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「珍しいな。」
「ストリートピアノの企画だって!」
大学が多く立ち並ぶ学生街、セリスは夏休み前には無かった白いアップライトピアノに気づく。今弾いているのは塾かばんを背負った女児ふたり。曲はかの教本の有名曲で、習いたてだろうかところどころつかえていた。
ピアノに近づくと隣にパネルがあり詳細が書かれていた。ストリートピアノの企画は企業のモニタリングのこと、また時期を見て街をまたいだ別の駅に移動させるとのことだそうだ。
「期間限定なんだね」
「だろうな。ただでさえピアノは調律大変なのに、外でその上白なんて数週間くらいしか置かんつもりなんだろうな」
とパネルの前で話をしているとふと曲が止み、と同時に「どうだった?!」と横から聞こえる。思わず声に目を向けると女児二人のキラキラとした4つの目がこちらを向いていた。思わずセリスとアレスは拍手をした。
「やったね!おにいちゃんたちにもほめられた!」
「あの曲左手のところ難しいだろ?うまかったぞ」
「え!おにいちゃんも、あのきょくしってるの?」
と二人の目がアレスの方を向く。
「昔ちょっと弾いてたから、まあ」
「ほんとに?!おにいちゃんのえんそうききたい!」
「えっ!?いや今は…」
「ここすわって!」
と女の子は少し高いピアノ椅子からぴょんとおり、アレスに席を譲った。
「ひとつ言うけど俺が弾いてたのは昔だし、何なら今時のポップスより古い曲とかしか弾けんぞ」
アレスはピアノ椅子に座ると「たかっ」と声を呟き、くるくると椅子の横のネジで高さを合わせていった。
「じゃあ」
とりあえずと先程の女児が弾いていた曲を難なくこなす。ときどきあっと声が出ているが危なげは全くなく曲が止まることはない。
「すごーい!」
ぱちぱちぱちと三人の拍手が響く。
セリスは、アレスが毎日ではないが練習をしている事を知っている。前にアレスの実家に宿泊させてもらった際、セリスはピアノの音で朝目覚めた。てっきりレコードや彼の叔母の演奏かと思いきや、彼の父から「鈍るのは嫌だからと帰省の度練習している」との話を聞いた。ちなみにアレスは三日前まで実家でゆっくりしていたとのことだそうだ。
「もっかいひいて〜!」
女の子たちに言い寄られてアレスは珍しく対応に困っていた。先程の曲をもう一回弾こうか?と聞けば別の曲も〜!とのことだった。
「俺の弾ける曲なんてたかが知れてるが…」
「じゃあ僕がリクエストしていい?」
と後ろからセリスが割って入った。
「弾けるなら」
「じゃあ、君が練習のとき最後に弾いてるかっこいい曲」
「げ、父上から聞いたのか……。」
とアレスがピアノの鍵盤に向く。リクエストは成立したようだ。
「どしたの?」
「僕の弾いてほしい曲演奏してくれるって」
女の子と一緒にアレスの背中をどきどきしながら見る。ふっとアレスは息を吐くと、一気に体を殴るような和音を鳴らす。それから大きな手を存分に使にピアノ全面を動く譜面。先程との差に女の子たちはぽかんとした顔をしていた。アレスは見かけに似合わず、というべきか穏やかで歌うような、朝の目覚めに丁度よいような音楽が得意らしい。が唯一情熱的で華やかなこの曲だけは、彼の父の好きな曲で毎回最後に弾いて一日の練習を終わるのだとか。さっきの教本曲を女の子に弾いていたアレスの姿はなく、集中して呼吸は浅く、しかし楽しそうにセリスの為一心不乱に弾いていた。
フィナーレのピアノ全面を使うアルペジオを超え、フォルティッシモできっちり締める和音。と、駅舎に似つかわぬ拍手が響いた。どうやら曲の間、セリスの後ろに段々と聴衆が集まっていたらしい。
「あっ!」
セリスも拍手をしアレスに話しかけようとした瞬間、アレスはバランスを崩した。肘置きも背もたれもないピアノ椅子だ、そのまま地面に倒れると思い咄嗟にセリスはアレスに抱きつく。
「――!あ、悪い…」
どうやらあまりの集中で軽い酸欠を起こしたようだった。意識はあるが少し瞬きの回数が多い。
「君が無事ならなんの問題もないよ。ありがとう。」
「ああ、俺も――」
「あー!」
と隣で拍手をしていた女児たちが割って入る。
「おにいちゃんたちラブラブだね!」
「だっこしてるしラブラブだね!」
「えっ!?」
「なっ!?違っ」
アレスは照れ隠しでガバッと体を起こすと、今度は立ちくらみかセリスの腕の中に逆戻りした。
「あーえっと、ふたりとも電車大丈夫?」
「あっ!もうすぐかえらなきゃ!」
おにいちゃんたちありがとうね〜ばいば〜い!と二人はホームに向かっていった。
「ほら、アレス、行こう」
セリスに体を起こしてもらい、顔を赤くしたまま忘れずピアノの横に置いたカバンを持つ。
「それにしてもあんな事言われるとはな」
「らぶらぶ〜?」
「違う!リクエストの方だ!」
間もなく〜と電車のアナウンスともに発車のメロディが鳴る。二人はホームを後にした。
後日、どうやら昨日はこのストリートピアノに有名な配信者が訪れ話題になったらしい。アレスたちは午後休講で帰ってしまったため丁度見ることはできなかったが。
あの妖怪パワポ配りじじい、と呪詛を呟くアレスを横に今日も二人は帰路に立つ。と後ろから聞き覚えのある声で「おにいちゃん」と呼び止められる。振り向くと、前にピアノを弾いていた女の子とその母親が立っていた。
「突然すみません、この子たちの母親です」
「ああ、この前はどうも」
どう話したらいいものか、金髪の男がピアノ弾いてたなんて母親は驚いているだろうか。と母親が話を続ける。
「実はこの子が……」
「みて!」
と本をバッと開く。五線譜が書いてあるそのページには花丸がついていた。
「この子が、どうしてもお礼を伝えたいと……。それに演奏までしてくださったようで…。」
「いえ、それは俺がやりたくてやったので…」
と下から声が続く。
「これね〜おにいちゃんのえんそうまねっこしたの!そしたらじょうずだってほめてもらえて!」
「だそうで」
「……そうですか、ありがとうございます」
とアレスはどう反応したものか、と照れて狼狽えた。
「でほら、これを渡すんだったんでしょ?」
「うん!これね、おにいちゃんたちにおれい!」
と女の子からアレスにケーキ屋のロゴが入った箱を渡された。箱の状態からホールのパウンドケーキのような半生菓子のようだ。
「突然ピアノ弾いてもらっただなんて言われて驚きましたが、動画拝見して本当にお上手で…この子達が選んだものなのでお口に合うかわかりませんがお礼です。」
と母親からお辞儀をされ、アレスもこちらこそ、と袋をもらった。お礼をするためだけに来たのだろう、塾鞄を背負っていない姉妹と母親は「ピアノ〜」「はいはいまた今度ね」とホームに向かっていった。
「……にしても動画?」
「SNSで回ってた」
「は!?お前知ってたのかよ!?」
「なんかアレス恥ずかしがるかな〜って父上には伝えた。あとナンナとリーン」
「なんでお前よりによってそのメンツに速攻伝えてんだよ!?しかもお前の父さん経由で絶対父上んとこに伝わってんだろ!」
あーとアレスはガシガシ頭を掻く。
「ほら折角おにいちゃん「たち」のためにもらったんだし食べよっか」
「俺んちにケーキ切るナイフないから先に買いに行くぞ」
「はーい」
二人は、一人で食べるには大きいケーキを持ってホームへ向かっていった。