諦めきれないホルマジオは悪魔、それも淫魔と呼ばれる種族だった。淫魔は食事をしない。人の、特に女性に取り憑き、交わることで精気を吸い取って生きていた。クラブやバーに赴いて、その場で意気投合した相手を見つけて、相手の家で行為を済ませ、寝ているところを追加で吸う。もちろん、空になるまで吸い取って殺す、なんてマネはしない。かつてはそんな淫魔もいただろうが、翌日相手が目覚めた時に「少しつかれた」と感じる程度で満足だし、そもそもそんな殺人事件が流行っていると噂になれば警戒されてしまい、ターゲットは見つけにくくなるだろう。
そうやって慎重に選別していても、食事にありつけないなんてことはなかったのだが。
この日は不運が続いていた。少し空腹を抱えていたが、油断してダラダラと獲物探しをサボっていたつけが回ってきたと言える。
大規模な断水があり、街のあらゆる店が一時的に休業を余儀なくされてしまった。ホルマジオは閑散とした街を、トボトボと歩いていた。別な街に移動しようにも、魔力が底をつきかけていた。せめてこうなることが昨日分かっていたなら…。
こうなったら男でも…とホルマジオは裏路地の奥を歩きつつ家々の窓を眺めていた。本来男の淫魔は女、女の淫魔は男を餌とするのだが、同性の精気を摂取することも不可能ではなかった。とはいえ味は落ちるし、栄養価も高くないので、男の精気を主食としている淫魔はホルマジオの知り合いに一人いるだけだった。彼か自身も経験がないわけではないが、努力や負担に見合わない、いわゆる「コスパ」が悪いので敬遠していたのだった。
この街に暮らす人間は男が多い。それも食指が動かないような、ゴリゴリに体格の良い奴らばかりで。今日は諦めて、帰ろうかとホルマジオが悩みかけた頃、一人の男が家に入っていくのが見えた。後ろで結い上げた金髪に、アイスブルーの瞳。少年のようにも成熟したようにも見える、不思議な容姿の男だ。
「あーゆーのなら…」
どうせ男を食うなら、顔が良い方が良い。ホルマジオは舌なめずりすると、男が上がっていった家を見上げた。窓越しに部屋の中を動く彼を発見し、ホルマジオは日が完全に落ちるのを待った。
数時間後、すっかり暗くなった裏路地の、例の家の前にホルマジオの姿があった。彼は窓から漏れる光がないことを確認すると腰から生やした羽根をはためかせて、浮かび上がった。窓には鍵がかかっていたが、悪魔の一種であるホルマジオには関係がなかった。伸びた人差し指の爪を窓の隙間に滑り込ませて、鍵をあっさりと開けた。音を立てないように窓の隙間から身を滑り込ませる。
忍び寄ったベッドの端、男は大の字になって寝ていた。金髪は解いていたが、スーツはジャケットを脱ぎ捨てただけの状態。どうやら酒に酔って帰宅して、そのまま寝てしまったようだ。
これはホルマジオにとってラッキーだった。酒で深く眠っていれば、事は速く終わる。ホルマジオがベッドに乗っても男は規則的な寝息を立てており、起きる様子はない。
「いただきまあす♡」
寝てる男の上に跨がって、頬にキスを…
バチッ
「ってぇ!!」
電撃のような衝撃がホルマジオを襲い、思わず大きな声を出してしまう。
「はあ?」
男の頭の横、サイドテーブルの上に置かれた1枚の紙が、バチッバチッと火花を散らしながら光っていた。
「な、なんだよアレ…」
悪魔除けの呪いはあるにはあったが、大抵はなんの効果もないか、近づくことを拒否する結界のようなものだ。こんな風に接近を許した上で攻撃をする罠のようなものなんて、聞いたことがない。
「ま、マズ…」
一旦退こうとしたホルマジオに、ムチのように一直線に向かってきた火花が、腹に叩きつけられた。
「っがぁ!」
爆発したかと思い、慌てて腹を確認すると、ピンク色に光る何かがタトゥーのように刻みつけられている。
「な、なんだよコレ…!」
手で擦っても消える気配はない。その時、
「…誰だ?」
顔を上げると、寝ていたはずの男が起き上がってホルマジオの方を見ていたのだ。
「あ…あ…」
「何しに来た?」
ベッドから下りて、こちらに向かってくる。ホルマジオは弾かれたように立ち上がって、寝室を飛び出して、一目散に窓に目指した。あと少しで窓に指が触れるか触れないかのところで、ビクンと体に電撃が走った。
「ッ!?」
窓枠にかけた指は滑り、床に膝とともに崩れ落ちてしまう。腹のタトゥーからジワジワと熱が広がり、甘い痺れが全身に広がる。精気を吸いすぎて、酔った時のようだった。体に力が入らず、床でもがいていると
「どうやらホントに効果があったみてぇだな」
頭の上から男の声がする。目だけを動かして睨みつけるが、男は気にせずホルマジオを抱き上げた。
「ひっ…あ!」
男が触れたところから新たに痺れと熱が広がるので、混乱した頭の中でホルマジオは必死に手足を振るう。しかし鉛に変わってしまったように、四肢は言うことを聞かず、あっさり男に抱き上げられてしまう。そのまま寝室に戻ると、ベッドの上に投げられた。
「うぁ…っ」
ベッドに横たわるホルマジオと、その顔を覗き込む男。さっきと真逆の光景に、生まれて初めての恐怖を覚える。
「…名前は?」
「ハァ?」
「人んちに勝手に上がってきて、名前も名乗らねぇつもりか?えぇ?」
「ほ…ホルマジオ」
「ホルマジオか。オレはプロシュートだ。よろしく」
差し出された手を思わず握る。
「体調は?まだオカシイままか?」
「あ、いや…たぶん…」
腹の奥に熱が溜まっている感覚はあるが、さっきより治まっているようだ。
「そうか。…もしかして、だが、お前は悪魔か?」
「う…まあ…そうだけど」
「なるほどな」
男はサイドテーブルに手を伸ばした。白い紙をピラリとホルマジオの眼の前に見せる。
「…描いてあった模様が、オメーの腹に移ってやがるな。あの野郎の言うことはマジだったってことか」
プロシュートはホルマジオを抱き起こす。襲い来る熱は治まったとはいえ、まだ力は入らず、プロシュートの胸にもたれる形になった。不思議なことに、プロシュートに触れた部分がカイロを揉んだときのようにジワジワと熱を帯び始める。
「どういうコトだよお…」
「昨日…いや、まだ真夜中じゃあねぇか。とにかく帰る途中でチンピラに喧嘩を売られたんだ。返り討ちにしてやったら、紙を寄越してきた。そいつによると「悪魔を捕まえる魔法の呪符」だと。フザけた話だと思ったが、それを置いて逃げやがったから仕方なく持ってきた。まさか悪魔もそれを捕まえるっつーのもマジだったとはな」
プロシュートはホルマジオと目を合わせ
「それもこんな綺麗な瞳の…オレに会いたくて来たのか?」
「…んなわけねえだろ。食事だよ食事」
「食事?悪魔もメシを食うのか?」
ホルマジオはプロシュートから距離を置こうとまた動かない体を蠢かせる。
「オレは女の…精気を普段吸ってるんだけどよお…狩りが出来なくて…腹が減ったから仕方なく!仕方なく男でも良いかと…」
「なるほどな」
プロシュートはシャツのボタンを外しだす。
「ほら、遠慮なく吸え」
プロシュートの体が触れた部分が熱い。脳まで焼ける熱さに、ホルマジオは
「もう…もういいから…!」
と叫んだところで、意識を手放したのだった。