ドアスコープ越しに見る🧀ジーーーーッ
掠れた耳鳴りのような音がドアベルだったことに気づいたのは、何回か鳴らされてからだった。家賃と反比例した築年数のこの部屋は、どこもかしこも不具合だらけだ。私は片耳につけていたイヤホンを外し、椅子から立ち上がる。まだ鳴り続けるドアベルを聞きながら、とりあえず作業内容に保存をかけてから、日光ではなくブルーライトを浴びまくった目を擦り、運動不足の脚を引きずって玄関に向かう。
ココ数日仕事が立て込んでいたのと面倒なのとが相まって、食事は出前に頼りきりだ。今日も確かピザを頼んだはずだ。
「はいはーい」
私は鍵を開けようとした手を止める。何かと物騒な世の中だ。油断したらドアを開けた瞬間グサリ、なんてされかねない。一応確認しておこう、とドアスコープを覗いて息を呑んだ。
「おーい、居ますかあ?」
灰色の坊主頭の男だった。ピザ屋の制服を着た彼は、イライラとドアをノックしている。不機嫌そうに寄せられたやや太い眉毛と、マスカラでもつけてんのかと言いたくなるくらい豊かなまつげ。信じられないくらいのイイ男が我が家に来てしまった。
「あわわわわ!」
私は慌ててドアチェーンをかけた。相手はその音に気づいたのか
「おいおいおい!チェーンかけたか!?開けてくれよ!」
と魚眼レンズを覗き込んでくる。相手方にこちらは見えないはずだが、それでも目があってるようで私は赤面してしまう。
「大変申し訳ないのですが!ちょーっと顔が良すぎるので、お会いできないです!」
「は?理由が分かんねえよ!オレは頼まれたモンを届けんのが仕事なんだから、受け取ってくれって!」
「いえいえいえ!今見たら死にます!」
「そんなん知ったこっちゃねえって」
なんてむちゃくちゃなことを言うんだ、このピザ屋。私は頭を捻った末に1つの解決策を思いつく。
「あのぉ…そのピザ、ココで食べてもらえませんか?」
「はあああ?」
「空箱はそこに置いてってください。こっちで捨てます!お金はネットで払ってるんで、大丈夫です!」
「大丈夫ってなあ…。そのままココに商品置いて帰るんじゃあダメなのかよ」
「食品を地面に置くとか、罰当たりな!」
「…アンタむちゃくちゃだよな」
男はしょうがねぇなあとため息をつくと、黒い布の袋から箱を取り出す。1人前のピザと、ポテト、そしてクソデカサイズのアイスコーヒー。それらを1つづつ取り出して黙って食べ始める。
その光景を私はドアスコープ越しにながめていた。魚眼レンズで歪められた空間で、イケメンが目の前で食事をしている。律儀な性格なのか、時折何を食べているのか、こちらに見えるように掲げてくれていた。
これは大変に性癖に来るものがあるな、と私は1人頷いていた。
「なあ、アイスコーヒーはどうかと思うぜ。ピザならコーラじゃあねぇの、普通」
と文句を言いながらも、男は完食した。食事を終えたあと、怪訝な顔のまま立ち去ったあとで、私はドアを開けた。空き箱を捨てようと持ち上げたところで、その下に一枚のペーパーナプキンを見つける。落ちたかな、と拾い上げたところで、その裏に少し傾いだ走り書きで
「Grazie per il pasto(ごちそうさま)」
と書かれていた。名前が書いていなかったことを残念に思いつつ、私はそのペーパーナプキンを冷蔵庫に貼り付けたのだった。