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セリスは執務机の角に乗った小さな写真立てを見る。戦が終わる前の、雨の晴れ間の日。数年前のあの日に思いを馳せ、セリスは目を閉じた。
「こっちこっち!」
「わかった、わかったから」
フードを被り歩く2人――アレスとセリスは水たまりを避け、路地から一本入ったある場所へ向かう。隠れたアトリエ、ここでは老人が絵を描いてらしいのだが、描いている絵がこれまた普通とは異なるとのことだった。
「いらっしゃいませ。……って、」
「しっ!何も言わないでください」
絵は日数と時間を決めじっくりと描く。この画家は早書きが得意だと言われているものの、余裕を持って1日約束をした。杖をつき、少し腰の曲がった画家が、予約を入れた人間を迎えようと扉を開けると、フードを被った今日の客が「誰か」わかったのか驚いた表情をした。
「……私はアテナと申します。よしなに。」
セリスは「アテナ」と名乗り、ささ、こちらへと招かれるままアトリエに入った。恐らく店主は後ろのアレスも誰か知っているのだろう。名前を聞かれたが咄嗟に思いつかず、「名無し」とアレスは名乗った。
「えっとセ……いえ、アテナさん。今日はどう言ったご希望ですかな?」
「先日お手紙した通り、二枚の、写真立てに入るだけの絵を頂きたいのです。彼との。」
セリスはぐっとアレスの腕を引く。アレスは突然腕を引かれた事に驚きつつ、お互いの関係を話すよう優しく指を絡めた。
「畏まりました。アトリエの奥に、部屋があるのですよ。虫に喰われてあまり枚数は多くないがの、衣装があって。良かったら準備の間に着替えてください。」
「はい、ありがとうございます。」
「おいひっぱるな!」
セリスとアレスはアトリエの奥へと向かっていった。老人は盟主と名高い彼の素の姿、そして二人の仲睦まじいその様子に目を細めた。
このアトリエは「絵画だけでも結婚式をあげたい」という人間の絵を描いてくれる、らしい。実際、アトリエには壁に並ぶ絵は花嫁が2人の絵、親と子供以上の年齢差がありそうな男女の絵、肖像画を抱えた花嫁の老婆を囲むよう子供であろう男女が並ぶ絵。様々なものが並んでいた。ひっそりと平和な時代なグランベルからアトリエを十年以上構え、贅沢品が咎められるなかひっそりと支援を受け続いているとのことだ。
そんな中、その話を聞いたのはセリスだった。アレスとセリスは恋人同士であるが、目前に迫った「終戦」。その後の未来は、例え自分たちが望まなくとも、想いを殺し、民のために尽くさねばならない。お互い気付いて、知っていて、別れて妃を娶るべきと喧嘩したこともあったが、結論としてそれでも恋人であり続けたいと二人は願ったのだ。しかしどうやっても物理的な距離は縮めることはできない。そこでセリスはここで絵画だけでも残さないかと話をしたのだった。
「アレスにいい感じ!」
アレスは堅苦しそうな真っ白の燕尾服に一瞬顔を顰めるが、受け取って袖を通す。
「……少し小さいかもしれん。」
袖は通ったものの肩から腕にかけて布の筋がついており、この後何時間も同じ姿勢を取るのには大変そうだ。
「そうなんだ……」
セリスは目に見えてしょぼくれる。アレスはその様子を見て、隣にあった衣装を取る。
「でもこっちの色違いの方が大きそうだからな。折角だからセリスには少し大きいくらいになるかもしれんが、これ着てみないか?」
アレスは裏地が赤の燕尾服を雑に脱ぎ、隣の裏地が青の燕尾服を着る。まだ少し小さいが、赤の方よりはましだった。他の正装も見たが、服を種類を選ぶ以前にアレス程の高身長が着られる服が無く、恐らくこれが最適解だろう。自分が青の方か…と思いつつ、赤の方を着たセリスは多少着られている感じは残るものの似合っていた。
「どう?」
「似合っている」
「ちょっと大きいけどね」
ふふ、と笑いながら二人は衣装部屋を出た。
「おふたりはどのようなポーズにしたいなど、希望はありますかな」
「ええと……」
セリスは咄嗟に思いつかずたじろいだ。
「……俺たちは恋人ですけど、例え天地が返ろうとも、式を挙げて結婚できないんです。」
「ほお」
「事情はわかるでしょう、俺からは何も言いませんが。でも、絵とかわかんないですけど、ここだけでも花婿でありたいって思ってます。」
「わ、私も絵は詳しくないですが、身分関係なく、1組の恋人として描いて下さると嬉しいです。」
「成程。儂が殆ど決めることとなりますが、希望があれば遠慮せずお伝えくだされ。」
画家はゆっくりと立ち、二人に一つのブーケを渡した。
「そうですな。これを二人で持って、立ってでも座ってでも、好きなように並んでくだされ。」
二人は画家の体勢も考え、白いソファに座り、身を寄せあった。
「そうじゃ、もう二十年は経つ頃かの、若い綺麗な男のふたりがおられてな。」
老人はさらさらと鉛筆を、片手ほどの紙の上で動かし始める。手が止まることはない。
「丁度その服を着てな、まさにお二人のように並んでおられたのだよ。……して名無しの」
「何か」
「お主はグランベルに知り合いはおらんかね。その2人のうち、一人はちょうどお主のような金髪だったのだが……」
「少なくとも俺の知るうちはいません。それに金髪などごまんといるのですが。」
「儂はあれほど「美しい」という言葉が似合う男を見たことがない。見まごう筈ない……しかしこの世に同じ顔の人間がいるらしくてな、確か3人?いや5人、もっと多かったかもしれん……」
「そんな似た顔がいるわけないでしょ。半分くらい偽物じゃあないんです?」
冗談と世間話をしつつ、しばらく老人の鉛筆が走るさまを二人は見ていた。
「ありがとうございます」
絵の中では、2人の男がソファに座り、1つのブーケを持ちながら何か話すよう笑っていた。実際、描いている間かちかちに固まってということはなく、世間話をしていたからこそ柔らかい表情をしている。セリスは日常を切り取ったようでとても気に入っていた。
「……お二人共、ナーガ様の御加護が、あらんことを。そして、この先の平和をお祈りしております。」
「……ありがとうございます」
セリスはしわくちゃの画家の手をぎゅっと握りお礼を伝えた。
終戦後、運命に違わず二人はそれぞれの国に戻った。恋人であることは親しい者にしか伝えていない。しかしそれでも終戦から数年、手紙はまめに送り合い、写真立てに入ったあの絵は毎日眺められる場所に飾られている。アレスに手紙に書いたところ、俺も机にあると連絡がきて笑ってしまった。遠く離れていても、考えていることは同じだったそうだ。
「兄様、いらっしゃいますか?」
ノックの音と共に異父兄妹のユリアの声がする。どうぞ、と挨拶すると、後ろに黒い礼装をまとった恋人がいた。
「アレス、久しぶり」
「久しいな、セリス。半年ぶりか。」
「お二人共、グランベルとアグストリアの距離で半年は早い方ですよ」
ユリアは紅茶を持ってくると身を引いた。ユリアの淹れる着香茶はアグストリアでは飲むことができないからとアレスは密かに楽しみにしていたはずだ。
「今日は何から話そうかな」
セリスはアレスに指を絡める。そっと顔を近づけ、優しく唇を合わせた。
「そうだな、久しぶりにあれの話をしようか。」
アレスは机の上の写真を指さした。アレスも、何度か話題にしてくれているから、相当気に入っているのだろう。
「まずは画家さんにお礼伝えなきゃね」
「そうだな。今年は百合でも買うか。」