シュトーレン スーパーのパンコーナーには、今日もたくさんのパンが並んでいる。陳列棚を隙間なく埋めているのは、定番の食パンやテーブルロールだ。すぐ隣には菓子パンやキャラクターパンが、賑やかなポップを伴って売場を賑わしている。ぐるりと反対側へ歩を進めると、今度は惣菜パンの山があった。
山積みされた食パンを手に取ると、僕は買い物カゴの中に入れた。冷凍食品や飲料から距離をおいて、パンが潰れないようにする。今度は惣菜パンの棚に向かうと、目ぼしいものがないかを物色する。しかし、そこに並ぶのは食べ慣れた定番品ばかりで、面白味のあるものはない。
パンコーナーから離れると、僕はレジへと歩を進めた。何歩か歩みを進めたところで、すぐに足を止めてしまう。コーナーから少し離れた場所に、新商品を陳列する台が並んでいたのだ。そこに山積みにされた食べ物に、僕の目は釘付けになってしまった。
大きなポップと共にに平積みされていたのは、シュトーレンと呼ばれる菓子パンだった。いつの間にかクリスマスのお菓子として定着した、ドイツ発祥の食べ物である。その姿はなかなかに特徴的で、どっしりした重みのある生地の中に、たくさんのドライフルーツやナッツ類が練り込まれているのだ。周囲は粉糖でコーティングされているから、外から見たら真っ白な塊にしか見えない。
そんな甘ったるい雪山に、僕は誘われるように歩み寄った。そのうちのひとつを手に取ると、買い物カゴの中に放り込む。それは僕の手のひらくらいのサイズなのに、見た目に似合わずずっしりと重い。さっき手に取った食パンとは、天と地ほどの差があった。
重くなったカゴを片手にレジへと向かうと、買い込んだ食料品を袋に詰める。飲料も何本か買っていたから、レジ袋はかなりの重みになった。重量が集中した細い持ち手が、容赦なく僕の腕に食い込む。こういうときだけは、ルチアーノのワープ機能が羨ましくなる。
レジ袋の持ち手を握り直すと、僕は足早に家へと向かった。もう売場にシュトーレンが出ているなんて、季節の移り変わりは早いものである。そのうちにクリスマス商戦が終わって、お正月の福袋を売り出すのだろう。そんなことを考えてしまうなんて、僕も歳を取ったのかもしれない。
思えば、ルチアーノとクリスマスを祝ったことはあっても、それまでの過程を楽しんだことはなかった。去年はアドベントカレンダーを買ったけど、あまりクリスマスらしいものではなかったのだ。せっかく一緒に過ごすのだから、たまにはイベントを用意してもいいだろう。そんな理由をつけてみるが、実のところは僕が食べたいだけだった。
左右の手で買い物袋を持ち変えながら、僕は弾んだ足取りで家路へと向かう。この激甘なお菓子を見た時に、ルチアーノはどんな反応を見せるのだろうか。呆れるのかもしれないし、甘さにびっくりするのかもしれない。もしかしたら、既に食べている可能性だってあるだろう。彼の目まぐるしく変わる表情を想像して、僕は口角を上げるのだった。
「今夜は、デザートを買ってきたんだよ」
食事を終え、リビングの空気が寛ぎモードになった頃に、僕はルチアーノに声をかけた。おもむろに椅子から腰を上げると、キッチンの片隅へと歩いていく。
カウンターの上に乗せられていたのは、夕方に買ったシュトーレンだった。ルチアーノに中身を見られないように、わざと袋に入れたままにしてある。パン切り包丁と取り皿を取り出すと、シュトーレンと共に机の上に乗せた。
「ほら、シュトーレンだよ。もうすぐクリスマスだから、スーパーで売ってたんだ」
笑顔を浮かべながら差し出すと、ルチアーノは呆れたようにため息をつく。弟を嗜める兄のような表情を浮かべると、淡々とした声で答えた。
「なんだ。そんなことか。子供じゃないんだから、いちいち浮かれるなよ。それにその菓子の名前は、『シュトーレン』じゃなくて『シュトレン』だ」
どうやら、ルチアーノの見せる反応は、呆れが正解だったようだ。もっと驚いてほしかったのだけれど、知っていたのなら仕方がない。袋の中からシュトーレンを取り出すと、袋を開けて中身をずらした。摩擦で粉糖が剥がれて、周囲に粉雪を降らせていく。
「そうなの? お店ではシュトーレンって書いてあるから、シュトーレンなのかと思ってた。レシートだって、シュトーレンって書いてあったし。」
「日本ではそう呼ばれてるらしいけど、本場ではシュトレンが正しいんだ。シュトーレンなんて言っても、現地の人には伝わらないぜ」
自信満々に口角を上げると、彼は僕の手元を見下ろした。そこでは、シュトーレンを袋から出した僕が、隅を切ろうと悪戦苦闘している。シュトーレンは少しずつ食べるものだから、薄く切らないと雰囲気が出ないのだ。しかし、僕が切った真っ白な切れ端は、八枚切りの食パンくらいの厚さになってしまった。
「下手くそだなぁ。ほら、貸せよ」
僕の手から包丁を取り上げると、ルチアーノはシュトーレンに手を伸ばす。器用に包丁の刃を差し込むと、迷うことなく切り取った。お皿の上に落ちた切れ端は、サンドイッチ用食パンの用にペラペラだ。僕の切った部分と比べると、天と地ほどの違いがある。
「ほら、切ってやったぞ」
恩着せがましく言葉を吐くと、彼はシュトーレンを僕のお皿に乗せた。せっかく二枚持ってきたのに、片方は綺麗なままだ。ゆっくりとお皿から顔を上げると、正面に座るルチアーノに視線を向ける。
「ルチアーノは食べないの?」
「僕は要らないよ。こんなもの、甘ったるくて重いだけだからな。君が食べたくて買ってきたんだから、君一人で食べなよ」
冷たい返事が返ってきて、僕は思わず眉を寄せた。甘いものが好きではない彼は、全く食べる気が無いようである。どうやって彼を言いくるめるか、必死に頭の中で言葉を探した。
「僕がシュトーレンを買ってきたのは、ルチアーノと一緒に食べたかったからだよ。紅茶も淹れてあげるから、ちょっとだけでも食べよう」
「要らないって言ってるだろ。しつこいぞ」
なんとか説得を試みるが、彼は首を縦に振らなかった。これ以上誘っても期待できないから、僕は大人しくフォークを手に取る。砂糖で包まれた生地を口に運ぶと、強烈な甘みが口に広がった。いかにもシュトーレンといった味わいに、一気にクリスマスの訪れを感じた。
黙って椅子から腰を上げると、僕はキッチンへと足を運んだ。個包装のティーバッグを取り出すと、ポットに入れてお湯を注ぐ。抽出中の熱湯で満たされたポットを、溢さないように机へと運んだ。
しばらく時間を置いてから、僕はポットの中身をマグカップに注いだ。そのままでは熱くて飲めないから、しばらく置いて冷ますことになる。その間の暇を潰すために、シュトーレンを一口サイズに切り分けた。フォークに乗せて口に運ぶと、やはり強烈な甘味を感じる。
紅茶の入ったマグカップを手に取ると、表面を冷ましてから口をつけた。火傷するほどに熱い液体が、僕の口の中へと入ってくる。舌先をつけないように口に含むと、口内で冷ましてから飲み込んだ。
「美味しいよ。ルチアーノもどう?」
三度目の声かけを重ねると、彼はちらりとこちらを見た。見せつけるようなため息をつくと、机の上のフォークを手に取る。
「分かったよ。一口だけだからな」
面倒臭そうに呟くと、僕のお皿へとフォークを伸ばしてきた。切り分けたばかりのシュトーレンの欠片を、フォークの先で持ち上げる。そのまま口に運ぶと、音も立てずに咀嚼した。
「甘いな」
口の中のものを飲み込んでから、彼は小さな声で呟く。そこで僕の視線に気がついたのか、怪訝そうな表情で言った。
「なんだよ」
「間接キスだなって思って」
ルチアーノが食べたシュトーレンの欠片は、僕が切り分けたものである。そして、僕はそれを切り分ける前に、一口目を口に運んでいたのだ。つまり、ルチアーノが食べたシュトーレンの欠片には、僕の口の唾液がついていることになる。
僕の言葉を聞くと、ルチアーノ呆れたように息をついた。再び椅子に腰かけると、冷めきった声で呟く。
「急になんだよ。いつもはベタベタキスして来るくせに、こういうことは気にするんだな」
確かに、彼の言う通りだ。彼と恋人同士になってからというもの、毎日のようにキスをしている。それなのに、彼に間接キスをする姿を見せられると、僕は気になってしまうのだ。
「何でだろうね。どうしても気になっちゃうんだ」
「君って、本当に変なやつだよな。ほら、とっとと残りを食べろよ」
まだ呆れを残した表情のまま、ルチアーノは僕のお皿を示す。彼に言われるままに、僕はシュトーレンの欠片を口に運んだ。時折紅茶を挟みながら、甘味のある重い生地を咀嚼していく。取り分けた分を食べ終わると、お皿とフォークを片付けた。
それからというもの、僕は毎日のようにシュトーレンを食べていった。ルチアーノはあまり食べたがらなかったから、消費するのは僕一人だ。食べきるまでには時間がかかってしまうが、シュトーレンなら問題はない。このお菓子は初めから、長期保存を目的に作られているのだから。
ある日の朝、僕がシュトーレンを切り分けていると、ルチアーノが歩み寄ってきた。僕のお皿の上に視線を向けると、呆れた声で言葉を発する。
「君ってやつは、よく朝からそんなもの食えるよな。僕だったら胸やけしちまうぜ」
「そうかな。甘いものを食べた方が、エネルギー補給になりそうな気がするけど。ルチアーノは、甘いものは食べないの?」
「そんなもの、僕が食べるわけないだろ。子供じゃないんだから」
呆れるルチアーノを横目に、僕はシュトーレンを袋にしまう。食べ始めてから一週間ほど経って、残りは半分を切っていた。この調子で食べていれば、来週には中身が空になるだろう。そんな僕の様子を見て、ルチアーノはさらに言葉を吐く。
「君、食べるの早くないか?」
「そうかな?」
「シュトレンってのは、もっと時間をかけて食べるものだろ」
彼に言われて、僕は手元に視線を向ける。確かに、僕の食べるスピードは、本場の人よりも早いのかもしれない。本来のシュトーレンというものは、クリスマスを待ちながら少しずつ食べるものだ。朝食の足しにしようとする人なんて、そうそういないのだろう。
「そう言われたら、そうかも……」
「気を付けろよ。この手の菓子はカロリーがすごいんだ。気を付けてないと、すぐに太っちまうぜ」
怯んだ僕を追い詰めるように、ルチアーノはそんなことを言う。容赦のない言葉に、僕は丸々と太った自分を想像してしまった。そんなことになったら、今のようにデュエルはできないだろう。それどころか、ルチアーノに愛想を尽かされるかもしれない。
「気を付けるよ」
しっかりと袋の口を閉じると、僕は小さな声で答える。彼に言われると、なぜか現実になりそうな気がしたのだ。いくら甘いものが好きだからと言っても、太るほど食べたいとは思わない。彼を失望させないように、きちんと節制しようと思った。