ラジオ体操 微睡みの中で、お腹に何かが乗る感触がした。少し遅れてから、右の頬をつんつんとつつかれる。現実に引き戻されそうになる意識を、僕は必死で眠りの世界へと呼び戻した。手探りで布団を掴むと、顔まで引き上げようとする。
抵抗する僕を押さえつけるように、小さな手が僕の手首を掴んだ。小さく唸り声を上げて抵抗するると、今度は右頬に衝撃を感じる。起きない僕にしびれを切らして、ルチアーノが実力行使に移ったのだろう。さすがに狸寝入りはできなくて、僕は渋々目を開けた。
「おはよう、○○○。今日も寝坊助だな」
お腹の上に座るルチアーノが、きひひと甲高い声を上げる。楽しそうな彼とは対称的に、僕は寝起きでぼんやりしていた。鳥のように首を動かして、枕元に置かれた時計を見る。デジタル表示の文字盤は、『07:35』と表示されていた。
「まだ七時だよ。世間は夏休みなんだから、もうちょっと寝てもいいでしょ」
ふわつく意識で言葉を吐くと、僕は布団をずり上げようとする。しかし、ルチアーノの体重に固定された布団は、引っ張ったくらいではびくともしなかった。そうこうしているうちに、彼は僕の腕を捻り上げる。もう一度頬をつつくと、彼は呆れた声で言った。
「何言ってるんだよ。君は夏休みどころか、平日もずっと寝てるだろ。いいから、とっとと起きな」
ここまでされたら、大人しく布団から出るしかない。重い瞼を擦ると、僕は布団の外へと這い出した。昨日は日付が変わってから眠ったから、頭はふわふしている。デュエルに引っ張りだされたとしても、ちゃんと動けるか分からなかった。
「そうかもしれないけど、朝はゆっくり寝たいんだよ。ほら、寝る子は育つって言うでしょ」
「君の場合は、夜遅くまで起きてるから起きれないだけだろ。不摂生は成長を止めるんだぜ」
「でも、背はちゃんと伸びたよ」
中身の無い会話を終えると、僕は洗面所に向かった。寝ぼけた顔を冷水で覚まして、外出用の練習着に着替える。手早く食事を済ませると、リビングでルチアーノが待ち構えていた。
「支度、終わったよ」
「やっとかよ。待ちくたびれたぜ」
声をかけると、彼は大きくため息をついた。僕の目前に歩み寄ると、手を握ってワープ装置を起動する。光の粒子が煌めく部屋の中で、ルチアーノが何かを囁いた。
「全く、毎朝毎朝、手間かけさせやがって。それなら、僕にも考えがあるぞ」
何かを含むような言葉に、僕は嫌な予感を感じてしまう。真意を尋ね返そうと口を開くが、僕の身体は時空の渦に巻き込まれてしまった。
その謎が解けたのは、夜になってからだった。入浴を終えてベッドの上に座っていると、ルチアーノが近づいてきたのだ。にやにやと口元を歪めながら、僕の様子を窺っている。何かを企んでいるなと思っていると、不意にこんなことを言われた。
「明日からは、六時半に起きてもらうからな」
「えっ?」
突然の言葉に、僕はルチアーノの顔を見つめる。反応に満足したのか、彼がにやりと口角を上げた。手元に用意した端末を操作すると、僕の方へと差し出してくる。そこには、こんなことが書いてあった。
『夏休み恒例 ラジオ体操』
「えっ?」
彼には似合わない単語に、僕はまた変な声を上げてしまう。反応を窺っていたルチアーノが、きひひと楽しそうな声を上げた。いかにもからかうような表情を見せると、楽しそうに語り始める。
「明日から、僕たちはこれに参加するんだ。毎朝七時から始まって、一回出席したらスタンプがもらえる。一週間分全部集めたら、特典のカードパックがもらえるんだよ。君の分もエントリーしておいたから、安心してついてきな」
「待ってよ。それって、子供向けのイベントでしょう? 僕が参加できるの?」
矢継ぎ早に語られるが、僕には理解ができなかった。彼が見せている端末のページは、どう見ても子供向けボランティア団体の手づくりページだ。参加要項も小・中学生になっているし、僕が参加するようなものではない。そもそも、そんなところに大人が足を踏み入れたら、不審者として捕まってしまうだろう。
しかし、ルチアーノにとっては、このような質問など予想の範囲内だったらしい。にやにやと笑みを浮かべながら、ページの一部を拡大する。小さく記されている文言を示すと、自信満々な態度で言った。
「安心しな。このイベントには、保護者の同伴が認められてるんだ。僕の保護者という体で登録すれば、君も参加できるんだぜ」
次々と理屈を並べられるが、そういう問題ではなかったのだ。許可を取らずにエントリーするのは、人間の常識から考えてもよろしくない。万が一用事があったら困ってしまうだろう。
「だからって、勝手にエントリーしたら困るんだよ。そもそも、僕は早起きが苦手なんだから」
必死の思いで反論すると、彼はにやりと口角を上げた。どうやら、僕の発言は、彼の思惑通りに発せられてるらしい。言質は取ったと言わんばかりに、僕の肩へと手をかける。
「だからだよ」
「え?」
「言葉の通りだよ。君が遅寝遅起きばかりするから、このイベントにエントリーしたんだ。早起きするきっかけができたら、君も健康になると思ってさ」
にやにやと笑いながら、ルチアーノは僕の肩を叩いた。いかにもいいことをしてやったと言うような、自信満々な笑顔である。反応に困って、呆れと困惑が混ざったような声になってしまった。
「ルチアーノ、そんなこと考えてたの?」
「当たり前だろ。君の健康を管理するのも、パートナーとしての僕の仕事だ。わざわざ時間を割いてやってるんだから、感謝しろよな」
一方的に語り終えると、彼はおもむろに立ち上がった。部屋の入り口まで歩いていくと、そこに取り付けられたスイッチを押す。パチンと音を立てながら、部屋の中は真っ暗になった。薄暗い部屋の中で、ルチアーノの歩いてくる音が聞こえる。僕のすぐ近くまで歩み寄ると、彼は諭すような声で言った。
「ほら、君も早く寝ろよ。明日は六時半起きだからな」
言いたいことだけ語ると、彼はベッドの中へと潜り込んでいく。一人で起きていても仕方ないから、僕も布団の中へと潜り込んだ。そんなに早くは眠れないと思ったが、目を閉じると眠気が襲いかかってきた。そういえば、今朝はルチアーノに起こされたから、中途半端な時間に目を覚ましていたのだ。
隣では、スリープモードに移行したルチアーノが、すやすやと寝息を立てている。背後に彼の温もりを感じながら、僕は眠りの世界に落ちていった。
翌朝も、前日と同じように起こされた。お腹の上に重みを感じて、頬をつんつんとつつかれたのだ。僕が起きることを渋っていると、今度は頬を手のひらで叩かれる。容赦のないビンタに耐えられなくなって、僕は渋々目を開けた。
枕元の時計に手を伸ばすと、デジタルの文字盤に視線を向ける。そこに表示されている文字列は、『06:24』という並びだった。
「まだ六時半だよ。起こしに来るには、ちょっと早いって」
寝惚けたままの僕が文句を言うと、ルチアーノはにやりと口角を上げた。僕のお腹から布団を引き剥がすと、自信満々な声色で告げる。
「早くないよ。今日から、ラジオ体操が始まるんだから。今から着替えて支度しないと、七時には間に合わないぜ」
彼に言われて、ようやく僕は思い出した。この男の子は、勝手にラジオ体操のイベントにエントリーしていたのである。とはいえ、僕は付き添いの扱いなのだから、わざわざついていく必要もない。日光から逃れるように身体を縮めると、真上のルチアーノに語りかける。
「なら、僕は欠席でいいよ。ルチアーノ一人で行ってきて」
何も考えずに言葉を絞り出すと、ベッドの上のルチアーノがケラケラと笑う。目を細めながら僕を見下ろすと、からかうように言葉を続けた。
「いいのか? イベントでの君の扱いは、僕の付き添いの保護者なんだぞ。子供は来てるのに保護者が寝坊するなんて、子供たちに笑われるかもな」
きひひと笑う声を聞いて、僕は少し考えてしまう。確かに、保護者の方が寝坊助だと知ったら、子供は僕をからかうだろう。町には知り合いも多いから、噂はすぐに広がる可能性がある。大人としての威厳を保つには、ここで起きるしかないだろう。
身体に力を入れると、僕は思いきって立ち上がった。寝ぼけながらも歩を進めると、引き出しから着替えを引っ張り出す。顔を洗って身嗜みを整えると、リビングで待っていたルチアーノを呼んだ。会場の公園はすぐ近くにあるから、徒歩でも十分はかからないだろう。
「用意はできたみたいだな。じゃあ、行こうか」
背後に僕を引き連れて、ルチアーノは上機嫌に玄関を開ける。音符のエフェクトが飛び交ってそうなその姿は、年相応の子供にしか見えなかった。僕をからかうためとはいえ、彼にこんな一面があったとは。少し意外に感じながらも、僕は彼の後に続いた。
公園の中には、たくさんの子供たちが集まっていた。まだ朝の七時だというのに、楽しそうに公園を駆け回っている。ざっと数えただけでも、二十人は越えているのではないだろうか。年齢も様々で、父親に手を引かれた小学生から、身体の大きな中学生までいた。
ルチアーノの後に続く形で、僕も公園の中へと足を踏み入れる。見知った顔の子供がこちらに視線を向けたけど、すぐに前を向いてしまった。ルチアーノは男の子たちと仲が悪いから、こうして避けられてしまうのだろう。
子供たちに指示を出しているのは、四十代くらいの男性だった。隣で時計に視線を向けているのも、同じくらいの年の女性である。女性が顔を上げると、男性が子供たちに声をかけた。
「では、そろそろ始めましょうか」
園内を走り回っていた子供たちが、一斉に中央へと集まってくる。男性がラジカセを操作すると、聞き慣れた音楽が流れてきた。一般的に普及しているものではあるものの、真面目にやるのは久しぶりである。周りの子供たちの様子を見ながら、動きを確認して手足を動かした。
ラジオ体操が終わると、子供たちは男性の周辺に列を作る。どうやらこの人が、参加賞のスタンプを押しているらしい。ルチアーノの手を引いて列に並ぶと、子供たちが立ち去るのを待った。
スタンプの配布はさくさくと進んで、あっという間に僕たちの番が来る。僕は付き添いということになっているから、ルチアーノが男性に声をかけた。カードを持っていないルチアーノを見て、男性はにこやかに笑いかける。
「参加するのは、今日が初めて?」
「はい」
ルチアーノが子供のような声で答えると、男性は下げていたポシェットからスタンプカードを取り出した。この手のカードのお約束のように、ひとつめのスタンプは既に押されている。屈んで目線を合わせると、男性はルチアーノにカードを手渡した。
「どうぞ。また来てくださいね」
「ありがとうございます」
スタンプカードを手にすると、彼はそそくさとその場から立ち去る。置いていかれないように、僕も駆け足で後を追った。子供たちの遊んでいる園内から出ると、来た道を通って家へと帰る。ラジオ体操をしただけだから、時間はあまり経ってはいない。
「早起きすると、朝が長いね。これからどうしようか」
「君のことだから、まずは飯を食うんだろ。それからは、シティでデュエルだな」
にこにこと上機嫌に笑いながら、ルチアーノは楽しそうに肩を揺らす。何がそんなに楽しいのかは、僕にはあまり分からなかった。まあ、彼が楽しそうにしてるなら、それに越したことはないのだ。笑みの浮かんだ横顔を眺めながら、僕は家路へと急いだのだった。
早起きすると、一日は格段に長くなる。朝食を終えて時計を見ても、まだ八時を過ぎたところだった。これから支度を整えて、朝の町へと繰り出すのだ。思えば、何も用事がない日に早起きしたのは、シティに越してきてから初めてな気がする。
デュエルの支度を整えると、僕たちは再び町へと出掛けた。公園の前を通ると、さっき集まっていた子供たちが駆け寄ってくる。彼らはルチアーノと少し距離を置くように、僕の周りを取り囲んだ。挨拶を済ませると、口々に声をかけてくる。
「○○○も、ラジオ体操に来てたんだね」
「そうだよ。ルチアーノの付き添いなんだ」
「毎日通ったら、カードパックが貰えるんだって。知ってた?」
「知ってるよ。楽しみだね」
「明日は、僕たちと一緒に行こうよ」
「ごめんね。誘ってもらえるのは嬉しいけど、ルチアーノと一緒に行く約束をしてるんだ」
次々に飛んでくる言葉に答えていると、ルチアーノが間に割り込んできた。機嫌を損ねているのか、眉が吊り上がっている。僕が子供たちと話していたことが、彼には気に入らなかったのだろう。
「ほら、喋ってないで、とっとと行くぞ」
思いっきり腕を引っ張られ、僕はバランスを崩してしまう。慌てて体勢を整えると、子供たちに向かって声をかける。
「ごめんね。また今度遊ぼう」
口々に上がってくる声が、僕の耳へと入り込んでくる。返事をする暇もないまま、僕は公園の前から引き剥がされてしまった。子供たちの声が聞こえなくなると、ルチアーノはようやく僕の手を話す。不満そうに鼻を鳴らすと、吐き捨てるようにこう言った。
「全く。君は、すぐに別のやつに気を取られるよな。君は僕のタッグパートナーなんだから、僕だけを見ていればいいんだよ」
フィクションでしか聞かないような言い回しに、僕は苦笑いを浮かべてしまう。無自覚にこんな発言をしてしまえるなんて、彼は恐ろしい男の子だ。機嫌を取るように手を握ると、繁華街へと歩を進める。
「ごめんね。声をかけられたから、放っておけなくて」
「優先するべき事項があるんだから、放っておいていいんだよ。先に約束したのは僕なんだぞ」
他愛の無い会話を交わしているうちに、僕たちは繁華街へとたどり着いた。時間帯が早いからか、まだ閉まっている店舗もいくつかある。僕は開店前の繁華街を見ることがほとんどないから、これは貴重な体験だ。ルチアーノに視線を向けると、感心を込めた声色で言う。
「この時間だと、お店も閉まってるんだね。いつもは全部開いてるから、なんか新鮮だな」
僕の反応を見て、ルチアーノは大きく息をついた。湿り気の帯びた視線を返すと、呆れを隠さない声で言う。
「君は、いつも昼からしか出掛けないもんな。シャッターを見て感心するなんて、どれだけ寝坊助なんだよ」
子供の姿をしたルチアーノに諭されたら、なんだか恥ずかしくなってしまった。朝から起こされていることといい、まるで僕の方が子供みたいだ。実際に僕の方が年下なのだけど、恥ずかしいものは恥ずかしい。
「デュエルコートは、八時から開いてるんだぜ。君は寝坊助だけど、世間のデュエリストは早起きなんだな」
からかうように言葉を吐きながら、ルチアーノは僕の手を引っ張る。早起きをしたからと言って、特別なことをするわけではないようだ。変なところに連れ込まれても困るから、僕もおとなしく後に続く。朝の朗らかな太陽が、そんな僕たちを見下ろしていた。
練習メニューが終わる頃には、僕の身体はふらふらになっていた。出掛けた時間が早かったから、いつもよりも練習量が多くなってしまったのである。まだ日は暮れていなかったが、これ以上は動けそうになかった。
「今日は、これくらいにしておいてやるよ。君は体力がないから、やりすぎると倒れちまうしな」
座り込む僕を見下ろすと、ルチアーノは楽しそうに笑う。機械の身体を持つ彼には、これくらいの練習など大したことないのだろう。仕方ないことだとは思うが、少し理不尽を感じてしまう。
「僕に体力が無いんじゃなくて、ルチアーノが元気すぎるんだよ。普通の人間は、一日中動いたら疲れるの」
ペットボトルの水を流し込みながら、僕は目の前の少年に言う。外は燃えるような暑さだから、身体はカイロのように暑くなっている。必死にシャツの裾を扇いで、身体に風を送り込んだ。
「それは、君がだらしないからだろ。プロデュエリストとして活躍してる人間たちは、これくらい簡単にこなしてるぜ」
「それは、プロデュエリストだからでしょ。一般人は、そんなに体力お化けじゃないの」
身体の火照りが冷えるのを待ってから、僕たちは家路へと歩を進める。食事を用意するのが面倒だったから、手軽な外食で済ませることにした。回転率の良さそうなラーメン屋へ向かうと、具材山盛りのラーメンを食べる。ルチアーノも何かを頼む必要があるから、サイドメニューのチャーハンを頼んでいた。疲れたと言いながらラーメンを掻き込んでいる僕を、ルチアーノは冷めた視線で見つめている。結局、彼が食べ残したチャーハンも、僕が片付けることになった。
家に帰ると、一気に眠気が襲ってきた。ソファに腰を下ろすと、僕はうとうとと船を漕ぎ始める。早起きして歩き回ったのだから、疲れていても当然だ。今にも眠りそうな様子の僕を見て、ルチアーノは呆れたようにため息をついた。
「おい。そんなところで寝るくらいなら、風呂に入ってベッドで寝ろよ。明日も朝は早いんだ。起きてこないと置いていくぞ」
ルチアーノに叩き起こされて、僕は渋々お風呂へと向かう。身体を洗って身支度を整えると、少し眠気は収まってくれた。部屋の明かりをつけてベッドの上に上がると、シーツの上にカードを広げる。お風呂から上がってきたルチアーノが、呆れたように僕の様子を見ていた。
「明日も、六時半起きだからな。とっとと寝ろよ」
「これが終わったらね」
カードの整頓を終えると、ルチアーノと一緒に布団の中に潜り込む。いつもならスキンシップを取るのだけれど、今日はそんな余裕などない。目を閉じると、すぐに眠りの世界へと落ちていった。
次の日も、僕は朝早くに起こされた。お腹の上に座ったルチアーノが、つんつんと頬をつついてくる。このままだと頬を叩かれるのは確実だったから、僕は急いで目を開く。こちらに視線を向けていたルチアーノが、退屈そうにため息をついた。
「なんだよ。やけにあっさり起きやがって。つまんねーの」
「だって、ルチアーノは起きなかったら叩くでしょ。そんなことされたら、誰だってすぐ起きるよ」
答えながらも、僕はベッドの上で身体を起こす。ルチアーノがお腹の上に乗っていたから、至近距離で顔を見合わせることになった。昨夜は早くに眠ったからか、昨日よりも頭がすっきりしている。ベッドから降りると、僕は手早く朝の支度をした。
同じように家を出ると、近所の公園へと向かっていく。こちらも昨日と同じように、子供たちが走り回っていた。僕の姿を見つけると、何人かが近くに駆け寄ってくる。隣に立っていたルチアーノが、あからさまに嫌そうな顔をした。
「○○○、おはよう」
「今日も来てるんだね」
周りを取り囲んだ子供たちが、挨拶の言葉を並べていく。彼ら一人一人の顔を眺めると、僕も笑いながら挨拶を返した。
「おはよう。もう来てるなんて、みんなは早いね」
「うん。せっかくみんなが集まるから、遊ぼうと思って」
「○○○も、ぼくたちと一緒に遊ばない?」
子供たちの誘いを聞いて、ルチアーノは不満そうに鼻を鳴らす。僕たちの間に割り込むと、不機嫌を隠さない声で言った。
「こいつは、僕とデュエルする約束をしてるんだ。悪いけど、君たちと遊んでいる暇は無いよ」
無理矢理僕の腕を掴むと、渾身の力で子供たちから引き剥がす。容赦のない攻撃に、僕は成す術もなく引きずられることになった。
「ごめんね。また遊ぼう」
大声で断りを入れながら、僕は公園の奥へと移動する。そんなことをしているうちに、中央から声が聞こえてきた。
「では、そろそろ始めましょうか」
男性がラジカセを操作すると、園内に軽快な音楽が流れ始める。横目で子供たちの動きを眺めながら、僕は身体を動かした。手足を前後に伸ばす度に、所々に筋肉痛を感じる。久しぶりのラジオ体操で、普段は使わない筋肉を動かしたのかもしれない。
音楽が終わると、子供たちは男性の元へと集まっていく。人の流れに置いていかれないように、僕もルチアーノの手を引いた。にこにこと笑みを浮かべた男性が、子供たちの持つカードにスタンプを押していく。あっという間に、僕たちの番がやって来た。
「お願いします」
一歩前に出てから、ルチアーノは男性に声をかける。にこやかな笑みを浮かべると、彼はルチアーノのスタンプカードを手に取った。
「来てくれてありがとね。明日も来てくれると嬉しいな」
慣れた手つきでスタンプを押すと、カードをルチアーノの方へと差し出す。少し恥ずかしそうにしながらも、彼はそのカードを受け取った。
「今日は、夕方から任務があるんだ。明日まで君の家には行かないから、夜更しせずにとっとと寝ろよ」
公園から出ると、彼は堂々とした態度で口を開いた。さっきまでのおとなしさが嘘のような、上から目線の態度である。これには、さすがの僕も呆れを感じてしまった。
「子供じゃないんだから、心配しなくても大丈夫だよ」
反論するように言い返すと、ルチアーノはにやりと口角を上げる。いかにもなからかいの態度だった。
「本当か? 君のことだから、ダラダラ夜更かしして寝坊するかもしれないだろ」
「そんなことないって」
他愛の無い会話を交わしながら、僕たちは家への道を歩いていく。不意にこちらを振り返ると、ルチアーノは再びにやりと笑った。
「まあ、夕方までは面倒を見てやるから、安心しな」
どうやら、彼はとことん僕をからかうつもりらしい。これには、僕も苦笑いを浮かべることしかできなかった。
翌日は、ルチアーノの来訪よりも先に目が覚めた。彼にからかわれるのが悔しかったから、早めに寝て早起きに備えたのである。布団の中で瞳を開くと、意味もなくごろごろと寝返りを打つ。そうして時間を潰している間に、廊下から足音が聞こえてきた。
布団の中で体勢を整えると、ゆっくりと上半身を起こす。部屋の中を覗き込んだルチアーノが、退屈そうに息を吐いた。
「なんだよ。起きてたのか」
「起きたよ。あんまり遅くまで寝てると、ルチアーノに叩かれるからね」
含みを持って言葉を告げると、ルチアーノは不満そうに唇を尖らせる。僕のすぐ近くまで歩み寄ると、片手で頬をつねってきた。
「なんだよ。そんな言い方じゃ、僕が暴力を振るったみたいじゃないか。君が寝坊しないように、優しく起こしてやっただけなのにさ」
「優しく起こしてくれるなら、ビンタなんてしてこないでしょ」
言葉を返しながらも、僕はベッドの上から降りた。タンスから着替えを取り出すと、手早く身支度を整える。今日は起こされる前に起きたから、だいぶ時間に余裕がある。おかげで、ルチアーノに急かされることもなかった。
「支度できたよ。まだちょっと早いけど、そろそろ行こうか」
ルチアーノに声をかけると、彼もおとなしくついてきてくれる。今までは早歩きで通った道を、ゆったりとした足取りで進んでいった。慣れてしまえば、早起きというものも悪くない。日が昇りきる前の時間帯だから、太陽の日差しもそこまで強くはないのだ。
公園に辿り着くと、奥の方へと歩いていく。先に集まっていた子供たちが、様子を窺うようにこちらへと視線を向けた。昨日のルチアーノとの会話があるからか、近づいてくるようなことはない。少し寂しくはあったが、ルチアーノの気持ちを優先することにした。
いつもと同じように体操を済ませると、列に並んでスタンプをもらう。ルチアーノもさすがに慣れたのか、もう恥ずかしがる様子もなかった。目的が達成されると、ルチアーノに引きずられるように家へと帰る。
そんな日々を一週間繰り返して、僕たちはスタンプを集めていった。ルチアーノは毎日僕を起こしに来たし、僕は自力で起きれたり、ルチアーノに起こしてもらったりした。子供たちはいつも元気で、朝早くから集まって走り回っている。僕も子供の頃はそうだったのだろうけど、ほとんど思い出せそうにない。
迎えた最終日は、自分の力で目を覚ました。スヌーズ機能の目覚ましをセットして、何度もアラームを鳴らしたのだ。しつこく鳴り響く音を止めると、二度寝する前に身体を起こす。身支度を整えると、待ち構えていたルチアーノと合流した。
「ついに、今日が最後だね。長かったような、短かったような感じがするな」
ルチアーノと一緒に歩道を進みながら、僕は何気なく呟いた。巻き込まれる形で始めたラジオ体操だが、終わると思うとどこか感慨深い。さりげなく呟くと、彼はくすくすと笑った。
「すっかり終わった気分だな。ラジオ体操は今月末までやってるから、いくらでも続けられるんだぜ。君がだらしない仕草を見せたら、いくらでも延長するからな」
「最初から一週間って約束だったんだから、延長はなしだよ。僕はついていかないからね」
公園の中に入ると、奥の方へと歩を進める。何度か誘いはしたものの、ルチアーノは子供たちに混ざることを嫌がったのだ。彼は大人を自認しているから、子供たちと同じにされるのは嫌なのだろう。僕も分かっていたから、無理強いはしなかった。
いつものように体操を終えると、スタンプ待ちの列に並ぶ。今日のスタンプを押してもらえば、カードの枠が埋まるのだ。実際にスタンプをもらうルチアーノよりも、僕の方がワクワクしてしまう。スタンプの貯まったカードを手に取ると、男性はにこやかに笑いかけた。
「七つ集まったね。これが今月の景品だよ」
男性が差し出したのは、デュエルモンスターズのカードパックだった。つい先日発売されたばかりの、最新弾のものである。子供の心を掴むもので、経費はそこまでかからない。ボランティア主催のイベントにはぴったりなアイテムだろう。
公園から出ると、ルチアーノはパックを差し出してきた。真っ直ぐに前を向いたまま、少し尖った声で言う。
「これは、君にプレゼントするよ。僕には不要なものだからね」
「いいの? ありがとう」
袋を受け取ると、僕はその場で口を開けた。中に入っているのは、平凡なカード五枚である。特別引きがいいわけでもないが、悪いわけでもないラインナップである。ざっと中身を確認すると、再び袋の中に戻した。
「これでラジオ体操は終わりだけど、明日からも早起きしろよ。寝坊助の習慣が戻ったら、また公園につれていくからな」
家へと続く道を歩きながら、ルチアーノが釘を刺すように語る。まるで、僕が再び遅起きに戻ることを見透かしたかのような言葉だった。まあ、僕は早起きが苦手なわけだし、あながち間違ってはないのだけれど。
「分かってるよ。六時半とまではいかなくても、それなりに早く起きるようにする。そうしないと、ルチアーノは心配するもんね」
からかうように言葉を返すと、彼は頬を赤く染めた。鋭い瞳で僕を睨むと、怒りに満ちた形相で答える。
「誰が、君の心配なんかするんだよ!」
そんなルチアーノの真上では、朝の太陽がキラキラと輝いていた。昇りつつある日差しが地上を照らし、気温を少しずつ上げている。こうして外を歩いているだけでも、身体にはじわじわと汗が滲んだ。それが夏の醍醐味なのだろうけど、僕には少し気分が悪い。
今日は、どこに行って何をしようか。早起きをしているから、時間は山ほど残っているのだ。こうしてルチアーノと出かけるのも、早起きの醍醐味である。彼と少しでも長く一緒にいられるなら、このような生活も悪くないと思えた。