A Felicidade 「おい!おい真島!起きろ!!」
「ん…なんや柏木さん……」
身体を揺すられ、耳元で大声を出され、やっと真島は渋々と目を開けた。
「いま西田から、お前がそろそろ出なきゃいけねぇのに連絡がつかねぇと電話かかってきたんだよ」
「は……?あ!せやった!!」
普段は昼過ぎに新横浜駅を出れば問題ないのだが、今回は午後一で重要な会議があったのだ。
「俺もいつも通りだと思ってたからよ…」
「や、柏木さん悪くな……あー!あかん!!」
真島が壁の時計を見て叫んだ。
「うわ、お前まさか時間過ぎてたとかねぇよな」
「ちゃう、発車まで50分もない!」
「一本遅くとかできねぇのか?またはオンラインで出るとかよ」
「ギリギリ取ってしもたし、やっぱ直接顔出さなあかんし……すまん!柏木さん!」
真島は、ベットの上で正座しパンッと手を合わせ深くお辞儀している。
柏木は、真島が組を解散して建設会社を立ち上げた時、キャバレーで支配人をしていたという時を思い出し、彼本来の生真面目さに改めて感心した。せめて幹部会でもこのカタギの真摯さを出してくれれば……
「仕方ねぇ。駅まで車出してやるから、さっさと準備しろ」
「恩に着る!!」
すぐに真島と柏木はそれぞれの支度に取り掛かった。
「準備できたで!資料も持ったし多分忘れもんはないはずや」
そう言って真島が玄関のドアの方に向こうとすると、突然顎を捉えられ一瞬唇に柔らかい感触を覚える。
「ちょ、ちょ柏木さん…もっかいやって!」
「遅れるぞ、早く出ろ」
「やー!ケチんぼ!!」
柏木は、半分押し込むようにして真島を車に乗せると新横浜駅へ車を走らせた。
「やっぱり折角柏木さんが作ってくれた朝ご飯食いそびれたのが無念や……せや!代わりにもう一回いってらっしゃいのチューしてくれ!」
「……」
「だんまりかい!」
カーステレオから流れるボサノバに乗せ、たわいもない会話をしている内に、車は駅のロータリーに着いた。
「何とか間に合いそうや。本当ありがとな、柏木さん」
「良かったな。あと、これ持ってけ」
真島が車を降りようとすると、柏木が紙袋を突き出してきた。
「何やこれ」
「お前の分の朝飯。珈琲は苦くなっちまうから入れてねぇ…飲みたかったら途中で買ってくれ」
「お、あ、おおきに!すまんな、柏木さん……」
「ほら、早くいけ。気をつけてな」
「ああ。柏木さんもな……また来るわ!ほな!」
バタンと車のドアが閉められる。柏木は車内から隻眼の男が雑踏に消えるのを見送った。
無事予定通りの新幹線に乗車できた真島は、柏木と西田にメッセージを送る。喫煙所で一服してから席に戻ると、丁度まわってきた車内販売で珈琲を買った。
柏木がくれた紙袋を覗くと使い捨てのフードボックスと小さなボトルが入っていた。ボックスを開けるとサンドウィッチとフルーツが詰められていた。
サンドウィッチは、スクランブルエッグと刻んだハム、レタスが満遍なく狐色に焼かれたパンに挟まっている。食べやすいようにか綺麗に四等分され、フィルムで巻かれていた。
また、これ何やろ…とボトルの蓋を開けると爽やかな甘い香りがした。
リンゴジュースや!
キャッと顔が輝く。短時間でよくここまで気が回せるな、あの仏頂面で。と真島は感心した。
真島を見送った後、柏木が家に戻ると伽藍とした部屋に寂しさを覚え……る間もないくらい荒れ放題の室内に思わず笑いが溢れる。
まず、シーツを引っぺがし、まろび出てきた真島のボクサーパンツは軽く手洗いしてから全部洗濯機に突っ込んだ。部屋に戻ると埃がたったのか、くしゃみがひとつ出る。それから、まるで天地がひっくり返ったようなキッチンの片付けに取り掛かった。
その後、洗濯物を干しながら柏木はふと昨晩のことを思い返す。次に真島が大阪に戻る日は手加減してやらねぇとな…と一人反省するのであった。