戦闘機乗り 軽く握った操縦桿を、優しく左へ倒していく。ゆっくりと回転して機体を背面へ入れると、白々とした雲海が目の前に広がっていた。更に半回転して元に戻し、頭上に目を向ければ先ほどまでの雲は抜け、今はただ青々とした空がどこまでも続いているだけだ。
飛ぶには気持ちのいい天気だが、それは隠れる場所がどこにもないということだ。不意打ちは難しく、純粋な操縦技術だけが問われる空に、自然と気分が高揚し笑みが零れる。
「エルド、調子はどうだ」
無線を通じてリヴァイは仲間の様子を訊ねる。右後方にぴたりとついてきているF-15戦闘機、愛称イーグルのパイロットはエルド・ジン。まだ同じ部隊になって日は浅く、通信時の二つ名であるタックネームは付けていない。しかし間違いなく他の部隊であればエース級の腕前を持った男だ。
『機体に問題はありません』
「よし」
小さく返事をするリヴァイのスカイグレーの機体には、隊長機を示す赤帯が記されている。尾翼に描かれた自由の翼と呼ばれる羽のエンブレムと、それを取り巻くように刻まれた無数のキルマークは、彼が数々の敵機を撃墜してきた『人類最強』であることを示していた。
『兵長、今日の相手は一体なんなんですか』
リヴァイのタックネームで呼びかけてきたのは、オルオだ。彼もまたこの通称リヴァイ隊と呼ばれる飛行中隊に選ばれた精鋭の一人であるが、その声はどこか不機嫌そうな色が覗いていた。
「なんだ、オルオ。不満か」
『ちっ、違いますよ!! 兵長と飛べるのはいついかなる時も光栄でしゅっ!』
最後の妙な音を交えた声は、きっとまた舌を噛んだのだろう。悪いやつではないのだが、落ち着きがないのが玉に瑕だ。
ふぅと一つ溜息を吐いて、リヴァイはオルオからの質問を思い返す。
今回の演習での相手は、一言で言えば「謎」だ。アグレッサー部隊。軍の演習において敵部隊をシュミレートする専門の飛行部隊だ。様々な仮装敵機を実演する必要があるため優秀な人材が多く、エリート部隊とも呼ばれている。
中でも今日はメンバーがごっそりと入れ替わった後だと聞いている。新たに隊長機に乗ることになった団長と呼ばれる人物は相当な手練れで、彼の指揮する部隊は負けなしだとか、噂のみが先に一人歩きしている印象だ。
しかしこれまで人類最強と呼ばれ、空に敵なしと言われてきたリヴァイは、アグレッサーだろうがなんだろうが容赦なく迎撃してきた。彼に憧れて空軍を目指す者も少なくはない。
今更メンバーが誰に変わろうが、リヴァイにはあまり意味のないことだと思われた。
ふいに雲の端からキラリと光る物が姿を現す。
『機影を発見。一機だけだ』
『こ、こちらでは確認できていません! 迎撃を!』
その声から、機内で慌てる部隊の紅一点、ペトラの姿が容易に想像できた。動揺を払うように素早く前に出て右にロールすれば世界が一回転し、正立の位置でペトラの横にぴたりと停止する。
「落ち着け、ペトラ。グンタの機体だ」
左前方、やや上方に占位する藍色に塗装されたF-15。そのコクピット、キャノピー越しに見えるグンタはきっと呆れたような表情をしているだろう。
『……了解。間もなく接触します』
一つ息を吐いてから取り繕うよう殊更低めたペトラの声に、少しだけ恥じ入るような色が見えた。
気にすることはない。このリヴァイ隊自体まだ結成されてそれほどの実戦を積んではいないのだ。今回のようなアグレッサーを相手にした演習も初めてのことで緊張するのは無理もないし、なにより周りに注意を払うのは決して悪いことではないのだから。まあ、それで味方を撃っては意味がないが。
エルドの右斜め後ろにつけると、バンクした翼の先端で水蒸気が尾を引いていく。軽くラダーを踏み進路を維持しながら右へ振り向けば、遥か彼方に雲と空の境目を翼が切り裂いていくようにも見えた。
しばらく飛んでいると、再びペトラから声がかかる。
『十二時方向に敵影を発見』
今度は間違いない。落ち着いているが少しだけ緊張を感じさせる声だ。
こちらは五機。相手の機数は不明だが、こちらより少ないということはないはずだ。
瞳を凝らしていると、蒼天に穿たれた黒い点が五つ、ふいに眼前に現れた。
右前方に位置するエルドも軽く翼を振って注意を促してくる。回転してこちらも見えていることを伝えてやり、同時に左右や下方の確認をする。
近付くにつれて機影がはっきりしてきた。白く塗装されたイーグルが五機。雲一つない青空の下ではかなり目立つ。真正面から来たということは余程腕に自信があるのだろうか。または雲の下に何機か潜んでいることも考えられる。
ロールした状態のまま翼を立てて、お互いに相手を頭上に見ながらすれ違う。これは挨拶のようなものだ。
編隊を組んだまま直進していると相手は旋回してピタリと後ろにつけてきた。見たところ編隊の乱れはなく、相当訓練を積んできた部隊に感じられた。特に隊長機の動きは無駄がなく美しい。まるでオーケストラの指揮を思わせるように小さな動きだけで他の機体をも上手くコントロールしている。到底組んだばかりの部隊とは思えない。噂ばかりではないということか。
エルドの機体がふわりと浮きあがる。その滑らかな上昇に合わせて、こちらはもう少しだけ直進してから半回転する。
一気に速度を上げて後方を確認すると、ついてきたのは二機。そろってリヴァイの軌道をそっくりそのままなぞるように飛んでいる。隊長機とその僚機はエルドの方へ向かったようだ。一機に対して二機以上で当たれという教科書の教え通りの動きだ。こちらはそれを狙って二手に分かれたというのに、馬鹿正直な奴らだ。
機体は雲海の直上まで高度を落としている。ふわふわとした柔らかそうな純白の絨毯を、かすめるように飛ぶ。
操縦桿を左に倒してロールする。背面気味にラダーを踏んで機体をスライドさせれば、相手からはこちらが雲に突っ込むように見えたはずだ。
一瞬だけ後方を確認すると、案の定遅れまいと背面に入れるイーグルの腹が見えた。あくまで後ろに食らいつく気なら、そうやってリヴァイの動きを先読みして飛ぶしかないだろう。
操縦桿を前に倒してアウトサイドループで一回転すれば機首が雲に突っ込み、一瞬だけキャノピーが白に包まれるがすぐに視界が戻る。急激な加速にマイナスのGがかかって身体が浮く。肩にはベルトがぎゅっと食い込み、振り子になったような気分を味わう。頭に血が昇るが、じっと我慢して操縦桿に力を込めた。
振り切って真上を向いたところで半回転すると、ここまでついてきたのは一機だけだった。
リヴァイの動きを読んでいた分隊長の方か。あくまでリヴァイの機動をなぞるような逆ループで追ってくる。もう片方、こちらの動きにつられた僚機の方は、雲の中に突っ込んで姿を消していた。
これで一対一。僚機は雲の下に出て姿がないことに気付けばすぐに戻ってくるだろうが、時間は十分だ。
逸る心を抑えてスロットルを押し上げ、真っ直ぐ上昇する。一対一を演出してやったのだ。相手はこちらしか見ていないはずだ。
そこから一気にスロットルを押し下げると、エンジンの回転数が落ち、上昇の速度が弱まる。機首が斜め下を向いたところで再びスロットルを全開にすれば、ぐっと手応えが戻り操縦桿が効くようになった。
機首を相手に向けてトリガーに掛けた指先をすっと引き絞る。
カウント、ワン、ツー。
「バン」
小さく呟いて命中させた。
命中と言ってももちろん演習だ。実弾を使うわけではないので、あくまでもロックオンまで。あちら側では命中を示すビーコンが機内に鳴り響いていることだろう。
相手の機影が訓練空域から消えたことを確認し、高度三千メートルから上昇を始める。雲量はあまり多くない。飛行機雲など引かないよう緩やかに、優しく機体を扱う。
辺りに機影は見えないが、エルド達は無事だろうか。無線が入っていないからきっと問題はないと思うが。
『兵長! すみません!』
そんな呑気な考えは、ノイズ交じりの無線からの悲鳴のような声に掻き消された。向こう側からけたたましく響く不吉な音が、オルオが撃墜されたことを教えている。
ちっ。
リヴァイを追ってきた二機の内の一機が頭上にいるオルオを見つけたということか。すぐさま編隊を戻すべきだった。舌打ち一つで操縦桿を握り込む。
レーダーだけではあてにならない。機首をゆっくりと水平へ戻して太陽光の反射を防ぐためにロールは控え、風防に顔を押し付けるようにして索敵すると、雲の影に隠れるようにしてそいつはいた。リヴァイとほぼ同高度に浮かぶF-15、隊長機の機影。
同時に雲を抜けて前方にいたエルドも機影に気付いたらしい。コクピット内で前方を指差しているので、うなずいて返す。エルドに追従して上から回り込む機動に移るが、相手はそのまま直進してくるらしい。
こちらに気付いていないのか?
湧き上がる疑問を胸に、ロールして背面に入れ、相手の進行方向を読んで急降下する。しかし、相手を射程に捉える直前、二機のイーグルが急激にスピードを上げた。
絶妙なタイミングだった。完全に、見切ってかわされた。
こちらは、無理に引き起こすこともできずに下へ抜けるしかない。眉間にギリギリと深い皺を刻んで振り返り機影をただ睨み付ける。
そのまま速度を殺さぬよう大きなループを描くが、見上げた先の機体は遥か頭上に浮かんでいた。
「上等だ。やり返すぞ」
向こうの機体が急降下の態勢に入るのに合わせて、こちらも機首を下げる。相手を引き付けながら海面へ向けて降下し、すれすれで一気に機首を引き起こして斜め宙返りをしてみせた。
危険なほど速度のついた相手隊長機は減速しつつ引き起こすしかなく、その方向は限られる。切り返して被せるように喰らいつくが、二機は編隊を崩さずこちらと交差するような軌道を取った。
恐ろしいほどの近距離で擦れ違う。が、当然そう簡単には撃たせてもらえない。
射程をずらしながら飛ぶ二機と、リヴァイとエルドの機体はいくども交差しながら相手を前に押し出そうと試みる。どちらも一歩も引く姿勢がなかった。
このままでは決着がつかない。
リヴァイは一気に速度を上げると上空を目指した。一機はエルドが引き付けてくれている。こちらに向かってくるのは隊長機ではない、僚機のみ。
一騎打ちと行こうじゃねえか。
舌舐めずりをするような気持ちになりながら、リヴァイは操縦桿を握った。
お互いのF-15で正面からまともに撃ち合えば、当然ながら相打ちになる。なのに相手は真っ直ぐに突っ込んでくる。
どういうつもりだ。
今までの戦い方から彼らが単なる馬鹿じゃないことはすぐに察しがついた。なにか考えがあるに違いない。
相手の発射口がこちらを捕えようとした瞬間、操縦桿を右手前に引き倒す。視界が勢いよく回転する中で、左旋回する相手の機影を眼の端に捉えた。
衝突を恐れない至近距離での交差の後、お互いに即座に切り返す。更に上昇して機体を捻り、互いの背を追う。
交差を繰り返し頭上の機影を睨みながら、しかしリヴァイは確かな手応えを感じていた。
勝てる。
そう確信する。
これだけのドッグファイトを続けていれば緊張感も相当なものだ。どこかで相手は一度距離を取ろうとするに違いない。リヴァイは精神力で負ける気はしなかった。
繰り返しギリギリまで近付いて追い討ちを駆け続けてやれば、予想通りその瞬間は訪れた。
相手が右旋回から機体を上昇させようと機首を振る。それをリヴァイは逃がさない。すぐさま操縦桿を引き、大きくターンをして射線上にF15を捉える。
その瞬間。
ビービーとコクピット内に大きく鳴り響く音に、リヴァイの身体はビクリと跳ね上がった。
擦り抜けるように視界を横切ったのは、リヴァイと同じだが、色だけが違う自由の翼のエンブレムが描かれた尾翼。エルドと一線を交えているとばかり思い込んでいた隊長機だった。
下方ではリヴァイが撃墜できると思い込んでいた相手機が、隊長機と入れ違いで突き上げるような軌跡を描いてエルドを射程に収めたところのようだ。
一瞬にして一機ずつを撃墜した二機は、呆然とするリヴァイを尻目に何事もなかったかのようにお互いの背を追い去っていく。
『撃墜判定。僚機は訓練空域から退避して下さい』
管制塔から感情の籠らない声が敗北を伝える。
はっと我に返ると、リヴァイは思い切り歯を食いしばった。急速にこみ上げたのは、悔しさと苛立ち。
あっさりとリヴァイを撃墜した隊長機よりも、撃たれるその瞬間まで気付かなかった自分の間抜けさ加減に腹が立って仕方がない。
「……クソ野郎!」
無線を切って、思い切り叫ぶ。
このままスロットルを全開にして海に突っ込みたい衝動に駆られるが、操縦桿を握る右手は機体を緩やかに旋回させていた。
ゆっくりと空域を離れる進路へ機首を向ける。
ふと、後ろを振り返り、リヴァイとエルドを撃墜した二機の軌跡を見た。
美しい舞を踊るようなその姿。それが、無性に羨ましかった。
◇
「クソが!!」
地上へと降り立つと退屈なブリーフィングを済ませ、リヴァイは苛立ちを抱えたまま基地内のバーへと向かった。
ビールを注文して一気に飲み干し、グラスをカウンターに叩きつける。それを整備士のハンジがおもしろそうに眺めていた。
「汚い手使いやがって……!」
「まあまあ。悔しいのは分かるけど、汚い手ってのはないんじゃない? リヴァイの話からすると相当なテクニックだと思うけど」
「……分かってんだよ、んなこたあ」
首を傾げるハンジから視線を逸らし、リヴァイはカウンターに「もう一杯」と注文する。それをごくごくと半分ほど飲むともう一度テーブルに大きな音を立てて置いた。
「空の上で綺麗も汚ねえもあるもんか。勝ち負けが全てだ。今回の結果は全て俺のせいだ」
そうだ。自分の力を過信し、仲間に気を回すことすらできなかった。隊長失格だ。戻ってみれば逃げ切れたのはグンタのみで、アグレッサー部隊は隊長以下三機が残っていた。
完敗だった。
「クソっ!」
再び誰にともなく罵ると、すぐ側でくすりと小さな笑い声が聞こえた。
振り向けば金髪の大男が二人、小さな丸テーブルに凭れ掛かるようにして立っている。リヴァイの鋭い視線に気付いたのか、片方の男が悪びれる様子もなく軽く手を振った。
「あのクソ野郎は知り合いか、ハンジ」
「いいや、初めて見る顔だね」
ハンジの返答に、リヴァイは苛立ちを露わに声を上げた。
「おい、てめえ。今笑ったか?」
「ああ、すまない。別に君のことを笑ったわけじゃないんだが」
口を開いたのは手を振った男の方だった。フライトジャケットの下はシャツの上からでも分かるほど鍛えられた身体と、捲った袖からは血管の浮いた太い腕がのぞいている。きちんと整えられた金髪に太い眉毛と彫りの深い顔立ち。厚めの唇はどこか楽しそうに弧を描いていた。
そして、胡散臭いものを見るような視線を送るリヴァイに対して向けるのは、甘さの滲む空の色。
「見かけねぇツラだな」
「最近ここに来たんだ。それまでは西の基地にいた」
「へえ。どこの所属だ」
「……空輸部隊」
上から下まで無遠慮に眺めてやっても、男は臆する様子もなく平然としていた。まあこれだけ目立つ容姿をした男だ。見られることにも慣れてるんだろう。
「気分を悪くさせたならすまない。一杯おごらせてくれないか」
疑問形だが断らせる隙を与えない言い方だった。すぐさま男はバーテンにショットガンをオーダーする。
ここでそれを頼むのかよ。呆れた顔をして見せても、横でゲラゲラと笑っているハンジが全てを台無しにしていた。
仕方なく大男二人のテーブルへとハンジと一緒に移動すれば、すぐにショットがやってくる。小さなグラスを取り上げ、声をかけてきた男の「乾杯!」の掛け声に合わせてテーブルにグラスを当ててシェイクする。
なにが乾杯だ。めでたいことなど一つもありゃしねえ。
苛立ち紛れに一気に飲み干すと、喉から食道まで焼けつくような感覚に襲われた。そんなもので今のリヴァイの怒りは燃え尽きそうもなかったが。
「さっきの話を少し聞いていたんだが」
「ああ?」
なんだ、やっぱり聞いてたんじゃねえか。
見上げれば首が痛くなるほど大きな男を下から睨み付けてやると、ヤツは苦笑しながらホールドアップの体勢を取った。どんな格好をしても様になる男だ。我知らずリヴァイは大きく舌打ちをする。
「馬鹿にしたいわけじゃない。君はちゃんと自分のことを分かっているようだったから」
「分かっててもできなきゃ意味がねえんだよ」
「できるさ。君は兵長……リヴァイ・アッカーマンだろう?」
唐突な質問に目を瞬く。肯定の意味を込めて軽く頷くと、男は破顔した。
「やっぱりそうか、君の噂は西でもよく耳にしたよ」
「へえ」
「歴戦の猛者にして少年のように可愛らしく小さ……いや、失礼」
もう一度舌打ちをして睨み付けてやったら、咳払いでごまかした後、その噂とやらを男は話し始めた。
負けなしの空の人類最強と呼ばれていることや一人で十機以上を撃墜した戦闘のこと、アクロバティックな神技のようなテクニック。それらは全て口伝えの風評で、リヴァイもまるで他人事のように時々耳にする。もちろん真実は多く含まれているが、話を面白くするためにいくらか盛ったものがあることは否めない。
苦笑しながら聞き流していると、男はふいに真面目な顔をしてリヴァイを見つめた。
「噂だけじゃない。俺は君が飛ぶ姿を見たことがある。機体を感じさせない鳥のように滑らかな動きだった。あんな飛び方ができたらどれだけ気持ちがいいだろうかと想像したら……君がどんな人物なのかとても知りたくなった」
ジュークボックスから流れる大音量のポップスが一瞬消えてなくなったかのように、リヴァイの耳にスルリと入り込む甘いテノール。
ぼんやりと男の顔を眺めてから、リヴァイは急速に頬が熱くなるのを感じた。アルコールが一気に回り出したようだ。
「……残念だったな、全戦全勝にはほど遠い、こんな小男で」
「とんでもない。期待以上だったよ」
どういう意味だと熱の籠る頭を回そうとして視線を上げたら、青く澄んだ空とぶつかった。今日も飛んだ、あの空の色だった。もごもごと音にならない声で「そりゃどうも」と呟いたような気がする。
男は饒舌だった。自身の経験なのか聞いた話なのかは分からないが、彼の以前の基地での話はとてもおもしろく興味深かった。また、頭もいいのだろう。どうにも言葉足らずで分かりにくいと言われるリヴァイの話をすぐに理解し、適切な言葉を返してくれる。
酒の勢いも手伝って話は随分弾んだ。いつしか先ほどまでの苛立ちも薄れ始めていたが、胸の裡には燻り続ける自身の力不足を愚痴った時だ。
「組んだばかりのチームだろう? 意思の疎通がうまくいかないなんてよくあることだ」
「だがそれなら俺がすぐにフォローすべきだった」
「確かに君の立場であればそうだ。なら次からはそれができるだろう」
眉間の皺を深くして呟いた後悔の念が滲むリヴァイの声に、あっさりと男は返す。そのなんでもないことのような調子に、リヴァイもまた肩の力がストンと抜けた。
空の上では一度の失敗は命取りだ。だからこそ何度も訓練を繰り返す。今回もそうだ。リヴァイはもう二度と同じ失敗は繰り返さないだろう。そう考えればどれだけ悔しい思いをしたとしても、今回のアグレッサー部隊との戦闘では得たものもある。
「……次は絶対に負けねえ」
リヴァイの言葉に目の前の男の口端がギュッと上がるのが見えた。
気付けば店内の客は疎らに減り、同席していたもう一人の男が「俺はそろそろ行くぞ」と声をかけてきた。口元にひげを蓄え、長い前髪で隠された目元からのぞく瞳は思ったよりも柔らかな印象だった。
「ああ、俺も帰る」
「お、おい」
「じゃあまた、リヴァイ」
「待てよ! てめぇ、名前は!?」
去っていこうとする大きな背中に問いかけると、一瞬の迷いの後に吹っ切れたような声が響いた。
「エルヴィン、エルヴィン・スミスだ!」
振り返り、大きく手を振ってから店を出ていく。その男の背を見送ってから、リヴァイはふと気付いた。
「……なあ、ハンジ。俺はあいつに今回のチームの話なんてしてねぇよな」
「浮かれすぎだ」
店を出てすぐにかけられたミケの呆れたような声に、エルヴィンはにやりと笑う。
「なんだ、団長とでも名乗ればよかったか?」
それには返事をせず、ただ鼻を鳴らすミケに「冗談だ」と返した。
「ああ、いい気分だ。早くまたリヴァイと空を飛びたい」
ポツリポツリと灯る明かりのみが空と地上の境目を教えてくれる。ふわふわと楽しげな足取りで歩きながら、エルヴィンは濃紺の空を仰ぐ。そしてそこに昼間のリヴァイとの逢瀬の痕跡を探すように、自身の青い目を細めた。