イヤホン半分こ 休日のショッピングモールは、たくさんの人々で賑わっていた。通路を埋め尽くすかのように、ショッピングバッグを抱えた買い物客が行き交っている。今日は学校がお休みだから、親子連れや学生も多いみたいだ。人混みを掻き分けるように館内を進むと、ようやく目的のお店に辿り着いた。
その店舗の敷地内も、たくさんの人で溢れている。それもそのはずで、今日は新しいパックの発売日なのだ。それも、ただの発売日ではなく、店舗限定のプレゼントキャンペーンが同時開催されている。対象店舗で新弾をボックス購入すると、特製プロテクターがもらえるのだ。
パックを買うだけで限定アイテムがもらえるなんて、デュエリストにとっては夢のようなキャンペーンだ。公式の情報を追っているデュエリストたちは、もちろん対象店舗に殺到する。僕が向かったのはショッピングモールのおもちゃ屋だったから、レジ周辺は長蛇の列だった。これだけ人で溢れてしまったら、買い物をするだけでも疲労困憊だ。
なんとか目的の品を手に入れると、這うように店舗の外へと抜け出した。特に目的があるわけではないが、周辺の店舗を散策する。普段は商店街のカードショップに行っているから、ショッピングモールに来るのは久しぶりだ。せっかくの機会なのだから、買い物をしないと勿体無いだろう。
ぐるりと専門店街を歩き回ると、あるお店の前で足を止める。そこに看板を掲げていたのは、チェーン店のCDショップだった。防犯システムの取り付けられた入り口の奥には、色とりどりのジャケットに彩られた商品棚が見えている。外側から見える店舗の壁には、CDの発売を宣伝するポスターが貼られていた。
賑やかな音楽に誘われるように、僕はそのお店へと足を踏み入れた。店頭の最も目立つところには、流行りのアーティストのCDが並べられている。商品棚に並べられた背表紙は、ジャンルごとの五十音順になっているらしい。壁際の試聴コーナーには、売れているCDがランキング形式で展示されていた。
見るともなしに店内を歩き回ると、僕は再び足を止める。反対側の壁際に、消費者参加型のアンケートがあったのだ。展示されているボードに、丸いシールを貼って回答するタイプのものだ。CDの需要が減っている今日この頃だが、このお店のお客さんはそれなりに多いらしい。
一通り店内を見て回ると、僕は商品棚へと向かった。せっかく買い物に来たのだから、CDを買っていこうと思ったのだ。シティに引っ越してからというもの、CDを買う機会はめっきり少なくなっている。今時、携帯端末さえ持っていれば、多種多様な音楽を聴くことも簡単にできてしまうのだ。
頭文字の書かれた仕切りを眺めながら、僕は蟹歩きで移動する。探しているのは、普段聞いているバンドのアルバムだった。頭の中で名前を確かめると、並んだ背表紙に視線を滑らせていく。マイナーなものは無かったとしても、メジャーなものなら確実に置かれているだろう。
探していた品は、思ったよりあっさり見つかった。それなりにメジャーなタイトルらしく、候補に上げたものは全て揃っていたのだ。あるものだけ買っていこうと思っていたから、これはこれで困ってしまう。その場でしばらく悩んだ末に、なんとか一枚だけに絞り込んだ。
CDを持ってレジに向かうと、手早く会計を済ませる。次はいつ買いに来るか分からなかったから、ポイントカードは作らなかった。レジ袋ごとケースを鞄に入れると、再びショッピングモールの店舗に戻る。そろそろいい時間だから、昼食を食べてから帰ることにした。
家に帰ると、鞄の中からCDを取り出した。机の隅に置かれた端末を起動すると、椅子を引っ張って腰を下ろす。机の引き出しから探し出したのは、旧型の音楽プレイヤーだ。僕がシティへと移住する前には、この音楽プレイヤーを持ち歩いていた。
端末の起動が終わると、CDの包みを開けて装置へとセットする。端末でアプリを操作すると、すぐに読み取りが始まった。データの保存を待つ間に、音楽プレイヤーが壊れていないかを確認する。当たり前のように充電が切れていたから、端末に繋いで中身を確かめた。
コンピューター上に表示されたデータは、最後に使った頃のままだった。僕がシティに移住する前に聞いていた音楽が、そっくりそのまま残っている。最後に更新したのは二年ほど前になるから、その曲目も懐かしい。当時に大流行していた音楽があったかと思えば、誰も知らないようなインディーズバンドの曲まであった。
一通り中身を確認すると、音楽プレイヤーのアプリを起動する。取り込みの終わった音楽データを、転送用のアプリに読み込ませていく。僕の持っている音楽プレイヤーは、一度アプリに移してから曲を取り込むのだ。少し手間はかかってしまうけど、古いものだから仕方ない。
作業を終えると、CDからブックレットを取り出した。端末にイヤホンを差し込むと、音楽再生ボタンを押す。しばらくの間を開けると、イヤホンから音楽が溢れ出してきた。弾けるような演奏を聞きながら、僕は歌詞に視線を落とす。
やっぱり、どれだけ便利な時代になっても、CDというものは素晴らしいのだ。音楽を聞きながらブックレットを眺める経験は、実物のCDでなければできない。包装を開くワクワク感も、ブックレットのアーティスト写真も、内側のパッケージから読み取るモチーフにさえ、レトロな風情が溢れている。ものによっては、収録された順番に再生される音楽にも、全体的な意味合いが隠れていたりするのである。
目と耳で音楽を楽しみながら、僕は改めて実感する。こういう細かい楽しみを味わうことが、CDを買う醍醐味なのだ。配信には配信の良さがあるけど、CDにはCDの良さがある。どちらの良さも生かした付き合い方をすることが、最も音楽を楽しむ方法なのだろう。
アルバムが一周する頃には、音楽プレイヤーの充電も終わっていた。プレイヤーを接続するコードを引き抜くと、CDをケースに戻して端末の電源を切る。イヤホンを音楽プレイヤーに差し込むと、過去に聞いていたCDを再生する。久しぶりにアルバムのタイトルを見たら、また聞きたくなってしまったのだ。
音楽プレイヤーをポケットに押し込むと、僕はベランダの窓を開ける。乾いていた洗濯物を取り込むと、音楽を流したまま畳み始める。半分ほど畳んだところで、静電気を纏ったイヤホンがバチバチと音を立てた。
耳障りなノイズにびっくりして、僕は一度手を止める。音楽の再生を止めると、有線のイヤホンを耳から外した。この音楽プレイヤーは型が古いから、シティで主流になっている無線イヤホンとは相性が悪いのだ。仕方ないから、洗濯物を畳んでいる間だけは、イヤホンを外しておくことにする。
一通りの家事を終えると、僕はリビングへと足を踏み入れた。ソファに腰を下ろすと、片手で音楽プレイヤーを操作する。いい感じに時間が経ったから、残りの曲もあと三つくらいだ。ぼんやりと外の景色を眺めながら、僕は音楽に耳を澄ませる。
しばらくそうしていると、室内に眩い光が見えた。中から黒い人影が浮かび上がると、だんだんとルチアーノの姿に変わっていく。僕が背後を振り向くと、こっちを見ていた彼と視線が合った。
「おかえり、ルチアーノ」
「……ただいま」
少しの間を開けてから、彼はこちらへと歩いてくる。どすんと音を立てると、僕の隣に腰を下ろした。黙ったまま動かない僕を不審に思ったのか、ルチアーノがこちらに視線を向ける。耳から垂れるコードに気がつくと、いつもより大きな声で言った。
「君も、音楽を聴いたりするんだな。それも、そんな旧式なイヤホンを使ってさ」
ルチアーノの甲高い声が、リビングの中に響き渡る。耳元で響く大音声に、僕は僅かに顔をしかめた。気を使って大きな声で話してくれたみたいだが、そこまでする必要はなかったのだ。プレイヤーの音量は小さく設定されているし、このイヤホンは周囲の音が聞きやすいインナーイヤー型なのだ。
「そんなに大きな声を出さなくても、ちゃんと聞こえてるよ。このイヤホンは、耳を密閉しないから」
そう言うと、ルチアーノは少し機嫌を損ねたようだった。僕から視線を逸らすと、投げやりな態度で言葉を返す。
「そうかよ」
それを最後に、僕たちの間には沈黙が訪れた。これもいつものことだから、僕はあまり気にしない。一度機嫌を損ねても、しばらくしたら元の調子に戻るのだ。こんなことを言うと怒るのだろうけど、ルチアーノはなんだか猫みたいだ。
耳に差し込まれたイヤホンは、今も音楽も流している。曲が終わり、一度沈黙が訪れてから、弾けるように新しい音が聞こえた。さっきまではロックが流れていたが、次に鳴ったのは明るいポップスだ。ぼんやりと音楽を流しているうちに、僕はあることを思い付いた。
「ねえ、ルチアーノ」
隣に視線を向けると、ルチアーノの横顔が視界に入った。どこからか取り出した端末を手に、真剣な顔で向き合っている。素早い動きで何かを打ち込むと、彼はこちらに視線を向けた。
「なんだよ」
「よかったら、ルチアーノも聴いてみない?」
片方のイヤホンを取り外すと、ルチアーノの方へと差し出す。ちらりと僕の手元に視線を向けると、彼は怪訝そうな表情を浮かべた。すぐに視線を逸らすと、再び端末を操作する。
「そんなものを使わなくても、音楽くらい聞けるだろ。聞かせたいなら、タイトルを教えろよ」
「そんなこと言わないでよ。せっかく昔の曲を聴くんだから、当時の方法で聴こう」
ルチアーノの手から端末を取り上げると、手のひらにイヤホンを押し付ける。無理矢理作業を中断させられて、彼が鋭い瞳で僕を見る。粗雑な仕草でイヤホンを握り締めると、空いている手で端末を取り返した。
「なにするんだよ。人の仕事道具を奪うなんて、機密情報がバレたらどうするんだ?」
「そんな大事なもの、人前で使わないでよ。そもそも、ルチアーノには携帯端末なんていらないんじゃなかったの?」
「何言ってるんだよ。僕たちだって端末くらい使うぞ。僕たちは機械の身体を持ってても、相手はただの人間なんだから」
僕の質問に答えながらも、ルチアーノは端末を腰の辺りに突っ込んだ。どう見てもポケットがあるようには見えないが、それはどこかへと転送されていく。彼にとっての収納スペースとは、ワープ装置と同じ四次元空間なのだ。羨ましいと思うこともあるが、僕が使ったらちょっとした弾みで無くしてしまいそうな気もする。
「で、なんだって? これをつけて音楽を聴けって言うのか?」
イヤホンの片割れを摘み上げると、ルチアーノは面倒臭そうに呟いた。身に纏っていた布地で表面を擦ると、左側の耳に押し込む。汚いものを扱うような仕草が気になってしまったが、文句を言うことはできなかった。耳に直に入れているものなのだから、多少の汚れはあるだろう。
準備ができたことを確認してから、僕はポケットに手を突っ込む。音楽プレイヤーを操作すると、曲を始めから流し始めた。軽快な演奏と共に、男性の声で歌われるラブソングが流れ始める。確か、僕が中学生だった頃に、町の至るところで流れていた曲だ。もしかしたら知ってるんじゃないかと思ったのだが、反応は全く違っていた。
「やっぱり、こういう出力機器を通すと、音質は悪くなるよな。イヤホンもそんなに良くないし、ノイズが目立ってるぜ」
僕の方に身体を寄せながら、ルチアーノは小さな声で言う。任務以外の知識は無いのか、曲に触れることは一切なかった。
「確かに、プレイヤーは古いかもしれないけど、イヤホンはそこまで悪くないでしょ。これだって、ちゃんと音楽用のものを選んでるんだよ」
「音楽用でも、機械を通すと音質は悪くなるんだよ。やっぱり音楽っていうのは、脳に直接届けないと」
僕が反論すると、彼はさらに言葉を続ける。その堂々とした言い回しを見て、少し疑問に思ってしまった。もしかしたら、未来に生きる人々は、音楽を脳で聞いているのかもしれない。今だってワイヤレスのイヤホンがあるのだ。あり得ない話ではないだろう。
「もしかして、ルチアーノのいた時代では、直接頭に音楽を流してたの?」
恐る恐る尋ねると、彼はポカンとした顔をした。少しの間を開けてから、ケラケラと笑い声を上げ始める。挑発的な表情で僕を見上げると、声に笑みを含んだまま言葉を続けた。
「まさか、そんなわけないだろ。いくら未来の話って言っても、人の頭に電波は飛ばせないんだから」
どうやら、僕の想像は間違っていたらしい。未来ならあり得ると思ったのだが、人体の壁には勝てないのだろうか。それとも、イリアステルの技術が進歩しているだけで、一般市民の暮らしはそこまででもないのだろうか。ルチアーノの生きていた時代のことは、僕にはさっぱり分からない。
他愛の無い話をしているうちに、流れていた音楽は終わってしまった。アルバムの曲が一周したから、プレイヤーは動きを止める。ポケットから本体を取り出すと、ルチアーノは興味深そうに眺めてきた。
「何か聞きたい曲はある? あったら流すけど?」
声をかけると、ルチアーノは本体に手を伸ばした。ボタンを押してデータを流し見すると、顔を上げてこちらを見る。
「なあ、これ、借りていいか?」
「いいけど、どうして」
「どうもしねーよ。人間の音楽文化ってのを、もっと知りたくなっただけだ」
吐き捨てるように言うと、彼は僕の耳からイヤホンを取る。空いている耳に差し込むと、そのままプレイヤーを操作し始めた。特に困ることはなかったから、僕も取り返そうとは思わない。むしろ、ルチアーノが音楽に興味を持ってくれたことが、純粋に嬉しくもあったのだ。
イヤホンをつけたルチアーノを眺めながら、僕は僅かに口角を上げる。こうしてソファに座ってると、その姿は普通の男の子だ。音楽に興味を持ってくれる辺り、彼の感性は人間に近づいているのかもしれない。いつかは、一緒にイベントにも行ってみたいと、途方もないことを考えてしまった。