「どーうしたの、ヨウおじちゃん!」
ピンク色の髪が視界に入り込む。我に返り、顔を上げると、なのかが手を振っていた。
「なのか。どうした」
「ウチの台詞! それ見たまま、ぼーっとしてたけど。買うか迷ってるの?」
なのかはヴェルトの手の中にあるものを指して言った。それは片手に収まるほどの、赤と青の色彩が鮮やかな宝石箱だ。
この星には補給のために降り立った。次の目的地へ向かうための中継地点であり、長居するつもりはない。早く帰ってくるのじゃぞ、とのパムの言いつけ通り、ヴェルトとなのかは用件を済ませたあと、すぐ帰路についた。それなのにこうして寄り道をしているのは、道すがら、賑やかな市を見つけてしまったせいだった。遠目には何の市かまでは分からなかったが、カラフルでごちゃごちゃとした店が所狭しと並んで、たくさんの人が集まっている。面白そうだな、と思ったときにはもう、なのかが先に駆け出している。「ちょっと見ていこうよ!」と目を輝かせる彼女を止められはしない。
そうしてなのかと共に店先を眺めているなかで、ヴェルトはこの宝石箱に惹かれ手に取ったのだった。
「キラキラして綺麗だねえ。でも、ヨウおじちゃんの趣味とは違うかも?」
なのかはヴェルトの持つ宝石箱を覗き込むようにしてじいっと見た。その小さな箱は、大小さまざまな、目の覚めるような赤と深い青色の石で彩られ、繊細な金細工で縁どりされている。石はおそらくこの星で作られた人工の宝石だが、見事にカットされており、屋外でもよく輝いた。それがまた、ヴェルトのシックな服装を背景にすると、そこだけスポットライトを当てたように浮かび上がって見えるのだ。
「そうだな。俺の趣味というより……はは。少し、故郷の家族を思い出していたんだ」
「ヨウおじちゃんの故郷って、えーと、チキュウって名前の星だったっけ」
「ああ。この色彩が、故郷の懐かしい人たちを思い出させるものでね」
ヴェルトにとって、赤と青の組み合わせといえば、彼が最も信頼する二人の科学者を指す。彼女たちは元気にしているだろうか。ヘルタに頼んで送ってもらったメッセージは届いただろうか。こちらから向こうの状況を知る術は一つも見つかっていないのが現状だった。どうしてもすぐには帰れそうにないのだから、せめて実のある旅にしようと割り切ってはいるものの、安否の不安や郷愁がないわけではない。
しんみりとしてしまった列車の先輩に対して、なのかはぱっと笑った。
「買っちゃいなよ! ウチら、お金には困ってないし!」
ヴェルトは苦笑して肩をすくめる。
「しかし、いつまで続くともしれない旅だからな。あまり物を増やしたくないんだ」
元来、ナナシビトは多くの荷を持たないものだ。列車の部屋に置いておけるものにも限りがある。いつか大切なものが溢れて、身一つで持って行けなくなってしまうときが来ることが恐ろしいのかもしれない。
うーんと唸って、なのかは上体ごと横に傾けた。
「ヨウおじちゃん、ウチの部屋見たことあるでしょ?」
なのかの部屋は片付いているおかげでそうは見えないが、実はこまごまとしたコレクションがいっぱい収納されている。
「それに、前に良い言葉教えてくれたじゃん? 『一期一会』、だよ!」
ウチはこれ買う! と、なのかは精巧な石細工の腕輪を目の前に掲げてみせた。透き通った紺碧色がなのかによく似合っている。
ヴェルトは思わず声を出して笑った。
「そこまで言うなら、買って帰ろう」
「うんうん! やらない後悔よりやった後悔って言うしね!」
掌の上に視線を落とす。宝石箱がきらきらと光っている。この輝きは少しばかり、胸の奥に仕舞った寂しさを呼び起こす。しかしそれだけでもない。今日、なのかが背中を押してくれたことも含めて、この箱に詰まる思いは、温かさのほうが勝るだろうと、そう思った。
「さーて、列車に帰りますかー! 今から帰りまーすって送っとくね」
なのかは水色のスマホをぱっと取り出した。スマホの操作しながら隣を歩く彼女が転ばないように、ヴェルトが代わりに足元に気をつける。
通りにはまだ多くの人が歩いていた。土地柄か、特に子連れの家族の姿が多い。親の手をぐいぐい引いて、あれがほしい、これがほしいとねだる幼子の側を通り過ぎる。微笑ましい光景だ。
「ね。家族って、どんな感じ?」
ふと、なのかが尋ねる。彼女にしては控えめに抑えられた声だった。なのかは恒氷の中から目覚めるより前の記憶がない。自分の生まれを知らず、家族がいたかどうかも分からない。
「家族か」
「うん」
どこかそわそわとした様子のなのかを横目に見て、ヴェルトは過去に思いを馳せた。思い出は遠くなろうと、引き出しを開ければ鮮やかに蘇る。幼少の頃、両親と過ごした断片的な記憶。人生を変えたある事件の後、北米に居を構える組織で、優しく頼りになる大人たちに見守られながら成長したこと。それから、大崩壊後に共に暮らすようになった配偶者と息子。皆これまでのヴェルトを支えてくれた人たちだ。
ヴェルトは眼鏡の下の目を和ませる。
「そうだな。会うとほっとする……安心する感じだろうか」
なのかはスマホのチャットアプリを開く手を止めて、
「それって、ウチが列車組に思ってるのと似てるかも」と言った。
ヴェルトが「嬉しいよ」と顔をほころばせると、なのかもほっとしたように頰を緩める。
スマホの画面に視線を落とした彼女の指先が、チャットアプリのヘッダーにある『星穹列車♡ファミリー』の文字をなぞった。列車組のグループチャットの名前は、昔なのかが設定したものだ。
「ウチが勝手に言ってるだけだけど……いいよね?」
「もちろん。なのかに家族と言われたら、みんな悪い気はしないさ」
「ヨウおじちゃんってば、いいことばっか言う」
「嘘じゃない。列車に戻ったらそれぞれに聞いてみるといい」
「さすがに恥ずかしいって!」
笑ったり睨んだり慌てたり、ころころと変わる表情を見て、ヴェルトは笑った。
家族についての考え方はそれぞれだが、ヴェルトはそう堅く定義しなくてもよいと思っている。その概念が必要な人、必要なときに居心地のよい連帯をもたらすものであればいい。
列車組は皆、それぞれがいっとき列車に乗り合わせた乗客に過ぎないと理解しているがーーそれは家族と言ってはいけない理由にはならないだろう。だから誰にでも、そしてなのかにも自由がある。
「なのか。君が望むなら、家族は自分で選んで、作ってもいいんだ」
「うん」
なのかははにかんだ。この若き開拓者は自分の未来を拓く気力に満ちている。今のはむしろお節介だったかもしれないとヴェルトは思った。姫子のたしなめる声が聞こえてきそうだ。
なのかはグループチャットにメッセージと、最後にピッとスタンプを送った。すぐに既読がついて、ぽん、ぽんと返事が届く。
なのかは満足そうにして、スマホをしまった。二人とも口には出さなかったが、なんとなく歩を早める。列車で皆が待っている。
少しして、数歩先を歩くなのかが振り返る。
「いつかヨウおじちゃんの星についたら、家族のこと紹介してよね!」
「もちろんだ」
にかっと笑うなのかに、ヴェルトも微笑んで返す。もし列車があの青い星を見つけ、共に故郷に降り立ったとしてーー列車の仲間を紹介するのは、ヴェルトの顔を見た赤髪の配偶者が烈火のごとく怒るのを、なんとか宥めてからになりそうだ。その場面が容易に想像できて、ヴェルトはなのかに気づかれないように苦笑いを溢した。
「そういえばヨウおじちゃん、ものを増やしたくないわりには、黒い輪っかみたいなの、たくさん集めてるよね?」
「レコードのことか。あれは列車の備品だからいいんだ」
「え〜〜?」