秘密 今日の繁華街は、いつもと様子が違っていた。平日の昼間だというのに、大通りが人で溢れているのだ。歩道は人ですし詰めになっていて、前進するだけでやっとな状態だ。なんとか広場へと出ると、僕はルチアーノに声をかける。
「今日は、平日なのに人が多いね。何かあったのかな?」
通りを眺める僕を見て、ルチアーノは小さく溜め息をついた。僕が的外れなことを言った時の、呆れたような響きの声である。不思議に思って視線を向けると、彼は仏頂面のまま言った。
「当たり前だろ。今週から、シティの子供は夏休みなんだから」
「あっ……!」
彼の言葉を聞いたことで、ようやく僕も思い出す。小・中学校の夏休みは、七月の下旬から始まるのだ。学校にもよるだろうけど、高校もほとんど同じだろう。よく見ると、町を行き交う人影の何割かは、子供や親子連れだった。
「なんだよ。忘れてたのか? 少し前まで、君も学生だったんだろ」
日陰に身を潜めながら、ルチアーノが呆れたように呟く。そんなことを言われても、僕にとっては遠い昔の記憶だった。僕が学校に行かなくなってから、今年で三年目の夏を迎えている。人間の習慣というものは、思ったよりも早く変わってしまうのだ。
「少し前って言っても、もう三年になるんだよ。そんなに前のことまで覚えてないって」
僕が答えると、ルチアーノは呆れたように息を吐く。僕と同じように通りを見つめると、ため息交じりの声を出した。
「まさか、本気で忘れてたとはな。道理で、人混みに飛び込んでいくわけだ」
そこまで言われたら、僕には何も反論ができなかった。木陰のベンチに座りながら、シャツを揺らして身体に風を送る。人混みに揉まれ続けたから、全身が疲労でくたくただ。デュエルの練習に向かう前に、ここで少し休みたかった。
特に目的も無いままに、僕たちは目の前の大通りを眺める。こんなに熱くて人間だらけなのに、人々は臆することなく歩いていた。華麗に人混みをすり抜けると、横断歩道を渡って通りの奥へと消えていく。中には、キャリーケースを転がしていたり、大きなショッピングバッグを持っている人もいた。
誰もが真っ直ぐに前を見ながら、それぞれの目的地を目指していく。外はこんなにも暑いのに、町を行く人々は元気なものだ。僕は人混みに弱いから、通りを抜けただけでこの有り様である。そんなことを考えていると、視界の端で何かが揺れた。
車道を挟んだ向こう側で、誰かが手を振っている。視界を横切る人々に阻まれて、その姿はよく見えなかった。周囲の人々から推測すると、その人の身長はルチアーノと同じくらいだろう。隣には、同じような格好をした人影が並んでいた。
一度手を下ろすと、その人は隣の人影に話しかける。しばらく言葉を交わした後に、再びこちらに向かって手を振った。広場に集まっている人の中に、彼らの知り合いでもいるのだろうか。そんなことを思っていると、今度はこちらへと近づいてくる。
横断歩道を渡りきった辺りで、ようやく僕も気がついた。手を振っていた人影は、私服姿の龍亞と龍可だったのだ。隣に視線を向けると、ルチアーノは嫌そうに目を細めている。僕たちの前に来ると、龍亞は元気に声をかけてきた。
「○○○、ルチアーノ、ここで何してるの?」
隣では、龍可が静かに微笑んでいる。こうして二人が並んでいると、龍可の方が歳上みたいだ。二人への顔を順番に見上げると、僕は包み隠さずに答える。
「今日は、ルチアーノとデュエルをしに来たんだ。午後からも、別のところで対戦する予定があるんだよ」
明け透けに語る僕を見て、ルチアーノは慌てたように服の裾を引っ張る。顔をこちらに近づけると、不満そうな声で囁いた。
「おい。何バラしてるんだよ」
「いいでしょ。減るもんじゃないんだから」
視線を向けながら答えると、ルチアーノはあからさまに顔をしかめた。そんなやり取りなど気にもせずに、龍亞は弾んだ声を発する。
「タッグデュエルかぁ。いいなぁ」
「タッグデュエルなら、私たちもやってたでしょう」
彼の言葉を補足するのは、妹である龍可の役目だ。嗜めるような言葉だったが、その声色は尖ってはいなかった。正面から顔を見合わせると、龍亞は羨ましそうに言葉を続ける。
「そうだけど、○○○とデュエルすることって、そんなにないでしょ」
「もう、わがままなんだから」
目の前で繰り広げられるやり取りは、どこか僕とルチアーノに似ている気がした。微笑ましく思いながらも、話の流れを戻すように質問を重ねる。
「二人も、今日はデュエルをしに来たの?」
横から声が飛んできて、二人は一斉にこちらに視線を戻す。僕に向かって微笑みかけると、龍可が柔らかい声で説明した。
「夏休みだから、ポッポタイムに遊びに行ってたの。遊星が修理の仕事に出かけたから、私たちも町に出てきたのよ」
「オレたちは、遊星にデュエルしてもらったんだ。あとちょっとだったんだけど、ギリギリで勝てなくてさ」
「私も、デッキを見てもらったの」
楽しい思い出を語るように、二人は次々と言葉を重ねる。遊星の名が聞こえる度に、隣から冷えきった空気が漂ってきた。ルチアーノの所属する組織は、シグナーのことを敵視しているのだ。そのリーダーでもある遊星は、彼らの一番の天敵なのだろう。
「そうだったんだね。楽しそうだなぁ」
遊星の話を終わらせるように、僕は横から言葉をかける。喧嘩を防ぐためとはいえ、さっきから話を遮ってばかりだ。どこかでボロを出す前に、移動した方がいいだろう。
「ごめん。そろそろ、僕たちは次の場所に行かなくちゃ。また今度話そうね」
僕が席を立とうとすると、龍亞は僕の前に身を乗り出す。光に満ちた瞳で僕を見ると、弾んだ声で尋ねてきた。
「ねえ、そのデュエル、オレたちもついてっていい?」
「はあ?」
声を発したのは、僕の隣に座っていたルチアーノだ。関わらないつもりでいたのだろうが、ついに堪忍袋の緒が切れたのだろう。立ち上がって龍亞を睨み付けると、威圧するような声で言葉を吐く。
「どうして、僕が君たちを連れていかないといけないんだ。これは、僕たちが取り付けた約束だぞ」
目の前に迫ってくるルチアーノの姿を、彼はちらりと一瞥する。再び僕に視線を戻すと、今度は甘えるような声を発した。
「オレは、○○○に聞いてるんだよ。ねえ、いいでしょ」
そんな声でねだられたら、僕は答えに困ってしまう。二人と会うのは久しぶりだから、何とかして願いを叶えてあげたかった。でも、これを了承したら、ルチアーノは嫌がるだろう。すっかり困りきって、僕はしどろもどろになってしまう。
「えっと……」
「もう、○○○とルチアーノくんが困ってるわよ」
僕に助け船を出したのは、一部始終を見ていた龍可だった。彼女は彼女で、話の行方を窺っていたのだろう。止めに入る妹に向き直ると、龍亞は勢いよく反論する。
「だって、○○○のデュエルなんだよ。絶対に勉強になるだろ」
「○○○は、約束してるデュエルって言ってたでしょう。飛び入り参加なんかしたら、相手の邪魔になるわ」
二人の話を聞きながら、僕は頭を悩ませていた。敵対組織のメンバーである以前に、彼らはデュエルの好きな子供なのだ。前向きな学習の機会になるなら、どうにかして連れていってあげたい。しばらく悩んだ末に、僕はようやく返事をした。
「デュエルに加わることは難しいけど、見学ならできると思うよ」
「いいの? やったー!」
僕の言葉を聞いて、龍亞は嬉しそうに笑顔を浮かべる。それとは対称的に、ルチアーノは冷たい表情を浮かべていた。僕の服を引っ張って顔を向けさせると、冷えきった声で威圧してくる。
「なんだよ、それ。今日は、僕たち二人だけの約束だっただろ?」
「たまには、四人で遊ぶのもいいと思うんだ。二人っきりのお出かけは、今度してあげるから」
何とか説得しようとするが、彼は鋭い瞳で睨み付けてくる。恐怖に身体を震わせていると、彼は不意に笑みを浮かべた。
「ふーん。じゃあ、僕にも考えがあるよ。……今度から、君がスイーツを食べたくなったときに、一緒に行ってやらないからな」
にやにやと笑みを浮かべたまま、彼は堂々と宣言する。後半だけ声が大きくなっていたのは、近くにいる二人に聞かせるためだろう。人の知られたくないことを喋るなんて、意地悪な作戦だ。
「ちょっと、ルチアーノ……」
慌てて止めようとするが、既に手遅れだった。龍亞と龍可には、しっかり彼の声が聞こえていたようである。龍亞は不思議そうな表情をしていて、龍可は微笑ましげに僕たちを見ていた。
「○○○は、ルチアーノとおやつを食べに行ってるの?」
「仲良しなのね」
「違うんだって……!」
なんとか反論しようとするが、ルチアーノは許してはくれない。僕の言葉を封じるように、強い口調で言葉を続ける。
「嘘は言ってないだろ。君は、クレーンゲームでほしいぬいぐるみがあったときも、僕に頼み込んで来るもんな」
「ちょっと待ってよ。ねえ……」
「怖いテレビを見た時に、泊まってやるのもやめようかな。君は怖がりだから、震えながら夜を過ごすことになるよな」
次々に秘密をバラされ、僕は顔が真っ赤に染まってしまう。ルチアーノはと言えば、勝ち誇った表情で僕を見ていた。彼の言葉を止めるには、同行の許可を取り消すしかない。身体の前で手を合わせると、僕は龍亞と龍可に伝える。
「ごめん。やっぱりデュエルに連れていくことはできないよ。ルチアーノとの約束だから」
僕の言葉を聞くと、ルチアーノはようやく口を閉じる。秘密のマシンガンが止まったことで、僕はようやく息をついた。目の前では、龍亞が落胆したように肩を落としている。
「えー。デュエル、見たかったな」
「しょうがないわよ。元々、二人だけの約束だったんだから」
再び丁重に謝ってから、僕たちは広場から足を踏み出す。龍亞と龍可は、僕たちとは反対の方向に歩いていった。彼らの姿が見えなくなったことを見届けてから、僕はルチアーノに抗議する。
「もう、なんで急にあんなことを言うの? びっくりしたでしょ」
「そんなの、君が約束を破ろうとしたからに決まってるだろ」
きっぱりと言い返されて、僕は言葉に詰まってしまった。元はと言えば、僕が彼の機嫌を損ねたのだ。おとなしく謝ることしかできなかった。
「それは、ごめん」
「分かったならいいんだよ。…………ほら、行くぞ」
突き放すような声で言いながらも、彼は僕の手を掴んでくる。こうして手を繋いでおかないと、人混みではぐれてしまうからだ。手のひらの淡い温もりを、僕の手のひらで包み返す。少し腕を伸ばした状態で、僕たちは次の目的地を目指した。