ハニートラップ シティ繁華街を出ると、僕はアカデミアへと続く通りへ向かった。最近は繁華街にばかり向かっていたから、久しぶりに顔をだしておこうと思ったのだ。僕はアカデミアの学生ではないが、向こうには知り合いが何人かいる。日々の雑談をするついでに、デュエルに誘おうかと思っていた。
正門の近くに辿り着くと、制服を着た若者たちの姿が見えてくる。初等部や中等部の子供たちが、帰りの時間を迎えたのだろう。楽しそうに肩を並べては、それぞれの家路へと歩いていく。その中に知り合いの姿を見かけて、僕は彼らの方へと近づいた。向こうも僕に気がついたようで、嬉しそうに手を振ってくれる。
「あ、○○○。久しぶり!」
大きな声で名前を呼ぶと、彼は僕の方へと駆けてきた。グループから離れる前に、友達に断りを入れるのも忘れない。彼はアカデミア中等部の生徒で、大会をきっかけに知り合ったのだ。真っ直ぐな性格をしていて、僕を慕ってくれている。
「久しぶり。元気にしてた?」
挨拶を返すと、彼は嬉しそうに顔を上げる。いつも元気なその姿は、どこか龍亞を彷彿とさせた。尻尾を振る子犬のような無邪気さに、思わず口元が緩んでしまう。
「元気だよ。○○○が出てた大会も、全部チェックしてたんだ。次々に優勝しちゃうなんて、本当にすごいなぁ」
感動を噛み締めるように言われて、僕は少し恥ずかしくなってしまう。大会の記録まで調べられてたなんて、意識すると恥ずかしい。いつかプロデュエリストになったら、こういうことが当たり前になるのだろうか。何だか信じられない話だった。
「ありがとう。面と向かって言われると、ちょっと恥ずかしいな」
「どうして? 優勝なんてすごいことなのに」
彼の言葉に答えると、さらに無邪気な声が返ってくる。そのままの流れで、僕たちはお互いの近況を伝えあった。話が一段落すると、今度は腕に付けたデュエルディスクを示す。
「よかったら、僕とデュエルしない?」
「いいの?」
「いいよ。今日は、そのつもりで来たんだから」
傍らに少年を伴って、僕は大きめの通りへと向かっていく。頻繁にデュエルをしているから、この辺りの立地は把握していた。ソリッドビジョンを広げられそうなスペースに出ると、距離を取って彼と向かい合う。デッキをディスクにセットすると、機械がデュエル開始の合図を送った。
一進一退の攻防戦を繰り広げながら、僕たちはデュエルを進めていく。相手はまだ学生だから、デッキは普段とは別のものを選んでいた。使い慣れていないデッキを回すのは、中々に骨が折れる。相手のモンスターを見ようと顔を上げると、目を疑うような光景が飛び込んできた。
僕たちのいる大通りの隅を、見慣れた男の子が歩いていたのである。彼はアカデミアの制服に身を包んで、赤い髪を三つ編みにまとめていた。学生の変装をしているが、その姿はどう見てもルチアーノだ。そして、信じられないことに、傍らに女の子を連れていた。
「ねえ、○○○のターンだよ!」
男の子に声をかけられて、僕はようやくデュエルに意識を戻す。手札とフィールドを交互に見ると、繰り出す戦略を考えていった。しかし、意識の片隅には、ルチアーノらしき男の子の姿が浮かんでいる。どうしても気になってしまって、チラチラと視線を向けてしまった。
当たり前と言えば当たり前だが、そんな散漫な集中力では、最善の判断などできやしない。僕のフィールドはじりじりと追い詰められていって、気づいた時には逆転されていた。
正面からダイレクトアタックを喰らって、ライフポイントを一気に削り取られる。デュエルディスクが音を立てて、ソリッドビジョンが消えていった。勝利を修めた男の子が、嬉しそうに僕の方へと駆け寄る。デュエルディスクを畳むと、自慢げな表情で隣に並んだ。
「やったー! ○○○に勝っちゃった。みんなに自慢できるかな」
「負けちゃった。このデッキも、もうちょっと練習しないとな」
言葉を返しながらも、僕の視線はルチアーノの消えた方角へと向かっている。この通りを越えた先には、アカデミア生徒に人気な寄り道スポットがあったのだ。相手も制服を着ていたから、二人はそこに向かっているのかもしれない。一度意識してしまったら、気になって仕方なくなってしまった。
「じゃあ、僕はそろそろ行こうかな。またデュエルしようね」
半ば無理矢理話を切り上げると、僕は通りの先へと歩を進める。早足になりながら歩いていくと、小規模な商店街が見えてきた。僕が予想した通り、ぬいぐるみの並ぶ雑貨屋の前に、ルチアーノと女の子の姿があった。二人は仲良さげに寄り添いながら、なんと手まで繋いでいる。どこからどう見ても明らかなほどの、明確な浮気だった。
これは、声をかけた方がいいのだろうか。自分の最愛の恋人が、他の女の子と一緒に歩いているのだ。しっかり手まで繋いで、いかにも親しげなオーラを発している。その男の子が僕のものであることを、彼女に示した方がいいんじゃないだろうか。
でも、僕には確信が持てなかった。目の前に見えている光景は、本当に浮気なのだろうか。ルチアーノは人間に興味がないし、生涯に関係を持った相手も僕だけのはずである。任務のためのハニートラップと言われても、納得できてしまいそうだった。
──そこを動くな
通路の真ん中で迷っていると、僕の脳内に声が聞こえてきた。これまでに何度も聞いていた、ルチアーノの真面目な声である。驚いて彼に視線を向けるが、その視線は女の子に向いたままだった。僕が戸惑っていると、ルチアーノはさらに言葉を続ける。
──君が僕を見ていることは、とっくに気づいてるんだ。まさか今日に限って、アカデミアに来てるとはな。僕の行動を怪しんで、つけてきたとかじゃないよな?
怒っている時のような低い声で、ルチアーノは言葉を続ける。本能的な恐怖を感じて、人目を気にせずに首を振った。僕の姿が見えているのか、再びルチアーノの声が響く。
──いいか。絶対に近づいてくるなよ。僕は任務中なんだ。失敗は許されない。分かったら、とっととここから去りな。
一方的に捲し立てられ、僕はその場から引き返した。任務を妨害されたとなったら、彼は手に負えないほど怒るだろう。女の子のことは気になるが、機嫌を損ねてまで追いたい訳ではない。それに、はっきりと任務だと言っていたから、彼女との関係は本物ではないのだろう。
少しだけ釈然としない感情を抱えながらも、僕は家路へと歩を進める。目的であったはずのデュエルも、あんまりやる気が起きなかった。恋人が女の子にハニートラップを仕掛けているのだから、気になってしまうのは当然だ。こんな状態でデュエルをしたって、まともに戦える気がしない。
自宅のリビングに戻ってからも、僕はそわそわと身体を揺らしていた。テレビをつけたりカードの整理をして、落ち着かない時間を潰していく。あの女の子のことが気になって、やっぱり何も手につかなかった。
ルチアーノが帰ってきたのは、それから二時間ほど経った頃だった。ワープ装置を使ってリビングに現れると、真っ直ぐに僕に視線を向ける。僕がおかえりの挨拶を言う前に、彼は鋭い声で告げた。
「なんでアカデミアなんかに来てたんだよ。君は学生じゃないんだから、用事なんかないだろ」
明らかに不機嫌なことが分かる態度だった。そんな声で責められたら、無実でも気圧されてしまう。背筋が冷える感覚を味わいながら、僕は慌てて言葉を返した。
「それは、知り合いとデュエルをしたかったからだよ。アカデミアの知り合いに会うには、学校に来た方が確実でしょう?」
「そんな理由でアカデミアに来てたのか。僕はてっきり、僕を待ちぶせするためだと思ってたぜ。君は気の無い素振りをしてるけど、本心では束縛したいと思ってるみたいだからな」
僕が何を答えても、ルチアーノは鋭い言葉を返してくる。ここまで機嫌を損ねているのは、見られたことが不満だったからだろう。彼にとって、女の子との逢瀬は隠しておきたいことだったのだ。任務なら教えてくれても良かったのに、何だか裏切られたような気持ちになってしまう。
「じゃあ、ルチアーノはどうしてアカデミアにいたの? 女の子と手を繋いで、ずいぶん楽しそうだったよね。やましいことでもあったの?」
突きつけるように尋ねると、彼は頬を赤く染めた。瞳を鋭く吊り上げると、耳を貫くような大声で言い返す。
「何度言わせるんだよ! あれは、ただの任務だって言っただろ! 何を疑ってるんだよ!」
「だって、ルチアーノはそのことを隠してたよね。アカデミアに通ってたことも、女の子に近づいてたことも、僕には教えてくれなかった。それは、隠したい理由があったからなの?」
畳み掛けるように告げると、彼は悔しそうに唇を噛む。言葉に詰まっているのは、疚しいことがあるからだろうか。もしかして、本当に気があるのかと、ありもしないことを疑ってしまう。
「言わなかったことは、悪かったと思ってるよ。でも、今回の任務は、裏切り者を追うための大切な役目だったんだ。奴の娘に近づいて、情報を聞き出した上で人質に取る。大切な家族が危険に晒されたとなったら、奴らも黙っちゃいないだろう」
視線を下に逸らしながら、彼は小さな声で語った。相変わらず恐ろしいことを言っているが、いつものことだから気にしないようにする。大事なのは、彼がアカデミアへの潜入任務を隠していたことなのだ。
「大切な任務だったことは分かったよ。でも、教えてくれたってよかったでしょ。事前に教えてくれてたなら、僕はアカデミアには近づかなかったのに」
「言いたくなかったんだよ。僕が女に近づくと知ったら、君は気にするだろ」
「そうだけど……」
曖昧な返事をしてから、僕はしばらく口を閉じる。彼の口ぶりからすると、これは彼なりの気遣いだったのだろう。知っていたら気にしてしまうけど、教えてもらえないのは納得できない。人間の心というものは、常に面倒臭いのだ。
「ねえ、ルチアーノ」
気を取り直して口を開くと、彼は僅かに身体を震わせた。不貞を追及されるんじゃないかと、不安に思っているのだろう。少し身体を強ばらせながら、それでも強気な声で呟いた。
「なんだよ」
「もう、ハニートラップみたいなのはやめない?」
言葉を続けると、彼は一瞬だけホッとしたような顔を見せる。すぐに表情を引き締めると、はっきりした声で言った。
「それはできないよ。それが、僕の役目だから」
予想はしていたが、彼の意志は変えられないらしい。神の代行者として産み出された彼にとっては、神の命令こそが最優先事項なのだから。神がそれを望むなら、彼は僕の命だって奪うだろう。そんな残酷さを持っているのが、ルチアーノという男の子なのだから。
僕の視界に映るルチアーノの横顔は、どこか悲しそうでもあった。彼の中に生まれた感情が、植え付けられた忠誠心と相反しているのだろう。彼を苦しめないためには、僕が我慢するしかないのかもしれない。少し苦しいけど、ルチアーノの苦しみに比べたら大したことない。
「ごめんね。わがまま言っちゃって」
僕が呟くと、彼は黙って下を向く。僕はルチアーノを幸せにしたいのに、いつもこうして悲しませてしまうのだ。もっと上手に話せたら、こんなことにはならないのだろうか。彼の哀しそうな顔を見る度に、僕はそんなことを考えてしまう。
少し考えてから、僕はルチアーノに手を伸ばした。手のひらを重ねると、包み込むように握り締める。つい数時間ほど前まで、女の子と繋がれていた手だ。彼女の存在を上書きするように、自分の手の温もりを重ねる。
どんなカップルにだって、衝突することはあるのだ。抱えているものが多ければ多いほど、その衝突は多くなる。でも、ぶつかればぶつかるほど、二人の絆は強まるのだろう。それが、恋人同士というものなのだから。
何かを考えているのか、ルチアーノは何も語らない。それでも、僕の心は落ち着いていた。もう、彼を疑ったりもしていないし、咎めようとも思わない。彼の気持ちが本物であることは、ちゃんと伝わったのだから。