夜の公園 スタジアムの外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。町の灯りがキラキラと煌めき、空に浮かぶ星を掻き消している。もうすっかり夜なのだが、繁華街は人と灯りで溢れている。僕は田舎町から引っ越してきたから、この賑やかさにはまだ不慣れだった。
繁華街を少し進むと、僕は斜め後ろを振り返った。僕から少し離れたところを歩いているのは、赤い髪を靡かせた男の子だ。流れていく人込みを避けながら、不安そうに周囲を眺めている。距離が縮まるまで足を止めると、僕は彼に声をかけた。
「ルチアーノ」
声の近さに驚いたのか、彼は静かに視線を向けた。眉を吊り上げると、わざとらしく凛々しい表情を作る。以前から薄々感じていたが、彼は夜というものが苦手らしい。一緒に過ごす時間が増えれば増えるほど、その兆候は明らかになっていた。
「なんだよ」
「せっかくだから、星を見ていこうよ」
そんな彼に対して、僕は夜というものが好きだった。星空と街灯の混ざり合う煌めきに、神秘的な気配を感じるのである。まだ子供だった頃の僕は、車から見る夜の町並みに憧れていた。そんな僕の憧れを、ルチアーノにも知ってほしかったのだ。
「…………分かったよ。少しだけなら付き合ってやる」
少し間を開けた後に、彼は小さな声で答えた。明らかに乗り気でないことの分かる、興味の無さそうな声色だった。彼の機嫌を損ねないためには、手短に済ませた方がいいだろう。先導するように視線を向けると、僕は繁華街を歩き出した。
街を埋め尽くす人込みを通り抜けると、細い路地裏に入っていく。人通りの少ない道を進んでいくと、小さな公園が姿を表した。何もないグラウンドの中に、ブランコがひとつだけ置かれている。開きっぱなしの門の中へと入ると、ルチアーノも後をついてきた。
園内を横切ると、ブランコの片方に腰を下ろす。ズボンに砂がつく感触がしたが、僕は気にも留めなかった。ルチアーノは少し気になるのか、台を逆さにして砂を払っている。大地を蹴って宙へと漕ぎ出すと、僕は真っ直ぐに空を見上げた。
路地裏から見る星空は、繁華街から見上げるよりも綺麗だった。無数に煌めくカラフルな点が、暗い空を埋め尽くしている。今日は雲ひとつない晴天だから、星空を遮るものは何ひとつない。ブランコに揺られながら風を感じていると、世界に自分たちしかいないような気分になった。
「綺麗だね」
小さな声で呟いてから、僕はルチアーノに視線を向ける。空を見上げる少年の横顔が、月明かりに照らされて浮かび上がっていた。視界に映る光景を見て、僕は心臓が止まりそうになる。隣で揺れているルチアーノは、これまでに見たことの無い表情をしていた。
彼は、涙を流しているように見えた。片方だけ晒された緑の瞳が、月明かりに反射して煌めいている。そこにいつものような狂気は無く、深い悲しみが湛えられていた。その寂しげな横顔を見たら、僕は心臓が強く締め付けられてしまう。
この感情は、一体なんなのだろう。彼の表情の移り変わりを見ていると、僕の心臓は跳ねたり沈んだりするのだ。美貌に心臓がドキドキすることもあれば、悲しげな表情に胸が締め付けられることもある。胸を満たす感情の正体を、僕は言葉にすることができなかった。
横顔を眺めたまま固まっていると、彼はこちらに視線を向けた。さっきまでの悲しみが嘘のように、尖った表情を浮かべている。不満そうに鋭い視線を向けると、彼は湿った声で言った。
「なんだよ」
「いや、なんでもないよ」
鋭い声で問い詰められて、僕は言葉を濁してしまう。悲しげな横顔に見惚れていただなんて、口にできるわけがなかったのだ。彼はプライドが高いのだから、そんなことを言ったら嫌がるだろう。僕たちの曖昧な関係は、簡単に壊れてしまうかもしれない。
慌てて視線を逸らすと、僕は再び星空を見上げた。視界に広がる煌めきは、さっきまでと何も変わらなかった。満天の星に見つめられながら、僕は思考を巡らせる。やっぱり考えてしまうのは、隣に座る男の子のことだった。
僕は、ルチアーノのことが好きなのかもしれない。この、何かを抱えて生きている男の子に、言い様の無い魅力を感じている。普段から見せる狂気的な笑顔にも、たまに見せる僅かな陰りにも、僕は心の底から魅了されてしまうのだ。その感情の正体が何であるのかは、今の僕にはまだ分からなかった。
いつか、僕は言葉にできる日が来るのだろうか。彼に対して抱えている感情の正体を、言葉で説明できる日が来るのだろうか。曖昧な感情を抱えたままでは、僕は正式なパートナーにはなれない。当のルチアーノだって、僕の感情の変化は分かっているのだろうから。
この感情が言葉なった日には、僕はルチアーノに想いを告げるつもりだ。抱えている感情を口にして、正式なパートナーになる。そうなったら、僕は彼の心の隙間を、少しでも埋めることができるのだろうか。
しばらく思案を巡らせてから、僕はそっとブランコを止めた。大地に足をつけると、膝に力を入れて立ち上がる。何歩か足を進めてから、斜め後ろを振り返った。僕と同じように、ルチアーノもブランコを降りている。月明かりに照らされる横顔に、さっきのような寂しげな影は降りていなかった。視線が合ったことを確認すると、僕は彼に声をかける。
「そろそろ、帰ろうか」
彼が追い付くのを待ってから、僕は公園の外へと歩を進める。歩いてきた道を戻ると、見慣れた繁華街の光景が見えた。夜も更けて通行人の層が変わったのか、さっきよりも賑やかな声が聞こえている。治安維持局の近くに辿り着くと、僕はルチアーノに向き直った。
「今日は、遅くまでありがとう。また遊ぼうね」
「……約束だからな」
小さな声で答えると、彼は夜の闇へと消えていく。その後ろ姿は、いつもとは少し違うように思えた。心残りを感じながらも、僕は自分の家へと歩を進める。一人で歩く繁華街の光景も、いつの間にか寂しく感じるようになってしまった。
いつか、ルチアーノと一緒に帰れたらいい。一緒に家に帰って、一緒の時間を過ごせたらいい。二人で過ごせるようになったら、夜の闇も寂しくはないだろう。そんな夢みたいなことを、僕は考えてしまうのだ。