表情 治安維持局のビルを出ると、僕は大きく息をついた。意味もなく視線を上に向けると、高層ビルの並んだ町並みを眺める。ビルとビルの隙間から見える空は、爽やかな青色に染まっていた。しかし、そんな空模様とは裏腹に、僕の気持ちは重く沈んでいる。
周囲に聞こえないように舌打ちをすると、僕は大通りへと足を踏み出した。平日の午前のオフィス街は、行き交う人影もまばらにしか見えない。付近に用事のある人間たちは、今頃ビルの中で働いているのだろう。目的もなく周囲を歩き回っているのは、人間社会から外れた僕ぐらいだ。
とはいえ、こうして町を彷徨っている僕だって、何の目的もなく治安維持局を訪れたわけではない。今日は政府関係者の男と話をするために、わざわざこの地まで出向いていたのだ。相当な権力者だということで、特別に僕自身が向かったのである。しかし、会議が始まる直前になって、急に向こうが予定を取り消して来たのだ。
苛立ちを込めるように足音を立てながら、僕は大通りを直進していく。腸が煮えくり返っていて、気持ちが収まってくれなかった。治安維持局職員との会談をないがしろにするとは、あいつらは何を考えているのだろう。いくら政府関係者だと言っても、この町での権力は僕の方が上なのだ。
込み上げた感情の勢いのままに、僕は当てもなく歩を進める。黙々と通りを直進していると、目の前に繁華街が見えてきた。タッグパートナーの青年と特訓をするときに、必ずと言っていいほど向かうエリアである。無意識にこの地へと向かってしまったことが、我ながら恥ずかしくて仕方なかった。
青年の姿を探すかのように、僕はデュエルコートの集まるエリアへと歩を進める。しかし、三ヶ所ほどコートを覗いてみても、青年の姿は見つからなかった。寝坊助な彼のことだから、まだ家で眠っているのかもしれない。そう思い直して、今度はショッピングビルが建ち並ぶエリアへと向かった。
当てもなく周囲を歩き回ると、僕は不意に足を止める。オフィス街よりは人通りの多くなった大通りの向こうに、見慣れた人間の姿を見つけたのだ。青緑の髪をポニーテールに結んだ少年と、短いツインテールに結んだ少女が、肩を並べるようにして歩道を歩いている。お揃いの服に身を包んだその姿は、どう見てもシグナーの双子だった。
視界に彼らの姿を捉えると、僕は微かに口角を上げる。こんなところで彼らを見かけるなんて、僕はなんという幸運なのだろう。せっかくの機会だから、二人をからかって憂さ晴らしをしても良いかもしれない。そんなことを考えながら、僕は大通りの向こうへと歩いていった。
気づかれないように背後へと回ると、静かに彼らとの距離を詰めていく。手を伸ばせば届くほどの距離に近づいても、双子は気づく気配すらなかった。機械でできているこの身体は、必要があれば足音を殺すことができるのだ。ここぞというタイミングを見計らうと、僕は淡々とした声で口を開く。
「やあ、二人とも。こんなところで会うなんて奇遇だね」
僕の声が響いたと同時に、二人は驚いたように肩を震わせる。示し合わせたかのように顔を見合わせると、恐る恐るこちらを振り向いた。視界に僕の姿を捉えると、揃って間抜けな表情を見せる。しかし、それも一瞬だけで、二人はすぐに表情を緩めた。
「ルチアーノくん……!」
「げっ。ルチアーノ……!」
それぞれ正反対の感情を浮かべながら、彼らは同時に声を漏らす。穏やかな表情を浮かべる妹に対して、兄は今にも噛みつきそうな勢いだった。向けられている感情の落差に、僕は思わず笑ってしまいそうになる。すんでのところで抑えると、僕は淡々と言葉を続ける。
「一体何をしてたんだい? 平日なんだから、学生は学校があるはずだろ」
挑発するように言葉を告げると、龍亞は威嚇するようにこちらを睨む。しかし、そんな兄とは対称的に、龍可は笑みを浮かべていた。少しだけ僕の方に近づくと、説明するような口調で言葉を重ねる。
「今日は、振り替え休日でお休みなのよ。先週の土曜日に、アカデミアで授業参観があったの」
「へえ。そうなんだ。アカデミアにも、そういうイベントがあるんだな」
そんな彼女の態度に応じるように、僕は友好的な態度で言葉を重ねた。雑談を繰り広げる僕たちを見て、龍亞が不満そうに眉を吊り上げる。無理矢理龍可の腕を掴むと、自分の後ろへと引き寄せた。
「おい、何を呑気に話してるんだよ。こいつは、遊星たちを狙ってる敵なんだぞ」
内緒話をするように顔を近づけると、龍可の耳元で捲し立てる。本人は隠れているつもりなのだろうが、僕の耳にも丸聞こえだった。露骨に態度を変える龍亞を見て、龍可も不満そうに表情を歪める。
「龍亞は心配しすぎなのよ。いくらイリアステルだとしても、町中で襲ってきたりはしないでしょう。そうやってすぐに疑ったら、ルチアーノくんに失礼よ」
「忘れたのかよ。こいつは、オレたちを襲撃した張本人なんだぜ。今は呑気に話してるけど、裏では何を考えてるか分からないだろ」
「龍亞は、ルチアーノくんを疑いすぎなのよ。わたしは何度も顔を合わせてるけど、怖い目にあったことなんてないわよ」
僕の存在を放ったらかしにして、彼らはやかましく口論を始める。このままでは埒が明かないから、僕の方から助け船を出すことにした。龍可のすぐ近くへと歩み寄ると、軽く牽制して龍亞を引き剥がす。まだ警戒している彼の前で、僕は堂々と言葉を発した。
「安心しなよ。今日は、君たちに危害を加えるつもりはないから。二人の姿が見えたから、ちょっと声をかけてみようと思ったんだ」
「今日はって、違う日にだったら襲撃してるってことじゃないか」
「当たり前だろう。僕たちはデュエリストなんだ。然るべき時が来たら戦うことにもなるさ」
「そういう意味じゃないだろ!」
まだ不満そうに噛み付こうとするが、龍亞の言葉はそこで途切れることとなった。僕たちの間に挟まれていた龍可が、割り込むようにして前に出てきたのだ。妹に正面から睨み付けられて、さすがの龍亞も勢いを失う。その一瞬の隙をつくように、彼女は話を絶ち切った。
「もうその話はいいでしょう。…………それより、ルチアーノくんは○○○と一緒じゃないのね」
唐突に無関係な話を振られて、思わず声を上げそうになってしまう。さっきまで喧嘩紛いの会話をしていたのに、どうして青年の話になるのだろう。人間の考えることというのは、僕にはよく分からなかった。
「生憎、今日は僕一人なんだ。本当なら任務があったんだけど、ちょっと予定が狂ってね」
「そう。だから、いつもより寂しそうなのね」
「は?」
またしても理解のできない言葉を告げられて、僕は間抜けな声を上げてしまう。しかし、シグナーの双子の前であることを思い直して、なんとか表情を取り繕った。全く、この人間の少女は、一体何を考えているのだろう。カードの妖精の声を聞く人間だから、スピリチュアルな意図があるのだろうか。
「寂しそう? 僕が?」
「そうよ。今日のルチアーノくんは、どこか寂しそうに見えるの。○○○と一緒にいるときは、もっと嬉しそうな顔をしてるのよ」
そんな僕の困惑を嘲笑うように、彼女はまたしても言葉を続けた。同級生の子供に対するような表情を見ていたら、余計に苛立ちが募ってしまった。いったいこの女に、僕の何が分かると言うのだろう。込み上げてきた怒りをぶつけるかのように、僕は微かに声を荒らげた。
「僕がそんな顔をしてるわけないだろ。ひとりぼっちで寂しそうな顔をしてるのは、いつだって○○○の方だ。君は、一体何を見てるんだよ」
「そうね。○○○も、一人だと寂しそうな顔をしているわ。きっと二人とも、お互いのことが大好きなのね」
しかし、そんな僕の態度に怯むこともなく、龍可は淡々と言葉を続ける。その楽しそうな笑顔を見ていたら、話を続けるのが面倒になってきた。全く、こんな朝っぱらから、僕は一体何をしているのだろう。何もかもが馬鹿らしくなって、僕は彼女から距離を置いた。
「まあいいや。君たちと話をするのは、この程度にしてやるよ。何度も言うけど、僕は大会の準備で忙しいんだ。」
捨て台詞で話を切り上げると、僕は彼らに背を向ける。自分でも不自然だと思うくらいの、明らかに矛盾した物言いだった。しかし、そうでもして彼らから離れないと、僕は調子が狂わされてしまいそうだったのだ。自分でも理解ができないほどに、彼女の言葉は僕を動揺させた。
「そう。またね」
「なんだよ。自分から話しかけてきたくせに」
僕を言いくるめたことが嬉しいのか、龍可は楽しそうに挨拶を交わす。隣に佇んでいた龍亞が、不満そうに呟く声が聞こえた。二人の声から逃げるかのように、僕は早足で大通りを進む。その間、僕の思考スペックを占めていたのは、龍可が口にした言葉だった。
彼女は、タッグパートナーの青年と一緒にいる時の僕が、嬉しそうな顔をしていると言っていた。本当に彼と一緒にいる時の僕は、人間から見ても分かるほどに表情が違うのだろうか。神の代行者の身で人間にほだされるなんて、絶対にあってはならないことである。この事が神に知られたら、僕は裁きを受けるかもしれない。
人通りの少ない通りへ足を踏み入れると、僕はワープ機能を起動した。転移先の座標として設定したのは、僕たちの拠点となる空間である。あんな話を聞かされた後に、青年に会いに行く気になどなれなかったのだ。光の輪が空間を切り裂くと、僕は円の中に足を踏み入れた。