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今日は学生にとって待ちに待った休日、シグルドとエルトシャンは二人でグランベルの街に出かけていた。露天を冷やかしたり、買い食いをしたり。敢えて貴族らしくない格好をした二人は(とはいえ見目の美しさもあり目立っていたが)、男同士ではあるが恋人としてつかの間の逢瀬を楽しんでいた。
「なんだあれ?」
街の一角、何かの店かと思って近づくと民家とも倉庫とも違う、しかし生業を行っているよう表札が立っていた。もっと近づいてみると絵が並んでいる。恐らくアトリエが正解だろう。描かれているのは純白の結婚式の正装をした人だったが、壁にかかっている作品を見ると「ただの花嫁花婿の絵」だけではなかった。
「気になるかい?」
「わっ」
気さくな40代くらいの男性が話しかけてきた。服の汚れ方から言って彼が画家本人だろう。
「失礼ながらこの作品は?」
「これは絵画だけでも結婚式を上げたいって人の為に描いた作品だよ。結婚式を一生残したいからって描いたやつもあるけどな。詳しいことは言わないようにはしてるが、ほとんどは結婚できてない奴だな。」
ちらと見れば花嫁が2人の絵、親と子供以上の年齢差がありそうな男女の絵、肖像画を抱えた花嫁の老婆を囲むよう子供であろう男女が並ぶ絵。様々なものが並んでいた。
「…それは、私達も描けますか?」
ぽつり、エルトシャンは呟いた。
「勿論さ。二人とも格好いいしな。恋人かい?」
「はい。男同士なのであまり公に出来る訳では無いですが。」
「い、言うなよ…!」
シグルドははにかむようにして言った。エルトシャンはシグルドの答えに真っ赤になっていた。
「いやぁ、正直言ってくれた方が嬉しいよ。なあせっかくだからやってみるかい?」
「いいんですか?」
エルトシャンは何度か肖像画を書かれたことがあるから、こういった絵が一朝一夕でできるものでは無いことを知っている。シグルドも驚いていた。
「俺は趣味で絵を描いてるからプロみたいに上手くはないが早描きは得意でね。今からだと日暮れくらいにはなんとかなるかな。」
時間の確認のため窓に向けていた視線を画家はこちらに戻す。
「それでもいいかい?」
はい!とシグルドは明るく返事した。ならあっちに服が揃ってるから自分の好きな衣装を着てくれよなと衣装室と書かれた札がある奥の部屋を指された。
「お邪魔しまーす。わ、凄いな。」
入ると部屋には何着か衣装が並んでいた。自分の身長に合いそうな服が並ぶ場所に行くとタキシードや燕尾服、ドレスまでも揃っている。全部数度着られた程度で、何かしらあって陽の目を見ることはなかったのだろう。
「なあエルトシャン。折角だから色違いの揃いにしないか?」
シグルドは裏地が色違いの燕尾服を指した。
服を着替えてアトリエに戻ると白いヴェールと椅子と花束と、様々な小道具が揃っていた。
「おお〜やっぱり絵になるな〜!」
「ありがとうございます。照れますね。」
シグルドとエルトシャンは正装は良く着る身分であるが、結婚式の正装もとい花婿の衣装は初めてだった。白を基調に差し色に青が入るシグルドと、同じく白基調ではあるが差し色が赤色のエルトシャンは並ぶと本当の花婿二人による結婚式のようだった。ただこれを次に着る時には、隣に立つのは彼ではない事をお互い確信していた。
「いや〜予想以上に迷うな〜。ちょっと案は考えたがどういうものが良いか希望はあるかい?」
「私はそういうのに詳しくないですけど、何かこうだってものがあれば。」
「……その、」
エルトシャンがぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「私達は、二人で結婚式が挙げられないので、その、……ここで挙げさせてください。」
普段恋人として隣に立っていてもエルトシャンからこうしたいああしたいと希望が出ることは稀だった。
「それはいいじゃないか。もっと希望をより詳しく聞かせてくれないか?」
なんて提案をと真っ赤になって俯いたエルトシャンに、男は優しくどういったものが良いか希望を伺っていた。
「よし。決めた!こんな感じで立って、そう、で花束はこう持って。背景は…」
「本日はありがとうございました」
「いや〜楽しかった。こっちこそありがとう!お幸せに!」
シグルドとエルトシャンの手には掌に収まるの大きさの小さな結婚式の絵があった。エルトシャンは早描きとはいえ当日の駆け込みで画家に負担をかけるから、また細部を省略しても良いからと構図に加え小さな絵を二人分リクエストしていたようだ。絵の中では、2人の男が笑顔でタキシードを着て1つのブーケを持っていた。
「アトリエに飾るには…いや、二人で持っていてくれ。」
普段はアトリエの作品(ポートフォリオと言うものだとか)と相手方に渡す作品を描いているらしい。ただやはりと言うべきか、普通は当日描いて欲しいと頼まれそのまま描くことは稀らしく、また二人だけのものにして欲しいと画家は敢えて自分の手元に残さなかった。
「なんだか知らないが訳ありなんだろう?せっかくの青春楽しんでこいよ。」
「ありがとうございます」
「…その、失礼ですが」
とエルトシャンは画家に問いかける。
「あの衣装、どうしてあれ程の数があるのでしょう。貴族や教会の関係者であればともかく、あれ程の出来栄えのものがなぜここにあるのか気になりまして。」
「……」
「あ、嫌であれば応えられなくて問題ありません。」
「いいや、折角だから話すよ。俺の元々パートナーだった奴が晴れ着のデザインやってて、色んな奴に着てもらいたいって作ってたんだ。あれは売り物にはならなかったけど、作られた衣装だ……ただ、もうそいつは事故で死んじまって。」
「……」
「でも無駄にしたくなくてさ、それに俺達、絵とか何も残してなかったから描こうと思っただけさ」
「…ありがとうございます」
「いやいいってもんよ。俺もやっと喋れるやつがいて安心してんだ」
「そうなんですね。……改めて本日はありがとうございました」
シグルドはノブに手をかけた。
「おう!二人もお幸せにな!」
アトリエを出るとすっかり日が暮れ始めており、そのまま夕食を食べて寮に戻るかと言う時間くらいになっていた。
「楽しかったな。」
「ああ。……これ、大切にする。」
「僕もだよ。」
とお互い絵を見やった。エルトシャンは特に嬉しそうにうっとりと見ていた。
「でもせっかく僕がここにいるのに絵の方がエルトは好きなのかい?ねえこっち見て。」
「?」
エルトシャンが無防備に顔を上げるとシグルドは不意に唇へキスをした。
「っ!外、やめろって。」
「えっすごい顔真っ赤!店入るまでに戻るか?」
「う、うるさい!うーー…………おかえし。」
そう言うとエルトシャンはシグルドの頬にキスをし、小指を絡めた。
「――!!」
「おあいこだな。ほら、行くぞ。」
二人は赤い顔をしながら城下で評判の店へ向かう。小指は店まで繋いだままだった。
あれから数年後、結婚式を先に挙げたのはエルトシャンだった。純白の花婿衣装。隣にいるのは娶った妃となる女性だった。
「エルトシャン、結婚おめでとう。」
シグルドは友人として招待されていた。
「シグルド、今日はありがとう。そうだ、1つ話をしてもいいか?」
「ん?構わないよ。」
そう言うとエルトシャンが耳打ちの体勢を取った。グラーニェ妃には話せない個人的な話なのだろう。
「…あの結婚式の絵、覚えているか?」
「もちろん!」
数年前、二人は結婚式を絵の中で挙げた。ただ二人は士官学校の卒業時に友人の関係になったのだ。元々未練なく切ろうと付き合い始めたときにしていた約束だった。
「俺は今でも鍵付きの引き出しに入れているぞ。そういえばお前はどうしてるんだ?」
「ふふ、実はずっと手帳に挟んで持ってるし今もある。」
「ばか!お前誰かに見つかったらどうするんだよ!」
「はは、大丈夫だって。まだ落としたことないしさ。これ、一生大事にするよ。…君が結婚してもこの想いは捨てたくないな。」
「…同感だ。俺だって一生忘れない。墓の下まで持っていくさ。」
そう言って耳打ちの姿勢から元の、友人の姿に戻る。
「わが親友エルトシャン王、どうかお幸せに。」
「ありがとう、わが親友シグルド。ぜひ楽しんでいってくれ。」
雲ひとつない晴天に恵まれたエルトシャン王の結婚式は滞りなく行われた。
式の途中、花嫁の投げられたブーケはちょうど隣に立っていた妹のエスリンがキャッチした。エスリンは二人の親友キュアンと親交を深めつつあった段階だったから、ほんとに?と顔を真っ赤にしてぎゅっとブーケを抱きしめていた。
「それにしても兄上、良かったのですか?」
「何が?」
「もう、知ってますからね!いま私が取れるようブーケを避けたところ。」
「…はは、バレてたか。いや、僕もエスリンには幸せになって欲しいから別に構わないんだけどね。」
ちら、とテラスの上のエルトシャンを見やる。悲しそうな、しかし安堵した表情を浮かべていた。
それからキュアンとエスリンが結婚をし、さらに数年後シグルドは精霊の森の巫女であるディアドラと挙式を行った。
ただ、後の事は歴史書にある通りの悲劇的な結末である。
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時は流れ約20年、アグストリア。
長らく大陸全土を巻き込んだ「聖戦」に幕が下ろされた。旧グランベル王国に支配されたアグストリア諸侯連邦の解放は戦争末期のことで、今から復興が急がれる土地の1つとして数えられる。
「意外と無事でよかった。」
王に即位したアレスが部屋を見渡す。旧グランベルの支配や過去にエルトシャン王がシグルドと共に逆賊とされたことにより、宝物殿や王宮の物品は破壊・破損していることは少なくなかった。が、エルトシャン王の私室であろう場所であるこの部屋はほぼ無事と言っても過言ではない。アレスが試しに本棚から1冊手に取ると、父エルトシャンが学生時代に努力した跡であろう兵法などまめに書かれたノートが出てきた。他にも叔母ラケシスからの贈り物だろうブローチ、固まったインク壺とペン、紋章付きの封印と使いかけの封蝋。アレスが朧気に覚えているくらいの幼少期の家族の肖像画も破壊から逃れるよう隠されており、まるでその部屋だけ時が止まったようエルトシャンに関するものがいくつも残っていた。
「あ」
バキ、と嫌な音がする。アレスが部屋を探っている途中の事だった。何気なく引き出しも片っ端から開けていたが、嫌な音がした引き出しは鍵付きのもののようだった。経年の劣化に加え、謎の引っ掛かりに本気で力を出したアレスには敵わず引き出しは鍵なく開いたのだ。
「え……」
開いた引き出しには大量の手紙が入っていた。差出人は全てシアルフィのシグルド公子。なぜ引き出しに隠しているのかと斜め読みで便箋を見ると、まるで恋人に囁くような睦言の数々が並んでいた。
(まさか)
あの二人は友人であったはずだ。現にアレスは父エルトシャンと母グラーニェの息子だ。他に何かあるのではと更に漁ると、はらり、と茶色くなった小さな紙が一枚落ちる。
「……!」
アレスが拾うとそこには青髪と金髪をした笑顔の花婿が2人でブーケを持った絵だった。裏を見るとある年と日付と、恋人のシグルドとと几帳面な父の文字が書かれていた。
「……。鍵付きの文箱でも頼むか。」
父の逢瀬を覗き見てしまったようなバツの悪さを感じながら、アレスは破らないよう丁寧に開けた封筒に入れ直した。そして誰にも見つからないよう、誰にも二人を邪魔されないよう、淡い青春の思い出たちを引き出しの中にそっと隠した。
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