日常パート「あ〜~~…」
ホルマジオは頭を抱えて唸り声を上げていた。リゾットに頼めばすべて解決すると思っていただけに、昨日よりも絶望が深かった。頭を抱えた姿勢から、腹の紋様が目に入る。こうして見ているだけではタトゥーの一種にしか見えないというのに。
「何ため息ついてんだ」
キッチンにいたはずのプロシュートが、ワインを片手に現れた。
「ため息をつくたびに幸せが逃げてくって言うの、知らねぇのか?」
「うるせーな。全然幸せじゃあねぇんだよ、こっちは」
机に伏したまま、顔だけをプロシュートに向ける。彼は二つのグラスに赤いワインを注いで、そのうちの一つをホルマジオの前に置いた。
「要らねえ」
「アルコールはダメなのか?」
「別に…食えねぇわけじゃあねぇけど、物を食わなくても平気なんだよ、オレたちは。人間の精気を定期的に摂取できりゃあな」
プロシュートは少し照れたように、
「それなら毎晩腹いっぱい食わせてやれるな」
「そのことで今悩んでんだよォ…」
プロシュートはまた呻き出したホルマジオを置いてキッチンへと消えた。戻って来た時に、その両手にはパスタの乗った皿があった。
「ダメじゃあねぇなら食え。毒も入っちゃあねぇし、ペッシなんかはたまにおかわりもするぜ」
「要らねぇって…こっちはいろいろ考えてんだよ」
「なら一層食ったほうが良い。お前ら悪魔がどういう仕組みで動いてるか知らねぇが、オレたち人間の頭は車と一緒なんだ。ガソリンがねぇとどんなにアクセル踏み込んだところで動きはしねぇんだ」
「……飯食ったからってなあ〜」
ホルマジオは彼の前に差し出されたパスタの皿に目を落とした。立ち上る湯気から香るトマトとベーコンの香り。ホルマジオは身体を起こして、プロシュートからフォークを受け取ると、少しだけ巻き取って口に入れた。トマトの酸味と、ほんの少しの辛さをベーコンの塩気と脂がうまくまとめてくれている。ホルマジオは改めて部屋を見渡した。椅子に適当にかけられた上着と、ソファの上に丸められたパジャマ。荒っぽい口調も相まって雑な男だと思っていたプロシュートがこんなに丁寧に料理をする男だったとは。黙って咀嚼するホルマジオの前に、プロシュートは再びグラスを押しやった。今度は黙って受け取ると、中身を一気に飲み欲した。
「お前、悪魔のクセに酒が弱かったのか」
プロシュートは呆れたように言い放つ。
「べつに弱くねえよお〜!今だってぜえんぜん酔ってねえし!」
ゲラゲラ笑いながらホルマジオはプロシュートの首に腕を絡めていた。さっきまでしまっていた尻尾も、彼を抱きかかえるプロシュートの腕に緩く巻き付いている。ホルマジオがあんまりにもスイスイ飲み干すのでてっきり強いのかと思っていたが、二人でボトルを空ける頃には真っ赤に頬を染めたホルマジオが目をトロンとさせて椅子からズリ落ちそうになっていたのだ。
「そんなんでよく狩りができたな」
「うんうん、オレね、スゲーうまいのよ」
「そうか」
「おまえ…めちゃめちゃ良い匂いすんなあ。なんで?」
ホルマジオはプロシュートの耳元に押し付けるように鼻を近づけてスンスンと嗅ぐ。
「めちゃめちゃ美味そうな匂い」
「そうかよ」
ソファにでも寝かせてやろうかとホルマジオを抱えたままプロシュートは立ち上がる。ホルマジオは同じくらいの体格だったが、抱えてみれば思いの外軽かった。ベッドに連れて行くことも考えたが、昨日の今日だし、何よりシラフのときの嫌がる様子を思い出して却下した。プロシュートにとって結婚したとはいえ、まだ心が決まっていないホルマジオに無理強いするつもりはなかった。
「料理したからな、良い匂いくらいすんだろ」
「そうじゃあねえって」
ホルマジオは羽根をはためかせる。
「なんだろうなあ。おまえの匂い嗅ぐと腹が空くんだよなあ…なんだろコレ」
ホルマジオの少しシワの寄った薄い腹に浮かんだ紋様。それがピンク色に淡く輝いていた。
「腹…ジワジワ温かくなってきた…変なの」
「ホルマジオ」
プロシュートは足を寝室の方に向けながら声を掛ける。
「ベッドに行くぞ」
「…すんの?オレ勃たないかも」
「何にもしねぇよ」
それは嘘でもなんでもプロシュートの本心だった。彼にとって一目惚れとはいえ、ホルマジオは自分の意思でプロシュートの側にいるわけではないのだ。彼がこの紋様の縛りから解けて、それでも愛してくれる時まで…と心に決めていた。もしその時にあっさりと自分の下を去ったとしても、それでも良いと思っていた。腕の中のホルマジオは静かに寝息を立てている。
「よくそれで悪魔稼業が出来たな」
コイツを一人にしてはいけないな、とプロシュートは改めて誓うのだった。