屋台通りにて「なあ、夕霧。20文ほど貸してくんね?」
清太が懐に手をやり、入れている銭貨の感触が心もとないと判断した直後のこの台詞。
「お前この前もそう言って俺から20文借りたよな?」
と、声の平坦さ。続く言葉は「まずは借りてるものを返してからだろ」と正論を投げつけて、夕霧は清太の隣を早足で抜けた。
人波があるここは屋台通り。晴天の下で天ぷらや寿司を楽しむ町民の活気につられてつい財布の紐を緩めたくなる気持ちは夕霧とて理解出来ないわけではない。だが前述のとおり借りたものは先に返してもらわねば。
「いやまあそれはそうなんだけどさあ」
媚びた声音で夕霧の両肩に手を置く清太に、夕霧は疲れを隠さない溜息を一つつき、何も聞かなかったかのように帰路を目指そうとするのだが。
「仕事終わって夕霧も腹減ってるだろ?この前行った天ぷら屋がさあ、海老がでかくて噛んだらじゅわっと旨味がでて…この感動を是非夕霧さんにも知ってもらいたいなあなーんて…」
「俺の金でだろ」
「うん」
間抜けた調子で返事をしてなあ?いいだろ?と言いたげに夕霧の肩に置いた手を揉む手つきに変えるー突然の刺激がびくりと夕霧の背筋を伝った。
「ッおい、触るなって」
「夕霧ってくすぐったがりだよなー面白れー」
夕霧の迷惑そうな眼差しなど意に介さず子供めいた悪戯を続けようとする、と。
「じゃあ俺が貸してやろうか?」
清太の首根っこを唐突に掴んだ男が話に割り込んでくる。無造作に結んだ黒髪に、片目の眼帯でおっかなさを宿した彼は、夕霧も清太もよく知る人物だった。
「た、蓼さん!?」
「よう清太、水臭ぇなあ。金に困ってんならまた貸してやるって」
「い、いやいや蓼さんから借りるなんて滅相もないです!」
蓼は所謂高利貸しで、一度清太は痛い目を見ているのだがここでは割愛するとして。
「で、お前はこんなとこで何道草食ってんだよ」
「…仕事の帰り」
蓼の睨め付ける目線から夕霧は取り繕う事なく目を逸らした。
「清太、帰るぞ」
「飯食いに来たんだろ?俺が奢ってやろうか」
「お前に借り作ったら後から何言われるか分かったもんじゃない」
「なんだお前。元舎弟のくせに随分な口の聞き方だなおい」
「誰が舎弟だよ、お前が勝手にそう言ってるだけだろ」
清太は二人の背景はよく知らないのだが、それでも夕霧の辺りに不穏な空気が渦巻いている事だけは察知した。
「えっと、あ、あー!そういや団長から頼まれてた用事があるんだった!夕霧帰ろうぜ!」
なんら真実味が感じられない棒読みを捲し立てると、清太は夕霧の白磁の指に指を絡ませた。そのままとんちきな足取りで夕霧を引っ張り、そそくさと退避を始める。
「あ、ああ」
清太の意図が分かったのか、夕霧も清太の歩調に合わせた。そしてちらりと蓼を一瞥して「…じゃあ」とだけ言葉を残して去っていく。
「………へえ、俺の後釜と随分仲がいいこって」
蓼は二人の繋いだ手を見て笑った。清太にとっては子供の戯れでも、傍から見たら艶めいたものに感じられる情景を見て笑った。
その笑みをたまたま見た屋台の店主は「ひぃっ」と小さく悲鳴をあげ、大事な商売道具を取り落とすほどのものだったとか。