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    n_lazurite

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    n_lazurite

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    ご都合時空な裂浪小話。
    黒巫謠に置いていかれる夢を見た器物の話。

    ##裂浪
    ##ご都合時空

    夢を見た器物の話 ――その日、『聆牙』は初めて夢を見た。

     暗がりの中に佇んでいた。どんよりと満ちる闇はほの暗くも不気味にほの明るく、湿り気を帯びた空気は如何にも重たげで、徒人では立っているだけで息が詰まりそうだ。人ならざる器物であり、魔性を起源とする魂にとっては、全く馴染まぬものというわけではないそれは、魔界の瘴気に似ていた。遥かな天上では、緩やかにとぐろを巻いた暗雲が、光の剣を地に突き立てる時を今か今かと待ちわびているようで。
     その眼下の大地にひとり、彼が立ち尽くしている。
     目に馴染まぬ不愉快な黒衣を纏って、ざんばらに背に散らしたやわらかな暁色の髪にも僅かに闇の色を宿す姿。器物の佇む位置から見えないが、振り返れば、その白磁のかんばせにはやはり似つかわしくない漆黒の角と、血の色をした紋様が見えることだろう。
     魔族の因子を覚醒させたその姿を雷雲の下に晒した彼は、何時如何なる時も道を共にしてきた相棒である器物に目をくれることもなく、やがてゆっくりと旋律を紡ぎ始めた。伴奏のない、誰に聞かせるでもなく響き、消えていくだけの、寂しい歌声。
     寄る辺を無くした子供のような、未だかつて聞いたことのないほど頼りない歌に、思わず器物は声を上げた。上げようとした。
    「――、! 、!?」
     けれど声は出なかった。心も、言葉も、器物にあるまじき代物だ。けれど彼の人の言霊によって、それは確かに自我と共に器物に与えられたもののはずだった。それは確かに、これまで幾度となく彼に、その周りの人々に、届いていたはずだった。それなのに、
    (――浪! 浪!! なぁ、聴こえないのか?! 俺の声が、聴こえてないのか?!)
     他の誰に届かなくとも、その在処を信じられなくとも、彼にだけはいつだって届いていたはずだ。鬼の声と疎まれようとも、拒まれようとも、それでも彼には確かに聴こえていたはずなのだ。なのにどうして、『今』、その声は届かないのか。
     歌声はいつの間にか慟哭へと変わっていた。技巧などない、ただ張り上げるばかりの声量。その叫びに、込められた魔力に、呼応するように雷鳴が轟く。今にも落ちてきそうなほどに質量を伴った黒雲が、怒涛の涙を零し始める。全ての温もりを奪い去るような冷たい雨に打たれながら、彼は――浪巫謠は叫び続ける。憤怒、憎悪、悲嘆、絶望――頭上を覆う雲のように渦巻く感情が声となって、ソラに命じる。
     そうしてとうとう、曇天を引き裂いて、一振りの光が地上に突き刺さった。刹那、ぴしゃりと明滅した世界は、暗がりに隠されたその異様を器物の視界に突きつける。
     人の、あるいは獣の、どれともつかぬが恐らくは生物だっただろうものたちの死骸が転がっている。黒く焼け焦げたそれらの、生前の有り様などはもう知りようがない。それでも、雨と泥に塗れたその輪郭が、確かに、かつては生きていたものたちを象っていることだけははっきりとわかった。
     その屍山の中心で、巫謠は雷哭の『声』を上げ続けている。
     枯れ果てても構わぬとばかりに己が身を顧みることなく迸る魔性が、二度三度と新たに雷を降らせては、器物の視界に蠢いた何かの影を打ち据える。そのまま影は物言わぬ屍の仲間入りを遂げたが、そんなものに気を留めてはいられなかった。器物の意識はひたすら、己の持ち主である彼にだけ向けられていた。
    (――浪! なぁ、浪よ! もう十分だろう?! それ以上は、?!)
     相変わらず声は出ない。それでも届かせようと、有りもしない喉に力を入れて言葉を紡ぎ続ける。だが次の瞬間、視界を白く灼く光が閃いたかと思えば、正に器物の佇む地を目掛けて、青白い雷の刃が突き立てられた。
     衝撃が走る。ばちり、ばちりと火花が散り、器物の無機質な肌を焦がす。痛みはない。器物には本来痛覚など無いからだろうか。あるいは、驚愕が痛みに勝っていたからかもしれない。理解るのは、それが明確な、拒絶の意志だということ。
     ごとりと音を立てて、器物は地面に転がった。手足が無くとも多少は自らの意思で動かすことができたはずの体は、今やぴくりとも動かせない。声も出せず、けれど意識だけは変わらずに其処にある。
     横に倒れた視界で、器物はなおも彼を見ていた。いつの間にか声は止み、雨も降り止んでいた。曇天は変わらず空を覆って、世界を重苦しい暗がりに閉ざしている。その暗闇の、更なる深奥へと向かうように、ゆっくりと巫謠は歩みだした。ざくり、泥濘んだ地面を踏みしめる音を聴く毎に、焦燥が動かない体を駆け巡る。
    (――浪! 浪!! 何処へ行くんだ、浪?!)
     呼びかける。声は出ない。有りもしない手を伸ばす。体は動かない。そうしている間に、一度も振り返ろうとはしない背中がどんどん遠ざかっていく。
    (――浪!! 待てっ、なぁ、待ってくれよ浪!!)
     焦燥が募る。血の気が引くような、訳もなく叫び散らしたくなるような衝動。それを『恐怖』と人は呼ぶのだろう。この感覚を、この感情を、自分は知っているはずだ。彼が遠くへ行ってしまうことへの不安を、恐れを、抱いて呼びかけた日が既にあったはずだ。人の道を外れると理解っていて、それでも魔の道を進もうとした彼の選択に、自分はどう向き合った? どうやって並び立とうした?
     その答えを知っているはずなのに。確かに選んだはずなのに。どうして今それが思い出せない! どうしてそれが今為せない!!
    (――浪、行くな!! なんでまた・・ひとりで行こうとするんだよ!! 俺がお前の牙になるって、そう言っただろう!? なんで、!!)
     何故、自分を置いて、彼は独りで行こうとするのだろう。そんな寂しくてかなしい道を進ませたくなかったから、自分は、『聆牙』は選んだはずなのに。どうして今、自分はただ見送ることしかできないのだ。
     闇に呑まれるように、融け込むように、黒を纏った暁が消えていく。遠ざかっていく。もう届かない場所へ行ってしまう。用無しとなった器物を置いて、彼は独りで行ってしまう。それは、それはなんて、
    (――やめろ、浪! 浪!! なぁ、巫謠!! こんなのは違うだろう?! お前の望んだ道じゃないだろう?! 置いていくな! 今更俺を置いていくなよ! 独りになるな! 独りにするな!!)
     もう足音も聴こえない。もう黒い背中すら見えない。共にあったはずの暁は、闇の奥に隠れて届かない。手も、足も、声すらも出せない器物は、名も形も知らない何かの死骸と一緒に打ち捨てられて、独り、朽ち果てていく。嗚呼それは、

     ――なんて、酷い夢なのだろう。


    「――――っ巫謠!!!!」
     ばちん、と弾かれるように裂魔弦は目を覚ました。
     仰向けの視界に飛び込んだ、丸く見開かれながら此方を覗き込んでくる翡翠の色。それが浪巫謠の色だと判断した瞬間、跳ね起きた身体はほとんど無意識の内に目の前の彼を抱き込んでいた。
     びくりと強張った身体に気づいても、拘束するような腕を緩めることはできない。普段なら呼吸するよりも容易くできるはずの彼への気遣いよりも、衝動的な心を優先させてしまう。それほどに余裕がなかった。全力疾走をした後のような疲労感と恐ろしさが、全身を駆け巡って離れない。どんな強敵と戦った後ですら、これほどの焦燥と恐怖を味わうことはないだろう。
     ふよう、巫謠、何度も何度も、確かめるようにその名を紡ぐ。声は出せている。……本当だろうか? それは自分に聴こえているだけではないのか。本当に彼にも届いているのだろうか?
    「巫謠、巫謠……なぁ、届いてるか? ちゃんと俺の声、聴こえてるか?」
     突然の行動に、問いかけに、何より混乱しているのは彼だと、頭ではわかっているけれど訊かずにはいられなかった。
     すると、おもむろに背中へ温もりが添えられた。どこかぎこちない所作ながら、宥めるように触れた掌は、ぽん、ぽん、とやさしく背中を叩く。一定の間隔で叩かれるそれに意識を傾けていると、あれほど荒れ狂っていたはずの感情は次第に落ち着きを取り戻していった。そうして、ゆるゆると弛緩するように肩の力が抜けていく頃合いを見計らったように、慣れ親しんだ低めの声が、そっと答えを落とす。
    「……聴こえている」
     聴こえている。届いている。聆牙/裂魔弦の声は、言葉は、幻などではなく、確かに此処に在る。肯定された現実に、ほう、と安堵の息が漏れる。
     いつの間にか自分は、こんなにも言葉を繰ることに馴染みすぎていた。当たり前になっていた。それが滑稽で、だからこそ、今や手足を得て彼に触れられる今が、恐ろしいほどの奇跡であることを改めて実感する。
     あれは、あの夢は、有り得たかもしれない器物の道筋の一つだった。否、本来の器物が辿るはずだった道なのだ。だからこそ、思う。この声を、手を、足を、与えてくれたこの人間の、本来厭うべき秘めたる魔性は、自分にとって何よりの幸いであったのだと。
     大きく息を吐き出し、未だ突き放そうとしない優しさに甘えて、力の抜けた身体を預けた。背に回された掌は、宥めるような拍子を止めない。嬉しくて、むず痒くて、口許が綻ぶ。笑うということすら、ただの器物には過ぎた行いなのだと、今更のように思い出した。
    「……怖い夢を見た」
     親に甘える子供のような心境で、ぽつりと零す。
     どんな、とは訊かれなかった。喉に宿った魔性を厭うゆえに、彼はいつだって言葉ではなく、その眼差しで、行動で示す。促すように背中を撫でる掌が、裂魔弦の言葉に耳を傾けてくれていることを言外に教えてくれた。
    「お前に、置いていかれる夢だった」
     せっかく得たはずの人型を失くして、声すらも失くして、文字通り弾かれるがままに鳴るだけの、ただの楽器となってしまった自分。
     そんな器物の己では、暗い闇の先へ行こうとする彼を、声を届かせ止めることも、手足を使って追いかけることもできなくて。闇に消えるその姿を、恐怖と絶望の中で見送ることしかできなかった。
    「ははは、いや全く驚きだよなぁ。ただの楽器だったはずの俺様が、とうとう夢まで見るようになっちまった。手足を得るっていうのも、思ったより良いことばかりじゃないってこったな」
     ぴたり、と背中を撫でていた手の動きが止まったのを感じ取って、裂魔弦は余計な言葉まで口走ってしまったことに気づいた。
    「おっと、勘違いするなよ浪。俺は別に後悔しちゃいねえぜ。手足が生えたことで出来ることも増えた。もどかしく見てることしか出来なかった今までを思えば、それだけでも十分すぎるってもんだ。たまたま今回は悪い夢にぶち当たっちまったってだけで、これから先いくらでも良い夢だって見れるかもだろ。
     だから、負い目を感じたりなんかするなよ、浪。これは俺が、お前に置いていかれないように、何処までもついていってやるって足掻いて、望んだ結果なんだ」
     心を開いた仲間を置き去りにして、独りで魔に堕ちようとした彼の道に、せめて自分だけは最後まで一緒にいようと思った。彼を、暗く、死と血と闘争に塗れた道に独りで進ませたくなかった。彼を独りにしたくなかった。
     けれど、それは本当のところは建前でしかなくて。本音を言えば、ただ自分が置いていかれたくなかっただけなのかもしれない。ただ自分が、彼と、巫謠と一緒にいたかっただけなのかもしれない。
     所詮自分は器物で、精々が彼が敵と定めたものを屠る為の牙にしか成り得ない。本当の意味で、浪巫謠に寄り添い支えとなるべき存在は別にいるのだろう。だからいつか、自分は彼にとって無用の長物となる日が来るだろうと思っていた。その時は、寂しくはあっても、彼の選択を受け入れ、祝福しようと思っていた。今も、そうありたいと思っている。けれど、正直自信はない。自分の本心が見えてしまった今となっては。
     けれど、その未来はきっとまだ遠い先の話で。後のことは、その時に考えればいい。先延ばしでしかない思考で、胸の痛みに蓋をする。それまではまだ、彼の傍を望んでも許されるだろう。許されていると、思いたい。
    「――聆牙」
     突然、鼓膜を擽った己のに、内心驚きながらも「ん?」と言葉を促すように相槌を打つ。
    「……俺は、お前を手放すつもりはない」
    「わぁお。……浪ちゃんってば、突然そんな熱烈宣言してくれちゃうなんて、どうしちゃったの??」
    「…………」
     思わぬ言葉にうっかり反射で茶化すような応答をしてしまったせいで、背中に回った指先がぎゅうぎゅうと衣服越しに抓ってきた。これが中々地味に痛い。
     ぱしぱしと降伏を宣言するように巫謠の背中を叩いて謝れば、渋々といった様子で手が離れる。当然というべきか、先程まで背中を撫でてくれていた優しい甘やかしも終了してしまい、ちょっと名残惜しいやら悲しいやら。自業自得、正にその通り。
    「……置いていくつもりはないが、絶対とは言い切れない」
     神妙な声が続きを伝える。
     この世に絶対なんてものはない。だから、人は努力するし、最善や最良を掴み取れるように足掻くのだ。そうやって、『今』の裂魔弦もまた存在している。
    「もし、この先また・・お前を置き去りにするようなことがあったとしても、」
     そっと身体を離される。改めて向き合った巫謠の顔には、黒い角も、赤い紋様も見えない。それは彼の中の魔性が消え去ったということではない。状況次第で、彼の血に宿る魔は簡単に息を吹き返すだろう。それでも、今こうして向き合う巫謠の瞳は、澄んだ翡翠の色だけを湛えていて、似合わない血の色を滲ませることはない。真っ直ぐに射抜いてくるその眼差しを受け止めながら、彼の言葉を待った。
    「俺は、お前の元に戻れるよう、力を尽くす」
     だから、
    「その時はお前も、その足で、探してほしい」
     もう言葉を繰るだけの器物ではないのだから。手足を得て出来るようになったこと、其処に伴う代償、それらを後悔することなく肯定するのなら。
     無意識に手を伸ばす。白い指先を包み込むように、その手をひとつ握る。黒く冷たい肌の感触はない。あるのはほのかな温もり。今此処に、目の前に、生きている『人』の温度。
    「探して、いいの?」
     追いかけていいのか。この先もけっして容易くはないだろう彼の道行きを、これからも共に進み続けたいと望んでいいのか。それを許されていると、自惚れていいのか。
     少しだけ呆れたように笑った巫謠が、握り込まれた手の上から、もうひとつ、手を重ねる。
    「――そう言っている」
     言葉を嫌う彼が、それでも言葉で以て伝えてくれる。
     胸があたたかくなる。人が『心』と呼ぶものが、火を灯したように熱い。そうだ、それはいつだって彼が与えてくれるもの。
     彼の魔性が、声が、言霊が、この心の起源。それを肯定されるのなら、この先も燃え続けていられるようにが焚べられるというのなら、もう迷うことはない。
     受け止めて、胸の奥に溢れかえる衝動のままに、聆牙裂魔弦はもう一度、最愛の相棒を抱き締めた。


     人のような肉体を得たことで、疲れを覚え、眠ることを覚え、夢を見ることを知った。それがこの上なく残酷な悪夢であったとして、やはり悔やむことはないだろう。
     悪夢から覚めた先には、こんな風に幸いな現実が待っていることを、聆牙/裂魔弦はもっと以前から知っていたのだから。
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