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机に向かい本に向かうディアマンドの手は止まっている。しばらくしたら頁が捲られると思いきや止まったままだった。
「大丈夫かい?」
ディアマンドははっと目を見開くとすぐ隣に紋章士シグルドの姿が広がっていた。
「…すまん。少し考え事を。」
「構わないよ。寧ろ私で良ければ相談をしてくれないか?」
シグルドは息子を見るような目でディアマンドを見る。神竜軍では普段感じることのない不思議な感覚だった。
ディアマンドは神竜リュールの束ねる軍隊の中でも歳上の部類だ。ヴァンドレやザフィーヤなど世代の異なる面子はあれど、同世代はアイビーとその臣下程度だろうか。大人として、非の打ち所やない人間として周りから認知されている影響か、相談事をされることは多くあれど、相談をすることのできる人間はいなかった。剣ならまだしも、個人的な用となればほぼ相談できる人間はいない。
「……なら、少し聞いてもらってもいいだろうか。」
「戦争を行っておいてと思うが、私は父を喪って初めて人の死というものが身近になった気がする。今まで危うかったことは少なからずあるが、……いざ喪ったときの、感情の整理の付け方がわからないんだ。」
「成程」
シグルドは複雑な顔をする。彼はシグルドの事――父も妹も親友もシグルド自身さえ死んでしまったことを知って相談しているようだ。
「まず、君は王として歩みを止めてはならない。もちろん弔うことは罪ではないし、人間として悲しむことはおかしくない。しかし、軍の長(おさ)が喪失に足を取られてしまっては全て滅びの一途を辿るのみだ。例え不安であっても気取られないように努力しなければならないよ、士気が大きく変わるものだ。」
井戸の中で見た自分を思い出す。案外、辿ってしまった未来としてはおかしなものではないと冷や汗の出る拳を握った。
「それから、一日とて同じ日はない。君も戦禍に身を投じてよくわかっているだろう?もしもで不安がっていても何も意味は無い。せめて明日世界が滅びようとも後悔なく生きるようにするんだよ。」
「はい」
「それと……君は、今もイルシオンが憎いかい?」
ディアマンドは首を横に振る。
「「イルシオン」が憎いかと言われれば否だ。ソルムに逃げる前、スタルークはアイビー王女に父の死の原因だと言ったが、確かにイルシオンと父の死が全く無関係ではない。しかしイルシオン自体やアイビー王女一人に憎悪の念があると言えば異なるな。」
「なら大丈夫そうだ。」
シグルドはディアマンドに改めて向く。
「争いは憎しみを呼び、そしてさらに戦火となる。……しかし真実は自分の目で見た一つだけのものだけではないのだと覚えておいてくれ。現にディアマンドも、スタルークも見ていると教会で見た時より気持ちの整理が前よりはついているようだから心配はなさそうだが。」
「……そうだな。感謝する。」
「人を喪う傷は一生癒えなくともおかしくないし、人生が変わってしまう人間なんてごまんといる。しかし気持ちの整理の付け方を間違えてはいけない……で大丈夫かな?」
「ああ。随分参考になった。」
ディアマンドはふう、と息をつく。
「……重苦しい話題を申し訳ない。しかしまた、相談を良いだろうか?私には同じ歳くらいにこういった相談が出来る人がいなくてな。」
「勿論だ。そうそう、君は気負いすぎる節があるから、適度に息を抜かなければいけないよ。」
「はは、肝に命じます」
ディアマンドは椅子から立つと一つ背伸びをし、鈍(なまくら)の剣を取った。
「今から時間があれば手合わせを願っても良いか?」
「ぜひとも」
シグルドは鍛錬所に向かうディアマンドの横を滑るように飛んで行った。
おまけ
「まさか君からそんな話題が出るとは」
「わ、私だって人間だ」
ディアマンドの前に広がるのは、婚約者の候補の肖像画。王に即位するとなれば妃を選ばなければいけないが。
「今は少なくとも婚約には情勢が悪いから、断りをどうやって返そうか……文章が堅苦しくなってしまってな」
はぁ、と前に相談したときより重苦しい溜息をついた。どれどれ……と覗く。女性に宛てるには飾り気もなくこの堅苦しく形式ばった文章……。
「君、エルトシャンみたいなタイプか!はは、そのままで大丈夫だと思うよ!」
全部の文章を書き終わった後、シグルドとその親友の恋文との話を聞きディアマンドは破顔した。
「どうして…!妹君も面白いな……ははは!」
「だろう?そういえば……」