コンバージェンス・ゼロ遊矢は以前と変わらず神出鬼没だ。彼の動向を見張らなくてよくなった今でさえ、急に現れては私の邪魔をする。
休憩時間を狙って現れるのは彼なりの配慮なのだろうか。
わざわざ反応するのも馬鹿らしくなった今では、来客用のコーヒーも出ていない。
喉が渇けば自分で淹れに行くようで、社員に奴の事を聞かれることが稀にある。
私としてはきっちりアポイントメントを取って欲しいものだが、何度言っても聞かないので止めた。
「ねえ零児、今日街に行ったら美味しそうなパフェの広告があってさ、食べたいな~!って思ったんだけどカップル限定だったんだよね。ああいうのって何処でもあるもんなんだね。」
「限定性、というものは購買意欲に繋がる。バレンタインやクリスマスも企業側からすれば稼ぐためのいいネタだろう。」
彼は私のことを話し相手か何かだと思っているようで、突然言いたいことだけ言ってはまた何処かへ消えていく。
きっと今日もそうなのだろう。
「うわ、身も蓋もないなあ……あ、そういえば零児はアイザックとの仲、進展した?」
「なにが言いたいかは知らんが……特に何も無いぞ。」
「えー……」
私がそう答えるとあからさまに不満げな声を出した。
「前四人でご飯食べに行った時に話したりしなかったの?わざわざ二人きりの時間作ったのになぁ。」
「帰ってくるのが遅いと思っていたが、君のせいか。なぜ二人きりになる必要がある。」
遊矢の顔が曇り、信じられない物を見るよな目をされた。
それから彼はぐにぐにと自分の顔を揉んで小さくため息を付くと、口を開く。
「ねえもしかして気づいてないの?」
「一体何のことだ。」
「アイザックの事、ずっと目で追ってるの。」
は、と聞く声すら出なかった。
不可解だ、という表情をする私に遊矢は続ける。
「ああ……そうなんだ。なるほどね。」
「待て、どういう意味だ。」
「そのままの意味だよ。」
「オレがわかる限りでもずっと見てるなあ、って思ったんだもん。はあ、勘違いしたかと思ったけど、当たってるみたいだね。」
「当たってる、とはなんの事だ。」
意味の分からない発言を繰り返す彼に怒りが募る。
思い返せばアイザックを視線で追う事はあった。
しかしそれは彼の能力を見定めるためであって、決してそれ以外の感情ではないはずだ。
……そう思っていたのは私自身だけだったのだろうか。
「自覚ナシ、か。まあ、ちょっと考えてみてよ。オレは用事があるからさっ!」
彼はそれだけ言い残して、私の返事を待たずに部屋を出て行った。
一人残された私は、遊矢の言葉について考える。
"オレがわかる限りでもずっと見てるなあ、って思ったんだもん。"
その言葉通りならば、彼が私の視界に入る度に視線を送っていたことになる。
そんな事は無いと言い切れる自信はなかった。
もし仮にそうだとしたら。
「確かに何度か見てるな、と思った事はあったけど、信頼してないだとか、値踏みをしているのかと思っていたよ。」
いつもは広報部門から連絡が行く蓮をわざわざ呼びつけてまで聞き出した。
自分で判断がつかなければ他人に聞けばいい。アイザックと長い間共に過ごしていた彼ならば、何かわかることがあるかもしれない。
「君にはそう見えていたのか。」
「最近は君とアイザックが共に居る所をあまり見ていないから、少し昔の話だ。」
あの時遊矢が言ったことは正しかったらしい。
しかも、蓮の言葉からするに、かなり長い間私はアイザックに気を取られていたようだ。
彼はコーヒーを一口飲むとカップを置いて小さく息をつく。
「……君がアイザックの事をどう思っているか次第だと思う。無性に逢いたいだとか、声が聞きたいだとか、逆に嫌な事が目に付くとか。」
私がアイザックをどう思っているか。
「………」
「君は彼に悪い感情を持っているわけではない、と思うが。」
「……業務が優先的になってしまうんだ。」
私にとって一番大切なものは仕事であり、それが最優先されるべきだと思っている。
だから彼に会うのは仕事で必要になった時だけで良い、わざわざ呼び出す必要も、自分の都合で監査という名分を作って姿を見に行くなんて有ってはならないのだ。
どこか自分の中でうまれていた建前が言語化されていく。
「……会いたくない訳では、ない。ただ、自分の立場や仕事の事を考えると、会う理由が無くなるだけだ。」
「私の事はこうやって呼び出せるのに?」
「君には業務連絡と相談があって呼び出したんだ。無い用事を作って呼び出す事はできない。」
広報部門からの連絡で済む所をわざわざ呼び出しているのは秘密にしたが、もしかしたら彼は、それも分かっているのかもしれない。
「君はもっと我が儘な人間かと思っていたが、意外と律儀なんだな。いや、アイザックに対してだけ、か?」
「………」
何も言えなかった。
確かに、他の人間に対してはこんな気持ちにはならないだろう。
この感情が何なのかわからないほど初心ではないが、認めるわけにもいかない。
黙り込んだ私を見て蓮は微笑みながら言う。
「もう少し彼に対して素直になれると良いのだろうけど、それが出来たら苦労しない、か。」
以前遊矢に言われた"零児って結構自分勝手だよね!"という言葉が頭を過ぎった。
なぜ、アイザックに対してだけ、こんなに建前が浮かんでしまうのだろう。
なぜ、自ら会うのを諦めてしまうのだろう。
私の分のコーヒーはすっかり冷めてしまっていた。
それから数日、結局アイザックとは顔を合わせることも無く、私だけが忙しい日々を過ごしている。
あの日からずっと考えてはいるが答えは出ないままだった。
この滞った考えも、会えたらなにか変わるのだろうか。
私用の端末にメールが届く。
『相談したい事がある。会って話せないだろうか。』
その簡素な文の送り主はアイザックだった。
まるで誂えたかのようなタイミングに、私は狼狽えた。もしや、遊矢が裏で手を回したのではないか? そんな馬鹿げた妄想すら湧いてきそうな程だ。
とにかく落ち着かないと、と思い深呼吸をする。
何もおかしい点は無い。ただ彼が相談したい事があっただけだ。私が動揺してどうする。
メール1つ返信するのにここまで悩むのは初めてだった。
「南極に行きたいんだ。」
南極。突飛な話だと一瞬思ったが、彼らの本拠地がそこにあったのを考えると納得がいった。
「……EVEやアダムの事か?」
「君は話が早くて助かる。……あれから彼女らの事をまともに弔えてない、と気づいたんだ。」
アイザックの顔を見ると、少し寂しそうな雰囲気を纏っていた。
その顔を見ると、なぜわざわざ南極にまで行く必要があるかだなんて聞けそうにも無かった。
「……わかった。いいだろう。以前より小規模な機体で行くことになるだろうが、いいな?」
「ああ、十分だ。ありがとう……!」
彼の表情が明るくなったのを見て、こちらまで嬉しくなってしまう。
そう思ったことに私自身が戸惑った。
サービスや商品で喜ぶ人々を見たときとは違う思い。少し、息苦しさもあった。
「蓮は連れて行くのか?」
「いや、今の所私一人の予定だ。言えば付いてきてくれるだろうが、私的な用事に付き合わせるのは忍びない。」
「………私が共に行ってもいいだろうか。」
本来なら必要無い事を切り出す。
言うなれば彼の墓参りのようなものだ。私が着いて行く理由も必要も無い。
ただ、彼の思いを見届けてみたかった。
「勿論だ。私が機体を出してくれと頼んでいるのだから、断れないさ。フフ、視察でもするのか?」
「……まあ、そんな所だ。」
彼自身が建前を作ってくれるものだから、そう誤魔化した。
私の思いが気づかれているわけではなさそうだが、それならそれで隠し通すまでだ。
「希望の日時はあるか?」
「いつでも構わない。君の都合に合わせよう。」
「では決まり次第追って連絡する。」
南極への視察という予定を立てなければ。
忙しいスケジュールにまた一つ項目が追加されたが、不思議と嫌ではなかった。
機体は問題無く離陸し、順調に飛行を続けている。
アイザックは窓から見える景色を眺めていた。
目的地まではまだ時間がかかる。
その間別の仕事を片付けようと、手元の端末を操作する。
移動している間とは言え、業務時間内だ。この暇を活用しないわけにはいかない。
「……零児。」
「なんだ?」
彼は窓の方を向いたまま、どこか遠くを見つめて言った。
「……私の帰る場所はどこに有るんだろうか。」
端末を操作していた私の手が止まる。
その声はどこか寂しげで、悲痛な叫びのように聞こえた。
「………」
「なんでもない、忘れてくれ。」
彼はこちらを見ると、眉を下げて笑った。
私には何も言えなかった。
彼はあの南極で、ほぼ全ての物を失った。
G.O.D.のため、いや、EVEのために途方もない時間を掛けてきた彼には、支えが無くなってしまったのだと気づく。
私には父の残した研究が、遊矢にはエンタメデュエリストという夢がある。
なら、彼には?
「……そうか。」
目の前の業務に集中しようと再度手を動かす。
私の脳の隅から、彼の居場所になってやりたいと小さな声が聞こえたが、どうにも考えが上手くまとまらず、無視をした。
機体から降りれば、白い氷の大地が私達を迎える。
空気は澄んで冷たく、雲ひとつ無い快晴だ。太陽の光を遮るものも無い。
調査員のスタッフ達に指示を飛ばし、指定地点へと向かわせる。
彼らには後で行く、と伝えて私はアイザックの元へと歩いた。
「久しぶりだ。」
彼は懐かしむように目を細めて呟いた。
ここに彼らの基地は無い。今いる世界は私達がいた場所と似ているが、やはり違う世界なのだ。
それでも彼は、ここにEVEとアダムの”思い”があると、そう考えているのだろう。
「何処まで行くつもりなんだ?」
「そう遠いところに行く気は無い。座標まで気にしていたら日が暮れる。」
「それもそうか。」
アイザックは何もない地を歩き出す。歩幅はゆっくりとしていた。
「EVEの事を思い出すよ。アダムを見続ける彼女を手伝ったのは私だが、1人残されると寂しいものだ。」
彼があれまでずっとEVEのために働いてきたのなら、あまりにも対価が少なすぎる。そう思った。
人生をやり直した訳でもない、想い人と結ばれたわけでもない。
ただただ、その身を捧げ続けただけだ。
「どうしてそこまでして彼女の為に尽くしたんだ?」
私が聞くと、彼は歩みを止める。
「……言っただろう、愛だと。あの時の私は、彼女の力になるなら手駒でも構わなかったのだ。
G.O.Dの覚醒に失敗するなんて思っていなかった。私はEVEとアダムを見届け、G.O.Dの力で、2人の友人として人生を過ごすのだと信じていた。
しかしどうだ。彼らは私を置いて行った。2人の望みだから仕方がないが、私も連れて行って欲しかったと、今でも偶に思うよ。」
冷たい風が彼の長い髪を揺らす。
「すまない、彼女らの弔いに来たというのに、こんな弱音を吐いてしまって。」
そう言って彼は笑う。その顔を見て、なぜもっと早く聞いてやらなかったのかと思った。
私が聞きたいのは謝罪じゃない。そんな作り笑いが見たかったんじゃない。
「……アイザック!」
私は感情の赴くままに彼に詰め寄る。見開かれた目と目が合った。
「……君が友を失った悲しみは、父を失った私にもわかるつもりだ。辛いのなら、私のことも頼ってほしい。
君が悲しいのなら、私がその話を聞こう、いくらでも側にいよう、居場所になろう!私は君を1人にはさせない。まだ、体が生きているのだろう……!」
「零、児……」
彼の手を取ってまで言葉を紡いだ。彼は驚いた表情のまま、固まっている。
何を言っているんだ、私は。まるで愛の告白じゃないか。これでは、彼に好意を抱いているようではないか。
違う。本当に違う?混乱した頭は答えを出してくれない。
ただ、口を衝いて出た言葉は嘘では無かった。
「だから……アイザック、そんなに泣きそうな顔をしないでくれ。」
透明なレンズの向こうで、彼の瞳が揺れる。
「零児……ありがとう、嬉しいよ。」
くしゃりと歪められた笑顔は、どきりとしてしまうほどに美しかった。
突如、大きな風が私達を襲う。
白い雪を連れてきた突風に、思わず目を瞑ると、カツン、と眼鏡に何かが当たった感覚がした。
風は一瞬で収まる。目を開けて辺りを見ると、足元にカードが落ちている事に気がつく。先程の風で飛ばされたのだろうか。
そうだとしても、一体何処から?
私はそれを拾い上げる。それは、見慣れたデュエルモンスターズのカードだった。
そのカードの名前に、私は何か、運命や見えざる者の力を感じた。特に、彼の……
「………EVEとアダムは、今でも君の事を見ているんじゃないのか?」
「……なぜ、そう思うんだ?」
「見ていなければ、こんなカードを寄越してこないだろう。」
「………!」
彼はそのカードの正体に目を瞬かせる。
そして私からそれを受け取ると、懐かしむように眺めて、空を見上げた。
「あぁ……EVE、アダム。もう大丈夫だ、心配しなくていい。私は1人ではないんだ。」
その声はどこまでも優しく、慈しみの籠ったもののように聞こえた。
彼の視線の先には、青空が広がっている。
「……零児、私の居場所になってくれると言ったこと、嬉しく思う。その言葉に甘えさせてほしい。」
「ああ、勿論だ。」
「君は大口を叩いたんだからな、私に遺された時間分、しっかり支えてもらおうか。」
「覚悟の上だ。」
「フフフ、頼もしいな。」
彼はまた笑う。今度は憑き物が落ちたような、穏やかな笑みだった。
また、冷たい風が吹く。今度は私達の背中を押して、前へと進ませた。
彼の髪が靡いて、光を反射する。
「行こうか。」
「ああ。」