそのズボンのポッケを探って出てきたのは自分の部屋の鍵とよく似た形状の鍵だ。
それもそのはずでなんせ悠仁もこの寮に住んでいるのだから当たり前なのだ。
「あけますよー」
ほぼ意識のない人間に念の為許可をとってからその見慣れた玄関ドアに鍵を差し込む。
ギィと錆びついた音を立てて開いたその向こうは自分の思っていた数倍、いや数十倍は物で溢れていた。
「ぇ…」
あまりの光景に言葉が出てこない。
あの高潔無比、品行方正、次期機長と謳われる五条悟の部屋がこんな…ゴミ屋敷だったなんて。
玄関から寮の小さな靴箱には収まらないくらいの靴が溢れかえっている。それにドン引きして玄関先で呆然と立ち尽くしていると支えていたその腕をスルッと抜けてフラフラと部屋の中に入っていく。
その途中で部屋の隅に積まれていた雑誌を崩していった。
そして何の迷いもなく一直線に一番奥に鎮座している大きなベッドにぼすん!っと顔から倒れ込んだ。
「わ、ちょ!顔からは!!」
慌てて駆け寄ってみればよほどふかふかなのだろう沈み込んだベッドからスースーと規則正しい寝息が聞こえてきた。
ホッと一息してそこでようやく無意識に入っていた肩の力が抜けたようでなんだかドッと疲れた。
自分はただいつもの同期たちと楽しく酒が飲めればそれでよかったのに。可愛いCAにもイケメンパイロットにも興味はない。なのになぜ今俺は若きイケメンパイロットと囃し立てられるこの男としかもその男の家にいるのか、自分でも全く訳がわからないが、この顔からダイブした男が翌朝窒息死で見つかるのはこの航空業界の大損害にあたるだろうことだけはわかった。
明日の便に欠便が出てもたまったもんじゃないしな。
せめて死なないよう仰向けに転がしてやる。
転がすときに触れたシャツの触り心地が俺の知ってるシャツじゃなくてこのままシワになったらまずいのでは?と思ったがそこまでしてやる義理はない。
足早に玄関に向かう途中で目に入ったのは先ほど倒された雑誌の山だ。それは全て飛行機の写真が載った航空雑誌や教本だった。驚いて顔を上げればベッド横のテーブルの上にも飛行機のプラモデルが置いてあった。
高潔無比、品行方正、俺たちグラウンドスタッフからしたらお高く止まって見えるあの五条副機長の部屋がこんなだとは誰が思うだろうか。
鍵は締めてから新聞受けに入れた。
それが約一週間前の出来事だ。
「やぁ。虎杖くん、隣いいかな」
昼時の社食で声をかけてきたのは整備一課の夏油傑だった。
「もう座ってるじゃないっすか」
この人も五条悟とは違った意味で恐ろしい。整備士というのは『一生勉強』と言われるほど本当に勉強漬けの毎日を送る人生なのだ。
新しい機体は日々進化し情報は日々更新されていく、それを逐一頭に叩き込み直し新しい機体を整備するための資格を取る。この人はその資格が他の社員よりも圧倒的に多くどこのドッグにいっても即戦力となれるような男だ。
そんなすごい人が自分に何の用か。
「あの後無事に送り届けてくれたみたいで助かったよ」
ニコリと微笑まれたそれは女性社員ならイチコロだったかもしれないが悠仁には効かなかった。
「…はぁ。なんでわざわざ俺だったんすかね」
あの場には五条さんを狙っていた女たちがうじゃうしゃいた。ほっといてもどうにかなっただろうに。
「でも悟は君をご指名だったみたいだよ」
衣がサクサクのカツにかぶりつきながらそう言った彼もあまり時間がないようだ。話しながらどんどんとカツカレーを流し込んでいく。
『カレーは飲み物。』なんて言い出したのは一体誰だったか。
カツも乗っているのにその言葉をまさに体現するかのようなスピードで横で食べられると自然とこちらもスピードが上がっていく。
「意味がわからないんすけど」
かき揚げそばを啜り水で流し込む、休憩時間なんてあってないようなものだ。飯が食えればそれでいい。ゆっくり座って休むなんてことあまりできない。なんせここは日本で一番離着陸の多い空港なのだから。差し詰め戦場といったところだろうか。毎日誰かの怒号の中で忙しなく働いている。一分一秒でもロスが出ればオンタイムでの離着陸が難しくなることだってある。それをグラウンドスタッフのミスで起こすわけにはいかないのだ。
「そのままの意味だよ」
かき揚げをザクザクと咀嚼しお盆を持って立ち上がる。
「お先っす」
夏油さんも五条さんも学生時代からの付き合いだと聞いた。
二人の間ではなにかあるのだろうが、正直自分には全くわからない。
なぜ、自分が選ばれたのか。
「君も飽きないね」
「飽きるわけねぇだろ」
「Pは向こうの棟だろ」
「こっちの方がよく見える。」
あと少しで食べ終わる。と言うときにやってきた男はこちらの棟ではなかなか見ない制服に身を包んでいた。
足元のフライトバッグを見るに今戻ってきたばかりなのだろう。
「あーあ、あとちょっと遅くついてたら誘導は悠仁だったのかな」
頬杖をついて見つめる先には大きな窓ガラス。それは飛んでいく大きなシップも全て見える。しかし彼が見つめるのは空ではない。
戻ってきたシップの誘導をする一人の職員だ。
大きく腕を曲げ、サインを伝える彼。ここからではその後ろ姿しか見えない。
近づく機体の正面に立ちゆっくりゆっくりと腕を交差させていく。そして頭上で大きなばつ印を作ったあと彼はガバリ。と深くお辞儀をしてから機体に駆け寄りその大きなタイヤにまるで労うかのように両手でポンポンと叩いてから両サイドにいた人間たちと一緒に作業に移った。
「君に誘導はいらなさそうだけどな」
ため息をつき向かいに座った男に目を向ければキラキラとした目でいまだに彼を見つめていた。
「聞いたよ。こないだ、彼の誘導だったときセンターラインから大きくはみ出して駐機場に入ってきたって。わざとだろ。」
悟はいつも入場するときセンターライン上にピタリと合わせてくる。それは気持ち悪いくらいの正確性を持って。そのせいでマーシャラーたちから実は少し気持ち悪がられている。それがこないだはあの虎杖くんの誘導だった時には大きく逸れて入場してきたそうだ。こんなことは今までほとんどなかった。
「だって、そうしたら少しでも長く悠仁の顔を見ていられるだろ」
悠仁の誘導に当たるなんて滅多にないんだぞ!!
とその迫力に押された。というかちょっと引いた。
そりゃあ地上は大忙しで動いているしスタッフの数も非常に多い、それに加えそのシップにあたる班に虎杖くんがいたとしても直前まで行われる会議でその日のマーシャラーは決まる。そう、もし操縦席にいたとしても誰が誘導なのかは直前までわからないものだ。
「しかし、よくわかるね」
機体からの距離でよく虎杖くんを見分けられる。特徴的なピンクブラウンがあるとはいえ、それも駐機場ではヘルメットを被っていてほとんどわからないはずだ。
「そりゃ、悠仁の背格好や歩き方はしっかり覚えてるからね。遠くからでもわかるよ。」
帰ってきた返答はなんともストーカーじみていて返す言葉が見つからなかった。
「言っておくがあの時君を家まで送ったのはあの子だよ。覚えてないだろうがこれは貸だからね」
「…は、…っはぁ!?!?」
その声は食堂に響き渡った。
雨の中のブリーフィングはドッグ内で行う。
いつもの制服とヘルメット、その上からカッパを着て自分たちの出番を待つ。
すると突然ドッグ内がざわめき出した。何か問題でも起こったのかと一瞬緊張が走ったがすぐにその正体を見つけ腑に落ちた。
ドッグの2階から五条さんがこちらを見ていたのだ。
確かにPはあまりドッグにはこない。そもそも待機場も違うしなぜここにいるのか。新人パイロットは全部署を2、3年かけ経験するものではあるが彼はもう新人ではない。ここにいる理由がわからないのだ。
男性スタッフは早々に仕事に戻って行ったが女性スタッフたちはキャーキャーと色めき立ち、ちらちらとその様子を伺っていた。
すると見上げたその視線がばちりとあった。
いつかの日のように。
そのままひらひらと手を振る姿を無視し自分の持ち場に駆け出す。
なんだかこれ以上彼と関わってはいけない。そう本能が訴えているのだ。
なのになぜ、彼が今ここにいるのか。
専攻する課は違ったが同じ航空学校に通っていた同期で現新人パイロット伏黒恵、それから整備課の紅一点こと釘崎野薔薇。久しぶりに3人でゆっくりと昼食をとる時間ができ仕事について華を咲かせていたというのに。そこに一人途中参加してきたのは五条さんだった。
「なんでこんなところにアンタがいるんですか?」
それを鬱陶しそうにあしらおうとするのが伏黒、さらにその横でため息ついて我関せずを選んだ釘崎。
「向こうの食堂混んでんだよ。あと、ここでは一応僕、先輩だから」
そして俺はなぜか険悪な二人をただオロオロと見つめることしかできなかった。
「恵こそなんでここにいるのかな?」
ドン。と大きな音を立ててお盆をテーブルに置いた衝撃で絶対ちょっとコップの水がこぼれた。
そしてそのまま五条さんは俺たちになんの許可も得ずに俺の隣で鯖の味噌煮定食を食べ始めた。
「今はGSとして研修中だからですよ」
伏黒を"恵"とよぶほど仲がいいのはわかるが二人は一体どこで知り合ったのだろうか。
「二人とも仲良いっすね」
ついこぼれ落ちたその言葉に二人の視線が一気に俺に集まる。
「そんなふうに見えるか?」
不貞腐れたようにわかりやすくむくれる伏黒のこんな表情初めて見た。
「恵とは親戚みたいなものなんだよ」
パイロットを多く輩出してきた名門五条家と禅院家その界隈は非常に狭いため自ずと繋がりができるのだろう。