また新しい春が来た。今日は雲一つない晴天で、まるで私の高校進学を天も祝っているんだろうなという晴れやかな気分にさせる。
入学式は滞りなく終わり、
少なくとも中学の頃に仲の良かった友達は、このクラスにはいないので、誰か自分と気の合う人がいればいいなと思いながら、クラスの自己紹介を聞いていた。
中学の頃よく一緒につるんでいた光忠君は、別の高校へ進学した。鶴丸さんも通っている剣道強豪校だ。
いつの間にか目の前の生徒の自己紹介の番になっていた。
「自分、明石国行言います。親の仕事の都合で今月から兵庫から引っ越してきたばかりで、こっちのことはまだあんまり分かりまへん。優しく教えてください。どうぞ、よろしゅう」
関西訛りの自己紹介だった。聞き馴染みのないイントネーションからか、一瞬教室がシンとしたが、先生が率先して拍手をすることで、クラスの皆もハッとしたのか、他の人同様教室が拍手に包まれた。
ということは、次は自分の番だ。こういうような場は人並みに緊張するので、一度深呼吸をしてから起立する。
「粟田口一期です。西中学校からきました。中学では剣道部でした。高校でも勉強と一緒に頑張りたいと思います!よろしくお願いします」
再び拍手に包まれる教室。そうして次の人へ自己紹介の順番が回っていった。
自己紹介や学校案内なども終わり、今日はもう帰ってもよいとのことだった。
今日は帰ろうかなと思っているところに、前の席の国行がくるっと後ろを向いて声をかけてきた。
「なぁ、あんさん剣道やってたん?自分もなんですわ」
「あかしさん、ですよね。貴方もそうなんですね」
初めての会話なので名前が合っているか不安だったが、自己紹介が印象的だったのと、自分の前の席だったということもあり、ちゃんと覚えていたみたいだ。
「そうやで。というかクラスメイトなんやし、そんな距離のある話し方、やめまへん?明石でええよ」
「ええ、すみません。そうですよね、なんだか緊張もあるというか」
そういえば、昔はよく人懐っこいと言われた覚えもあるが、いつの間にかこんなキャラになっていたなと思う。
それから、中学の頃の部活の話などで盛り上がった。あかし君も中学から初めてレギュラー入りしたんだとか。しかも結構強い中学だったらしい。
話に花が咲いている最中、ふと近くの席の会話が聞こえてくる。
「え、それ大丈夫なの?」
「うん、今日早速部活見学に行っても迷惑じゃないって。やる気があるって思ってもらえて印象良いよって先生言ってた」
「まあ、確かにそうなのかも」
部活説明会より前に見学に行くなんて考えてもいなかった。自分は説明会が終わっても剣道部志望の気持ちは変わらないはずだ。ならば早めに見学に行っても良いのではないだろうか。それに源先輩もこの高校にいるらしいので、数年ぶりに会えると思うと嬉しくなってくる。
あかし君も誘ってみようか、と思っているとなんだか微妙な表情をしていた。何か期限を損ねる話などしただろうか。
「いや、分かるわ。そのキラキラした表情、剣道部の見学に誘おうとしたんやろ。俺は行かんよ」
「えっ、高校は剣道以外の部活にするんですか?」
もしかして、先ほどの会話が彼にも聞こえたんだろうか。だからと言ってこんな表情なのはなぜなんだろうか。そう思って問いを重ねたが、さらに苦虫をかみしめた表情になる。
「ちゃうちゃう。自分やる気ないのが売りなんで、見学なんて説明会後に行くって」
「じゃあ帰宅部の方がいいのでは?」
何を言っているのかちょっと分からない。
「んー、そういうのやなくてな。好きなのと、それを常に気張りたいのは違うやろ」
「そういうもんなんですね。私はあんまり思ったことがないので分からないですが」
なるほど、そう思う人もいるのか。高校ってやっぱり色んな人がいるんだな、と感心していると、ジト目でこちらを見てくるあかし君。
「すまんなぁ、そういうことやから自分は今日は遠慮しとくわ」
「そうですか、分かりました」
あかし君は「ほな」と言って先に帰ってしまった。
剣道部の友達がさっそく出来るのかなと思ったけど、まあ追々仲良くなっていけばいいのかなと思って一人で剣道部に赴くことにする。
この高校は中学校より、規模が小さく、そのせいで道場までの道のりも近い。
道場の傍によると威勢の良い掛け声が聞こえてくる。勢いで来たはいいが、ここにきて緊張してくる。でも勢いをつけて、戸の隙間から中をのぞく。
すると、ちょうど水を飲んで休憩していた源先輩と目が合った。
「もしかして粟田口か?」
「は、はいっ!」
緊張で声が上擦る。
「今日は入学式だろう。まさか待ちきれなくて見に来たのか?」
汗を流してはいるものの、まったく疲れを感じさせない表情で聞いてくる。
「はい、そうです」
久しぶりに見た源先輩はやはり、頼りがいのあるオーラをはなっているというか、変わらない雰囲気に思わず嬉しくなった。
「ああ、そうだすまんな。中に入ってきていいんだぞ。みんな集中しているようだから、後での紹介にはなるが、自由に見ていってくれ」
「ありがとうございます」
ドキドキしながらも道場に足を踏み入れる。どのあたりで見学していたら邪魔じゃないんだろうか。
「よく見たら制服なんだな、まあ入学式だから当たり前といえばそうなんだが」
「えっ、あ、すみません」
「いや別にいいさ、でも今日は見ているだけだな。しかし、粟田口は相変わらずで安心したよ」
あまり褒められている気がしない。
「成長していないってことですか?」
返答の言葉がぶすくれたようになってしまう。すると源先輩は笑いを抑えるように、口を手で口元を覆って体を震わせる。
「いや、相変わらず素直というか、まっすぐだなと思ったんだ。鶴丸が可愛がる理由もわかる」
可愛がるか、他の人から見るとそう思われていたんだなと思うと、気恥ずかしくなった。
「中学一年のことと比べるとこんなに背も伸びたしな」
「そうでしょうか」
憧れの人に認めてもらった気がして嬉しくなった。確かに、以前より源先輩と目線が合わせやすい。もちろん、先輩自身も背が高くなっているんだろうが。
「あのあたりでなら見学していても大丈夫だ。制服だとリラックスは出来ないかもしれないが、今日は気楽に見ていってくれ」
そう言い練習に戻っていく。
先輩方の練習を見ながら、鶴丸さんも別の高校でこんな感じで練習しているのかなと思いをはせる。ああ、きっと凛としてかっこいい姿でふるまっているんだろうなと思いをはせる。
こんな感傷的になるのは、さっき源先輩が鶴丸さんの話題を出したからに違いない。こんなことではいかんと、先輩方の練習風景をに目を向けなおすのだった。
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五月も後半にさしかかり、高校生活にも剣道部の雰囲気にもだいぶ慣れた頃である。
土曜日の今日は、午後から練習試合があるとのことだ。驚いたことに、鶴丸さんが通っている高校、通称ダテ高とである。
同じダテ校に通っている光忠君も来るらしい。一年なのに凄いなという気持と少し嫉妬が入り混じった気持ちになったのは、内緒だ。平均身長よりも背が高い彼のパワーは注目されていると嬉々として話していたのを覚えている。身長が高いのはどの部活でも有利らしい。
そんな彼から鶴丸さんの事を聞くこともあった。相変わらず、酔狂な手が好きで、でも鋭い一撃は健在、現在はダテ高剣道部の部長を務めているらしい。あまり部長に向いているようには思えないが、面倒見はなんだかんだ言っていいし、強いから大丈夫なんだろう。
午前の練習、そしてお弁当も食べ終わり、食後の休憩時間もそろそろ終わる。
そろそろダテ高の方たちも来る頃だろうか。連取が始まる前に先にお手洗いを済ませた帰り道、なんだか変な目線を感じる気がする……
視線の方向を振り向くと、ささっと建物の物陰に誰かが隠れたようだ。不審者だろうか。もしそうだったら、捕まえなければという、正義感が起こり、大股で物陰に向かっていく。
近づくとやはり人の気配がする。見間違いではなかったようだ。ひとまず声をかけてみることにする。
「あなた、学校関係者ですか?」
「ソ、ソウデスワッ」
いかにも裏声で言っていますというような言い方だった。ますます怪しい。
足をもう一歩前に踏み出す。相手も近づいてきているのに気が付いたのか、焦ったようにひとこと。
「ワタクシハ、アヤシクナクテヨ」
「今ならまだ間に合います。おとなしく姿を現してください。でないと、強制的に職員室につれていくことになりますよ」
今日は休みだが、顧問の先生はちょうど職員室で仕事をしているころだ。
ピリッとした雰囲気の中、物陰から思いもよらない懐かしい低音が聞こえた。
「俺だよ俺、変な真似して悪かった」
「私の知り合いに“俺”さんという方はいませんが?」
振り回されていたことに気がついたので、あえて嫌がられそうに返答する。
「いやいや、オレオレ詐欺か?鶴丸国永だよ。君分かっていっているだろ」
そう言って、鶴丸さんが物陰からひょこっと顔を出す。
久しぶりにその華美な顔が……分からない。なぜサングラスをつけて、頭に手ぬぐいを巻いているんだろう。体は剣道着だ。鶴丸さんだとしても、変質者の雰囲気がある。
「やっぱり、その恰好は不審者のようですね。一緒に職員室に行きましょうか」
鶴丸さんの腕をむずっとつかんで、連行しようとする。竹刀を振り回しているとは思えない細い手首だった。
「おおい、マジですまない。だから職員室は勘弁してくれ。潜入敵情調査の気分を試したかったんだ」
あいかわらず、くだらない。とりあえず、理由もわかったので手を放す。ずっと握っていたら、なんだか動機が激しくなって、まともに話すことができなくなりそうだった。
掌にきめ細やかで吸い付くような感触が残っている。
動揺を隠すように、
「潜入敵情調査、練習試合にですか?意味が分からないんですけど、もう変な真似はしないでくださいね」
「分かったよ。ウケると思ったんだけどなあ」
不満そうな顔で言ってのける。それどころか、なぜか反撃してきた。
「君こそ、もし俺じゃなくて本当の不審者だったらどうするんだ?刃物を持っているかもしれないんだぞ」
先ほどはそこまで考えていなかった。確かにそれは危なかったかもしれない。
「すみません、気を付けます」
分かればよし、というように口元をにやっとゆがめる鶴丸さん。ところでいつまでその怪しい格好のまま何だろうと思っていると、それが伝わったらしい。
「そういや付けたままだった、通りで夜のように暗いわけだ」
と、明るく言ったのだった。
てぬぐいとサングラスを外す。先ほどまで隠れていた白銀の髪の毛と日の光をあびて輝く瞳が現れる。
二年ぶりに見るその可憐さに、なぜだか目が吸い込まれるようだった。
相手は鶴丸さんだというのに……
彼の視線がこちらを向こうとすると、視線が合うのが気まずい気がして、思わず目をそらしてしまう。失礼だと思われたらどうしよう。
「おお、明るい世界だと君の空色の髪が良く映えるなあ。こんなに男前に成長して俺は嬉しいぜ」
端正な顔を笑みに染めて、頭を撫でられる。中学の頃のように容赦なく髪の毛をぐちゃぐちゃにかき混ぜる撫で方だ。
「君も成長したなあ。可愛いところは相変わらずだが、昔と違って撫でるのも一苦労だぜ」
「やめてください。ボサボサで帰ったら絶対皆に笑われますから」
成長したとは口で言いつつも、高校一年生になってまで可愛いと言い撫でまわすのは、やはり子供扱いしたままじゃないかと、ふてくされる気分になる。まあでも、成長した私は、久しぶりだし大人しく撫でさせてやるか、と思って。抵抗する気が失せたところ、道場の方から大声で呼ぶのが聞こえた。
「おーい、鶴丸せんぱーい。そろそろ時間だから戻ってきてくださいねー」
「おっと、もうそんな時間か」
呟きとともに、手が頭から離れる。少し名残惜しい気がした。
「油をちっと売りすぎたな。一期も戻るだろ」
「ああ、はい」
わちゃわちゃやっているうちに、時間がかなり経ってしまったらしい。駆け足で道場の方へ、戻ると光忠君がいた。なるほど、どこかで聞いたことのある声だと思ったら、彼が鶴丸さんを呼んだらしい。
「鶴丸先輩ったら、視察に行ってくるっていつの間にか消えるんだから。練習試合直前に調査も何もないですよね」
「すまんすまん、面白そうだからやってみたかったんだ」
小言を言っている光忠君が自分に気が付いたらしい。
「一期くん!会えて嬉しいよ。久しぶりなのにこんな怒っている姿見せちゃって、恰好わるいな」
「いえ、呼んでくれて助かったよ」
自分が速足で歩く傍ら、光忠君がにっこりとした表情で、鶴丸さんの背中を押して無理やり歩かせる。「自分で歩けるから」という不満があり、しょうがないなというように、手を離すと力が急になくなったからかよろける鶴丸さん。それから流れるようにダテ高の監督に怒られていた。コントだろうか。
しかし自分はなぜだか笑う余裕がなかった。きっと自校の皆のもとへ駆け足で戻っているからだろう。
しかし、鶴丸さんと光忠君は以前あんなに仲が良かったろうか。中学が一緒とはいえ、入部して二カ月もたっていない。きっと鶴丸さんの面倒見がいいからなんだろうなと思うことにする。
幸いにも、まだ開始時間まで時間はあるようだ。早めに練習している同級生に交じって素振りを始めるのだった。
練習試合は、充実していたというのもあり、あっという間に終わっていった。
レギュラーの先輩方と、ダテ校との団体戦での練習試合。先鋒・次鋒・中堅・副将・大将の五名で試合をするベーシックな団体戦だ。
源先輩も鶴丸さんも大将だ。数年ぶりに二人の試合を見ることが出来て、ワクワクする。
勝ち、負け、負け、勝ちときて、大将の試合が最終的な結果を左右する形になった。
互いに礼をして近づき、蹲踞する。竹刀を合わせ座った状態から、瞬時に空気が変わる。立ち上がった瞬間に鶴丸さんの素早い一撃が打ち込まれる。同じ速度で防ぐ源先輩。もともとスピードタイプだったが、技、というか読み合いがさらにすさまじい事になっている。
緩急のついたつばぜり合いに、ただただ見惚れてしまった。
一本、また一本と決まり、試合は決着した。今回は引き分けとなった。
レギュラーの先輩方は悔しそうな、でも闘志は消えないような表情をしていた。練習後は反省会が待っているんだろう。
その後、てっきりレギュラー陣だけかと思っていたら、監督は腕試しだと言い、私たち一年のメンツとダテ高のレギュラー候補の皆さんと団体戦を行うことになった。
団体戦は、高校生になってから初めてで緊張する。よし、と気合を入れている。
そういえば、光忠君は先ほどのレギュラーの先輩方との試合ではいなかったから、今度は参加するんだろうか。ダテ高の方に視線を向ける。
「頑張れよ、光坊」
「はい、頑張ります」
ちょうど鶴丸さんが光忠君の背中を、バンバンと叩いていた。
……ああなんだ。別にその場所は、私ではなくても良かったのだな。
しかも光“坊”って、あきらかに特別扱いではないのか。自分のことは小学生から一緒にいても一期呼びだったではないか。別に一坊と言われたかったわけではないのだが、他の誰かがそう呼ばれているのは、複雑な心境になる。
熟慮して進学先を選んだ結果、鶴丸さんとは違うこの高校に進んだのは自分だ。いや、そもそも今の今まで鶴丸さんの傍にいないことが、こんな事になるなんて思ってもみなかった。
この高校の剣道部には、中学の頃からお世話になっている源先輩、他にも強かったり、頼りがいが有ったり、優しかったり、厳しい部分もあるけど、だからこそ尊敬できる先輩方に囲まれているはずなんだ。
今まで自分は、他人を羨むような性格だっただろうか。
「やる気ないのめずらしいなぁ。そういうのは自分ポジションなんで、一期はんは気張り」
国行に肩をポンと叩かれ、ハッとする。いつの間にか隣にいたらしい。
「ありがとう。ちょっと頑張れそう。というか、国行も頑張りなよ」
「はあー、跳ね返ってくるなんて参ったわ。まあ、自分は気楽にやるんで」
そう口では言っても、やることはきちんとやるのだということはこの一カ月余りで分かっている。
この緩さに助けられたな、と準備をしながら再確認するのだった。
まずは先鋒から。相手はダテ高期待の一年生、光忠君だ。中学卒業後も成長中で、最近は一八〇センチを超えたらしい。十分健闘したが、残念ながら紙一重で負けてしまった。こちらの大将は小学校の頃から剣道をやっていたそうだが、背が小さく彼の勢いを受け流せなかったらしい。
あかし君は次鋒で、相手はダテ高の二年生。かなり健闘し、一本取ることに成功したが、残念ながら敗北となった。気楽になどと言って上級生相手だが、やはり悔しいらしい。悔しさをたえている表情た。
中堅、副将と惜しくも負けで続き、私の番となった。皆強豪校の二年生相手に十分よくやったと思う。最後は自分の番だ。
気負う必要はない。私は高校一年生で、相手は三年生。実力差があるのは当たり前だ。そして今回の試合は、監督曰く急遽決まった単なる練習。覚悟を決めて、挑むのだった。
勢いをつけて、一本先取。意表をつくように左胴に下から打突した。
今までこちら側は負け続きだったので、高を括られたのだろう。案の定次は相手に一本取られてしまう。
次の開始線に戻る最中、このまま負けてしまうビジョンが頭をよぎる。相手は強豪の剣道部で二年以上も練習を積んできたのだ。しかも、この試合は敗北となっても大きな問題はない。
……いや、負けてはいけないのだ。鶴丸さんに試合を見てもらうのは、去年の全国中学校剣道大会以来だ。せっかくなら勝ち姿を見守っていてほしい。
そうだ、無謀かもしれないが、自分は勝ちたいんだ。
審査員の合図とともに、集中力のスイッチを入れ一歩踏み出す。
素早く仕掛けられた技を、応じて流す。相手の軌道がブレたところに、今度はこちらから連続技をかけていく。途中で竹刀を払われ、あわや打ち込まれそうになる。とっさに受け止めて、押し返すように竹刀を力強く握った。
出来ればこのまま竹刀を相手の小手に打ちこみたいが、重心をずらすとあっという間に胴に一撃をくらいそうだ。いつまでこうしていればいいのか、と思案する。そろそろ仕掛けてこられても可笑しくない。
いくなら自分だ、と力の入れ方をかえ、一瞬のスキの間に打ち込む。当然のごとく受け技で防がれる。
再びの均衡状態、今度は相手が竹刀を巻き込むように技をかけてくる。摺り上げるように防ぐ。
しばらくは鍔迫り合いの攻防が続き、あともう少し、間一髪、という状態が繰り返された。
お互い様子見をするように、一度間合いを開ける。次はどうくるだろうか。
着実に決めたいが、そう考えている隙を見て面に打ってこようとしたので、竹刀で避けようとしたが、敢え無く相手の面が決まったのだった。
団体戦も終わり、ダテ高の皆さんは帰っていった。近所のファミレスで反省会をするのだとか。
彼らの帰り際ジャージに着替えた鶴丸さんとすれ違う。ふわっと、一試合終えたとは思えない爽やかなシトラスの香りがした。
***************
お風呂に入った後、ベッドの上で一日を思い返していた。普段なら勉強でもするところだが、いつもと違うことをした部活に、心身ともに疲れていたので、ぼーっとしながらスマホをいじりだした。
ゲームでもしようかなと画面を見ると、チャットアプリの通知があることに気が付く。
光忠君からだった。練習試合お疲れ様という声と、鶴丸さんからの伝言を送りたいという内容だった。
【今日はお疲れ!】
【あいつをあそこまで追い込むなんて、驚いたぜ。君は絶対に強くなる】
【大会で会うの楽しみにしてるぜ】
メッセージの後に、鶴がバサバサ暴れているスタンプが押されていたらしいが、光忠君は持っていないとのことで、文章で教えてくれた。
光忠君にお礼と、お互いの健闘について返事を送ったとことで、違和感に気が付いた。
もしかして、自分は鶴丸さんの連絡先を知らないのではないのかと。今まで会って話せば事足りたので、必要なかったのだ。
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予選試合、もちろん自分は応援する側で会場に行った。
午前中は順調に勝ち進んだ。午後の試合までまだ時間がある為、お昼を取った後はどうしようかと考えていると、視線の端に光る白を見つけた。
もしやと思い、その方向を向く。やはり鶴丸さんだった。ダテ高の他の生徒に声をかけ、一人で外に出ていくところのようだ。
選手でもない私が他校の選手に話しかけるチャンスなんて、なかなかない。隣でぐでっとしていた国行に声をかけ、自分も席を立つ。
練習試合の夜、応援の言葉に対して光忠君経由でお礼を言ってもらったのだが、出来れば直接感謝の言葉を伸べたかった。
廊下に出て鶴丸さんを探すが、別の出口を利用したためか、なかなか見つからない。遠目から見ても目立つ白みが強い銀髪なのに、こういう時に限って見当たらないのだ。きょろきょろと探していると、突然肩を叩かれた。
※トイレとかででもいい
振り返ると、頬に何かが食い込む感覚がする。視線を下に向けると、指先が見えた。
こういうことをする人は、一人しか知らない。
「よっ、久しぶりだな。元気だったか?」
案の定、ニヤッとした笑みを浮かべた鶴丸さんがいた。
「は、はい。お久しぶりです。後ろにいるなんて全然気が付かなくて驚きましたよ」
「そりゃあ良い」
「そうだ、光忠君からメッセージききました!ありがとうございました!あと、午前中は無事お疲れさまです」
感謝とねぎらいの言葉を伝えると、先ほどのむかつく表情が一変して穏やかな笑みになった。
「おう、ありがとうな」
「午後も応援しています」
「いいのか?君の高校のやつらと当たるかもしれないんだぜ?」
「そこは大丈夫です。先輩方のこと、信じているんで」
ちょっと意地悪そうな表情の後、一泊置いて、軽妙な笑い声を出す。
「ははっ、君は相変わらずだな。そういう所、可愛いぜ。応援してくれてありがとう。素直に嬉しい」
そう言っていつものように頭を豪快に撫でられる。その純粋な笑顔が、汗ばんだ掌が、顔に見合わない低音が、心地よかった。
いつもは嫌がっていたそれが、なぜだか今日は離れがたい。
しかし、そう思ってほどなくして、満足した彼の手が離れていってしまう。
「じゃあ、俺はそろそろ行くな。っとその前に、前に連絡先が分からなくて光坊に伝言お願いしちまったからな。交換しないか?」
「えっ、あっ、はい。お願いします」
会えて嬉しいという気持と、まだ話していたいなという感傷ですっかり頭の片隅にいっていたのだが、今後鶴丸さんに会ったら連絡先を交換しようと思っていたのだ。
大事なことを先に彼に言われたことに動揺して、どもった返答になる。
「これでいいか?」
「はい、ちょっと待っていてくださいね」
彼のスマホに表示されているQRコードを読み取って友達追加をする。剣道着で仲間と肩を組んで笑っているアイコンだった。
「ありがとうございます!追加しました」
交換できたことが嬉しくて、声が上擦る。これで別の高校だったとしても、やりとりが出来るようになったのだ。
「こちらこそありがとうな。じゃあ俺はそろそろ行くから、君もこれからバンバン頑張れよ」
そう言って、手を振って鶴丸さんは戻っていった。
午後の試合も終わり、自分たちの高校は無事全国大会に駒を進めることとなった。もちろんダテ高剣道部もだ。
************
ついに全国大会がやってきた。大会は三日間ある。そのうちの一日目は順調に勝ち進み、三日目を待つのみだった。
そんな大会二日目の午後、練習を一度中断して大会の会場に見学に来ていた。レギュラーではない私たちは、体を休める必要が選手ほどないので、ちょっとしたら帰って練習再開とのことだ。
今は九州と関西の高校の試合を見ている。どちらも全国まで上り詰めてきたということもあり、目が離せない試合運びだった。
勝ったのは九州の高校だった。でも試合結果よりも、正直見学最中の国行の言葉の方が印象に残ってしまっている。
「自分、中学の時はあの高校行くってきめてたん……」
聞こえるか聞こえないかのボソっとした呟きだった。どう反応すべきなのかが分からず、聞こえなかったふりをしてしまったのだが、それが良くなかったのかもしれない。団体としての勝ち負けが付いた後、ちょっと外の空気すってくると言って出て行ってしまった。
それから三十分近く戻ってこない。なかなか帰ってこないので、十分前くらいにチャットを送ったのだが、既読すらついていない状況だった。
国行はつかみどころのない性格とはいえ、さすがに心配になってくる。
見学はひとまずやめて、彼を探しに行くことにする。外の空気といったので、会場の周りにいないだろうか。試合中とのこともあって、廊下にいる人はほとんどいない。多分ここではなさそうだと思い、建物の外に出る。
建物の中は照明がついているとはいえ、空の明るさにはかなわない。夏の入道雲が浮かぶ青空がまぶしかった。少しばかり視界が白く染まる。すぐに目は慣れてきたが、一点だけ白いままの箇所があった。
何だろうと思ってよく見ると、制服姿の鶴丸さんだった。白銀の髪に白い肌、清潔感のあるシャツに、なるほど白い塊なわけだと納得する。
彼は一人でスマートフォンをいじっていた。画面をじっと見つめている。
もしかしてこれは、いつもと逆の状態では?と思う。いつも自分の方が声をかけられて遊ばれているのだ。たまには自分の方から声をかけてもいいのではないかと思う。
そろっと近づきながら、どうししてやろうかと考える。そう、自分から鶴丸さんに仕掛けることなんて無かったので、どんな悪戯をすればいいのか分からなかったのだ。そうこうしている間に目の前まで来てしまった。
どうしようかなと、考えながら鶴丸さんを眺める。私の影が落ち、伏せた睫毛から覗く黄金に釘付けになった。
流石に変だと気が付いたのか、上げた顔と視線が合う。
「うわっ、一期じゃないか。変な奴が立っているなと思ったじゃないか。驚きだぜ」
予想しなかった驚かせ方だが、どうやら成功したらしい。見たことがないレベルで目を丸々と見開いている。自発的な驚かせ方でないだけに、少々腑に落ちないが。
「鶴丸さんをどうしたらビックリさせられるのかなって思っていたら、先にバレちゃって」
どうやって説明すればいいのか分からなかったので正直に伝えることにした。すると鶴丸さんはきょとんとして、それからからかいうように笑ったのだった。
「本当に君ってやつは面白いんな。普通に声をかけるんじゃ駄目だったのか」
「今の鶴丸さんなら、偶には私が驚かせる側に回れると思ったんですけどね……」
「そうだったのか。まあ実際に驚きはしたし良いんじゃないか」
「ダメじゃないですけど、悔しいというか」
結局まだイタズラや驚きは私には早いということが分かっただけに終わってしまった。そこでハッとそもそも屋外に出た理由を思い出す。
「鶴丸さん、私の高校の生徒見てないですよね?黒髪の眼鏡かけたちょっとけだるそうなやつです」
「んー、君の高校のジャージか制服着てるんだよな?それだったら見てないな。連絡来ていないのか?」
「さっきは連絡取れなかったんですが」
答えながら、スマートフォンをもう一度確認してみる。すると国行から連絡がきているのに気が付いた。会場に戻っていることが描かれている。すれ違いだったらしい。
【連絡変えせんで、ごめん。ちょっと知り合いと話し込んでもうたわ】
【今さっきの所に戻ってるわ】
「おお、良かったな」
「ありがとうございました」
心配させてしまったお礼を言い、戻ろうとすると鶴丸さんも腰を上げる。
「さて、そろそろ俺も会場に戻るとするか」
日陰から出ると、ギラギラとした太陽が鶴丸さんを照らす。先ほどは気が付かなかったが、試合後かというくらいに汗がだらだらと流れている。
ひと際大きな雫が、首筋をツウっと伝っていく。その流れに沿って自分の目線を追うと、制服のシャツが透けているのに気が付いてしまった。なにせ、視線の先に、うすく色づいた二つの突起がささやかに主張していたのだ。
普通ならスルーする場面だ。そもそも男子のものが透けていたって気になりやしない。しかし、今はなぜだか目を離しがたかった。口の中に唾がたまってくる感覚がして、喉を思わず鳴らした。
「大丈夫か、なんかぼーっとして、熱中症か?」
その言葉にハッと意識を引き戻される。
「あっ、いえ大丈夫です」
「ならいいが、気をつけろよ」
なんだか目を合わせるのが気まずくて、足早に会場へと戻っていったのだった。
その夜、鶴丸さんがあられもない姿で夢に出てきた。翌朝、腰回りの不快感と同性相手にこんなことになってしまったことに複雑な気持ちになったことは言うまでもなかった。
そんな微妙な心意気の朝でも、いつもと変わらず出かける準備をしなければいけなかった。件の鶴丸さんに会う必要があるとしてもだ。
今日は、全国大会の最終日だ。
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今日は準々決勝から決勝戦まで。
去年自分たちの学校はベスト15にわずかに入らないということだったので、飛躍した今年はより一層頑張らなければと、息巻いている。
準々決勝では、いきなり鶴丸さん率いるダテ校が相手だった。
副将まできて現在は二勝二敗、大将同士の戦いだ。こちらの大将は源先輩、あちらは鶴丸さんだ。
一本目は取られてしまって、緊張した空気の中、二本目が始まった。源先輩は鶴丸さんんのトリッキーな連撃を華麗に受け流していく。受け流し、隙を見てカウンターをしかけるが、作られた隙だったのか、瞬時に対応され、逆に一本取られてしまった。
この瞬間、準決勝に進むのはダテ校になった。
源先輩のギュッと竹刀を力強く握る姿が印象的だった。
そしてダテ校は決勝戦へ進出し、一勝二敗一引分けという状態だ。相手は九州の優勝常連校だ。大将の鶴丸さんが勝てば、今度は取った一本の数での勝負になる。まだ勝つチャンスは消えていないのだ。
立礼から三歩進み竹刀を抜き合わせつつ蹲踞をする。主審の合図に合わせ試合が始まった。
変わらずトリッキーな攻めをガンガンと繰り出していく。しかし、相手は大柄な体躯を活かしてどしんとした安定感で受け流していく。
苦戦しているはずの姿が力強く降る竹刀が美しかった。片津を飲んで見守る。
しかし華麗に面で一本取られてしまう。
まだ終わらないと言うような力強さがそこにあった。その姿を応援していると、相手の素早い籠手が決まった。
粘りと逆転に強い鶴丸さんがこうも圧倒的にやられてしまうなんて意外というか、驚きだ。
選手同士で一例をし、団体戦の決勝が終わった。あと一歩までダテ校を優勝に導くことが出来なかった鶴丸さんだが、スッと変わらず伸びた背筋がかえって強がっているのではないかと思って、まだ彼を見ていた方がいいような気がしてきた。
鶴丸さんは待機場所の方に戻り面を外した。汗を吸いきれない顔が出てくる。いや、汗ではない。目尻から流れる涙ではないだろうか。泣いてはいけないと、眉間に力を入れている様子が痛ましかった。なぜだか、私以外が理由で泣いて欲しくないと思った。その涙を他の人に見せてほしくないとも。
「おーい、一期はん。もうすぐ表彰式やって。ぼーっとせんで、先輩読んではるよ」
「ええ、はいすみません。今行くよ」
*************
試合後は高校の最寄りでみんなで旨いものでも食べて、現地解散となった。後日三年の先輩方は引退式とのことだ。
鶴丸さんと話す機会はなかったが、夜にチャットで準優勝の祝いの言葉をかけた。返信は例の変なスタンプの鶴がニヤッと笑っているものだけだった。
その後、夏休みが明けた今日まで特に連絡は取っていない。しかし、もっと何かできなかったのかと気がかりだ。
神妙な顔だと思われたんだろう、高校に入ってからほとんど話していなかった佐藤さんが前の席の椅子に座って話しかけてきた。
「珍しい顔してるね。何か恋して悩んでます~って顔。夏休み何かあった?」
「はあ?」
久しぶりに話しかけてきたと思えば、相変わらずコイバナが好きなんだな。
「いきなりごめんて、でも今は私は剣道やってないけど、中学からの仲だしさ、そんな辛気臭い顔してたら気になるじゃん」
「はぁ、ありがとうございます。でも気になっていることは恋じゃなくて鶴丸先輩のことで……」
恋愛で悩んでいるわけではない。相手は小学校の頃から付き合いのある男の先輩なのだ。だから、続いた返答に頭が混乱した。
「じゃあ、やっぱり恋だよ」
なぜ、そんなに断言できるのだろうか?彼女の表情を見るに、決してからかっているわけではなさそうなのだ。
「……でも」
「今はそういうの結構オープンになっているし、大丈夫だよ」
「いや、そうじゃなくて。私は普通に女の子が好きで」
会話がかみ合わない。小学生時代に鶴丸さんの事を女の子だと思っていたので、そのころならいざ知らず。
顔のつくりは相変わらず繊細ではかなさもあるが、身長一七〇センチ後半で、細見と言えど柔らかさはなく骨ばっている感じで、声だって私より低い。剣道は強く、めったなことでは弱みを見せないし、面倒見がいい兄貴分気質で、頼りになる。
つまり、私は鶴丸さんの事を可愛いと思っている。
だから、なぜ恋だと断言されるのかが分からなかった。
「もしかして、気が付いてなかった?昔から、五条先輩を見つめる顔とか、態度とか、恋してますっていうオーラ丸出しだったよ?」
「恋してますオーラ」
「そうそう。同性だし、認めたくないのかもしれないけどさ」
彼女は目を伏せて、かみしめるようにつぶやく。
「中一の頃は、私も五条先輩にあこがれてたから、わざわざ伝えてライバル増やしたくないから何も言わなかったんだけどね」
そういえば、積極的にアプローチをしていたな。と思い出す。その様子に自分は気分を害していたことも。
もし、いままでの鶴丸さんに対する気持ちが恋だとしたら。話しているだけで心が躍ることも、他の人に優しくしていると嫌な気持ちになることも、腑に落ちることばかりなのではないかと、心がなんだか整理がついた気分になった。
「おっ、自覚したかな?」
「はい、私は鶴丸先輩が好きなのかもしれない」
本人とは関係ない所にも関わらず、二文字を発するのが照れくさくて、声が震えた。
「佐藤さん、なんか、ありがとう」
「いいえ、といっても結局相談には乗ってない気がするけど。今は気づいただけで精一杯っぽいし……。もし手伝えることが有ったら、相談して。あと、私に何かあったとき、今度はよろしく。じゃあ頑張ってね、色男~」
一人でガンガン話して、満足したのか、彼女は自分の席の方に戻っていった。
恋、か。認めてしまえば、脳裏に焼き付いた鶴丸さんを思い出すだけで心が温かくなるきがした。
しかし、気が付いて、これからどうすればいいのだろうか?
「一期はんが、ダテ高の部長をな~」
ニヤニヤと国行が話しかけてくる。いつから聞いていたんだろう。
「いいですよ別に、気持ち悪ければそれで」
先ほどとは打って変わってきょとんとした顔をする。少し焦った声色で続けてきた。
「ちゃうちゃう、あの堅物な一期はんがな~と面白くなってな。気を悪くしたらすまんて」
友人に惹かれたわけではないらしい。少しほっとした。
「鶴丸さんとは、もう高校の剣道関係で会うことはないだろうし、そもそも受験勉強に集中しなきゃいけない時期だろうし、どうしようかなと考えていたんです」
この気持ちに気づいたからには、この感情に見合う関係を望みたい。しかし、鶴丸さんの事を邪魔したいわけではない。自由に羽ばたく、姿が好きなのだから。
「んー、難しいなぁ。でも気を使ってひいてばっかりじゃあかんで。これから何があるか分からんのやから、公開の無いようにな」
突然関東へ引っ越しが決まった国行が言うとなんだか説得力がある言葉だ。
「ありがとうございます。私なりに頑張ってみます」
***************
結局、アピールは受験勉強を応援するメッセージのやり取りを定期的に送ることでアピールすることになった。君のメッセージを見ると心がほっとすると言ってくれているので、迷惑にはなっていないはずだ。
その間、彼のことがチラっと脳内にちらつきいながらも、勉強や剣道に対する熱量は今まで以上に力を入れている。
そうこうしている内に、あっという間にクリスマスシーズンとなった。クリスマスプレゼントとして受験鉛筆を渡した。
渡したいものがあると言えば、ファーストフードで勉強をするついでにと会ってくれて、嬉しくなった。丁寧にラッピングした受験鉛筆をプレゼントすると、喜んでくれて、とても嬉しかった。
同時にちゃっかり受験結果が分かったら、親と先生の次に連絡してほしいと伝えることも忘れない。
一月には新人戦があり、上位に食い込むことが出来た。思い切りの足りなさで、あともう一歩で負けてしまって悔しかったが、これからに期待ということで、部長や監督には励ましの言葉をいただいた。もちろん、国行も光忠君もかなりいい結果を残したのは言うまでもない。
極寒の季節も終わり、あっという間に学年末となった。期末テストも終わると、心に余裕が出来て、鶴丸さんはどうしているんだろうと気に掛ける。
そろそろ国立大学も結果が出てくるのではないだろうか?そういえばいつ発表なのかなど、聞いていなかった。
そう思いながら、スマートフォンをいじっていると、鶴丸さんからチャットが来ていることに気が付く。
【第一希望の大学受かった!】
変な顔をした鶴のスタンプとともに合格したという内容が送られてきた。
鶴丸さんは受験を乗り越えたのだ。ぶわっと喜ばしい気持ちが膨らんだ。
プルプルプルと、鶴丸さんに電話をかける。二コールほどで通話に出る。
「鶴丸さん、おめでとうございます!」
「おう、ありがとう」
彼の声を聴いたのはクリスマス以来だった。その声にふわっと心が温かくなる。
「あの、この後会えますか?いえ、時間があるときで全然良いんですが」
「あー、学校と塾寄った後なら大丈夫だけど……、今ご飯食べてるからどっかによれる金がなくてな」
「じゃあ、昔遊んだ公園とかでもいいです」
三番目とはいえ、こんな日に自分を優先してくれるという彼の言葉に心が躍る。
寒空の中、家から持ってきたサーモボトルのお茶をちびちびと飲みながら鶴丸さんのことを待つ。そろそろ来るだろうか。
「わっ‼」
背後から急に聞こえた声に、体がびくっと反応する。振り向かなくても分かる。
「鶴丸さん、貴方って人は」
振り向くと寒さから鼻を赤くした鶴丸さんがたっていた。マフラーをグルグルにまいて口元が隠れ会かけているが、どっきり大成功とでも言うようなにやけ顔は隠せていなかった。
「どうだ、驚いたか?」
「ええまあ、でもしょっちゅう驚かせられていますからね。慣れましたよ」
「む、そうか?新しい驚かせ方を研究しないとな」
ちょっと不機嫌そうになって膨らむ頬が可愛らしい。
「そうだ、あらためて鶴丸さん、合格おめでとうございます」
そう伝えながら、小さな紙袋を渡した。
「おう、ありがとう。ところでこれは?」
「ちょっとしたものですが、合格祝いもかねてプレゼントです」
「そうなのか、ありがとうな。あけても大丈夫か?」
プレゼントだと伝えると、耐えきれない笑みが浮かぶ。
封を開くと、コロンと丸くて可愛らしくデフォルメされた鶴のキーホルダーが出てきた。
「可愛い鶴じゃないか!」
春のおと連れにピッタリな花がほころぶような笑顔となった。
先日弟の付き添いで雑貨屋さんに行ったときに、偶然見つけて鶴丸さんにピッタリだなと思ったのだ。
「ありがとう一期。大切にするよ」
「子供っぽいかなってちょっと思ったんだけど、貴方にプレゼントしたいなってこれを見たとき思って」
「俺の為に選んでくれたんだろう、十分嬉しいさ。これを渡すために呼んでくれたのか?」
そうだ、今回わざわざ公園に来てもらったのはこれを渡すためだけではない。
「いえ、それとあと、伝えたいことがあって……」
これから発する言葉のことを考えると、緊張で声が小さくなる。
「そうなのか?」
鶴丸さんは不思議そうに首をかしげて、きょとんとしている。
いつもより少しばかり見開かれた瞳と上向きの睫毛が可愛らしい。中途半端に開かれたつややかな唇は、気を抜くとそこばかりに視線がいってしまいそうな魅力がある。
「一期大丈夫か?」
言葉を発しようと口を開きかけるも、何も言わない自分の様子を不思議だと思ったのか、鶴丸さんが心配そうに声をかけてくれる。
「はい、大丈夫です」
このまま黙っているわけにはいけない。
息を吸って、鶴丸さんを見据える。ああ、こんなにも綺麗な人なのだなと改めて思わされる。
前に進みたいと思うからには、伝えなくては。
「わたしは、鶴丸さんのことが、ずっと好きでした」
一息で言ってやろうとした結果声が上擦った。告白と、スマートに伝えられなかったせいで、頬が赤くなるのを感じて、返答を待たずに顔を伏せてしまう。
数秒の静寂。ただかわいがっていた後輩に好意を伝えられて、困っていないだろうか、それ以上に引かれてしまっていたらどうしよう。
「一期」
予想外の優しげな声色。つられるように顔を上げる。恐る恐る鶴丸さんの様子を伺った。
綻んだ花が満開になるような笑顔で、鶴丸さんがそこにいた。
「今更君が俺のことを女だと勘違いしているわけないとは思うのだが……。ありがとう、嬉しいよ」
「それって……」
もしかすると、もしかするんじゃないか。
「まあ、正直今の告白はいやじゃないんだが、あいにく俺は女子が好きだ。せいぜい頑張れよ一期」
「ええっ、その言い方ずるくないですか」
突き放すでもない微妙な回答だった。しかし、照れさせることには成功したらしい。
鶴丸さんの頬が桜色にそまっているのが分かる。可愛い。と思っているとグッと手を引かれた。
「そら、鶴丸お兄さんが久しぶりにブランコを押してやろうな」
「この年でですか?もうあのブランコ小さいですって」
保育園に通っている弟と一緒に公園に来ることもあるので、実際に漕ごうとすると脚をもてあそぶことを知っている。
「そんなの、どうだっていいだろう。驚きを消化したいんだよ」
などと良く分からない事を言っているが、今まで驚かされてばかりだった鶴丸さんに一報いることができらのかもしれない。
少し早歩きで鶴丸さんの顔を覗き込む。
眉間にしわを寄せた困り眉で、瞳をうるませ、頬を桜色に染め、口元はマフラーを持ち上げて隠していた。
ああ、こんな可愛らしい顔は初めて見るな、と思ったのだった。