アネモネ 4「ちょっと話があるんだが」
「奇遇だな。俺もだ」
朝食の席で改まって言ったデュースに、ジャックはそう返した。ふたりの視線が混じり合い、テーブルから立ち上がる。食器を片付けながら「何で勝負だ?」「五十メートルでどうだ」「よし。勝った方から先に話す」とポンポンと会話を交わす。
一緒に暮らし始めてから、気質が似ているためか概ね平和に過ごして来たが、どうしても譲れないことが起こったときにはよく「勝負」をして決着をつけてきた。短距離走、魔法の発動の速さ、ものを隠して見つけるまでの時間。たいていスピードを競う勝負になっている、ということに自分たちでは気づいていない。
ふたりは着替えて近くの公園へと向かう。ウォーミングアップに軽くジョギングをして、スタートとゴールを設定する。長時間でなければかつて怪我をしたデュースの足も問題はないため、短距離走はよく行う勝負の方法だった。
「うし。やるぞ」
「ああ!」
ジャックがスマホを置き、位置につく。やがてスマホから合図の音が鳴り、ふたりは走り出した。結果、ほぼ同時にゴールする。魔法で浮遊させていたデュースのスマホを回収し、録画していた映像を確認する。
「……ジャックの勝ちだ」
デュースががっくりと肩を落とすと、ジャックは「よっしゃ」とガッツポーズを取った。悔しそうなデュースを促してベンチに座る。涼しい風が、ふたりの軽く汗をかいた身体を乾かしていく。
「デュース。お前、薔薇の王国に戻る気はあるか」
ジャックの言葉にデュースはえっと驚きの声をあげた。
「どうしてだ?」
「薔薇の王国に、警察音楽隊ができることになった」
「本当か!」
デュースの顔が華やいだ。警察音楽隊には何の落ち度もなかったが、公演で事件が起きてしまったので薔薇の王国にも音楽隊の創設を、という話は立ち消えてしまったものと思っていたのだ。
「ああ。それで、創設メンバーとして薔薇の王国に来ないか、と声をかけてもらった。今までと同じように警察官と音楽隊の兼務でいいとも言われている。この間の一件で顔と名前が売れたのが良かったらしい。話題にもなるしな」
「すごいじゃないか!」
デュースは自分のことのように喜びで頬を赤くしたが、すぐに表情を曇らせる。
「でも……お前の故郷は輝石の国だろう? いいのか」
「俺は、自分を高められるならどこにいてもいいと思っている。家族も俺のそういうところはよくわかっている。薔薇の王国で役に立てるなら本望だ」
「……そうか」
デュースは身体をジャックの方に向けて、「実は」と切り出した。
「僕も薔薇の王国への転属を打診された」
「え」
「この間の件、かなりオルトの力を借りたから実力、とは言い難いんだが……ひとりの怪我人もなく事態を収めたことを評価されたらしい。もともと、母さんもいるし、いつかは薔薇の王国に戻りたいとは考えていたんだ」
「そうか。そうなりゃ返事は決まったな。しかし、ふたりともなんて、タイミングが良すぎねえか」
ふたりは顔を見合わせて考え込む。デュースはううん、と唸った。
「よく考えたら自宅の住所は提出しているわけだし、上層部は僕たちが一緒に住んでいることなんて把握していたのかもな。はっきりと関係性までわかっているわけじゃないだろうが、ふたりいっぺんに打診すれば受ける可能性が高いと思われたのかもしれない」
「確かに、その可能性はあるか。まあいいけどよ」
ジャックは何にせよ栄転だしな、と言うとデュースはにっとに笑った。
「そうと決まればお祝いしなくちゃだな。アーシェングロット先輩の店予約しようか」
「げっ。いやそんなすぐ予約取れないだろ」
「そうか? けっこう融通してくれるぞ」
「お前だからだよ。相変わらずかわいがられてんな」
「ジャックだって気に入られてるじゃないか」
「俺とお前じゃ意味が違げえよ」
ジャックはため息をつきながら立ち上がる。その面前に、デュースが手を差し出した。ジャックは「ん?」と訝しげに彼を見遣る。デュースはその瞳を輝かせ、ジャックを見つめていた。
「これからも競っていこうぜ、ジャック!」
ジャックはデュースの意図を汲むと、その手を思い切り掴む。「ああ!」という声が響き、ふたりの背中を風が一陣吹き抜けていった。